「もう迷うな――とっとと行けぇっ!!」
壊れゆく世界で、叫ぶ声を聞いた。
その声はいつも飄々としたあの兄貴らしくもない涙声で、聞いているこっちまで泣けてきそうだった。
手を引かれるまま走って、何がなんだかも分からないまま、壊れていく世界を抜けた。
何が起きているのかはやっぱり分からないままだったけれど、一つだけはっきり分かることがあった。
それは、今までの幸せな日々は終わってしまったのだということ。
ばくばくという鼓動が伝わってきそうな、汗に湿った細い手を繋いで走りながら、その寂しさに眼を閉じた。
色んなことがあった。
本当に、楽しい時間だった。
五人だけの世界はいつの間にか広がって、たくさんのあったかいものに囲まれていた。
いやだ――さよならしたくない。
けれど振り返るなと言われたから、前だけを見続けて走った。
これからどこへ行くんだろう。
ずっと止まっていた何もかもが動き出す、その意味はまだ分からなくて、不安だったから目を瞑った。
それがいけなかったのかもしれない。
目を開いた時、手を引くあいつの姿はどこにもなかった。
握っていたはずの手は、うっすらと錆の張り付いた鉄柵へ姿を変えていた。
着慣れた制服は見たこともないデザインのブレザーになっていて、頭の中にはわけのわからない記憶が雪崩れ込んでくる。
『あの世界』で過ごした思い出と、『この世界』で重ねたらしい思い出が――だぶらない。一致しない。
「どういうことだ……これっ」
わけがわからない。
ここはどこで、そもそもあたしはなんでここにいる?
理樹はどうなった? きょーすけは? みんなは?
「せいはい……? さーばんと……? なんだ、それっ。あたし、そんなの知らないぞっ」
頭の中に、『この世界のこと』とはまた違った知識がある。
聖杯戦争。
サーヴァント。
最後の一人の願いが叶う。
――知らない。覚えもない。なのに、なんでかあたしはそれを知識として知っている。
まるで兄貴の好きな漫画の中の話みたいな状況だった。
言いたいことは山ほどあるし、聞きたいことも、確かめたいことも腐るほどある。
でも、一つだけ言いたいことがあった。
あたしは柵から身を乗り出して、叫ぶ。
「うそじゃ、ない!」
この世界のあたしが持つべき思い出の中には、あいつらの姿はどこにもなかった。
理樹も、バカ兄貴も、真人も謙吾も、こまりちゃんもクドもくるがやもみおもはるかも、みんなみんな――いない。
あたしたちのリトルバスターズも、この世界にはどこにもない。
それを、雪崩れ込む思い出が教えてくれた。笑われているように感じた。
おまえたちの思い出なんて、全部嘘っぱちのニセモノでしかないんだと、げらげら笑われている気がした。
頭の中はごちゃごちゃだ。気を緩めれば泣いてしまいそうなほど心細くて、寂しい。
でも、それ以上に腹が立った。あいつらのことを嘘っぱちだなんて笑ってる、この世界へむかついた。
「あたしたちのリトルバスターズは、うそなんかじゃない!
