9年前 ラテンアメリカ
ホテルの一室、昂焚が泊まっている部屋で少女は目覚めた。
「おはよう。昨日はぐっすり寝ていたようだな。」
目の前の男、自分をゴミ箱の中から引きずり出してホテルへとお持ち帰りした男、
尼乃昂焚が声を掛けた。
「何か欲しいものはあるか?」
少女は寝ぼけた頭で昂焚の声を聞き取り、10秒かけて何て言われたか、そして何て答えるか考えた。
そして、「朝ごはん」と答えた。
「まぁ、そう言うだろうとは思ってた。」
そう言うと、男はどこかの店で買ってきたファーストフードが入った紙袋を少女に渡した。
少女が袋を開けると、その中にはタコスが入っていた。昨晩、ミサカとか言う統合コンサルタントと飲み明かした帰りに見かけた露店で購入したものだ。
「君には色々と話を聞きたいからね。」
昂焚の言葉を無視して、少女はベッドの上で朝食を摂った。食事中はお互いに何も話さず、ゆっくりと黙々としていた。
(何年振りなんだろう・・・こうやって誰かとゆっくり食事を摂るなんて・・・)
少女は昂焚を警戒する。だが、同時に妙な安心感と言うか、落ち着きを感じられる。
「すまないな。お前の宿泊は無断だから、ルームサービスは使えない。」
「そんなこと・・・気にしなくていい。」
そうわずかな会話を交わし、2人は黙々と朝食を摂った。それを平らげると、昂焚は小さな丸テーブルを自身と少女の間に置いた。
「昨日も言ったけど、俺は君という存在に興味が湧いた。」
「そんなの知ってる。このロリコン変態野郎。」
「勘違いしているようだが、俺の趣味はボンキュッボンな大人の女性であって、君の様なツルペタロリータに対して一切の性的欲求を持たない。そこは保障しよう。」
「10歳の女の子をホテルに連れ込んで、身ぐるみはがして全裸にして、1日中追いかけ回した男が言っても説得力無ぇよ。」
「・・・・・・そこは否定できないけど、誤解を与える言い方は止めて欲しいな。」
「まぁ、3回もヤるチャンスがありながら、未だに手を出されてないから一応信じてあげてもいいんだけどね。」
昂焚はそれを聞くと、安堵したのか口元から吐息が零れた。
「それは助かったな。じゃあ、さっそく色々と聞かせてもらおうかな。とりあえず、君の名前から。」
少女は少し恥ずかしそうにモジモジと指をこねくり回しながらも答えた。
自分の名前を言った途端、顔が沸騰しそうなほど真っ赤になった。誰かと面と向かって自己紹介するなんて数年振りだ。慣れなくて、しかも相手は自分の(身体の)隅々まで知り尽くした男だ。
「バルムブロジオ・・・・・・!?」
昂焚は少女、ユマのファミリーネームを自分で呟くように復唱すると、突然、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、棺桶トランクに飛びつく。そして、まるで鹿に喰いつく肉食獣のようにトランクの中を漁った。
「あった。」
お目当てのものがあったようで、昂焚は1冊の本を高々と持ち上げた。ハードカバーのぶ厚い1冊の本。何かしらの学問の書物であり、タイトルと著者・訳者は日本語で書かれていた。
「ラテンアメリカにおける宗教と現代社会」
昂焚の背後からユマがその本のタイトルを読み上げた。突然、背後から喋られたのもそうだが、なによりも彼女が日本語で書かれた書物のタイトルを読み上げたことに驚いた。
「お前・・・日本語喋れたのか?」
※今までスペイン語で会話していました。
「まぁね。物乞いやスリをするなら日本人観光客が良いカモなんだよ。金をたくさん持ってるくせにお人好しで警戒心が薄くて、騙され易い。」
「ははは・・・返す言葉も無い。」
そう愛想笑いしながら、昂焚は持ち出した書物をユマに渡した。
「もしかして、これは君の親戚の著書なんじゃないか?」
ラテンアメリカにおける宗教と現代社会
著:ホセ・アルドゥ・バルムブロジオ
昂焚から手渡された本。辞書のように分厚くて、図鑑のように大きい。緑色のハードカバーに金色の文字が刻印され、タイトル、訳者、そして著者であるホセの名前が刻まれていた。ある程度、使い古されているのか、所々に傷が付いている。
「親戚じゃないよ。私の恩人。」
ユマは宝物のように本を抱きしめる。
「恩人?」
「私に色んなことを教えてくれた人。読み書き計算から魔術まで、今話している日本語もホセが教えてくれたんだ。あと片言だけど英語も話せるよ。」
(そんだけ話せば通訳やガイドで食っていけるだろうに・・・)
