| 時間 | 出来事 |
| 0017 | アブハジアにロシア空挺兵到着。情報保障担当平和維持軍司令官補佐官アレクサンドル・ノヴィツキーの言葉によれば、兵士は、「アブハジアに対するグルジアの軍事侵略の妨害」を目的として投入された。 |
| 0023 | ツヒンヴァリ、再び砲撃。 |
| 0026 | 8月10日、トルコのジャーナリスト、グライ・イルヴィン・セキンツが地雷の爆発で負傷。南オセチアの医師が緊急治療を行った後、北オセチアに後送された。 |
| 0110 | 南オセチアで、グルジアの破壊工作19人が捕虜。捕虜は、警備下に置かれ、南オセチア住民は、独自の裁判所を設置。 |
| 0122 | グルジア内務省によれば、ロシア砲兵がゴリ市砲撃を開始。 |
| 0157 | ロシアとグルジア、紛争地帯で空軍を使用しないことで合意。ロシア平和維持軍司令官セルゲイ・チャバンの指摘によれば、合意はツヒンヴァリ地区に及んでいる。 |
| 0237 | 平和維持軍司令官補佐官によれば、ツヒンヴァリ砲撃が停止した。 |
| 0328 | 北オセチア、南オセチアに義勇兵2,500人を派遣。 |
| 0400 | 「コメルサント」紙の情報によれば、戦死したイーゴリ・ルジャヴィチンと捕虜となったイーゴリ・ジノフは、ロシア国防省チカロフ名称GLITs(アフトゥビンスク市)のテスト・パイロットだった。ロシア空軍報道局は、この情報へのコメントを拒否した。 |
| 0416 | アブハジア、コドリ峡谷砲撃を再開。 |
| 0424 | フランス外務相ベルナール・クシュネルは、サアカシュヴィリとの会談において、紛争調停計画を提出した。計画の基本内容は、即時停戦、負傷者への医療援助の提供、並びにロシア軍とグルジア軍の紛争地帯からの撤退である。サアカシュヴィリは、グルジア国境を侵犯したロシアだけが対立に終止符を打てると表明した。 |
| 0457 | 米副大統領ディック・チェイニーは、「ロシアの侵略は、報復なしではすまない」と表明した。 |
| 0524 | グルジア内務省代表ショティ・ウチアシヴィリの言葉によれば、爆撃の結果、グルジアの軍事基地が破壊された。爆弾は、トビリシ、マハト山地地区に投下された。 |
| 0614 | ロシア国防省の情報によれば、3日間で92人が戦死し、南オセチア住民の犠牲者は2千人を超え、3万人以上が難民となった。 |
| 0618 | グルジア内務省、トビリシ郊外の軍事基地破壊の報道を否定。爆弾は、無人地域に投下された。 |
| 0658 | キューバ大統領ラウル・カストロは、南オセチアからのグルジア軍の撤退に関するロシアの要求を「正当」であると表明。 |
| 0726 | 平和維持軍司令官マラート・クラフメトフの言葉によれば、8月11日の夜、ツヒンヴァリ地区南部で、グルジア軍とロシア軍の衝突が継続。平和維持軍の哨所の1つは、グルジア空軍により爆撃された。 |
| 0824 | 人道援助を積んだロシア非常事態省の縦隊が南オセチア入り。ツヒンヴァリには、食料52.5t、野戦病院2ヶ所、500人分のテントが搬送された。 |
| 0851 | 南オセチア政府代表イリーナ・ガグロエワの言葉によれば、グルジアは、洪水を起こすために、灌漑用の水門を開いた。 |
| 1010 | グルジア外務省、トビリシ上空に50機のロシア爆撃機が出現と表明。首都郊外のコジョリ村に爆弾が投下された。 |
| 1015 | ツヒンヴァリの夜間砲撃の結果、平和維持軍兵士3人が戦死、18人が負傷、民間人6人が重傷。 |
| 1020 | アブハジア、グルジア軍に人道回廊を通ってコドリ峡谷を離れるように提案。アブハジア軍は、コドリ上流部を完全に封鎖し、グルジア軍撃滅作戦開始を準備。 |
| 1050 | ロシア平和維持軍、コドリのグルジア軍に武装解除を要求。 |
| 1050 | アゼルバイジャンの国営航空会社「アゼルバイジャン・エアライン」は、バクー-トビリシ便の飛行の一時停止を表明。 |
| 1206 | リトアニアの民間航空会社flyLAL - Lithuanian Airlinesは、今週計画されていたトビリシ便を取り消した。 |
| 1224 | グルジアのバトゥーミ港封鎖。 |
