第4話「欲望はエンジン、理性はブレーキ、感情はハンドル。」
ドイツ ミュンヘン
とあるビジネスホテルのロビー。
平日の昼間ということもあってか、数多くのビジネスマンがロビーに集い、窓際のテーブルを使って、仕事の打ち合わせや取引先との交渉に勤しんだり、優雅な昼食タイムを過ごしたりする、忙しくもゆっくりと時間の流れる空間だった。
いかにも仕事の空間と思わせるロビーの雰囲気は突然、破壊された。
「何で教えねぇんだよ!!ぶっ殺すぞ!!」
フロントで一人の女性がフロントマンを怒鳴りつける。
ロビー中に響き渡る怒号のせいで全員が作業中断を余儀なくされ、女性とフロントマンの方に目を向ける。フロントマンに怒鳴りつけるいかにもガラの悪そうな女と怯えるフロントマンの図がそこにあった。
(あぁ。あのフロントマン、可哀想に・・・・)
一部始終を見ていた人たちは皆、そう思っただろう。
女はこの辺りでは見かけないラテン系だった。
年齢は10代後半から20歳ぐらい。健康的な褐色の肌に黒い瞳、背中の半分まで届くだろうウェーブのかかった黒髪は右側の毛先で緩く縛られ、肩にかけられている。いわゆるサイドポニーというものだ。かなりスタイルは良く、スレンダーな体型をしている典型的なラテン系美人なのだが、怒りの形相で眉間にしわが寄っているのが何とも残念だった。
ギリギリホットパンツに東洋の龍がプリントされたタンクトップという非常に身軽で挑発的な格好だ。良く見れば、肩からブラ紐が少しだけ見えている。
布で包まれた長さ2m前後の棒を肩に担ぎ、先端に小汚い麻袋を引っかけている。
「もう一度、言うぞ!
尼乃昂焚がどこに行ったか、教えろ!!」
「さ、先ほどから何度も言います通り、お客様のプライバシーに関わりますので、当ホテルではお教えできません。」
それを聞いた途端、彼女からブチッ・・・という血管のキレる様な音がした。
そして、中国武術のように巧みに長さ3mの棒を振り回すと、その先端をフロントマンに向けた。
「最後通告だ。さっさと教えろ。じゃねぇと、お前の額にケツの穴を増設するぞ。」
あまりの出来事にフロントマンが怯え、他のスタッフがこっそり電話で警察を呼ぶ。彼女の位置からでもそれが確認できるが、警察を恐れていなかったのか、通報を止めようとしなかった。
ホテルマンとしての誇りと生命の危機が拮抗し、彼の中で命と誇りの葛藤が始まっていた。
彼がどちらに選択したのかは分からないが、どちらかを捨てる決意をして涙を流しそうになっていた。
「・・・喋らねぇのか。職の誇りを選ぶのは大したもんだ。」
彼女が棒を引き、先端の照準をフロントマンの額に合わせる。
だが、フロントマンの額にケツの穴が増設される前に、一人の老紳士が女に話しかけて来た。
「待ちなさい。」
「あぁ?何だ、てめぇは?」
怖気づくことなく、老紳士は咳払いをするとこう言い放った。
「君の捜している男なら、今日、チェックアウトしたぞい。」
「本当か?」
「ああ。ワシは今朝、彼と話したのじゃが、『ちょっと中華料理が食べたくなったからイギリスに行ってくる。』と言っておったな。」
老人の言葉に女は「え?」と目を丸くした。なんで中華料理が食べたいのにイギリスへ行くのか、中国に行けばいいだろうと色々とツッコミどころがあるが、とにかく女にとっては彼がイギリスへ向かったという情報さえあれば良かった。
「分かった!イギリスだな!」
彼女は先程までとは違い、女の子らしい凛々しくキラキラとした期待に満ちた笑顔を浮かべてホテルから飛び出していった。
台風が通り過ぎたかのようにホテルは異様なまでの沈黙だった。
「た、助かったあ~。」
涙を零しながら震えて腰を抜かすフロントマン。そして、フロントレディが老紳士に礼を言う。
「ご協力、ありがとうございました。」
「なぁに、どうってことないわい。ちょっと昨日の記憶が口から零れただけじゃ。」
笑顔で応対する老人だが、何かと気にかかっていることがあった。
(それにしても、イギリスのどの都市か分からないで嬢ちゃんは大丈夫だろうか?)
