お父さんに、もう一度名前を呼んでほしい。
 人殺しになるのを決意する理由なんて、それで十分だった。

 聖杯に依れば、たとえ国の行く末であっても思うが儘に変えられる。
 それならば、人間一人を生き返らせるくらい訳の無いことに違いない。
 世界の命運をも懸けた戦争に対して、随分ちっぽけな願望を抱いているとの自覚はあった。
 でも、それが本心だったから。
 大好きな人に愛されたあの日々を取り戻したいと、その実現の可能性に縋って何が悪いと、そう言って自分を納得させるのはとても簡単なことだった。

 だから、『弓』を携えた。
 だから、あの平穏な日常からあまりにかけ離れた、殺して殺されての戦いに身を投じた。
 なのに、負けた。

 『弓』は壊され、肢体を容赦なく抉られ、この生命が潰えるまでもう大した時間を要するまい。
 そう頭で理解していても、身体は未だ地を這っていた。
 どのような転機が訪れるかなんて分からないし、そんな可能性に期待するだけ無駄だと分かっているのに。
 舞い込んできた可能性を諦めたくなかった。だから、こんな生き意地の汚い真似だってしてしまう。

 そうして辿り着いた先には、何のことはない一枚の窓ガラスがあった。
 地面からそれほど離れていない高さに設置されているから、身体を伏せていた自分の姿も窓ガラスは映し出した。
 少女が一人、その中にいた。
 片目が潰れ、顔中が腫れ上がり、その肌が土と涙と血で滅茶苦茶のぐっちゃぐちゃに汚れた醜い姿。
 え、なにこれ。耳朶を打った声は、酷く掠れていた。
 全て、他でもない自分自身のものだった。
 力が抜けていくのが、確かに感じられた。

「……お前は」

 誰かが側に立っているのに、今になって気が付く。
 目を向けた先に居たのは、恐らく自分より三つか四つくらい年上の女性だった。間違いなく、全然知らない人だ。
 屈んだ彼女は、両手で包み込むようにこちらの右手を握る。暖かいなあ、というのが第一の印象だった。
 手の骨も折れているからあまり力を込められると痛みが増すのだけれど、と伝える体力はもう無い。

「お前は、何を願っていたんだ?」

 願い。その言葉を添えて問う彼女の声は、真剣そのものだった。
 戦争の最中だから他に聞くべきことがいくらでもあるというのは、素人の自分にだって分かるのに。
 この質問が彼女にとってどれほど重要な意味を持つのかは分からない。
 でも、どうせ聞かれたからには応えてみることにする。
 父にもう一度会いたかったこと。
 そのためなら、誰かを殺してでも勝ち残るのが正しい答えだと思ったこと。
 父は、間違ったことをしてはいけないと教えてくれた人間であったこと。
 途切れ途切れの、拙い喋り方だけれども、それでも懸命に。
 彼女はただ黙って耳を傾けてくれていた。

 あたし、どこで間違っちゃったのかな。どうやって戦うのが正解だったのかな。
 問い返された彼女は、顔を顰めた。答えに困る質問だとは、口に出した自分だって理解している。
 父が何度だって慈しんでくれたこの顔を、自分から傷付けて汚す真似をした。同じように、誰かのことも傷付けた。
 こうして耳障りになるよりも前の声色で叫んだのは、あんなサーヴァントなんか早く殺してよ、なんて物騒な命令。
 戦争に打ち込む自分自身の姿をこうして想起すれば、こいつは誰なんだろうと悲嘆に等しい疑念が生まれる。
 父の愛してくれた自分という人間を冒涜したのは、紛れもなく自分自身だった。

 お父さんにまた会いたいなんて、思わなければ良かったのかも。
 やはり、一番大きな間違いは一番初めの時点で既に冒していたのだろう。
 そんなことを願ってしまう心に従ったあの時点で、こうなるのは決まっていたんだ。
 なんて惨めな人間だろうか。泣きたくなるのに、もう涙すら枯れてしまった。

「その心まで否定することは無い。何かを願うこと自体が、間違いだなんてことは……」

 堕落していく意識を繋ぎ止めるように、自分の言葉を彼女は否定し、自分の願いを肯定した。
 だったらどうすれば良かったのか、と反駁する気は起きなかった。
 納得出来る答えに到達することは、もう叶わない。そんな事態を招いた自分の非を、気遣ってくれた彼女に押し付けたくは無かった。

 だから、後はもう眠りにつくだけだ。
 父がくれた沢山の思い出と、父を裏切った自分への憎しみだけを胸に抱いて。
 最後に残された力を振り絞って、もう一度だけお父さんと呼びかけてみた。
 誰も応えてくれない、当たり前の現実だけがここにあった。

