第四幕 忙しき日々


 海岸一帯に五月蝿く重機の音が鳴り響く。
 そこかしこに建物が建てられ、都市と言えるような光景がそこにはあった。
 建設作業に従事している人の住む場所としてプレハブ住宅が並び、食堂、簡易病院、大浴場などの施設まで既に作られていた。一時期、それらを使うのに必要な電力を確保するための発電所の建設が問題になったが、核融合炉を搭載した大型巡洋艦を代用品にするという荒技でクリアした。
 そして、ついこの間完成した港には、飛鳥島からの輸送船が何隻も到着していて、積まれた大量の荷を降ろしており、さながら、貿易にやって来た船という印象を受ける。

 しかし、そういった施設以外にも厳重なバリケードやトーチカが設けられ、塹壕、迫撃砲陣地などで補強されていた。
 何があるか分からない、準備して置いて損はない。そういった考えから作られた軍事施設だった。

 そして、ここの総指揮を任され、拠点建設の任を負っている紫芝は現在……大量の書類との格闘を強いられていた。








 大陸派遣軍臨時総司令部
 司令官執務室

「……死ぬぞ、この量は」

 紫芝の机の上には広辞苑を三個か四個積み重ねたような量の書類があった。
 ただそれは机の『上』にあるだけの量であり、床にはそれがまだ三セットは残されていた。

 誰でもいいから手伝えッ! というより、自分一人にこんなに回すんじゃない!
 明らかに一人で処理可能な量を容易に突破しているだろうがッ!?

 冷静を保つのにも限界がある。臨界点突破。
 そんな事をグチグチ考えていると、部屋の扉が突然開け放たれた。

「紫芝閣下、書類にサインをお願いします」

「嫌がらせとしか思えん行動だな、おい」

 いい加減、限界を迎えていた紫芝は堪忍袋の緒が今にも切れそうだった。
 しかし、今入ってきた『桐山十郎』中佐は、それを異に介した様子も無く答える。

「仕方ありません。何処も人手は不足してるんですから」

「それは分かる。分かるが、何で私を直接補佐する人間すらいないんだ」

「……人手不足ですから」

「その間は何だ! その間はッ!」

 苛立ちを増す紫芝。その話し相手の桐山は何処か遠くを見て呆けていた。
 それに酷く紫芝は腹が立った。

「フンッ! まぁいい、さっさと書類を置いて出て行け。見ての通りやることが山のようにあるのだ」

「了解です……あぁ、ついうっかり忘れてました。閣下に吉報です」

「吉報?」

「はい、露骨に催促しただけに一個中隊規模の司令部要員を回してくれました。本日到着の輸送船に搭乗しているようで――」

「それを早く言えッ!」

 ロケットスタート。桐山が伝え終わる前に猛スピードで駐車場へ走り出す。

 ようやく、ようやく自分の仕事がまともにできるようになる。
 睡眠不足に悩まされずに済む。食事の時間も削らずに済む。風呂にきちんと入る時間もできる。

 廊下を走り、角を曲がり、階段を『飛び降り』、更に廊下を走って駐車場に付く、そして、いざ車に乗ろうとした時に気が付く。

 鍵を忘れた、と。








「随分と笑わせてくれますね、閣下は」

「五月蝿い黙れ。軍法会議にかけて銃殺刑にするぞ」

 クスクスと笑う桐山に目を合わせずに羞恥に顔を赤く染めてぶっきらぼうに言う。

 普段であれば、こんな失態はやらかさない。という事は、思ってた以上に自分が参っているということだ。
 予想以上の自分の消耗に紫芝は若干の焦りと驚きをその身に感じていた。

 一方、目の前にいる男は、そんな紫芝の心の動きに気付く事無く、話を続けていた。

「それにしても、誰もすぐに来るとは言ってないじゃないですか。『本日到着』と言っても時刻としては夕方ですよ?」

「だからッ!」

 もう、ぷっち~んと頭の血管が切れて、盛大な血飛沫を上げる秒読みに入っている状態。
 流石にヤバイと思った桐山はこれ以上『イジる』のをやめにする。大層残念なのは言うまでもないが。