島国と言ってもイギリス、正式名称:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国は244,820㎢の面積を誇っている。誰の助けも借りずに一人の男を探すにはかなり骨が折れる作業だった。
同時刻 ミュンヘン国際空港
そこに尼乃昂焚はいた。ミランダから受け取った金で黒を基調とした高級スーツに新調し、魔術で焦げ付きを修復したトランクを傍らに置き、航空チケットを握っていた。
ドイツ観光を存分に楽しんだ彼は大量のお土産を買い、自分の土産を待つ依頼人のところに飛び立つ為に飛行機に乗るのだ。
彼はロビーにある椅子に腰かけ、目の前にある大型テレビでニュースを見ていた。
今はミュンヘン界隈の地域的なニュースを放送していた。
『最近、幼い少年に声をかけては卑猥な服を着せようとする女性の通報が相次いでおり、警察は不審者としてその女性の捜査を開始しました。犯人の特徴は20代前半の女性でグレーの髪、胸はF~Gカップあり、帽子とサングラスで顔を隠しています。付近の住民の皆さまは―――』
『先日、ノイエ=ピナコテーク前広場が何者かに荒される事件が発生し、警察は―――』
そんなニュースを昂焚は流し眼で見ていた。どの事件にも中心人物として関与していたのにもかかわらず、我関せずの姿勢だった。
(さて・・・そろそろ行かないとな。)
昂焚が立ち上がり、棺桶トランクを抱えてゲートのところまで行こうとした。
ピンポンパンポ~ン!!
『ミュンヘン発ロンドン行きの××エアライン△△便で搭乗予定の尼乃昂焚様~。尼乃昂焚様~。お手数おかけしますが、至急、チェックカウンターまでお越しくださいませ。』
突然の呼び出しコールに「何事だ?」と思いながら、昂焚はチェックカウンターへと向かった。
チェックカウンターでは女性の従業員が「こちらです。」と誘導した。
「どうかしたのですか?」
昂焚が尋ねると、女性職員は申し訳なさそうな顔で答えた。
「申し訳ありません。こちらのミスでお渡しするチケットを間違えてしまいました。」
女性職員は謝罪し、お詫びの粗品(ミュンヘン空港限定販売のマグカップ)と本来渡すはずだったチケットを引き渡した。
「5番搭乗口になります。」
職員に促されるまま、昂焚は5番搭乗口へと向かった。
そんな姿を女性職員は後ろから眺めていた。そして、彼がちゃんと向かったことを確認すると、傍にある電話を手に取る。そして、周囲に聞こえないように小声で話し始めた。
「対象《ターゲット》の誘導に成功。」
『ご苦労だった。彼の座席はキャンセル扱いにしておけ。』
「了解。」
一方、昂焚は搭乗ゲートへと向かっていた。
搭乗時間は変わらないらしいので、急いで向かったのだが、どこかおかしい。
昂焚以外、誰も搭乗口へと向かおうとしないのだ。旅客機に乗るのだから100名前後の人間が同じゲートへと行くはずだ。お詫びとしてプライベートジェットを用意するなんて考えられない。
マイペースな昂焚はそんなことも気にせず、気付かず、ゲートへと足を進めた。
そして、徒歩数分で5番搭乗口に到着したが、そこには誰もいなかった。
それどころか、旅客機すら見当たらない。搭乗口番号も間違えてはいなかった。
流石の昂焚もそこで異変に気づく。
「もしかして、国内線と国際線を間違えたか?」
そんな一抹の不安を感じ取った瞬間だった。
「問題ない。ここは国際線だ。」
