――ひとりじゃ寂しい。だから、手をつないだんだっけ。
――それじゃいつまでも、子どものままだ。
□
とっとっと、ランニングシューズで小刻みに歩道を踏んで走る。
いつもの長いポニーテールが、少しだけ浮いて後ろへとたなびく。
走るたびに、ちりんちりんと髪をまとめている鈴が揺れる。
ランニングウェアとして使っているのは、学校の運動用ジャージの上下だった。
肌にはべっとりと汗がにじんでいるけれど、はぁはぁと呼吸も荒いけれど、吸って吐いてを繰り返すリズムと、足音のリズムはぴったりと重なって、走行ペースはごく安定している。
傍目には、陸上部員の一人練習か、最近の体重が気になる女子高生のダイエットかに見えるランニングだったけれど、鈴にとってはこれも『聖杯戦争で勝つための修行』の一環だった。
つまり、これも放課後の特訓メニューとは別に設けられた訓練のひとつ。
棗鈴は、日課となっている早朝ランニングを今日もこなしていた。
11月半ばの朝だ。
吐く息には時折白いものがまじるし、肺に激しく出入りする空気は冷たい。
今朝はその背中に、愛用する薄緑色のナップサック(兄貴たちからは女っ気のないデザインだと言われた)を背負っている。この中身については追々に。
いつもより少しだけ荷物が増えているからか、それとも寒さが増してきたためか、のどに絡みつく呼吸は普段よりもねばっこくて苦しい感じがした。
もうすぐだ、と思い直して気合いを入れなおす。
ランニングコースは、町内にあるいくつかの神社や通学する高校をチェックポイントとして経由しつつ、国道を超えたり川沿いの道を走ったりとかいろいろな景色を見ながら、また近所まで戻って来るというもの。
ランサーは防衛線を得意としているマスターであるとはいえ、それでも近辺の地理関係を体で覚えるに越したことはない、とのこと。
連続殺人事件のせいであまり出歩きが推奨されていないので、なるべく人通りの少ない道や舗装の悪い道は避けるようにしているけれど、距離自体はかなりあるハードなものだった。
それでも飽きがきて走行への意識が散漫になってくると、霊体化して従うランサーが『まだまだぁあ! マスター、移動時間に対して走行距離が縮んでおります! つまり速度が落ちている計算です!』と檄をとばしてくる。
護衛してくれるのはありがたいけど、うるさい。
野球の練習でも基礎練として走るぐらいはやったけれど、最初のうちはかなり息も絶え絶えになった。
今では『屋外だといざという時に動けるようにしておかなければいけない』とランサーから指導されたこともあって、だいぶ余力を残して走れる。
ゴールに設定しているのは、自分へのご褒美にしている『彼らのたまり場』だ。
「ゴール、だっ……!」
声をはずませて、鈴はその公園に駆け込んだ。
正確には、あらゆる遊具のその奥にある、植木と芝生の木陰に。
ごろりと寝そべり、今日も『彼ら』は寝そべっていた。
一匹、二匹……今日は六匹。
凛が近づいても逃げないどころか、何匹かは顔を上げて、歓迎するようにしっぽで芝生をたたく。
白いの、黒いの、キジトラのと、今日も個性豊かだった。
みんなに、名前を付けている。
中には、元の世界と同じ名前をつけている奴らもいる。
仲間たちがいなくなった世界で、彼らだけは、あたたかい元の世界の面影だった。
「なんだ、今日はレノンとドルジはいないのか……さて、今朝は誰からがいい?」
鈴の言葉を理解しているのかいないのか、ヒットラーと命名したねこがすっくと立ちあがった。
何かを期待しているようなきらきらした目で、足元に擦り寄って来る。
その視線は、鈴のナップサックからはみだした、ススキの穂のような形をした器具に向けられている。
鈴もその反応に、相好が崩れていく。
「なんだ、お前にも分かるのか? 匠の65年もの猫じゃらし。同じものを見つけるのに苦労したんだぞ」
猫と仲良くしている時間は、ささやかな至福だ。