私が生まれたのは社会の最低辺、スラム街だった。物心ついたころには私の傍に家族と呼べる者はおらず、利益を共有する略奪・強盗仲間に囲まれていた。皆、私と同じ年齢だった。家族なんて生易しいものじゃない。利益を上げやすいから群れるだけ。メンバーの誰かが警察やギャングに捕まって酷い目に遭ったとしても助けようとはしない。1人少ない状態か、埋めるように別のメンバーを引き入れて、また活動するだけだ。
そんな殺伐とした日常が私にとっては当たり前だったし、別に悪いとも何とも思わなかった。
ホセとの出会いは最悪だった。窃盗グループのメンバーで彼の屋敷に押し入り強盗をして、私だけ逃げられなかった。・・・と言うか、最初から私を囮にして逃げる算段だったようだ。
その後の展開は昂焚の時とほぼ同じだった。私に興味があり、なぜスラムで生きているのか、なぜ「神は人を殺す」という思考に至ったのか、場所と時間が違うだけで、お互いのやり取りは昂焚の時の再現をそっくりそのまま再現していた。(時系列的には逆なのだけど・・・)
それから1週間、私はホセの付き人として生きた。
バルムブロジオなんて姓もその時からだった。
ホセはとにかく気まぐれな人だった。私に教育を施したのも「ピンと来たから」という訳の分からない気まぐれ理由で、突然何の脈絡も無い活動に奉じる人間だった。
彼は学者でもあった。どの分野の学問なのかは知らない。色んな分野に手を出していたのか、父の書斎にある本や標本、骨董品はカオスを極めていた。人文科学、社会科学、自然科学、形式科学、応用科学、ありとあらゆる学問の書物が並べられていた。
そして、ふとなにを思ったのか、突然トランクを持って外に飛び出して私を色んなところに連れ回す。私の意思などお構いなし。時には山の頂上にある寺院、時にはサンゴが綺麗なダイビングスポット、時には大都会を一望する展望台、行き先に統一性など無く、何がしたかったのか全然分からなかった。
とにかく気が向くままに、興味が湧くままに・・・どこまでも自分勝手で己が興味の対象にしか目に入らない。いつまでも子どものような人。
私はそんなホセがあまり好きではなかった。だけど、見返りを求めない純粋な善意を感じていたし、良い生活が出来たので別に悪くは思っていなかった。
“好奇心は猫をも殺す Curiosity can do more things than kill a cat”
彼の最期を語るにはうってつけの言葉だ。
知らなくていいことを知ってしまい、その命を落とした。
何を知ってしまったのがいけなかったのかは分からない。だが、“彼ら”にとって都合の悪いことを知ってしまったのは間違いない。
“彼ら”は突然、屋敷に押し入ると、ホセの書斎を荒らし、屋敷にある本という本を引き出しては部屋を荒していた。鋼鉄の槍を持ち、プレートメイルを纏った男と地元ギャングの集団の前に私は隠れることしか出来なかった。いくら強盗生活で身体能力に自信があっても年端も行かない少女が武装した集団に勝てる訳が無い。とにかく隠れることに必死だった。
それからのことは断片的にしか覚えていない。
血を流して横たわるホセの死骸
荒された屋敷
唯一無くなっていた蔵書
プレートメイルの男にあったスペイン星教の十字紋章
“神は人を殺す”
それが、その時私が抱いた感情だった。あの男たちの屋敷の荒し方も、ホセを殺すのも迅速で無駄が無く、一切の躊躇いが無かった。きっとあの男たちもこの一連の活動が正しいと信じて疑っていなかったのだろう。彼らは“神の御意志”という免罪符を掲げ、犯罪行為を正当化した。
スペイン星教の奴らだけじゃない。終末理論を掲げて人を攫っては生贄に捧げるなんてクレイジーな儀式を行うアステカ系の奴らもそうだ。どいつもこいつも口を開ければ神様神様。自分で考えることも自分で責任を負うことも放棄している。鬱陶しいなんてものじゃない。
もしこの世界に神様なんてものが存在するのなら、そいつは相当の悪人なのだろう。人に人を殺させる理由を与え、自分は天上からそれを眺めているのだ。「人を殺すのは悪だ。」と経典に書いておきながら、自分と信者には人を殺すための理由と技術(魔術)を与え、自分の名誉のために、利益のために人を殺す。全知全能でありながら悲劇や貧困のある世界を作って、人を苦しめている。
「だから私は神を信じない。そんな奴を信じる奴はもっと信じない。」