背後から聞こえる低くて屈強な男の声。昂焚が振り向くと、そこには黒づくめのいかにも裏の組織の回し者っぽい男たちが数人ほどいた。
「尼乃昂焚だな?」
「ああ。そうだけど・・・・誰?」
ヴィルジール=ブラッドコード。昂焚にとっては聞き慣れた名前であった。
「―――ってことは、ヴィルジール・セキリュティ社の傭兵か。俺に何か用でも?」
「社長が貴方に会いたがっている。悪いが、大人しく付いて来てもらおうか。」
「おっけ~。」
黒服の男たちは状況が状況なだけに少しは抵抗されると思っていた。ヴィルジールの人格も考えると然りだ。しかし、昂焚はそれに軽々しく答え、黒服の男たちを少し戸惑わせたが、すぐにヴィルジールの元へと案内した。
案内と言ってもすぐそばにある搭乗口に行くように促し、そのまま昂焚を航空機に乗せただけだ。
ヴィルジールが待つ航空機はこの場には不釣り合いと言うか・・・別にあっても構わないのだが、周りの航空機と比べると一線を引いている。
なぜなら、彼の所有する航空機は軍事用の大型輸送機だったからだ。武装こそはしていないものの、どんな砲撃にも耐えるぶ厚い装甲、戦車の輸送を想定した太った外観、そしてその巨体を浮かすことを実現する馬鹿デカいエンジンが4機も積まれている。
(ミリオタなのは相変わらずだな・・・・。)
搭乗口から輸送機の中に入ると、そこには大量に並べられた銃器、装甲の裏側が剥き出しになっている無骨で重量感のある内観だった。
輸送機の中にヴィルジール=ブラッドコードはいた。
危険な匂いを漂わせる爬虫類の様な目をした30代後半の男だ。左目に大きな傷を持ち、無造作に伸びた黒髪が肩にかかっている。 ここは戦場でないというのに、迷彩色の服に無線や機関銃を所持しており、「戦場の最前線でなら違和感のない」格好をしている。胸に数多くの勲章を付けているが、これらは自らの手で討ち取った兵士の勲章や階級証を剥ぎ取ったものである。(本人談)
とにかく敵意と警戒心、嫌悪感、不快感を与えるような姿をしており、どこぞの神の右席の術式でも使えれば、即座にこの場にいる人間が卒倒するだろう。
彼は簡易な造りの金属製の椅子とテーブルを用意し、昂焚を迎えていた。
「やっと来たか。遅いぜ。」
わざと不快感を与える様な独特な口調と共にヴィルジールが昂焚に話しかける。
「お前が誘拐した様なものだから、遅いも糞もないと思うんだが・・・・」
昂焚はそう返すと、背中に抱えていた棺桶トランクを置き、ヴィルジールの向かいの椅子に座る。
「おいおい。誰が座って良いって言った?」
「椅子が俺に座ってもらいたさそうにこちらを見つめていた。」
ヴィルジールの言葉にナレーション口調な電波発言で返す昂焚。普通ならツッコミやら反発やら、大人しく従って立ち上がるやら選択肢はあるものの、これは想定外だった。
「チッ・・・。今回は特別だ。座れ。」
ヴィルジールは不機嫌そうな顔で舌打ちする。
「で?何の用だ?」
昂焚が尋ねると、ヴィルジールは笑みを浮かべた。彼にとっては愉快であり、他人にとっては不愉快な笑みだ。
「ここ3日、ミュンヘンで派手に暴れたそうじゃねぇか。ルシアンのガキはともかく、黙示録の四騎士を使うミランダや黄泉軍《ヨモツイクサ》を使う美繰(よくり)を相手にお前は勝ったんだ。てめぇ程の実力者が呑気な旅行者でお土産配りに精を出しているのが勿体無くて堪らねぇ。」
「まぁ、ルシアンはゲテモノ執事服が嫌で逃げた様なものだからな。それで?俺に何か用なのか?」
「単刀直入に言おう。お前、