人間が相手では(以前よりはずっとマシになったとはいえ)まともな会話さえおぼつかない鈴の、一番の特技でもある。
特訓ノルマをこなすことに関しては厳しいランサーも、特訓後に戯れることには文句を言わない。
「……っと、待った。今日はその前にやることがある。
お前ら、体を見せろ」
ナップサックを地面に降ろし、まずは一匹一匹の猫に近づき、警戒されぬようそろりと触った。
抱き上げたり、撫でるうちに身体を裏返したりして、異常がないかどうかを改めていく。
「こないだのテヅカみたいに、怪我したのはいないか?」
猫の縄張りというものは、人間が思っているよりもずっと広い。
この路地裏に姿を現す顔ぶれも毎日同じものではなく、だいたい二、三日おきか、長い時は五日ぶりぐらいに入れ替わりで現れるという頻度だった。
そんな入れ替わりの猫たちの中に、脚を引きずったり、片耳が欠けるような怪我をしたものたちを、ここ一週間で見かけるようになった。
最初は、近所に猫を乱暴する不良でも出没しているのかと憤懣をつのらせた。
ここ数日は、救急箱を持ち出してできる限りは消毒したり手当をする習慣をつけた。
『討伐令』を出された今朝になって、その原因にやっと心当たりがついた。
なんと気付いてくれたのは、鈴ではなく猫たちのことを何も言わないランサーだった。
鈴たちはまだ『聖杯戦争』の中で一戦も交えていないけれど、夜ごとに徘徊をして他のサーヴァントやマスターを探し回るような好戦的な者同士は実在していることがはっきりとした。
『討伐令』を出された者たちも、もっとも過激なマスターの一角に過ぎないことだろう。
ただでさえ人間社会の空気が悪くなると、それだけで猫たちのそれだって荒れてしまうことぐらい鈴にだって何となく分かる。
それが、人間だけの問題で無かったとしたら。
サーヴァントという超常の存在のせいで、町そのものが脅威にさらされているような現状だとしたら。
例えば、縄張りの中で大量虐殺事件などが起こったものだから恐慌をきたしてその棲み処を放棄し、野良猫間での勢力均衡が崩れたとか。
例えば、予選期間の内に行われていたサーヴァント同士の争いに巻き込まれ、猫たちの居住していた木々や建物が破壊されたとか。
例えば、こんな戒厳令が敷かれたような状況があるせいで品性を欠いた人間たちにもストレスが溜まり、その鬱屈の矛先が罪の無い猫に向けられたとか。
どこかにいる敵のマスター達のせいで、そして自分も参加している戦争のせいで、町の猫たちにまで迷惑がかかっている。
胸が重苦しくなるのを、鈴は猫たちの診察をする間だけ封印した。
ランサーがいて良かったと、改めて鈴は思う。
あまり頭が良くない、むしろ馬鹿に分類されるサーヴァントだという印象は初対面の時から変わっていないけれど、しかしランサーは『計算』することを放棄していない。
よく分からないこんな状況下でも、立ち向かえば何とかなると、知恵を尽くせば何かが分かると、そんな自信を持った姿を頼りにしている鈴がいた。
「よしよし、よく我慢したな。ご褒美だ」
今日は怪我した猫がいないことを確かめると、焦らせていた65年もの猫じゃらしを取り出した。
「お前らのために、ペットショップで探してきてやったんだぞ。感謝しろ」
猫じゃらしを手の中でしならせる、なつかしい感触。
新しいおもちゃを目にしたヒットラーは、いつにもまして俊敏な動きで食らいついてきた。
そう長い時間は遊んでいられないけれど、これがあるから学校に行く元気を充填できる。
かつて、猫とばかり遊んでだれも友達を作ろうとしなかったから、兄や理樹たちにはずいぶんと心配をかけた。
そんなことを思い出して、切なくなるのが玉に瑕だけれど。
「ここに『8人の小人』は、いないんだ」
何度も、言い聞かせてきたこと。
その重みを、確かめるようにつぶやく。
伸ばされた兄の手を、つかんだのが始まりで。
そこからはずっと、5人の輪で過ごしてきた。
いつしか輪は大きくなって、10人になった。