| 1243 | ツヒンヴァリからロコスキー・トンネルへの道路に対する砲撃が停止し、情況は安定した。郊外の居住区からの民間人の疎開が続き、ツヒンヴァリには、戦車と自走砲を含む軍用車両が引き続いている。 |
| 1252 | 駐NATO露全権代表ドミトリー・ロゴジン、ロシア・NATO緊急会議を要求。 |
| 1255 | ロゴジンの言葉によれば、ロシアは、グルジアと対話の用意はあるが、その大統領とはではない。 |
| 1302 | 「グルジア・オンライン」によれば、アブハジア沿岸にロシアの潜水艦発見。 |
| 1305 | メドヴェージェフ大統領の表明によれば、紛争地帯での「平和強制作戦」は、大部分終了した。彼の言葉によれば、ツヒンヴァリ市は、ロシア平和維持軍の支配下に入った。 |
| 1307 | ロシア連邦軍参謀次長アナトーリー・ノゴヴィツィンによれば、紛争地帯で2機のSu-25が失われた。彼はまた、グルジア領内での戦死者が18人(将校1人、下士官・兵17人)に達したと表明した。 |
| 1307 | コドリ峡谷のグルジア軍、武装解除を拒否。 |
| 1310 | ロシア連邦軍参謀本部によれば、アメリカ機がイラクからグルジア兵を輸送した。 |
| 1330 | 南オセチア援助のための義勇兵9千人がウラジカフカーズに集結。 |
| 1331 | 航空会社Lufthansa、トビリシ便を取消。Austrian Airlinesもこれに同じ。 |
| 1331 | ロシア連邦軍参謀次長ノゴヴィツィン大将によれば、ロシア空軍は制空権を確保し、グルジア機は空を飛んでいない。 |
| 1335 | 「グルジア・ニュース」社によれば、サアカシュヴィリ大統領は、フランスとフィンランドの外務相が準備した停戦文書に署名した。 |
| 1352 | ロシア連邦軍参謀次長ノゴヴィツィン大将によれば、サアカシュヴィリ大統領による停戦の表明は欺瞞である。 |
| 1358 | FSB長官アレクサンドル・ボルトニコフが大統領に報告したところによれば、ロシアで軍事施設の偵察を行い、テロを準備していたグルジア特務機関のエージェント9人を拘束した。 |
| 1405 | FSB長官の言葉によれば、隣国からダゲスタンに1万5千人の外国人傭兵が投入された。現在、FSBは、CIS諸国のパートナーと共にこのグループを「処理」している。その外、北カフカーズ情勢の先鋭化と関連して、南部連邦管区におけるFSBの活動の強化が指示された。 |
| 1405 | FSB長官、南部連邦管区の国境警備の強化を委任。 |
| 1405 | ロシア連邦軍参謀次長の言葉によれば、「我々は、石油パイプラインを爆撃しなかった。そのような打撃は、重大な経済的結果をもたらし得る」。 |
| 1409 | グルジア、ハーグ裁判所にロシアを提訴。グルジア外務次官エグラゼの表明によれば、「資料では、グルジア領土におけるロシアの行動を含めて、1992年から今日の事件に至るまでのアブハジア戦争時のグルジア人のジェノサイドに関する事実が語られている」。 |
| 1424 | ロシア非常事態省の縦隊、銃撃のためツヒンヴァリに到達できず。縦隊は、ツヒンヴァリからほぼ10kmで停止し、軍用車両が先行している。 |
| 1430 | チェチェンから南オセチアへのヴォストーク及びザーパド大隊の配置換えは実施されておらず、計画もされていない。 |
| 1434 | サアカシュヴィリ、グルジア攻撃及びロシアの侵略と西側の戦争に関する記事に署名。 |
| 1435 | ロシア連邦軍参謀本部、イラクからのグルジア兵の再投入に適切に対応することを約束。 |
| 1443 | ロシア、南オセチアの兵員数を増加。 |
| 1443 | プーチンによれば、「我々の若干のパートナーは、援助どころか、妨害すら試みているのが残念だ。私は、イラクからの米軍輸送機によるグルジア軍部隊の事実上の紛争地帯への輸送も含めて懸念している」。 |
| 1449 | イスラエルのマスコミによれば、アメリカは、在イラク米軍用の武器のヨルダンからグルジアへの航空輸送路を組織した。 |
| 1449 | プーチンによれば、ロシアは、論理的終結まで南オセチアで任務を果たすだろう。プーチンはまた、ロシアは「グルジアを含む全ての紛争関係国との作業関係の着手」を求めるだろうとも強調した。 |