イルミナティに入るつもりは無いか?」
それを聞いた昂焚は唖然とした。
「・・・嫌われる天才お前が勧誘だなんて、どういう冗談だ?それとも、明日は天使でも降るのか?」
「天使が降ってきたら、とっ捕まえて軍事兵器にしてやんよ。―――って冗談は置いといてだ。俺は大真面目な話だ。」
そうなると、昂焚は疑問に思った。
イルミナティのメンバーは構成員が666人、幹部が13人、そして総統が一人で魔術的要素も含めてこの人数で固定されている。それより多くても少なくても意味が無いのだ。
ちなみに、ヴィルジール・セキリュティ社の社員は666人の構成員に含まれていない。
「俺を招集するってことは、構成員に欠員が出たのか?」
「まぁ、構成員の欠員なんざよくある話だ。それに補充は俺の担当じゃねぇ。」
「じゃあ、どういうことだ?」
昂焚が尋ねると、ヴィルジールは再び頬を吊り上がらせ、再び不快な笑みを浮かべた。
「幹部だよ・・・。俺は、お前をイルミナティの幹部に推薦してやる。」
―――イルミナティの幹部。それはとても甘美な役職だ。イルミナティという組織自体は魔術結社の中では比較的大きいぐらいの組織だ。しかし、宗教的戒律からの解放と我欲を肯定する信仰は“自由”というものを求める人間からすれば理想郷のようなものだ。更にその理想郷のTOP13に入れるのだ。これほど甘美なものはないだろう。
イルミナティの魅力は思想だけではない。潤沢な資金と戦力もその一つだ。科学・魔術の両サイドで有名な化粧品会社として知られるゼリオン=コーポレーションの社長であるローズ=ムーンチャイルドもイルミナティの幹部であり、彼女の会社からは莫大な資金が援助されている。加えて、ヴィルジール・セキリュティ社の軍事力は広範囲に同時展開する行動や術式の補助にはうってつけだ。
「悪い話ではないな。」
昂焚もイルミナティ幹部という美味しい役職の就く目の前のチャンスに目がくらみかける。
「だろう?」
「だが、俺が誘われるってことは、幹部に欠員が出たのか?」
昂焚の問いにヴィルジールは掠れ切る様な高い声でハハッと笑い飛ばす。
「“欠員が出た”んじゃねぇ。“今から欠員を出す”んだよ。そうだなぁ・・・ルシアンかメイラ辺りをぶっ殺しておくか。ルシアンは青臭いガキで嫌いだし、メイラは金食い虫だし・・・」
昂焚の中の疑問はますます深まる。自分とヴィルジールはそれほど仲の良い間柄ではない。何度かあった程度の知り合いでしかない。
「そこまでして・・・・、俺をイルミナティの幹部にしたいのか?」
昂焚がポツリと口から零すと、ヴィルジールはテーブルを強く叩いた。
「勘違いすんじゃねぇ。俺はイルミナティに相応しい人間を誘っているだけだ。」
「俺が・・・・イルミナティに相応しい・・・?」
そうだ!―――とヴィルジールは威勢の良い声で答えると、椅子の上に立ち上がり、肩足をテーブルの上に乗せた。そして、前のめりの体勢で昂焚に爬虫類の様な眼を見せつける。
それでもビクともせず、昂焚はポーカーフェイスを貫いていた。
「イルミナティの思想はてめぇも知っているだろ?」
「『強欲こそが崇められる絶対唯一神』」
「そうだ。それこそがイルミナティであり、俺たちだ。人間ってのは所詮、頭の良い獣だ。どこまで行こうとその欲望は捨て切れねぇ。戦争だってそうだ。『戦争は愚かだ。』『悲劇だ。』『最悪の外交手段だ。』と耳にタコが出来るくらい連呼して、そうだと分かり切っているのに人間は戦争を止められない。どうしてだと思う?」