◇ ◆ ◇


「悲しいな」
「戦いで人が死ぬことがか?」
「それよりも、人が変わり果てていくことが、だ」

 少女、と呼ぶには些か大人びた容姿の女の声に応えたのは、数歩後ろに立つ壮年の男だった。
 二人の見据える先に横たわる少女は、もう何者にも応えることが無い。
 少女も、ただ何かを願っただけの人間だったのだろう。
 しかし「願う」は「縋る」になり、「執着する」から「堕ちる」へと変わっていく。
 そんな、誰もが陥る狂気の成れの果てだった。

「最初は祈りだったのに、いつの間にか呪いとなって纏わりつく。ただ、心のままに動いただけだというのに」
「聖杯なんて物を提示されれば、そうなってしまうのも無理も無いさ」
「……それは、あなたの経験談か?」
「まあ、そうなるかもしれないな。等価交換の原則を超えようとした者に待っていたのは、どれも手痛いしっぺ返しだったよ」

 『アサシン』の名を冠した、今の彼女に仕えるサーヴァント。
 ヴァン・ホーエンハイム。
 人の意思によって生み出された悲劇の数々を知るのだろう彼は、聖杯戦争という舞台に対して何を思っているのだろうか。

「はっきり言えば、聖杯に良い印象は無いな」
「なら、あなたはこの戦争を止めたいと?」
「……一方的に押し付けはしないさ。それは大人のすることじゃない。大事な人に会えなくて寂しがる子供の気持ちも、一応は分かるしな……そっちこそ、もう答えは出たのか?」

 女は、迷っていた。
 戦争の果てに辿り着く奇跡を以てすれば、世界に暖かな光を見せつけることも出来るのかもしれないと想像する力はあった。
 そして、戦争という過程が生み出す悲しみを受け流す程の図太さを女は持てなかった。

「いや。あと少しだけ、私に迷わせてほしい」

 戦争を間違っていると訴えるのは、とても容易だろう。口にするだけで、その言葉は正しさを伴うことになる。
 そんな正しさだけで人が救えるのならば、人類は何百年も戦争に明け暮れたりはしなかっただろう。大地を、地球を、宇宙を戦場にはしなかっただろう。
 正論だけでは、人の心を押さえ付けられない。
 そして、正しさに変わる答えを女は未だ持ち合わせていない。
 聖杯戦争の当事者として、この状況の一部となった者として。相対する者達に伝える絶対の真理なんてものを、持っていない。

「私は、これから誰かと触れ合っていく。その中で、自分なりの答えを見つけられるようになりたい。それだけだ」
「時間はかかるだろうな」
「それも、実体験か」
「分かるのか?」
「……感じるんだ。あなたの中に、多くの心が渦巻いている。どうして正気を保っていられるのか、不思議に思えるくらいに」

 彼が人々と分かりあうまで、どれほどの時間が掛かったのだろうか。
 サーヴァントとして再現された容姿の年代となるまで、だろうか。
 そんなことを考えていると、いや参った、とアサシンは笑った。

「そんな大層な話じゃない。ただ、実の息子に親父と呼んでもらえるまで色々と大変だったなあってだけの話だよ」

 そう言うアサシンの姿が、容姿と相まってまさしく『父親』なのだなと感じられた。
 英霊である以前に、彼は一人の人間として立派であろうとしたのだ。
 だから、この言葉を伝えてしまっても良いのだろうと思えた。最大限の真摯さで、向き合っていきたいと。

「『為すべきと思ったことを為せ』と、昔あの子にいったことがある。同じように、私も私の為すべきことを自分の意思で決めたい……止めたいんだ。悲しいことを、“それでも”。これは、我儘なのかもしれない。許してくれるか? アサシン」
「許すさ。君の心に従うと良い。時間の許す限り付き合う。そして心からの願いと言えるなら、俺はマスターの答えを認めるよ。たとえ、相反するものであったとしても」

 言った直後、アサシンはしまったとバツの悪そうな顔をする。

「あー。名前で呼べばいいんだったっけ。嫌な思いをさせたかな?」
「いいや。別に嫌なわけじゃないんだ。ただ、その呼び方がくすぐったい感じがして苦手だけで」
「そうかい……じゃあ、マリーダ。そろそろ夜も明ける。他のマスターを探すのにも多少は好都合だ。それとこの子は……警察にでも任せたらいいだろう」
「ああ。行こうか」

