~ 【質問 kérdés】
 八幡製鉄所の歴史を簡単に教えてください.
Kérem, mondja meg a Jahata Vasmű rövid történeteről.

 【回答 válasz】
 富国強兵のシンボル,官営八幡製鐵所.

 教科書にも載り,その名を誰もが一度くらいは聞いたことがあるでしょう.
 ですがこの八幡製鉄所がその後,どのような歴史を辿ったのかについてはあまり知られていません.
 ここで簡単に,八幡製鉄所の歴史を紐解いていきましょう.
「これは実話であり,ネットの記録,ネットの分析,ネットの証言を元に(以下略)」

 明治政府は1897(明治30)年,筑豊炭田に近く洞海湾に面した八幡村(現・北九州市)に官営八幡製鐵所建設に着工.
 1901年(明治34年)2月5日に東田第一高炉で火入れが行われます.

 当初は,相次ぐトラブルにより高炉を休止.
 その後,1904(明治37)年2月に日露戦争が勃発し,鉄の需要が急激に増えたため,コークス炉を完成させて4月6日に第2次火入れ.
 しかしこれも17日で操業停止となってしまいます.

 そこで政府は,釜石鉱山田中製鉄所の顧問だった東京帝国大学工学部元教授・野呂景義に原因調査を依頼.
 炉内をより高温に保つため,高炉の形状を改め,操業方法も改善し,7月23日に第3次火入れ.
 ようやく順調に操業できるようになりました.

 その後,鉄需要の増加と共に,八幡製鉄所は拡張を続け,国内の大半の需要をまかなえるまでに成長します.

 しかし1918(大正7)年,第一次世界大戦終結により戦争景気が去り,世界的に深刻な景気後退局面に.
 鉄鋼業も経営危機に陥る一方,全国各地の事業所で労働組合を結成し,待遇改善の動きが加速.

 八幡製鉄所には日本労友会,友愛会支部の2組合がありました.
 「労働総同盟友愛会八幡支部」は八幡製鉄所における最初の労働組合で,1917(大正6)年に結成.
 当時,労働組合の多くが企業内結合であるのに対し,友愛会は企業の枠を超えた横断組織でした.

 その後,1919(大正8)年に友愛会から「日本労友会」が独立.
 この労友会は1920(大正9)年1月,大戦の影響がまだ続いておりインフレのため,生活難であることを理由に,給与の増額,労働時間の短縮,住宅料の支給等を要求.
 所側はこれを受け容れず,全所的規模でのストライキが二派に渡って発生.
 構内の作業中止の強要から始まり,製鉄所各職場への投石,構内本事務所への押しかけ.その参加者は2000名におよびました.
 騒擾による施設の被害も写真に記録されています.
 労友会指導者・浅原健三は著書『鎔鑛爐の火は消えたり』において「大鎔鑛爐の火が落ちた」と言い,一方,『八幡製鉄労働運動史』上巻は「(中略)当時の記録によれば,この争議によるも熔鉱炉の火は消すことができなかったとあることを附記」と記載しています.
 八幡製鉄所の技師で“高炉の神様”と呼ばれた田中熊吉が,ストに際して「溶鉱炉の火を消すな」と高炉操業を陣頭指揮したと伝えられています.

 どちらが事実かはともかく,このストにより製鉄所の全機能がマヒ状態に陥ったことは間違いなく,219名の解職処分,349名を検挙.浅原も治安維持法により検挙.
 一方で八幡製鉄所は待遇改善として,賃金増額の他,勤務時間12時間2交代制を実働8時間3交代制に,常昼勤12時間制を実働9時間制に変更する事を発表.
 戦前の労働運動史上でも屈指の大争議として上げられています.

 さて,八幡製鉄所は当初農商務省管轄でしたが,1925(大正14)年,農務省と商務省の分割によって商工省工務局へと移管.
 1934(昭和9)年には民間業者と合同して日本製鐵(日鉄)が発足します.
 会社の設立方式は現物出資.
 「日本製鐵株式會社法」(日鉄法,1933年施行)で規定された半官半民の国策会社でした.

 ところが日米関係悪化により,アメリカによる屑鉄などの禁輸出措置がとられ,八幡製鉄所のみならず日本の鉄鋼業全体が重大な危機に直面します.
 太平洋戦争勃発後は戦局悪化により南方からの鉱石資源も途絶え,備蓄資源も徐々に払底.
 1944年(昭和19年)には,当時唯一の輸入先である中国からの鉱石や良質の強粘結石炭の輸入も途絶え,高炉操業の継続が困難になり,八幡の3基以外は操業停止.