「それは・・・人が学ばないからか?」
「違うな。人は学んでいる。学んで、分かっているからこそ戦争をする。より効率良く敵を殺し、より効率良く敵地を制圧するために絶賛学習中だ。無人攻撃機なんてまさにその極みだ。自分は傷つかず、手を汚さず、ボタン一つで邪魔者を殺す。人類は欲望を捨てきれないんだよ。金が、力が、領土が、資源が欲しい。底なしの欲望、他者から奪ってでも欲しがるその貪欲さこそが戦争の根源だ。人間は欲望を捨てられない。だから、この世界も人類も争いから逃れることは出来ない。そう!強欲の終着点こそが戦争であり!戦争こそが人類の本質だ!」
「・・・・・・」
「尼乃昂焚・・・。お前からは俺たちと同じ・・・いや、それ以上の強欲の匂いがプンプンするんだよ。能面顔を貫いて、ただ他人に物を貢ぐことにしか興味を持たないような振りをしても、俺の目は誤魔化せねぇ。」
「匂いなのに目を誤魔化すのか?」
「細けぇことは気にするな。とにかく、てめぇはとんでもない欲望を胸に秘めてやがる。そして、それを自覚している。さぁ、言ってみろよ。」
―――――――お前の欲望は何だ?――――――――
同時刻
ミュンヘン国際空港のロビーに女は駆け込んできた。
タンクトップにギリギリホットパンツという大胆露出な挑発的な格好で周囲の男性の目を惹きつけるラテン系美女。―――――そう、あのビジネスホテルで昂焚を行く先を聞きだした女だ。
周囲の視線に目もくれず、彼女は国際線のカウンターまで全力で走り抜ける。そして、カウンターに激突しながらも身を乗り出した。
あまりに突然の出来事で女性職員は「ひぃっ!」と言いながら身を引いてしまう。
「イギリス行き!イギリス行きの便はあるか!?」
「あああ・・・・・は、はい。でしたら・・・」
パニックになりながらもおどおどとした態度で女性職員はカウンターの上にある電光掲示板を見るように促す。そこには、空港の全ての発着便の予定時刻が掲示されていた。
「ミュンヘン発ロンドン行きの××エアライン△△便に席にキャンセルが入っております。」
「それ!それに乗せて!」
彼女は慌ててポケットからくしゃくしゃになった紙幣をカウンターの上に置く。
職員が訝しそうに紙幣を見る。そこに偽札などはなく、金額も足りていたのですぐに航空チケットを発券する。
彼女は職員がチケットを出すと、音速を超えた手の動きでチケットをもぎ取り、ダッシュでゲートへと向かった―――――が、すぐにUターンして戻ってきた。
「おつりくれ!」
職員からお釣りを受け取ると、今度こそ彼女は国際線ゲートへと走り抜けた。
そのキャンセル席が昂焚が抜けたことで出来た席だということも知らずに・・・
そんなすれ違いがあることもいざ知らず、昂焚はギョロ目の傭兵に強欲カミングアウトを強いられていた。
「さぁ、言ってみろよ。お前の欲望は何だ?」
「食欲・性欲・睡眠欲」
考えなしの即答だった。
ヴィルジールは某コントのようにずっこけて見事に顔面をテーブルにぶつける。そして、再び立ち上がると彼は持っていたリボルバー銃をホルスターから抜き、昂焚の額に向けた。
「人間の三大欲求で誤魔化すな。」
「真面目に答えないとダメか?」
「ふざけている自覚はあるんだな。」
昂焚は深く深呼吸した。
今まで自分は何のために旅をしていたのか。いや、そもそも自分は何のために生きているのか?行動原理は?欲望は?ヴィルジールの言っている「己の中にある飽くなき強欲」というものが己の中にあるのか?