その決意と志は強固なものだった。眼差しがそうだったのだ。おそらくホセの一件だけではない。夢も希望も無いスラム街生活で蓄積された悲しみと絶望もその一因なのだろう。
「なるほどな・・・。『人類の歴史において、残虐な行為のほとんどは神の名のもとに行われる。』とは誰かが言っていたが、まさしく君は残虐な行為の被害者なわけだ。説得力がある。」
昂焚はユマの持論に賛辞を送り、同時に気が合って共に美味い酒が飲めたであろう故バルムブロジオ氏に哀悼の意を送る。
「あんたは・・・魔術師なんだろ?神を侮辱されて怒らないのか?」
ユマの懸念事項がそのまま口からこぼれ落ちる。目の前にいる男は魔術師だ。少なからず神を信仰している筈だし、自分の持論を不快に思っているに違いない。
だが、そんなユマの心情を裏切るかのごとく、昂焚はクスッと鼻で笑った。
「別に。こっちは八百万の神って言ってな、森羅万象の数だけ神様がいるんだ。人間のことが嫌いで嫌いで堪らなくて、人間を苦しめることに心血を注ぐ神様だっていてもおかしくないだろ。」
昂焚が語る無いようにユマは唖然とした。
(八百万?森羅万象の数だけ神がいる?メチャクチャにも程がある。)
多神教や自然信仰はアステカ系も当て嵌まる。だが、森羅万象の数だけ神がいるなんてものは初めて聞いた。神のインフレとかバーゲンセールとか、そんなレベルではない。この男の言葉は神をまるで空気中に漂う分子の如く扱っているのだ。
「どうした?もしかして、
神道系の基礎理論を理解するのに手間取っているのか?」
「・・・・・え?いや・・・・でも無茶苦茶だ。そんなにたくさんの神がいて、そんなことをしたら宗教戦争のオンパレードだ。」
「まぁ、何百年か前は天草式と小競り合いはしていたけど、それ以外はほぼゼロだな。ほとんど宗教的戒律が無いんだ。誰がどの神を信仰しようが、他人に迷惑をかけなければ気にしない。そもそも絶対的存在を否定しているからな。」
それから昂焚は日本における宗教と価値観、神道について云々と語り続けた。溜めこんだ知識を披露する絶好の機会であり、ユマもその話に魅入られていった。
「一つだけ聞きたいことがあるんだけど。」
「どうした?」
「人を救ってくれる神もいるのかな?」
少女らしくユマが問いかけると、昂焚は立ち上がり、身長差で高い位置からユマを見下ろすと、彼女の頭の上に手を乗せた。そして、親が子を撫でるようにユマの頭を撫でる。
「言うまでも無い。神がお前を見捨てても、また別の神がお前を救ってくれる。」
(違うよ・・・。昂焚。神様は理由を作るだけ。殺すのも救うのも直接手を下すのは人だよ。)
だって、死にかけの私を救ってくれたのも人間なんだから・・・
朝食と回想を終え、昂焚は熱帯気候にピッタリなクールビズ、ユマは昂焚が先日買った服を着る。
「それで、どうして君は血まみれでゴミ箱に詰められていたんだ?」
昂焚が訊いた途端、ユマは暗い顔をして俯いた。どうやら地雷を踏んでしまったようで、怒りなのか、それとも悲しみなのか、ユマの強く握られた拳は小刻みに震えていた。
「ギャングが持っていたんだ・・・・。」
「何を?」
「La religión y la sociedad moderna en América Latina(ラテンアメリカにおける宗教と現代社会)の原本。スペイン星教派がホセの屋敷から奪ったはずの原本を奴らが持っていたんだ。」
「それで、君はそれを取り戻そうとしたわけか。」
「取り戻そうとしたわけじゃない。なんであいつらが原本を持っているか気になっていたんだ。でも探っているところを見つかって・・・・」
「ああなったわけか。」
ユマはそ俯いたまま、黙り込んだ。昂焚は温かい目でそれを見つめ、しばらく黙りこんだ。
数刻の間、沈黙が空間を支配する。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
昂焚が問いかけるが、ユマはしばらくだんまりを決め込んでいた。だが、30秒ほど経ってから口を動かした。
「・・・・たい。」
「ん?」
「原本を取り戻したい。あれはホセのものだ。それに“知りたい”んだ。何故、スペイン星教派が屋敷を襲撃したのか。なぜ、ホセは殺されなきゃならなかったのか。それが分からない限り、私はずっとあのスラムを彷徨うことになる。」
ユマの目には焔がついていた。とても頑固で消せない焔は昂焚を以てしても消せそうにない。
元々止める気も無かったが、昂焚は何か諦めた様な感じで「ふっ」とため息をついた。