猫以外の知らない人とはろくにあいさつもできなかった鈴と、彼らが手をつないでくれた。
野球をするから、仲間を集めよう。
そんなものはただの口実で、いつしか『仲間』と一緒ならどんなことをやっても楽しかった。
納涼肝試し大会とか、ホットケーキパーティーとか、海を見に行くとか、そんな特別なイベントじゃなくたっていい。
一緒に学食を食べるとか、女子寮で他愛のないお喋りをするとか、くるがや達からのセクハラを受けるとか。
みんなで輪っかになって手をつないでいれば、何だって楽しかった。
世界で一番すてきな青春だと自慢できる、どんな宝石よりも大事な仲間たち。
でもそれは、当たり前の幸せなんかじゃなかった。
いつだってあの世界を維持していてくれたのは、
棗恭介という兄だった。
いつも皆で何かを始める時には、あの兄貴が言いだしっぺになった。
悪ガキだった子どもの頃からそのまま大人になったみたいに、バカ丸出しでいたずらっぽく笑う青年。
そして何かあれば皆を守ってくれる、頼りになる無敵の兄貴。
面と向かって褒めることなんかできなかったけれど、ある時まではそう感じていた。
でも、世界が崩れていくうちに、分かってきた。
恭介だって決して無敵の兄貴なんかじゃない、傷ついたり苦しんだりする、一人の人間だということ。
だから鈴も、あの兄にいつまでも甘えているわけにはいかない。
リトルバスターズという集団に帰属する家猫じゃない、一匹の野良猫でも、生きていかなければ。
「おお。テヅカと新入りじゃないか」
今日はこのへんにしておくかと言いかけたところに、見慣れた茶白の猫が寄ってきた。
その後ろからひょっこりと顔を見せるのは、ここ一週間で見かけるようになったおかしな猫だ。
何がおかしいかって、猫のくせに青いフレームの丸メガネをかけている。
「お前らも、危なくなったら、あたしを頼るといいぞ。
飼うとかは無理だけど、いじめられたら助けるとかはできるからな」
頭をなでなでして、そう約束する。
やたら人懐っこいメガネの猫は、心得たようににゃーおと鳴いた。
新入りの猫は、優先してかわいがるべし。
元の世界の学校で猫達を可愛がっていた時から、そういう自分ルールを敷いている。
そして、もうひとつ。
新入りには、名前を与えなければならない。それも何か偉いひとの名前がいい。
「名前だって、決めてある」
彼女の兄がそうしていたように、意味も無く自信満々に笑う。
テヅカとよく一緒にあらわれる。
そして、鼻だけがパステルカラーのようにあざやかに赤い。だから。
「お前はアカツカだ」
命名されたメガネの猫は、首をかしげてしっぽを振った。
そこで、鈴はようやく目に留まった。
アカツカのしっぽが、先日に出会った時よりもだいぶ短い。
そして、その尾の先っちょに、丁寧に包帯を巻いて、止血した後があることを。
怪我してる、大変だ。まずそう思う。
でも血が止まってる。手当してある。すぐに、それを確かめる。
その二つが何を意味するのか。数秒かけて、その意味を飲みこんでいく。
「あたしと同じことを、してる奴がいるんだ……」
そうつぶやいた声が、知らず嬉しくて震えてしまった。
誰ともしれないNPCとやらの、プログラミングされた善意なのかもしれない。
しかし、それでも嬉しいものは嬉しかった。
野良猫なら傷つけても構わないという連中がいる一方で、そうじゃない人間もいることが。
その発見を契機として、鈴は元気よく立ち上がった。
もうそろそろ、朝の8時を過ぎるころだ。
手っ取り早く汗をふいて着替えてパンでもつまんで、さっさと学校に行こう。
あまり楽しくない学校だけれど、それでも生きていくためにそこに行く。
なかなか人に懐かない気高き黒猫は、ただひとつの道を選択したのだから。
【A-5/通学路上の公園/一日目・午前】
【棗鈴@リトルバスターズ!】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] 学校指定のジャージ
[道具] ナップサック(猫じゃらし、救急道具)