様々な疑問を抱えながら、昂焚は深い思考に入る。
だが、どんなに考えても飽くなき強欲に心当たりは無い。旅をするのは宗教学のためだし、生きている理由だって明確な答えがあるわけではないが、生きるという生命として当たり前の行為に理由など必要なかった。行動原理もなすがままなるがまま。欲望だって人並みだと思っている。
「分からない・・・・。」
昂焚はウィルジールに聞こえるくらいの大きさで呟いた。
「まぁ、今すぐとは言わねぇ。俺の目が黒い内に見つけておくんだな。」
ヴィルジールは以外にも寛大な態度で昂焚の答えを受け入れ、部下に輸送機のハッチを開けるように指示した。
「今日はこれまでだ。中東で砲弾の雨に晒されたくねーなら、さっさと出て行きな。」
ヴィルジールがハッチの方へ行くように促すと、昂焚はトランクを開けて何かゴソゴソと探り始めた。
一連の会話とは何の関連性も無い唐突な行動にヴィルジールは頭に疑問符を浮かべる。
「何やってんだ?」
ヴィルジールが尋ねると、昂焚は能面のような表情のまま、トランクの中からあるものを取り出した。
「ちょっとトランクの中身がいっぱいになったから、ちょっとお前にも土産を渡しておこう。」
「俺は在庫処分担当か。まぁ、タダで貰えるのなら貰っておこう。」
「そりゃあ、良かった。」
そう言って、彼はトランクから1枚の絵を取り出した。
キャンパスいっぱいに少年が描かれている。その少年は半分泣いた状態だった。目に涙を浮かべ、こちらを見ている可愛らしい少年の絵だった。
だが、どこか怪しい雰囲気を醸し出す。
ヴィルジールや彼の部下たちはその絵から恐れ慄いて一歩下がるが、昂焚は平然とそれを持っていた。
「お前・・・・これって・・・・」
「ああ。かの有名な“泣く少年の絵”だ。」
“泣く少年の絵”
魔術サイドでは言わずと知れた呪いのアイテムだ。これを保有するだけで火災が起こり、焼け跡からはこの絵だけが燃えずに残るという逸話を持っている。
ちなみに、泣く少年の絵は1枚だけでなく、複写も含めて数万枚存在しており、大半は
必要悪の教会に回収されて処分されたものの、未だに数百枚近くが世界で出回っている。ただし、本当に呪いがあるものは5枚前後だと言われている。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい!!!?なんて、不吉なもん持って来てんだあああああ!!!!!」
驚愕、仰天、激怒、逃避の4つの行動を同時に行うヴィルジールに対し、昂焚はローテンションのポーカーフェイスを貫いている。
「な?ビビるだろ?」
「いや、ビビるとかそういう問題じゃねぇだろ!」
「大丈夫。これは贋作だ。ここ1年ぐらい持ってたが、何も起きてない。」
「いや、ホテル火災は関係あるだろ!?」
「あれは呪いじゃなくて、ミランダが赤騎士で暴れたせいだし・・・・」
「ってか、どういう意図でそれを俺に渡すんだ!?どう考えても嫌がらせだ!厄介払いだ!」
「これを敵地に送り込んで・・・・って使い方が――――――!」
「ねぇよ!爆弾送り込んだ方がマシだ!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!!!!!!