| 1451 | Human rights watch、紛争の報道において、西側マスコミを「プロパガンダと偽情報」だと呼ぶ。 |
| 1451 | サアカシュヴィリ、ユシチェンコの支持に感謝。 |
| 1451 | メドヴェージェフ、在グルジア・ロシア人の暴力的排除を受け入れ難いものと呼ぶ。 |
| 1459 | メドヴェージェフ、内務相に在露外国人の保護を要請。 |
| 1500 | 英欧州問題相ジム・マーフィーによれば、G7諸国は、南オセチアからの撤退をロシアに働きかける。 |
| 1501 | ロシア連邦軍参謀本部と北オセチア当局によれば、ウラジカフカーズの病院には、グルジア側で戦い、南オセチアでの戦闘行動で負傷した外国人がいる。 |
| 1505 | グルジア空軍はツヒンヴァリを爆撃し、砲兵はロシア平和維持軍の陣地を砲撃している。 |
| 1512 | ハッカーの攻撃により、グルジア外務省のHPがブログに移行。 |
| 1513 | ロシア人ジャーナリスト2人が、グルジア領内で行方不明。 |
| 1520 | ロシア政府、南オセチア紛争で被災したロシア市民への一時援助の提供、並びに5万ルーブルまでの喪失財産の補償に関する決定を採択。 |
| 1524 | 南オセチアからの難民1,400人がグルジア領土に移った。一方、ロシアには3万人以上が出た。 |
| 1525 | サルコジ大統領、紛争両国の調停を決定。8月12日にトビリシ着。 |
| 1525 | ベラルーシ、グルジアに軍事援助を行わないと約束。ウクライナは、人道援助のみを約束。 |
| 1526 | ツヒンヴァリで、水道が復旧。 |
| 1541 | グルジア外務省、南オセチアで「平和的なグルジア市民が大量に逮捕された」と表明。 |
| 1541 | ドイツ首相アンゲラ・メルケルは、ロシア訪問を取り消すつもりはなく、南オセチア紛争の調停の審議にのみ集中する。 |
| 1546 | グルジア、南オセチア砲撃を再開。砲撃は、サアカシュヴィリの停戦条約署名後、1530頃まで続いた。 |
| 1546 | 「アルムロスガスプロム」によれば、「8月7日から、グルジアの石油・ガス会社は、アルメニアへの天然ガスの供給量を無警告で30%削減した」。 |
| 1546 | プーチン首相によれば、ロシアは、終戦後も南オセチアを見捨てない。 |
| 1559 | メドヴェージェフ大統領、1938年のミュンヘン条約を例に挙げ、平和強制こそが唯一可能な戦術だと語る。 |
| 1601 | 駐アゼルバイジャン露大使館付近で、約20人が集会。 |
| 1603 | ロシア大統領、南オセチアへの使節派遣をOSCEに提案。 |
| 1605 | ウクライナ、ロシアと軍事紛争での黒海艦隊の使用に関する条約を締結することを決定。 |
| 1606 | サルコジ大統領は、ロシア・グルジアを訪問し、両大統領と紛争の平和的調停の詳細を審議するだろう。 |
| 1608 | ロシア地域発展相ドミトリー・コザクによれば、南オセチア復興計画は、終戦2週間後に準備される。 |
| 1610 | ロシア外務省によれば、南オセチアで民間人1,600人が死亡した。 |
| 1620 | ロシア外務省によれば、360人以上のロシア市民がグルジアを出国できないでいる。 |
| 1620 | 人道援助を載せたロシア非常事態省の縦隊、ツヒンヴァリに到着。 |
| 1630 | エレドヴィ地区でロシア・南オセチア軍を攻撃していたグルジアのSu-25撃墜。 |
| 1639 | ロシア外務省は、サアカシュヴィリが終戦後政権に留まるかどうかは、ロシアにとって意味はなく、グルジア大統領の交代を目的とはしないと表明。 |
| 1639 | バルト諸国とポーランド、ロシアとの接触方法を問題提起。 |
| 1644 | ロシア連邦院、南オセチアでの犯罪の議会調査を発議。 |
| 1644 | ロシア外務省、停戦の話は、南オセチア砲撃が実際に停止するまで意味はないと考える。 |
| 1644 | グルジア外務省によれば、ロシア空軍がサナキ空軍基地を爆撃。 |