[所持金] 数千円程度
[思考・状況]
基本行動方針:勝ちたい
1:いつも通り学校に行く。強くなりたい
2:野良猫たちの面倒を見る
【
レオニダス一世@Fate/Grand Order】
[状態] 健康
[装備] 槍
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針:マスターに従う。マスターを鍛える
1:学校までマスターを護衛
□
ぺたぺたと、便所サンダルも同然のつっかけを履いて、アスファルトの歩道を踏む。
整髪もされないぼさぼさした頭に、パジャマ替わりにでも使えそうなジャージをズボンにして。
他人から見れば『ちょっと外出してみた引きこもりぎみのニートですよ』と主張しているかのように見えるだろう。実際そう間違ってない。
いつも愛用するパーカーは、紫色だ。
11月半ばの朝だ。
パーカーの上に何も羽織らずに出かけるのは寒かったけれど、その代わりにパーカーの腹ポケットにはホッカイロを幾つか放り込んでいる。
べつに防寒対策に持ち出したわけではなく、別の用途のために仕込んできたのだけれど、懐はぬくぬくと温まり始めていた。
他にも手荷物として、三男チョロ松がライブでの外出に使っていた紙袋を勝手に借りている。この中身については追々に。
逆の手には早い朝食代わりとして、冷蔵庫の中にあった貰い物らしき今川焼きをチンしてひとつ持ってきた。
箱の中のスペースを上手くごまかして、初めから4個だったかのように見せかける偽装工作もぬかりない。
『いつもの場所?』
霊体化して付き従う少女から、声が届く。
『ん』
『ふーん……今日は早いねー』
『皮肉?』
『んーん。一松の生活リズムに……慣れた』
松野家の六つ子の朝は、遅い。
ニート生活に甘んじて働かない贅沢をエンジョイする社会のごみたちは、午前10時の起床でさえ『早起き』と呼ぶ。
8時ごろに布団を抜け出して着替えて外に出た今朝の一松は珍しいケースであり、他の兄弟はまだ快適な惰眠の真っ最中だろう。
昨晩はらしくない夜更かしをしていたために、あまり眠りが深くなかったという理由がひとつ。
今朝に限って言えば、なるべく時間が早いうちに『彼ら』を確認しておきたかったという理由がもうひとつだった。
廃材やごみ箱が無造作に転がっている裏路地へと、勝手を知った歩みで入っていく。
薄暗い突き当りの近くでいったん歩みを止めると、エアコンの室外機に浅く腰かけて今川焼を半分に割った。
「ん」
半分を差し出す。
「いいの? ありがとぉ」
隣に実体化した望月が、遠慮がちにクリームのはいった焼き菓子を受け取った。
彼女に食事は必要ないことは知っているのだが、しかし。
『その場にいるんだから美味しいものは分け合うべきだよな? むしろ寄越さなきゃ全部奪い取るぞコラ』という多兄弟による幼少期からの刷り込みは、こんな時もしっかりと作用している。
もそもそと今川焼きをたいらげるうちに、彼等も集まってきた。
野良猫達だ。
建物の隙間から、待ちあわせでもしていたように数匹飛び出してくる。
紙袋の中から猫じゃらしを取り出すと、しゃがみこんで誘うように揺らした。
たちまち猫達に囲まれ、元気なのは前足をさかんに動かして猫じゃらしと戯れる。
一番頻繁に顔を見せてくれる青メガネの『友達』は、今日はいないようだった。
望月はまだ今川焼きを食べ続けながら、その光景を見下ろしている。
ちびちびと、惜しむように生地とクリームを交互に齧っているのを見るに、顔には出ていないが美味しく味わっているらしい。
「大怪我してるのは……いないか」
集まってきた猫達を順番に抱え上げ、大事がないことを確認してほっとする。
数日前に、『友達』のしっぽが1センチも短くなってしまっているのを見つけた時は腸が煮えた。
似たように怪我をした猫達を、ここ数日で何度も見た。
『討伐令』のことを知って、やっと話が繋がった。