突如、鼓膜を一気に突き破る様な轟音と共に空間が揺さぶられる。そう、爆発が起きたのだ。しかも自分たちのすぐそばにも思える。
「爆弾でも送り込まれたか?」
昂焚は「おおーすげー」みたいなポーカーフェイスで発言する。
そんな昂焚に怒る暇も無く、ヴィルジールは無線機を取り、周囲の部下に確認を取る。
「どうした!?」
『全てのエンジンが・・・・・・・爆発しました。』
「はぁ!?」
その知らせを聞いた途端、ヴィルジールはすぐに部下たちを消火に向かわせる。と同時に怒れる形相で昂焚の襟首を掴んだ。
「これはどういうことだ!贋作じゃないのか!?」
「いや、贋作だ。それに例え本物だとしてもこれほど早く火災が起きるケースは聞いたことが無い。」
「ちぃっ!!」
昂焚の態度によってますます怒るヴィルジールは昂焚を壁へと突き飛ばす。
突き飛ばされた昂焚は金属製の無骨な壁に衝突し、その衝撃で後頭部を打ちつけてしまった。
「~~~~~!!」
声にならない痛みで後頭部を抑えながら、床に転んで悶絶する。
「消火作業!どうなってる!」
『駄目です!全然、間に合いません!』
「何としてでも鎮火しろ!輸送機だってタダじゃねぇ!」
『社長も避難してください!』
ヴィルジールは「ええい!」と感情任せに無線機を投げ捨て、頭を抱えてようやく立ち上がった昂焚の髪の毛を掴んで輸送機のハッチから飛び降りる。
操縦席付近のハッチから出た2人は爆発して炎上するエンジンと消火作業に勤しむヴィルジール・セキリュティー社と空港の消防隊の姿を見受けられる。
「随分とこっ酷くやられたなぁ。」
「他人事言ってる場合じゃねぇだろ。お前も手伝うんだよ。日本に雨乞いの魔術はねぇのかよ?」
「あると言えばあるんだが、天候を左右する魔術なんてかなりの大規模だぞ。事前準備をしている間にこの輸送機が黒焦げになってる。」
「ちっ!使えねぇ奴だな。」
そう言って、ヴィルジールは昂焚のケツを蹴り飛ばす。昂焚は蹴られた尻を労わるように擦る。
(都牟刈大刀《ツムガリノタチ》で八岐大蛇《ヤマタノオロチ》の伝承を利用した洪水術式って手段もあるんだが・・・、近くに大量の水が無いと使えないしなぁ・・・。)
燃え盛る炎に包まれるヴィルジールの軍用輸送機は瞬く間に真っ黒になっていった。
それから、1時間に渡る消火作業も虚しく、ヴィルジール・セキリュティー社の保有する数少ない軍用輸送機は黒焦げの消し炭を化してしまった。
ただの酸化鉄の塊と化してしまった数千万ドルもの軍用輸送機を前に、ヴィルジールは愕然として声も出なかった。
「なんというか、ご愁傷様だな。」
まるで他人事のように昂焚はヴィルジールの肩に手を置いた。
その態度と行動がヴィルジールの堪忍袋の緒を切った。
「何が“ご愁傷さま”だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ヴィルジールは怒りに任せてホルスターから拳銃を引き抜き、昂焚に向けて発砲する。
弾切れになるまで12発の弾丸を打ち続け、弾切れになった後でも引き金を引いてカチカチと拳銃から音を鳴らしていた。
銃口を向けられ、弾丸の雨に晒された昂焚は背中に背負ってた棺桶トランクに入れていた都牟刈大刀の自動防御術式により、トランクの側面にある蓋から飛び出した剣の枝のひとつが銃弾を弾いていた。
「~~~~~!!!」
抑えようのない怒り、向けようのない激情に狂いそうだったヴィルジールだが、そんな彼の形相を物ともせず、社員(傭兵)の一人がヴィルジールに話しかけた。
「社長。」
「今、取り込み中だ。こいつのハラワタをブチ撒けたら行く。」
「いえ、そうではなく、エンジンに爆弾を仕掛けた人間を捕まえました。」
そう言うと、彼の背後から数人の屈強な男たちに抱えられた小柄な青年が運ばれてきた。
少年はジタバタと無駄な抵抗を続け、自分が犯人ではないことを必死に叫んでいた。