「良いだろう。俺も協力してやる。」
「本当に・・・?」
「ああ。言っただろ?『お前に興味が湧いた。』と。それに少なからず俺も原本に興味がある。」
昂焚の発言にユマは警戒する。彼が原本に興味を持ったのなら、彼もまたスペイン星教派やギャングたちと本を狙う理由が同じになるからだ。そうなると自分の敵にもなるかもしれない。
「心配するな。お前から原本を奪ったりはしない。スペイン星教派が押し入り強盗をやってまで欲しがったってことは、原本にはそれほとの価値があるわけだ。でも、なぜギャングが?」
「ギャングはスペイン星教派の奴らとつるんでるんだよ。スペイン星教派が来てから、アステカ系などの現地宗教の魔術結社は衰退。そのせいで今まで抑えられてきたギャングやマフィアが暴れ出したの。スペイン星教派は彼らに魔術による恩恵を与える代わりに現地宗教の魔術結社狩りをさせたりしてる。」
「酷い話だな。ローマ正教傘下の奴らが排他的なのは知っていたが・・・」
すると突然、昂焚は黙りこんだ。ユマが「どうしたの?」と聞こうとしたが、昂焚がユマの口に人差し指を当てることでそれを制止する。
「魔術師がこの部屋に近付いている。」
「分かるの?」
「魔力に反応する探索術式をこのフロアに展開させている。どうやら、この部屋が目当てみたいだな。」
「でも、どうして・・・」
「理由なんていくらでもある。お前はホセの原本絡みだろうし、俺は一昨日、ギャング相手に魔術使ったからな。」
「で?どうするの?」
「三十六計逃げるに如かず。」
「は?」
ユマは諺の意味が分からず、目を丸くした。だが、すぐにその言葉の意味をその身を以って知ることになる。
昂焚は右腕でユマの身体を抱きかかえ、左腕で都牟刈大刀を持つと、そのままホテルのベランダから飛び降りた。高さ数十メートルを一気に自由落下する。ユマは大きな声で叫びたかったが、逃げているのがバレないようにするために必死で自分の口を押さえていた。
(死ぬ!このアホと心中しちゃう!)
そう思ったユマだったが、そうはならなかった。昂焚の足が地面に着く直前に2人の落下が止まったからだ。地面から数十センチのところで止まると、再び重力の成すがままに落ちて、無事に狭い路地裏に着地する。
「生きてる・・・私、生きてる・・・」
半ベソをかきながら、自らの生存を感じ取るユマの足はガクガクと膝を震わせていた。
昂焚は都牟刈大刀の刀身を伸ばし、それをベランダの手すりに引っかけていたのだ。だが、止まった瞬間、グリップを握る昂焚の手にかかる負担は大きく、彼はしばらく手をブラブラさせていた。
「予想はしていたが、止まった瞬間の負担が半端無い。やっぱりゆっくり降りた方がいいな。」
「これからどうするの?」
「どうするって・・・、ギャングのアジトに行くに決まっているだろ。原本を取り戻す。」
「悪いが、そうはさせん。」
「「!?」」
昂焚とユマの背後から聞こえた声。その主の姿を見ようと2人は振り向いた。そこには気候も温度もTPOも完全無視、真っ黒のローブを着たまさしく魔術師と言った感じの男たちが佇んでいた。彼の目は獲物は今か今かと待ち続ける肉食獣のようだった。
「なるほどな・・・俺たちはまんまとはめられた訳か。」
「どういうこと?」
「言っただろ。俺の探索術式は魔力に反応するって。あくまで反応するのは魔力であって、魔術師じゃない。要するに魔力を帯びた何かをホテルの通路でうろつかせるだけでも探索術式が反応してしまうわけだ。」
「ご明答だ。異教徒の猿め。」
「・・・ということは・・・」
ユマは先程まで自分たちがいたベランダの方を見上げた。そこからはホテルの通路を動き回り、探索術式の囮に使われた“使い魔《ファミリア》”がこちらに顔を覗かせていた。赤い目を輝かせた短毛種の白猫だ。不気味な雰囲気を漂わせていた。
「逃げる算段は付いたか?」
「逃げるも何も、行先は最初から決まっている。」
昂焚の都牟刈大刀の刀身が分割して7本の鋼鉄の鞭、いや鋼鉄の蛇になり、一気に周囲の壁を破壊する。粉塵が舞い、魔術師の視界が一気に遮られた。
「クソッ!」
彼が粉塵を掻き分けて進んだが、そこに昂焚とユマの姿は無かった。
「追いかけろ!男の方は―――――――
魔術師が使い魔への命令を言いかけた途端、腹部へと激痛が走り、尻餅をつく。男は自分に何が起きたか分からず、自分の腹部に手を当てた。
(血だと・・・・)
男が自分の手にべっとりと付いた真っ赤な血を見て驚愕した。何故?どうして?誰が?