紙袋の中には、家の救急箱から持ち出してきた消毒薬や包帯を入れてきた。
所詮は偽りの世界の猫とはいえ、そして一介のニートが野良猫にしてやれることなどそう多く無いとはいえ、顔見知り達に危害が及んでいないかどうかは、やはり気になったから。
引きこもり生活の間でも、数少ない外出の機会。
路地裏の猫とじゃれついている時間だけは、ささやかな至福だ。
人間が相手ではろくな挨拶さえできない一松の、一番の特技でもある。
「相変わらず、懐かれてるんだねぇ……」
「服にカイロ仕込んできた」
猫という生き物は、わずかでも温かい場所を求める。
しゃがみこんだ一松のパーカーをまず占拠したのは、巨大な茶トラの猫だった。
アザラシのように巨大で、腹の脂肪がもちもちとした猫だ。いやむしろこれ本当に猫なのか。重い。しゃがみこんで軽く膝を提供するつもりだったのに、ほぼ上体の全てを貸し与える格好になった。
他の猫たちもその周囲に集まり、一松の周りを囲って暖を取るように寄り添ってくれる。
「そんなに心配なら、飼ったりしない? よく家にも連れ込んでるじゃん」
「こんなに養う金が無い無理。それに、ウチの方が危ないと思うんだけど」
「そーだねぇ……戦争も始まっちゃったしぃ」
さぁこれからが殺し合いの本番だという旨の、開戦宣言は為された。
『勝手にやってくれ』というスタンスの一松ではあったが、それでも他のマスター達から狙われる身分であることには違いないらしい。
しかも、『討伐令』を出されるような本物の犯罪者までいると分かった以上、危害が及ぶのは一松ひとり(とシップ)だけに限られたことではない。
善良なる市民58人を虐殺するような殺人鬼が、野良猫ごときを――そして社会のごみでしかないニートの兄弟とその扶養者を殺すことに、遠慮してくれるだろうか。いや、ない。
(いっそ、家、出るか……)
そんなことを考える。
少なくとも、シップが兄弟に露見したらどうしようという危惧は解消されるわけだし。
それに、もし自分が死んでしまう時が来たら、兄弟を巻き添えにしなくても済む。
この世界に用意された偽物の家族だとは理解していても、テレビのニュースで報道された通りに惨殺されるところを見たいかと言われたら別だ。
頭では違うと分かっていても、見なくていいものは見たくない。
すぐ下の弟が抜け駆けで彼女を作ろうとしていた時なんか、頭では『応援しよう』と受け入れていても、それは見ていて気持ちの良いものじゃなかった。
「なら、やっぱり兄弟に全部話して相談に乗ってもらわない?
あたしは、人間の兄弟ってよく分からないけどさぁ……『家族』って隠し事はしないんでしょ?」
「それ、うちに限っては都合の良い意味で使われてるよね」
少なくとも、六つ子の『隠し事禁止』とは『誰か一人が良い思いをするなんて許せないから、ゲロらせて引きずり落としに行こうぜ』という意味合いだ。
それが、本物の兄弟でもないのに、まして消えても誰も困らないような自分のために、死ぬかもしれないけど『こちら側』に来てくださいとは言えない。
もし十四松が大好きな野球もできない体になったりしたら、どうする。
「ああ、そっか」
兄弟の誰にも言えない隠し事をしている。
自覚したら、心臓がぐしゃりと潰れたような気がした。
考えてこなかったけど。あまりにも『いつも通り』に怠惰に過ごしてきたから、NPCの兄弟もいつも通りだったから、忘れていたけれど。
「もう、『6人でひとつ』じゃないんだ」
ここにいるのは、『松野家の六つ子の四男』ではない。
ただの、ひとりの『一松』でしかなかった。
それが、すごくイヤだった。
子どもの頃から、何かバカなことをする時は、いつも六つ子で一緒にやった。
近所でも有名な悪ガキ達として毎日イタズラしていたのも、イヤミにちょっかいを出す時も、大人になってからのハロワ通いも、パチンコ警察も、トト子ちゃんの応援も、レンタル彼女も、誰かのバイト先やガールフレンドに介入していくことさえ。