あまりにも騒がしいので、ヴィルジールは彼の腹部に蹴りを入れる。
「落ち着け・・・、落ち着くんだ。クソガキ。」
彼の髪の毛を掴み、引っ張り上げて自分のギョロ目と目線を合わせる。青年は今にも失禁しそうなほど震え、涙ぐんでいた。
「お前は、俺の輸送機に爆弾を仕掛け、爆発させた。間違いないか?」
だが、少年を首を横に振って「否定」の意を唱える。
「社長。監視カメラにもはっきり映ってたんだから、こいつで間違いないですよ。」
ヴィルジールは拳を強く握り、青年の髪をもう一度強く引っ張る。
「痛たたたたたたたたたたたたた!!!」
「正直に答えろ!じゃねぇと、10分後には惨めな亡骸を死に晒すことになるぞ。爆弾をしかけたのは本当にお前なのか?」
ヴィルジールの問いかけに少年は「はい」と答えた。
「で・・・でも、僕の意志じゃないんです!」
「ほぅ・・・、金で雇われたのか。随分と危ない綱渡りだな。」
「ち、違う。僕はただ・・・・・!!」
ヴィルジールは青年も胸元へと目をやる。彼の胸元には角張った不自然な膨らみがあった。
「何が『違う』だ。やっぱり金で雇われているじゃねぇか。」
そう言うと、抑えつけられた青年の胸ポケットから札束が現れた。
それも高額紙幣を束ねたものらしく、かなりの金額なのは確認できた。
だが、その紙幣をヴィルジールが手に取った途端、札束はまるで風に吹き晒された砂のように跡形も無く消え去っていった。
「え?お金が・・・・」
「知らない!僕はそんな札束なんて知らない!」
「往生際が悪いな!」
相変わらず、必死の抵抗を続ける青年だったが、ヴィルジールと昂焚は例の現象が何なのか理解した。
「おい。チビッ子。」
ヴィルジールは再び、青年の髪を掴んで引っ張り上げる。
「は、はい。」
「金髪巨乳で成金趣味のアメリカ女に会ったことはあるか?」
尋ねられると、少年ははっとした顔で何かを思い出した。
「あ、会いました。昨日、仕事帰りに・・・・」
それを聞くと、ヴィルジールは手を離して、彼を解放した。
「もういい。そいつを離せ。」
「し・・・しかし!」
「そいつは操られていただけだ。請求書を叩きつけるべき相手はもう分かっている。」
「了解(ラジャー)。」
屈強な傭兵2人は青年を解放する。そして、青年は恐れおののいて、陸上選手も真っ青な全速力で其の場から走り去っていった。
「あああああ!!クソッたれ!あの成金メス豚が!!○○○して、×××した後、△△△に売りさばいて、輸送機代を身体で払わせてやる!!」
「まぁ・・・、犯人が分かって良かったな。」
その犯人は昂焚が、ヴィルジールなら尚更よく知る人物だった。
メイラ=ゴールドラッシュ
ミランダ、ルシアン、美繰、ヴィルジールと同じイルミナティの幹部であり、イルミナティ財政危機の原因であり禍根の中心であり根源である女性だ。彼女の強欲は「金」。とにかく現金!硬貨!紙幣!な人間であり、金銭魔術という特殊な魔術を使う。
「金を払う」という行為を魔術的に行うことでモノの所有権を主張したり、人間を雇う(操る)ことが出来るという汎用性の高い厄介な魔術だ。難点は圧倒的な散財。青年のポケットから出て来た紙幣のように魔術に使われた金は二度と使えなくなってしまう。
ヴィルジールとメイラ・・・と言うより、ヴィルジールは基本的に他の幹部とは敵対関係にあり、誰にでも彼を攻撃する動機が存在する。
「もう用が無いようだから、俺は行くぞ。」
昂焚はヴィルジールにそう告げると「とっとと行きやがれ。二度と俺の視界に入るな。」と悪態で返された。
そして、昂焚は再びターミナルの方へと歩いて行ったのだ。
次なる目的地、おいしい中華料理を食べるために英国へ・・・・←だから何故?
――――――と思ったら、彼はUターンして走って戻ってきた。
そして、スッとヴィルジールに向けて手を差し伸べる。
「あ?何だ、その手は。」
「イギリス行きの航空機のチケット代返せ。」
最終更新:2012年06月21日 21:47