だが、男は答えを何一つ得る前に絶命した。
頭には大きな風穴が空き、頭蓋骨の空気の通りが良くなっていた。
脇道を抜け、別の裏道を走る昂焚はユマの手を引いていた。
「何で大通りに出ないの!?そっちの方が近いよ!」
「お前なぁ、こんな馬鹿デカイ剣を振り回しながら大通りに出られるかよ。ギャングのアジトに向かう前に警察の御用だ。」
「で?どうするの?」
「どうするもこうするも言っただろ?『行先は最初から決まっている。』。原本を取り戻しに行くぞ。あいつの相手はそれからだ。」
「うん。」
そして再び、昂焚とユマは走りだした。
同時刻 ギャングのアジト
大量の穴が空き、天井が完全に吹き飛ばされた建物、立ち込める黒煙と散らばる薬莢、そこら中に転がる死骸が凄惨な状況を物語る。
「ひぃ・・・ひぃ・・・た、助けてくれ。命だけは・・・」
来ていたスーツも豪華なアクセサリも全て剥ぎ取られ、無残で無様で滑稽な姿となったギャングのボスは目の前の男に命乞いをする。
ボスは絶体絶命絶望的状況だった。部下は皆殺しにされ、アジトも跡形なく吹き飛ばされ、隠し持っていた金も麻薬も武器も全て奪い尽くされた。そして、唯一の生き残りである自分も武装した屈強な男たちに囲まれていた。軍隊ばりの重武装だ。
「悪ぃな。下衆の断末魔を聞いてやれるほど、俺は暇じゃないんだ。」
目の前にいた男は何の躊躇いも無く、引き金を引いた。それは工場の流れ作業のように滞りなく、淡々と殺害という行為が行われた。
武装した男たちの服には腕章が付いていた。槍を持ったトカゲの図、その上に「ヴィルジール・セキリュティー」と大きく文字が刻印されていた。
「社長。この辺りのギャングは全て殲滅しました。」
社長と呼ばれる男、彼こそは若き日のヴィルジール・ブラッドコードだった。
「OK。ちょっと退屈だが、任務が滞り無く終わったことには満足だ。こいつらお雇いの魔術師も簡単に射殺出来たしな。」
ヴィルジールは銃を肩に抱えて、今まさに帰還しようとしていた。
「ギャングのアジトって随分と
ワイルドなんだな。屋根が無いとか、ワイルド過ぎる。」
「んなわけないだろ!!それワイルド違う!」
間の抜けた様な男の声とそれにツッコミを入れる少女の声に反応して、ヴィルジールの部隊が揃って銃口を2人に向ける。戦場さながらの臨戦態勢だ。
2人は大量の銃口を向けられ、昂焚は都牟刈大刀をゆっくり地面に置いて両手を挙げた。
「なぁ、ギャングの間ではサバゲーが流行ってるのか?」
「毎日がサバイバルなのに何で娯楽までサバイバルしなきゃなんないの!?
ペイントガン買うぐらいなら実物買うよ!!」
「じゃあ、こいつら何者?」
ひそひそと話す昂焚とユマにいらついたのか、部隊の男たちの数人は引き金に指がかかっていた。
「お前ら、何者だ?」
ヴィルジールが2人に問いかける。
「別に怪しい者じゃない。尼乃昂焚。学生で魔術師でただの観光客だ。ここのギャングに盗まれたものを取りに来ただけだ。見つかり次第、退散する。」
「盗まれたもの・・・だと?」
「図鑑みたいにデカくて、辞書みたいにぶ厚い本だ。見かけなかったか?」
「ああ。知ってるさ。俺たちもそれが目的だからな。」
そう言うと、ヴィルジールは銀色のケースから1冊のぶ厚い本を取り出した。それは昂焚が持っていた「ラテンアメリカにおける宗教と現代社会」とそっくりだった。違いと言えば、文字が日本語ではなく古代ナワトル語で書かれているところだ。
「俺はボスからこいつを奪ってくるように頼まれてんだ。易々と渡せねぇよ。」
「そうか――――――
――――――――そいつは、残念だったな。」
ズガァァァァァァァァァァン!!