 さらに1945年8月8日には八幡大空襲があり,八幡製鐵所も殆どの設備が壊滅.
 幸い,高炉と最低限鉄を生産する設備は,修復すれば使える状態であり,終戦当時,日本で生き残っていた高炉は八幡製鐵所の3基だけだったそうです.

 戦後の1950(昭和25)年,日鉄は解体され,八幡製鐵所は後継会社の一つ,八幡製鐵に属することに.
 鉄鋼業の指標となる粗鋼生産量は発足当初,約150万トン(1950年度実績)でしたが,1951(昭和26)年から始まった3次にわたる合理化によって能力増強と老朽化した設備の近代化を行い,1969(昭和44)年度には粗鋼生産量は1600万トンに到達.
 加えて橋梁・配管工事や建築物の建設,製鉄関連設備の製作も行いました.

 1965(昭和35)年,八幡製鉄事件発生.
 同年3月14日,八幡製鉄所の代表取締役2名が同社の名において,自民党へ350万円の政治献金をしたのですが,この行為を
「政治献金は定款所定の目的を逸脱するものであり,取締役2名の行為は商法で規定されている『取締役の忠実義務』違反である」
として,株主の一人である某老弁護士が,該当取締役2名に対して損害賠償責任を追及する訴えを提起するよう会社に要求.
 しかし会社は訴えを提起しなかったので,この弁護士は件の取締役を被告として株主代表訴訟を提起.
 八幡製鐵の定款は「鉄鋼の製造及び販売ならびにこれに付帯する事業をその目的とする」旨定めていましたが,
「政治献金は付帯事業ちゃうやろ!」
というツッコミが入ったのです.

 この裁判は,会社による政治献金が適法であるか否かを争点として,最高裁まで争われることになりました.
 1975(昭和45)年6月24日,最高裁判決.
 判決では
(1) 国民の権利・義務の各条項は,性質上可能な限り,内国の法人にも適用される
(2) 定款所定の目的とは,定款に明示された目的自体に包含されない行為でも,その目的遂行に直接または間接に必要な行為については,目的の範囲内に属すると解される
(3) 政党は議会制民主主義を支える不可欠な要素であり,法人にもその発展への協力が当然に期待されてるとして,法人も政治資金の寄付の自由を有する
――とされました.

 1970(昭和45)年3月31日,過当競争による需給アンバランスを是正し,国際競争力を強化する目的で,八幡製鐵と富士製鐵とが合併.
 新日本製鉄株式会社が誕生しました.
 八幡製鐵・富士製鐵のどちらも日本製鐵を前身とし,国内で1・2位の規模を持つ大手高炉メーカーでした.
 ちなみに手続上は八幡製鐵が存続会社となって新日鉄に社名を変更し,富士製鐵は解散したという形です.

 1980年代に入り,日本経済の成熟化とソフト化の進展,プラザ合意後の円高など,鉄鋼業をめぐる環境は激変.
 1988年(昭和63)には高炉1基体制となりましたが,現在では表面処理鋼板や電磁鋼板を始めとする薄鋼板と,一部の条鋼・鋼管の製造拠点となっています.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/site/yawata/component01.html
https://www.nipponsteel.com/works/kyushu/yawata/about/history.html
http://www.japan-kyushu-tourist.com/blog-00040591/
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%B1%91%E9%89%84%E7%A6%81%E8%BC%B8%E6%8E%AA%E7%BD%AE-1359237
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30579760W8A510C1000000/
https://kotobank.jp/word/八幡製鉄所争議
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000069473
http://www.yahata-library.jp/ippan/jin5.html
https://core.ac.uk/download/pdf/6390264.pdf
http://gauss0.livedoor.blog/archives/5669446.html
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:AuGucc8EaosJ:www.japan-kyushu-tourist.com/category/blog/%25E4%25B8%2596%25E7%2595%258C%25E9%2581%25BA%25E7%2594%25A3%25E7%2589%25A9%25E8%25AA%259E/page/5/+&cd=22&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_hu%7Clang_ja
https://gyosyo.info/%E6%9C%80%E5%A4%A7%E5%88%A4%E6%98%AD45-6-24%EF%BC%9A%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%A3%BD%E9%89%84%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%8C%AE%E9%87%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6/
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12001/11000/1/Vol9No1p1.pdf
https://dokugaku-koumuin-no1.com/precedent/yahataseitetu/
八幡製鉄事件(最判昭和45・6・24,百選11事件)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-34/nakajima.htm

八幡製鐵所変遷

https://t.co/Pn5ylPPaBD
(図No.,こちらより引用)

製造業界板,2020/12/16(水)

https://mao.5ch.net/test/read.cgi/industry/1607056542/182-183
青文字:加筆改修部分

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最終更新:2021年03月13日 22:18