「さて、そんな事よりも、ちゃっちゃと仕事を終わらせましょう。これ以上溜め込むのは本当に拙いですから」

「言われなくともそんなことは分かっている……」

 渋々といった様子で、丁寧に一つ一つ書類を片付けていく紫芝。
 今を乗り越えれば、すぐに楽になる。
 それを心の柱に黙々と細かな文字に集中していった。

 それを見届けた桐山は邪魔にならないよう静かに退出した。

 部屋を出たところで、ポツリと呟く。

「公の場では、冷静沈着でクールなのに……やっぱ、紫芝閣下も人間ってことですよね」

 桐山は、時々思い出し笑いをしながら、自分の仕事場へと戻っていった。








「ハッ……しかし、今は……え、宜しいので?」

 困惑の表情を浮かべながら、電話で話しているのは『小林信也』中佐であった。

「はい……ですが、はぁ……承知しました」

 納得のいかない事であったが仕方なく了解した、と言うのがまる分かりだった。
 小林は、受話器を元に戻すと自分の机の上においてあるビンを取る。胃薬だ。
 彼は毎日が気苦労で満たされていた。胃薬がなければ、まともに生活ができないほどに。
 ふと、彼の足元を見れば、同じような胃薬のビンが二つ、三つ転がっているのが分かる。もっとも、それらには既に中身がなかったが。

「はぁ……」

 何で自分はこんな所にいるんだろう。常々疑問に思う。
 自分は平穏で自堕落な生活を送っていくのが夢なのに、それがなんで……。

 深い溜息をつく。もう今日だけで何度目の溜息だろうか。

「調子はどうだね、小林中佐殿?」

 若干ふざけた感じが入った言葉に反応して、声のした方へ顔を向ける。

「勿論最悪だよ、桐山中佐」

 私は不機嫌です、というオーラを身に纏いながら言う小林。
 表情も眉間にこれでもかと言わんばかりに皺を寄せていることから相当の不機嫌ぶりが容易に窺えた。

「今、誰かと話してたみたいだけど……」

「別に、大した事じゃないよ」

「そうか」

 特に深く詮索せずに追求は控える。教えないということは、その必要がないということと同じ意味なのだ。
 そういうことに首を突っ込んでも碌な事にならないのは、短い人生経験でもよく理解していた。

「じゃ、仕事をしよう。書類で苦しんでいるのは閣下だけじゃないんだから」

「……そうだな。この分だと今日も徹夜か」

 全く冗談じゃない。これ以上は本当に勘弁して欲しいぞ畜生。
 愚痴を吐いた所で事態は好転しないのは分かっているが、腹に溜め込んだストレスを少しでも吐き出したかった。
 しかし、無駄口を叩いている暇はない。貴重な時間は絶えず出血し続けているのだから。

 二人は黙って、書類に突撃していった。








「ふぅ……一息つくか」

 紫芝はそう言うなり、冷め切ったコーヒーを飲みながら、引き出しから本を出して読み始める。題名は『世界動物図鑑 第三巻』と書かれていた。
 実は殆どの者が知らないことだが、紫芝は無類の動物好きなのだ。

――動物と戯れる事で、恐ろしいほど穏やかな気持ちになれ、荒れ狂う暴風の如き心が癒されて充実した幸福感を得ることができる。

 そう語った事まであるほどだ。ある意味で病気なのかもしれない。
 ただ他にも尋常ではない発言をしている。

――人を人質に取られても躊躇する事無く、人質ごと敵を倒せる。
――だが、子猫や子犬を人質に取られたら、そういうことは絶対にできない。

 正直洒落になっていない。
 だが、こういう事を言う人間だからこそ飛鳥島にいるのだろう。


 トゥルルルル……


 自分の安息の時間を妨げる電話に露骨なまでに嫌な顔をする。
 しかし、居留守を使ってまで出ないという訳にもいかない。全く持って、非常に面倒なことだ。
 仕方無しに渋々、本当に渋々受話器を手に取る。