「「「!?」」」
突如、鋼鉄の刃が折り重なった蛇が地面から飛び出し、ヴィルジールの武装部隊へと襲いかかる。それは都牟刈大刀の刀身が分割されて伸長したものだ。
蛇の頭部にあたる部分の先端にある刃で次々と銃を串刺しにし、手や足を斬りつけることで部隊を戦闘不能へと追い込んだ。第一射を避けた反射神経の良い兵士もいたが、すぐに複数の刀の枝に追い詰められた。
(ギャング相手だから、それほど強い部隊を連れてきたつもりはなかったが・・・随分と厄介な霊装だ。)
「後はリーダー格のお前だけだ。」
ヴィルジールが周囲を見渡すと、部下は全員、身体のどこかを都牟刈大刀で斬られ、傷口を押さえてもがいていた。
「大人しく本を渡せ。そうすれば、見逃してやる。」
昂焚が一本の刀身へと戻した都牟刈大刀の刃先をヴィルジールに向け、ユマも倒れた兵士から奪い取ったハンドガンの銃口を向ける。
「チッ・・・分かった。原本は渡す。こんな仕事で死ぬなんざ御免だからな。」
それを聞いたユマは安堵する。
「だが、その前に聞きたい。お前は何故、原本を狙う?」
「その本は本来ユマが持つべきものだ。本来あるべきものをあるべき場所に戻すことに理由がいるのか?」
「違う違う。俺が聞きたいのは、お前の目的だ。お前から匂うんだよ。あの男と・・・
双鴉道化と同じ強欲に満ちた匂いがな。無償の善意なんてものとは程遠い。今もその欲望を満たしたくて仕方ないぐらいだろう?俺の目は誤魔化せねぇぜ?」
「匂いなのに目を誤魔化すのか。」
「そこは気にするな。」
自分以外の人間が戦闘不能に追い詰められているにも関わらず、ヴィルジールはまるで勝利の美酒を目の前にしているかのように口元が笑っていた。原本を巡る戦いの勝利ではなく、目の前にいる昂焚から欲望を晒させる戦いにだ。
「そうだな・・・。これはいずれ、ユマも知っておくべきことだ。」
そう言って、昂焚は深呼吸してから語り始めた。
昂焚がこの地を訪れた理由は2つある。一つは単なる観光旅行。もう一つは「ラテンアメリカにおける宗教と現代社会」の原本の捜索だ。吾潟大学の図書館で日本語訳されたホセの著書を見た昂焚は魔術師の勘と言うべきか、形容し難い違和感を覚え、独自のルートで原本について調査した。その結果、現地の情報屋とコンタクトを取ることに成功し、その情報を入手した。
「それを聞いたときは驚愕した。まさかこの本がラテンアメリカ全土を巻き込む霊装になるなんてな。」
「れ・・・霊装?」
昂焚の言ったことにユマは驚愕していた。自分はホセの遺品だと、それにはスペイン星教派が知られたくないことが記されていただけだと思っていたからだ。だけど冷静に考えてみるとそれは間違いだと気付く。内容に不都合な事実があるのなら、なぜ翻訳されたものが世界中に出回っているのか。答えは簡単だ。原本だけが持つ何かが目当てだったのだ。
「この日本語訳の本は単なる重い学問書に過ぎない。だがこの原本は違う。古代ナワトル語で記され、文章や文字列の位置変換、カバーや紙の素材や装飾の様式、不適切なページ数、その全てに意味がある。」
法の書という魔道書がある。これはエドワード=アレキサンダー、またの名をクロウリーという伝説の魔術師が記した魔道書だ。詳しいことは省くが、その一番の特徴は『誰にも内容が解読できない』という点にある。この魔道書の記述は恐ろしく複雑な暗号で記されており、暗号文を解読したところで、『それらしい文章』になる解読法が100通り以上存在するため、解読したと思った所で実際の物とは大違いである可能性が高いといわれる代物だ。
趣旨が違うものの、この原本も法の書と同様の性質を持っている。暗号化され、“100通り以上の解読法”が存在し、どの解読法でも“それらしい文書”が出来上がるという点だ。だが、この原本と法の書には大きな違いがある。それは、暗号化の目的だ。
法の書は本来の文書を読まれない為にありとあらゆる手段を用いて暗号化された。だが、この原本は1冊の本、1ページ、1行、1単語に複数の意味を持たせるために暗号化されている。例えば、本来は縦読みする文章の頭文字を横読みすると別の文章が見えてくる文字遊びがある。そうすると一つ意味しか持たない文章が二つの意味を持つことになる。それと同じように原本も100近い暗号化手段を使って、一つの文章に100近いテーマを持たせているのだ。普通に読むと宗教と現代社会についての文章、Aの解読法を使うと伝統料理のレシピに、Bの解読法を使うと歴史に関する文章になったりする。そうやって、一つの文章から複数の意味を抽出できるように設定したのだ。
「そもそもこの本の暗号を解読しようとすることが間違いだ。『この本には多数のテーマが含まれている。』この事実が原本を霊装にした原因だ。」
「悪いが・・・俺はよく分からねぇ。」