猫以外には心を開かないし友達もつくらない一松だったけれど、気心知れた兄弟とバカをやることは苦じゃなかった。
きらきらとした青春だとか、恋人と過ごすクリスマスだとか、そんな上等な宝石が手に入らなくても甘受できる、世界でいちばん大事な大事なゴミ屑たち。
社会の最底辺でお互いに死ね死ね死ね死ね死ーね死ねと罵倒しながら、5人の敵だと憎みながら、それさえも同レベルの仲間だと認め合って生きてきた。
同じ屋根の下で暮らして二十数年。
一生全力モラトリアムを謳歌する、たった6人の小さな輪っか。
へらへらおどけた同じ顔6つ、よろしくお上がりお粗末さん。
自分たちのことを6人でひとつだと言ったのは、長男おそ松だったか。
六つ子の中でも筆頭のバカだったけれど、バカだったからいつも言いだしっぺになって、皆が自然とそれに着いて行った。
何かあれば弟達を守ってくれる理想の兄貴、なんかでは有り得ない。
むしろ実の弟に対してもイカサマやらご褒美の独り占めやらを敢行したり、長男特権を振りかざしてベタベタと甘えたり、子どもじみたワガママを言っていた思い出ばかりが浮かんでくる。
ただ、あの兄は。
ごくたまに、弟達のことを気にかけるポーズをして、そして笑う。
6人でひとつなのだからちゃんと分かってると言わんばかりに、知った風なことを言う。
『おれさぁ、一松のことが、一番心配なんだよね』
一度そう言われたことがある。
きっと、冗談半分で言ったことだと思う。
酔っぱらってふざけてハマグリの貝殻を両眼に挟みながら言われたところで、説得力なんて無かったから。
「ケッ」と、感傷を吹っ切るように吐き捨てた。
心配してもらっていたところで、今さら何が変わるわけでもない。
今回のことだって『生きて帰りたいけど兄さんならどうする?』と相談すれば、なんて言われることやら。
お調子者のゆるい声が、ありありと脳内再生できる。
『よーし、弟達の誰かをとっ捕まえて影武者になってもらっちゃお! みんな顔同じだしばれないって!
それで代わりに死んでくれたら安全にリタイアできるじゃん。なぁ~はっは!』
……ですよねー。
クソ長男が六つ子で一番がめついもの。
いや、僕もできるならそうしてるけどね。
良心の呵責なしに差し出せるクソ松が1人いますけどね?
まぁ無理でしょ。マスター同士が会ったら令呪だとか何とかで分かるらしいし。
「じゃあさ、巻き込みたくないのに、まだ迷ってるのはどうして?
……やっぱり家族とは離れたくない?」
「別に。ただ扶養の座を失いたくないから」
「ああ……納得」
しつこく繰り返すが、ニートだ。
親の金で生きている身分なのだ。
もちろん小遣いが皆無というわけじゃないから、飲みに行ったりレンタル彼女とデートする程度の金はあるけれど。
拠点をつくってしばらくそこに避難しようぜ!というアテがあるわけでもないし財力にも余裕はない。
今朝だって何かあっても逃げられるように朝食と家出セット兼用の紙袋(救急道具の他には着替えのツナギと財布も入っている)を持ってきたけれど、このまま失踪するには実家の誘惑があまりにも強い。
家に帰れば母親がちゃんとした朝食でごはんとかお味噌汁とか、おかずに焼き魚とかハムエッグとかの用意をして待っていてくれることだろう。きっと美味しい。
『いや、シリアスな心理描写やってる風で、ただぐうたらしたいって言ってるよねそれ。
僕らの安全より焼き魚やハムエッグを選んでるよねそれ』
うん、正直こういうツッコミが無いと物足りない
『いざとなったらイヤミみたいに橋の下でキャンプして乞食すればいいじゃん。
公衆でケツ出して脱糞しようとした闇松兄さんに、今さら捨てるプライドとか無いでしょ』
誰のせいでケツ出したと思ってるのドライモンスター
『え! 一松にーさんキャンプするの!? いいなー一日中野球できるね! キャンプ地はどこ、どこっすか?』
そのキャンプじゃないよ十四松
『フッ……お前もとうとう盗んだバイクで走り出し、家出を
バズーカ発射
「なんか……最後の兄弟さんだけあたりがキツくない?」