おまえらの方こそ、出来の悪い嘘っぱちだっ! ――わかったら、とっととあたしを帰せっ!!」
あたしだってバカじゃない。
こんなところに長居することが、今すべきことじゃないくらい分かる。
だから帰せと怒鳴った。聖杯とか、サーヴァントとか、そんなものは知らないと叫んだ。
――この時のあたしは、まだ、事の重大さを何もわかっちゃいなかった。
願いを叶えるってことの意味も、サーヴァントという連中がどういうものなのかも。
更に言うなら、聖杯戦争がどういうものかさえ、正しく理解なんてしちゃいなかったんだ。
「ふむ。これはまた、随分と可愛らしいお嬢さんに召喚されたものですな」
びくんと体が跳ねた。
誰もいなかったはずの屋上に、男の声がしたからだ。
我ながら情けないほどのおっかなびっくりで振り返ってみて――あたしは、ぽかーんとするしかなかった。
真人の奴が可愛く見えるほどの、ムキムキな筋肉。
バカ兄貴が何かの悪ふざけの時に使うような大げさなマントを羽織って、頭には変な仮面をつけてて、おまけにやたらと服装がおかしい。なんというか……とにかく、そのムキムキな肉体を強調している。
一言で言うなら、あたしから……いや。女の子から見た『そいつ』は――
「へ、変態がいるーーーーーーっ!!!!???」
◆
敵は十万。
対し、与えられた兵力は三百。
勝ち目などある筈はない。何かの冗談と笑いたくなるほどの無謀な戦。
それでも、その男はただの一寸として後退することを自らへ許さなかった。
テルモピュライの戦い――殿の矜持を胸に斯く戦いし彼の者は今、英霊として仮初の再臨を遂げる。
◆
「はっはっはっはっ! 変態扱いとは手厳しいですなぁ、マスター!」
「うるさい! おまえがそんな格好してるから悪いんだろ、この筋肉仮面!!」
呵々と大笑する仮面の男に、気が立った猫のように『きしゃー』と食ってかかる少女――棗鈴。
あわや警察沙汰の邂逅であったが、鈴とて聖杯戦争の知識は大前提として刷り込まれてあるのだ。
この男がどうやら、自分の『サーヴァント』らしいことへはすぐに察しがついた。
……英雄というのだから、もうちょっとマシな見た目のやつが出てくると思ったのは内緒だ。
「あたし、おまえみたいなやつ知ってるぞっ。
おまえもあれだろっ、筋肉いぇいいぇーい! とか言ってるくちだろっ!」
「ほうほう……どうやらマスターのご友人には、私と気の合いそうな御仁が居るようだ!
もしよろしければ後日、紹介をお願いしたいところですな! ええ、是非ともお願いしたい!」
「絶対嫌だ! おまえとあいつが一緒にいるところとか、想像するだに暑苦しいわ!!」
体育会系のノリ、というやつだ。
このサーヴァントは、それを地で行っている。
しかもそこに嫌味が一切なく、気持ちいいほどに暑苦しい。
鈴にはすぐに分かった。こいつはバカだ。それも、めんどくさいタイプのバカだ。
というかこいつ、本当に頼りになるんだろうか……
鈴はジト目で、素顔を隠したまま笑っている自らのサーヴァントに不安を抱く。
見た目は確かに強そうだが、ゲームや漫画だと、こういうタイプは基本的に見た目通りの脳筋タイプと相場が決まっている。
「おっと、そういえばマスター。一つ問うておこうと思っていたことがありまして」
「?」
ごほんと咳払いをして切り出す英霊に、鈴は小首を傾げる。
何を改まって、と思った。
すると英霊は、仮面の奥から鈍く光る眼光を覗かせて――先ほどまでの愉快痛快な様子はどこへやら、真剣なトーンでおのれのマスターへと問いを投げかけた。
「マスターは、この聖杯戦争へ……如何なる形で臨むつもりですかな?」
「……なに言ってるんだ? どういうことだ。言ってる意味がわからないぞ?」
「マスターの望みは、元いた世界への帰還――でしたな。
であれば極論、聖杯を獲らずとも良いわけです。生き残ることさえ叶えば、それで」
「あ……」
「英霊として召喚されたからにはこの私、粉骨砕身の気構えでマスターの為に奮戦する所存。
しかしながら、これだけは明らかとしておかねばなるまいと思いましてな。
すなわち――聖杯を狙うのか、それとも、あくまで生き延びることだけを狙うのかを」