「ごめん。私もよく分かんない。」
昂焚の云々とした説明が理解できず、ユマとヴィルジールは「?」を頭に浮かべ、目をぐるぐると回していた。
「ユマ。お前も魔術のことを学んだなら、偶像の理論ぐらいは知っているだろ。」
「当たり前だよ。そんなの基本中の・・・・あっ・・・」
「ようやく理解したか。」
特殊な暗号化によって原本は1冊の本であるにも関わらず、天文学的な情報量を持っている。その上、解読法によって浮かび上がる文章の総てがラテンアメリカに関する物事について記されたものだ。この本にはラテンアメリカの宗教、社会、伝統、習慣、経済、気候、地理、etc・・・それらすべてが1冊の本と言う形で収められている。謂わば、これがラテンアメリカの知識の全てであり、ラテンアメリカの精巧な縮図なのだ。
「そして、偶像崇拝の理論から、この本がラテンアメリカの縮図であり、同時に“ラテンアメリカの情報そのもの”だ。」
「そんな・・・メチャクチャ過ぎる。」
理解し、原本の恐るべき真相を知らされたユマは驚愕する。だがヴィルジールは未だに理解できていないようで、目がぐるぐる回っていた。昂焚はそれに気付き、彼にも分かり易く説明する。
「そこのあんたにも分かるように言うと、ラテンアメリカ限定だが、こいつがあれば戦略レベルの大魔術のほとんどの工程をスキップすることが出来るって代物だ。」
ようやく理解したヴィルジールも原本の恐ろしさを理解したようで、しばらくは開いた口が塞がらなかった。だが、しばらく手を顎において考え込んだ。
そして、何か閃いたのか、彼は自分が抱えていた原本をそっと地面に置いた。
「素直に渡す気になったのか。」
「ああ。こんな恐ろしいもの、金輪際関わりたくねぇな。」
ヴィルジールはそう告げると、昂焚とユマに背を向けた。倒れている兵士のケツを蹴り飛ばし、全員に撤退を命じる。そして、一切振り返らずにトラックに乗り込んでその場から立ち去った。
2人はヴィルジールがすんなりと原本を渡したことに違和感を感じたが、そのまま気にしないことにした。
ヴィルジールたちが乗り込んだトラックの中、唯一無傷だったヴィルジールが運転し、助手席には彼の副官が座っていた。彼は足を切り付けられており、包帯を巻いて止血していた。
「社長。なぜ、簡単に原本を手放したんですか?」
「あの原本の役割はお前も聞いただろ?もしあれを双鴉道化を手に入れたらどうすると思う?」
「強欲な彼のことですから、原本を使って南米侵攻作戦でも始めるんじゃないですか?」
「ああ。そうだろうな。そうなると、俺たちの役割はどうなる?」
ヴィルジールからの問いに副官はしばらく考えた。そして、「はっ」と何かに気付いたようだ。
「なるほど・・・そういうことですか。」
「ああ。俺たちが
イルミナティに重宝されているのは、大規模で尚且つ広範囲な魔術の工程に必要とされているからだ。そういったものには多くの人員を割くからな。それこそが俺たちのイルミナティにおける価値と役割だ。だが、あの本は俺たちから役割を奪い、俺たちの価値を損なう代物だ。だから、俺たちの価値のためにもあんなものはさっさと始末した方が良いんだよ。」
(それに・・・あれが双鴉道化が言っていた尼乃昂焚か・・・。面白そうな奴じゃねぇか。)
翌日
太陽の照りつける昼下がりの公園、噴水近くのベンチで尼乃昂焚は項垂れていた。太陽の光を打ち消すかの如く暗いオーラを発し、その目は絶望に包まれていた。
その隣でユマは申し訳なさそうな顔をして背中をさすっていた。
事の顛末はこうだ。
ホテルで魔術師の襲来を察知してベランダから飛び出したは良かったが、鍵を掛け忘れてしまい、ギャングのアジトで色々とあっている間に部屋に置いて来たものを全て盗まれてしまったのだ。無論、金も払えないためホテルを追い出されてしまった。
汗の匂いの染み込んだ洗っていないスーツ
都牟刈大刀
拾ったボロ布(都牟刈大刀を包んで隠すために使用)
電池切れ寸前の携帯電話
洗っていないTシャツとホットパンツ
「ラテンアメリカにおける宗教と現代社会」の原本
今にもハエが集りそうなボロ布
どうしよもなく絶望していた昂焚の頬に冷たい何かが当たる。最早「冷たっ!」とリアクションを取る気力も無く、ゆっくりと振り向いた。
視線の先にはキンキンに冷えた缶ジュースを2本持っているユマの姿があった。
「はい。ちょっと頭を冷やしたら?」
「ああ。ありがとう。」
そう言って、昂焚はユマからジュースを受け取る。確かにこの炎天下で何も飲まないのは危なかった。
昂焚はそう思い、缶ジュースを開けた。と同時に疑問に思った。
「おい。ジュースのお金はどこから出てるんだ?」
「ああ。このボロ布を被って、観光客相手に物乞いしてきた。」
「そ・・・そうか。色々と世話になるな。」