まぁ仮に事情を打ち明けて相談してもこんな感じだよ、と説明すると、呆れたような声が返ってきた。
「そう? でもうちに限ったことじゃないし。次男とか次女って最初の子のスペアだって言うし」
適当に流そうとしたのに。
そう言ったら空気が硬直した気がした。
「……大切に想われてた、二番目の姉さんもいるよ」
淡々とそう言われたせいで、悪いことを言ってしまったのだと分かった。
船の知識なんて無いけれど、彼女が『姉さん』と称していた軍艦たちがたくさん沈んでいったことは知っている。
「そっか」
だから、その想いを否定することはしなかった。
否定はしなかったが、しかし即座に上手いフォローの言葉を言ったりするほど女の扱いにも慣れていないので、
「シップもやる?」
左となりにいた白猫を持ち上げて、そう水を向けた。
彼女が猫を飼ってみないかと提案したことも、家の中でくつろいでいる時にチラチラと猫を気にしていたのも忘れてはいないので。
「え……えぇ……?」
煮え切らない、しかし拒否ではない望月の表情を横目でちらりと見て、とりあえずホッカイロの幾つかをさっさと押し付ける。
望月は受け取ったカイロを扱いかねるように、とりあえずという動きでしゃがみこんでそれを膝の上に置いた。
すぐさま、白猫が新たな熱気を感じとってそちらに顔を向けた。
純白の毛並みに金色の目をした、賢そうな顔だちの猫だ。
ひらり、と一挙動で望月のスカートに飛び乗った。
「ぅわ……っ」
両の膝がもぞもぞと、くすぐったい毛並に耐えるようにわずか上下して、止まる。
本物の戦争さえ知っているサーヴァントが猫を恐れるのかと呆れてしまうような、ただの緊張した少女の顔だった。
きゅっと口元を横に結んで、そろそろと、ゆっくりと、小さな手で毛並に触れる。
手をぎこちなく動かし、撫でた。
白猫が目を細めるのを見て、ほっと息を吐く。
「私……たくさん人間や武器を乗せたけど、人以外の生き物を乗せたのは初めて……」
つまり、まんざらでもないのだろう。
人と関わらず、猫ばかりと遊んできた自分とは逆だなと思った。
何となく埋め合わせができたつもりになって、少女から目をそらし、猫達に向く。
決めなければいけないのは、家を出るかどうかだ。
兄弟の中で一番の社会不適合者だった自分が、最初に家を出るかどうかの決断をするなんて、笑えない冗談にもほどがある。
こんなニートが家を飛び出したところで、却って自分とシップの首を絞める結果になる確率も高いだろう。
とはいえ、これまで通り実家に留まり続けるのは気が咎めるのも事実。
「きっと思い出したくも無いこと聞くけど……」
「ん?」
あるいは、彼女なら。
姉妹たちと一緒に戦場に出たという彼女なら、何かを知っているだろうか。
疑問は思ったまま、ろくに言葉を選ぶこともできずに口からこぼれた。
「シップは、兄弟に先に死なれるのと、兄弟と一緒に死ぬのと、兄弟を置いて死ぬのと……どれが一番、マシだと思う?」
なかなか人に懐かない卑屈な紫の猫は、ふたつの道で選択に逡巡していた。
□
――もう輪はなくなった。
――祭りの後のようで、寂しいだけ。
【A-4/住宅街の路地裏/一日目・午前】
【松野一松@おそ松さん】
[状態] 健康
[令呪] 残り三画
[装備] 松パーカー(紫)
[道具] 猫じゃらし、救急道具、着替え
[所持金] そう多くは無い(飲み代やレンタル彼女を賄える程度)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争はやる気無いが、できれば生きて元の世界に帰りたい
1:実家を出るか、実家に残るか、迷う
【望月@艦隊これくしょん】
[状態] 健康
[装備] 『61cm三連装魚雷』
[道具] なし
[所持金] なし
[思考・状況]
基本行動方針: せっかく現界したんだからダラダラと過ごしたい
1:一松の決定に従う
最終更新:2016年01月03日 18:35