| 1650 | ロシア国防省によれば、サアカシュヴィリの停戦に関する表明は、何の価値もない。 |
| 1700 | ロシア空軍に爆撃されたゴリ市訪問中、サカシュヴィリ大統領は、防弾チョッキを着用して姿を現した。 |
| 1702 | ツヒンヴァリの共和国病院の患者全員、北オセチアに後送。病院の建物は、グルジアの砲撃によりほぼ完全に破壊された。 |
| 1710 | グルジア国境警察によれば、ロシア市民の出国を妨げる者はいない。 |
| 1717 | 米国務省によれば、G7は、サアカシュヴィリの停戦の呼びかけに従うようロシアに訴えた。ロシア側の主張によれば、グルジアは、南オセチア砲撃を継続。グルジアからいかなる提案も、受け取っていない。 |
| 1722 | グルジア、ロシア機19機撃墜と主張。ロシアは、4機の喪失を公式に認めた。 |
| 1730 | ツヒンヴァリ住民、ロシア平和維持軍を称えて、通りを呼ぶことを決定。 |
| 1740 | グルジア外務省によれば、ロシア軍は、グルジアの縦深40kmまで進出。 |
| 1740 | アメリカの外交官、家族をグルジアからアルメニアに疎開。 |
| 1745 | ロシア、南オセチアでのグルジア市民の拘束に関するグルジア外務省の主張を否定。 |
| 1750 | ロシア国防省の確認によれば、ロシア軍は、セナキ市に接近。 |
| 1800 | ツヒンワリからの難民を乗せた縦隊、クルタ村地区で銃撃。 |
| 1800 | グルジア内務省代表ショタ・ウチアシヴィリによれば、ロシア兵とアブハジア兵が、グルジアのズグディド地区のフルチャ村を占領した。 |
| 1815 | ロシア平和維持軍、無抵抗で西グルジア縦深への進撃を継続。目撃者によれば、グルジア軍は西部を離れた。 |
| 1815 | ロシア、南オセチア復興に100億ルーブルを確保。 |
| 1824 | イスラエル外務省、紛争地帯での停戦を両国に要請。 |
| 1836 | フランスとフィンランドの外務相、ウラジカフカーズとトビリシに到着。両外務相は、和平調停の仲介者となる。 |
| 1839 | ドイツ、紛争地帯の被災者に100万ユーロを割り当てる。 |
| 1846 | Reutersの通信員の証言によれば、6機のグルジアのヘリが、ツヒンワリ郊外を攻撃。 |
| 1846 | サアカシュヴィリによれば、「グルジアは、戦争に引き込まれた」。 |
| 1855 | FSBによれば、毎日、2千~2,500人のロシア人が南オセチアに到着した。 |
| 1907 | ロシア国防省によれば、GRUの特殊部隊であるヴォストークとザーパド大隊の2個中隊が南オセチアに投入された。 |
| 1928 | ロシアの通信会社、南オセチア難民に無償でサービスを提供。 |
| 1928 | ロシア検察庁の捜査官、グルジア兵による住民の大量殺害の証拠収集を開始。 |
| 1930 | ロシア連邦会議、南オセチアに関する国際裁判所設置を訴える。 |
| 1930 | 刑事捜査の専門家を南オセチアに派遣。 |
| 2002 | チェチェン人特殊部隊は、森林地帯を掃討し、狙撃手と戦うだろう。 |
| 2004 | NATO、紛争地帯の状況についてロシアと話し合うことに同意。 |
| 2015 | グルジア安全保障会議書記カハ・ロマヤによれば、ロシア軍はゴリ市を奪取した。 |
| 2025 | サアカシュヴィリ、トビリシ防衛のため部隊を集結。 |
| 2025 | グルジア外務次官グリゴル・バシャゼによれば、ロシア兵がセナキ市の基地を奪取した。ロシアは、この情報を否定。 |
| 2100 | NATO附属ロシア常任代表ドミトリー・ロゴージンによれば、グルジアは、人道援助として包帯5千~1万セットをNATOに要請した。 |
| 2134 | 赤十字、ロシア人捕虜と面会。 |
| 2154 | サアカシュヴィリによれば、ロシア軍は、国土の大部分を支配している。 |
| 2235 | サアカシュヴィリは、明日までには首都を脅かすものはなくなると語り、トビリシ住民を安心させた。 |
| 2250 | ロシア国防省、トビリシ攻撃に関するグルジア当局の表明を否定。 |
| 2259 | ロシア軍、セナキ市から撤収。 |