彼の言うことは、至極もっともだった。
聖杯戦争は中途半端な心構えで挑めるほど、生易しい戦いでは決してない。
今の鈴のような、やるべきことも成したいことも半端なままの状態では、きっと遠からぬ内に破綻が訪れるだろう。
歴戦の勇士である彼女のサーヴァントはそれを察知し、こうして問いかけた次第だった。
「マスターには、聖杯へ託したい願いはないのですかな?」
聖杯に託したい、願い。
そんなズルして叶えたいことなんてないぞ、と答えようと思ったが――鈴は、それを口に出来なかった。
「……なぁ」
「ふむ?」
「聖杯ってのは、ほんとになんでも願いを叶えてくれるのか?」
思い出すのは――あの世界の最後で見た、グラウンドの光景。
「……万能の願望器の名は伊達ではありません。
申し訳ないが、私もこの目でその効能の程を確認したわけではありませぬが――」
「……」
「大概の願いならば、聖杯は叶えるでしょう。そこについては信じても良いかと思われます」
そっか。
鈴は小さな声で呟いて、鉄柵の向こうに広がる街を見下ろした。
やっぱりここは、あたしの居場所じゃない。
みんながいない。理樹のいない世界。
帰りたい――いや、帰るだけじゃだめだ。
「あたしは、……聖杯がほしい」
別にお金持ちになりたいとか、そんなつまらないことを願うつもりはない。
棗鈴が聖杯へ託す望みはたった一つだ。
それは聞きようによってはとてもちっぽけで、それこそつまらない願い事。
でも、それは鈴にとっては――どんな富や栄誉にも代え難い、価値のある願い事だった。
「そんでもって、全部終わらせたい。
全部終わったあとで、みんなでまた前みたいに遊びたい。だから――」
鈴は自分のサーヴァントに向き直って、毅然とした瞳で言った。
わからないことは沢山ある。それでも、これだけは譲れない――そんな意志の光が未熟な瞳を照らしている。
「――ランサー。あたしを勝たせろ」
「御意。マスター」
サーヴァント・ランサーは主の命に、軽口一つ叩くことなく頷いた。
その姿はまぎれもなく英雄のものであり、鈴に先程まではなかった確かな頼もしさを感じさせる。
――勝つんだ。そして、帰ろう。
「サーヴァント・ランサー。スパルタ王、レオニダス! この命尽き果てるまで、御身を守り通すことを誓いましょう!」
そうして――弱い少女の聖杯戦争がはじまった。
【クラス】
ランサー
【パラメーター】
筋力B 耐久A 敏捷D 魔力C 幸運C 宝具B
【属性】
秩序・中庸
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
【保有スキル】
殿の矜持:A
テルモピュライの戦いにおいて発揮された力が技能化したもの。
防衛戦、撤退戦など不利な状況であればあるほどに力を発揮するユニークスキル。
戦闘続行:A
往生際が悪い。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
【宝具】
『炎門の守護者(テルモピュライ・エノモタイア)』
ランク:B 種別:対軍宝具
レオニダスの名を世界に知らしめたテルモピュライの戦いを再現するため、まず伝説の三百人が召喚される。
宝具で召喚された三百人はレオニダスと共に敵の攻撃を耐え抜き、その分だけ強烈な攻撃を返す。
耐え切った人数が多ければ多いほど、その威力は向上する。
【weapon】
槍。
【人物背景】
スパルタ教育という語源となった国、スパルタの王。
侵攻する十万人のペルシャ軍を食い止めるため、わずか三百人で立ち向かったデルモピュライの戦いで有名。
本人は認めたがらないがそれなりに脳筋なのできちんと操縦するべき。
【マスター】
棗鈴@リトルバスターズ!
【マスターとしての願い】
聖杯を手に入れて、元の日常を取り戻したい
【weapon】
なし
【能力・技能】
なし。ただ、身体能力は結構いい
【人物背景】
リトルバスターズの一員にして、作中のメインヒロイン。
今回はRefrain、虚構世界からの脱出~現実での覚醒までの間からの参戦となる。
【方針】
勝ちたい。
最終更新:2015年12月08日 01:54