昂焚は誉めるつもりでユマの頭に手を乗せて撫でた。ユマは顔を真っ赤にし、恥ずかしそうな顔でずっと昂焚のナデナデを堪能していた。
(ああ。やっぱり、この人のことが好きなのかな・・・)
左手で撫でながら、右手で冷えたジュースを飲んだ。ユマの言う通り、頭が冷えてきたのか、冷静な判断が出来るようになった。
そして、彼は今あるもので大金を稼ぐ画期的な手段を思いついたのだ。
「ユマ・・・。現状を打破する画期的な方法があるが・・・乗らないか?」
完全に昂焚LOVEの恋愛脳と化していたユマはその方法が何かも知らず、条件反射で「うん」と答えた。
「そうか。分かった。とりあえず―――――――――――
――――――――――パンツ脱げ。」
「は?」
「いいか。よく聞け。その脱いだパンツを持って日本人街に行くんだ。大丈夫。日本人は神話の時代からHEINTAIなんだ。洗っていない汗で蒸れ蒸れのロリっ娘のパンツを高値で買ってくれる変態だっているはずだ。ブラも外すべきかどうかは後で議論しよう。」
「もう一回、頭冷やせ。このロリコン変態野郎。」
100年の恋も冷める瞬間であった。
そして、昂焚はユマから投げつけられたもう一本のジュースを飲み乾した。
「今度は大丈夫?」
「ああ。これ以上なくKOOLだ。」
「いや、まだだろ。スペル間違ってるよ。」
だが、昂焚が冷静な判断が出来るようになったのは間違いなかった。自分は日本大使館にでも言えば解決策がある。だが・・・ユマは、彼女はこの先どう生きるべきなのか、そして、原本はどうするべきなのか。それが悩みの種だった。
「なぁ、ユマ。お前はこの先、どうするつもりだ?」
「うん。私もそれは考えてた。スラムに戻るつもりもないし、原本を持ってたら一般市民として真っ当な人生を送れるとは思えないしね。だけど大丈夫。」
「大丈夫って・・・どうするつもりだ?」
「翼ある者の帰還に入ろうかと思っている。」
「!?」
昂焚は突然の発言に驚いて、先ほど飲んだジュースを噴き出しかけた。
「翼ある者の帰還!?お前、血迷ったにも程がある。“神は人を殺す”なんてアンチゴッド精神旺盛なお前が魔術結社に入るだと?」
「うん。勿論、組織にいる間はその考えは隠すつもりだよ。だけど、本当に人を殺すだけの存在なのかどうか、神様なんてものを信じる人間の側に立たないと分からないこともあるんだと思う。」
「そうか。でも入れるのか?」
「昨日潰されたギャングと敵対していたマフィアとはコネがあってね、そこと翼ある者の帰還が繋がりを持っているから、そこを通せば大丈夫。それにいざとなったらこの原本を交渉材料に使うよ。」
「それはそれは強かだな。」
「スラム生活は伊達じゃないよ。」
愛想笑いする昂焚に対し、ユマは誇ったようなドヤ顔で返した。
「そうか。じゃあ、さっさとそのマフィアのところに行こうか。」
昂焚は「やれやれ」と思いながらも重い腰を挙げ、尻を軽くはたく。どうやら、ユマと一緒にいくつもりのようだ。だが、ユマは昂焚の袖を引っ張った。
「その必要は無いよ。」
ユマのその一言に昂焚は豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしていた。どうやら、自分が付いて行くことを拒否するのが余程予想外だったのだおる。
「ここから先は私個人の問題だから。それに昂焚だって困ってるんでしょ?」
「いや・・・でも・・・」
「私は大丈夫だし、これ以上お世話になるのも悪いしね。日本大使館はそこの大通りの3つ目の信号を左折したところにあるから。」
「・・・・・お前、それでいいのか?」
「昂焚からはたくさん貰ったからね。ここから先は自分の力で先に進みたいんだ。」
「そうか。じゃあ、行って来い。」
そう言って、昂焚はユマの背中を強く叩いた。
「ありがとう(Gracias)。大人になったらたくさんお礼するね!」
「ああ。楽しみに待ってるよ。」
燦々と照りつける太陽の下で、褐色の肌の乙女の笑顔は眩しく見えた。一切の曇りも無い屈託のない笑顔、2日前まで険悪そのものだった関係の人間に、なぜそんな笑顔を向けられるのか、どうしてそこまで自分を信頼し、ここまで信用してくれたのか、昂焚が、その答えが「愛」であることに気付くのはまだまだ先である。
鬱陶しいだけだと思っていた太陽の輝きだったが、ユマの笑顔に免じは許してやろう。
9年後
「――――――――って、言ってたあの頃の眩しい笑顔にはもう会えないのだろうか・・・」
現在、尼乃昂焚はロンドンのホテルにいた。
両手に手錠を掛けられ、その上でベッドに繋がれていた。視線の先には、9年の歳月で大人へと成長したユマが鬼神の形相でイツラコリウキの氷槍の刃をこちらに向けるという絶体絶命の構図だ。
(どうしてこうなった!)
最終更新:2012年06月03日 00:55