「紫芝だ。何かあったか?」

 素っ気無い口調で用件だけを聞こうとする。どうせくだらない内容だろう。
 そう予想していたが、それがハズレである事をすぐに知る。

『ああ、何かあったよ。紫芝中将』

「げ、元帥閣下……」

 受話器越しの相手が誰か分かるなり、冷や汗を流す。
 明らかに自分の失言を直撃させてしまったが、過ぎた時は戻らない。
 すぐさま、失言を繕おうと試みる。

「本日も元帥閣下に置かれましては御機嫌麗しく――」

『世辞はいい』

 短い言葉でバッサリと斬られる。誤魔化す事もできないか。

『そんな事よりも、とっとと用件に入りたい。よろしいか?』

「ハッ、どうぞ」

 余計なことを言えば、拙い事になる。そう感じた紫芝は、九条の発言を促す。
 用件と言っても、大したことではないだろう。精々、資材の節約がいいところのはずだ。

『ふむ、少々拙い事にな、そっちにかなりの人数の現地人が向かっているようなのだよ』

 ……はい?

「閣下、今なんと仰られましたか? 私の耳が確かなら、かなりの人数の人がどうとか……」

『ああ、その通りだ。貴様の耳は正常のようだぞ』

 唖然として固まる。何故だ? 何故そんな事になっているんだ?
 少しばかり頭の中がパニックになる。が、いつまでもそんな調子ではいられない。
 速やかに立て直すと受話器の向こうにいる九条に問いかける。

「一体全体どういうことです? 詳しい説明を要求します」

『ふむ、私もついさっき知ったばかりなのだが、どうにも近くで『小競り合い』があったらしくてな。まぁ、言い方を変えるのなら『戦争』『戦』といった表現が正しいかな。兎に角、それで幾つかの村々が巻き込まれて、そこの村人が偶々貴様のいるところへ逃げてきているようなのだよ』

 とりあえずは状況は理解できた。
 ここの付近で紛争が起こり、それに巻き込まれた人々が自分達の住んでいた村を捨てて逃げている、そして偶然にもその逃亡している進路に我々がいる、と。
 自分のところにもそれなりの情報が閣下から提供されている。
 文化レベル、技術レベル、生活レベルなど、いずれも航空機による観察で得た情報を元にした予想でしかないとはいえ中世程度のものであるということが判明している。
 そこから考えてみれば不思議なことではないが……。

「原住民との接触については、まだ問題があるのでは?」

『向こうからやってくるんだ。どうしようもあるまい』

 懸念事項を告げるが、随分と投げやりな言葉が返ってきた。確かにどうしようもないか……。
 深く、深く深呼吸をする。おかげで随分と落ち着いた。

「……それで、私はどうすれば?」

『話が早くて助かる。私としては貴様にその原住民と友好関係を築いてもらい、色々と有益な情報を入手して欲しいのだよ』

「なるほど……そういう事ですか」

『ああ、そういう事だ。それと、やり方は貴様に任せるが……できるな?』

 その時の九条の物言いは、何処か紫芝を試しているようだった。
 できるかだって? 当然だとも。その程度のことができなくて何が陸軍中将か。
 自分の中に過剰とも言えるほどの自信が溢れてくる。今なら、天と地をひっくり返せと言われてもできるような気がする。

「無論、他愛も無いことですよ。赤子の手を捻るが如く容易い」

『ならいい。……くれぐれも慎重にな』

 短い言葉で終わらせると九条は静かに電話を切った。
 ツー、ツー、という既に回線が切れている音が紫芝の耳に聞こえてくる。

 紫芝は受話器を戻し、ふと窓の外を見た。
 作りかけのビルのようなものが立ち並ぶ。しかし、ビルと呼ぶには非常に小さい。せいぜい三、四階ぐらいまでしかなかった。
 溶接で火花が飛び散っているのが、ここからでも見えた。

 顔を上に向け、空を見上げた。天候はあまり良いとは言えず、少々曇りがちであった。
 今日は風が強い。海から流れ込んでくる冷たい風に窓がガタガタと揺れる。

 さて……一体これからどうなる事やら。
 何処か他人事のように感じながら紫芝は何故か楽しげに『準備』を始めた。


最終更新:2007年10月30日 19:54