 アサシンと共に、この場を離れるために歩み出す。
 そのまま、仄かに明るみ始めた空を見上げてみた。
 虹は、何処にも架かっていない。

「……たとえ何も見えなくても、私も進むよ。バナージ」



【クラス】
アサシン

【真名】
ヴァン・ホーエンハイム@鋼の錬金術師

【パラメーター】
筋力D 耐久D 敏捷D 魔力D(EX) 幸運C 宝具A

【属性】
秩序・中庸

【クラススキル】
  • 気配遮断:C
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
自らが攻撃体勢に入ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【保有スキル】
  • 錬金術:A+
物質を分解し再構築する力。アメストリスにおいて特に大成した科学体系。
錬成陣を描き、物質に触れることで、その物質を別の構成や形の物質に変えることができる。
ただし「真理の扉」を目撃し、且つ永い時を掛けて実力を培った彼の場合、錬成陣を描かないどころか手すら動かさないノーモーションでの錬成が可能。
「等価交換の原則」によって一の質量の物からは一の質量の物しか、水の性質の物からは水の性質の物しか作れない。
『賢者の石』を介せば、そのエネルギー分だけ強大な効果を持つ錬成が可能となる。

  • 自己改造:A
自身の肉体に別の肉体を付属・融合させる。このスキルのランクが高くなればなるほど、正純の英雄からは遠ざかる。
アサシンの肉体には六桁に及ぶ数の人間が融合している。

  • 心眼(真):A
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。

  • 神殺し:C
神性を持つ相手との戦闘の際、有利な判定を得られる。
「神」を自称する怪物を討ち取った者達の一人であった逸話から付与されたスキル。

【宝具】
  • 『賢者の石』
ランク:A 種別:対人/対軍/対城宝具 レンジ:1~99 最大補足:536,329人
生きた人間の魂を凝縮して作られた高密度のエネルギー体。アサシンの肉体と完全に融合し、核となっている。
内包する人間の魂の数は50万を超えており、その全員が今またアサシンの内側で蠢き続けている。
(あくまで擬似的に再現されているだけでしかないため、魂喰いの対象にはならない)
この宝具が魔力炉として機能していることにより、現界に伴うマスターの魔力消費が少量に抑えられる。
他にも傷を負った際の瞬時の治癒や、錬金術の強化のためのエネルギー源としても有用となる。
また、この宝具を介して錬成された物質・物体には神秘性が付与されるため、サーヴァントへの攻撃手段となりうる。
ただし消費すればするほど宝具の質量は摩耗・減少していき、使い果たされると共にアサシンは聖杯戦争から脱落する。
また数百年或いは数千年を生きた生前と異なり、サーヴァントの宝具として再現された『賢者の石』は消費ペースが桁違いに速くなっている。

  • 『旅路の果て(レイ・オブ・ライト)』
ランク:- 種別:対界宝具 レンジ:∞ 最大補足:1人
この世界で育っていく子供達の明日を信じながら、自らの役目を果たしたヴァン・ホーエンハイムは歩みを止め、ひっそりと命を終えた。
彼と関わった一人の子供は、「ただの人間」として自らの足で立って歩き、前へ進んでいった。
そんな一つの物語が昇華された宝具。
アサシンが『賢者の石』の完全消費を理由として聖杯戦争から脱落する場面に限り、その時点における自らのマスターのために為すべき最後の役目として解放される。
「サーヴァントを喪失したマスターは一定時間の経過後に消滅する」とする世界の理が、この宝具の加護によって完全に無効化される。
代償として、この宝具の加護を受けたアサシンのマスターはその後いかなる手段によっても他のサーヴァントとの再契約が不可能となる。
つまり、その者は奇跡の願望器を掴み取る勝利者とはなり得ない「ただの人間」として、アサシンの消え去った後の世界で生きることとなる。

なお、聖杯戦争の原則の一つを覆すほどの効果を持つこの宝具には、神秘性のランクなど無い。
この宝具の真の価値は「ただの人間」がこれから作る未来の中にこそ存在する。

【weapon】
錬金術

【人物背景】
彼は世界を脅かす巨悪の排除のために戦った。
彼の名は歴史の表舞台では脚光を浴びなかった。
それでも、彼の旅路を知る者は確かに存在した。

殺すために、人知れず生きた。つまり彼は『暗殺者』である。

【サーヴァントとしての願い】
特に無し。マリーダに付き添う。



【マスター】
マリーダ・クルス@機動戦士ガンダムUC

【マスターとしての願い】
我儘に、心に従う。

【能力・技能】
正規軍人でないとはいえ一介の兵士であり、白兵戦を心得ている。
強化人間、つまりニュータイプの紛い物であるため感受性は人一倍鋭敏。

【weapon】
特に無し。
銃器もモビルスーツも持っていない。

【人物背景】
父に生かされ、姫に仕え、少年に出会い、青年に殺された。そして彼らを導いた。
そんな、ニュータイプではない一人の人間。

【方針】
聖杯の処遇についてはまだ決めかねている。
他の人々と触れ合い、自分なりの答えをこれから見つける。
現時点で言えることは一つ。悲しいことを、“それでも”止めたい。

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最終更新:2015年12月14日 20:56