第十六幕 榊原の提案
飛鳥島 第七空軍司令部
司令官執務室
「元帥閣下……幾らなんでも無理です」
『無理でもやってもらう。どうにかして敵を壊滅、少なくとも甚大な損害を与えるのだ』
「しかし、相手が百万と言うのは多過ぎです。対米戦が始まる前の時ならまだしも現在の我が空軍では、それほどの相手を壊滅状態に持っていくのは至難なのです。ご再考を御願いします」
『ならん。この際、ミサイルでも何でも使って構わん。いっそ、毒ガスの使用も許可する。だから、敵を空軍のみでどうにかしろ』
「作戦会議の時は合流阻止のみが空軍の任務だったはずです」
『状況が変わったのだ。陸軍は治安維持等、様々な事に使いたい。それに未だにこの国の完全制圧には至っていないしな。故に陸軍の力をそちらに注ぐ必要があるのだ。そのためにも空軍のみで……いや、海軍の連中にも手伝わせる。今回の作戦で連中は何もしていないからな。奴らから艦載機でも出させればなんとかできよう。命令書も今すぐ作って送るし、電話も海軍の伊達中将に直接入れておく』
「……それでもまだ戦力的に不安が残ります」
『それ以上の事は譲歩できん。兎に角、やれるだけのことをやれば宜しい』
「……承知しました。出来得る限りの事はやって見せましょう。ですが、壊滅させるのはあくまで難しいのです。そこのところをお忘れなく」
『うむ。上杉中将、貴官の健闘を期待する』
「ハッ、それでは……」
空軍司令官の上杉は静かに受話器を置いた。
話自体は短かったが、内容は重かった。ザーブゼネ王国が残した百万の軍勢を空軍のみ……いや、空軍と海軍だけで片付けろと言うのだ。
正直言って厳しい。戦力が低下したままの空軍の状況では陸軍の協力が是非欲しいところ。だが、陸軍は一切において協力しないと明言された。何とか海軍の力を借りる事はできるようだが、それでもまだ戦力的問題がある。
……こうなれば、持久戦しかないか。敵の補給線は我々が既に遮断、というか国そのものを強奪している。連中が反転して進撃してくるのを執拗に阻み、長期戦に持ち込んで水や食料などの物資を欠乏させて自滅を待つ。下手に部隊規模が大きくなると必要となる物資もまた大きくなってしまう。数は力だが、時としてそれは自らの首を絞める事になる。
しかし、ふと作戦会議の時に長期戦は国力回復に努めたいためやらないと九条元帥が言っていたことを思い出す。だが、九条元帥は状況が変わったと先程の電話で言っていた。ならば、こちらも状況が変わっただけの話だ。それに国力の回復を阻害しなければ良いだけの事、やりようは幾らでもある。
非常手段としては、毒ガスの使用許可を得ている事からそれを使用して全滅させる。周辺地域への影響が懸念されるため、あくまでも最終的な非常手段だが。
「……よし」
考えが纏まれば後は話が早い。
すぐさま関係各所に電話を入れる。真っ先に連絡を入れたのは航空機に指示を出す管制塔。
出撃した、もしくは出撃予定の航空機を戻すように通達する。それと同時に高々度偵察機を何十機も出すように命令する。徹底的に敵の監視を強めるつもりだった。
相手が何らかのアクションを起こすまでは攻撃せず、起こした場合は全力を持ってそれを阻止する事に努める。ついでにザーブゼネ王国の残党軍が攻めている国が陥落しそうならば、残党軍に小規模な攻撃を行って混乱させ、膠着状態に持ち込む。
極めて消極的だが、これが上杉の基本方針だった。
旧ザーブゼネ王国
元王都セルビオール
「……さて、後は上杉に任せるとして、私も色々と雑務を終わらせねばな。ということで用件は手短に頼むぞ、榊原?」
上杉との会話を終えた九条が目の前にいる榊原に話しかける。
現在彼らがいるのは、九条が演説終了後に使用した王城のとある一室である。
その部屋の中は飛鳥島にある九条の執務室に近くなるように簡単にだがカスタマイズされている。
「ハッ、了解しました。それでは手っ取り早く行きましょうか。私の用件は二つ程あるのですが、まずはこの国の名称を決めて頂きたいと思い参上しました」
「国家の名称? ……あぁ、そうか。もうザーブゼネ王国ではいかんのだったな。我々が潰したのだから」
一瞬、何の事だというような表情をしたが、すぐに合点がいってポンと手を叩く。
それを見届けた榊原は首を縦に振って頷くと、会話を続行する。
「はい、それで元帥閣下に何かいい名称は無いか聞きに来た訳です」
「……いや、待て。こういう事は私だけで決めるわけにはいかんだろう。後々皆で集まって決めるべきだと思うのだが……?」
「いえ、元帥閣下に決めてもらわなければいけないのです。何せ元帥閣下は『救世主』なんですから」
皮肉混じりに言うような榊原の言葉に眉を僅かに上げる。
あの演説に不満があったのか? 確かに準備に関しては不満は大いにあっただろうとは思う。時間も十分ではなかった上、機材の用意にも手間取った。
しかし、様々な事で特に気にしたのは異世界の人間に映像投影装置やスピーカーで動揺されないかという事だった。あれで下手な事をして鬼や悪魔などと思われては全てが水泡に帰してしまうからだ。
尤も、勝手に魔法か何かだろうと解釈してくれたようでこちらとしては大いに助かったが。
ともあれ、演説自体は大成功と言えるのだ。だと言うのに榊原のこの態度は些か癪に障る。
九条は多少機嫌を悪くしたようで、榊原に少しばかりその不満をぶつける。
「フン、だからどうしたと言うのだ? 救世主でなければ国の名前を決めてはいけないという風習があるなどとは別に聞いておらんぞ」
「これは失礼。ですが、元帥閣下に決めてもらった方が何かと面倒がなくて宜しいのですよ」
「……」
榊原を睨みながら、九条は考える。
面倒が無いというのは頷ける。会議でも開いて決める事になればそれなりの時間を消費する事になる。すんなりと決まればそれでいいが、十中八九揉めかねない。しかし、最高司令官である自分に決めてもらえばそういう事になる可能性はかなり低い。……それだけが理由か?
九条は榊原の言葉に何か裏があるのではないかと考えるが一向に思いつかない。これ以上考えても無駄と判断して早々に思考を打ち切る。
「まぁいい。こんな事で騒いでも仕方あるまい。確認だが、今すぐに決めねばならんか?」
「できればそうして頂きたいです」
ふむ、と呟き、九条は自分の顎に手を当てて眼を瞑る。
大した事ではないと思っていたが、いきなり国の名前を決めるのも案外難しい。
低い声で何度か唸り、五、六分ほど経過したところでようやく眼を開ける。
「ふむ……榊原、決めたぞ」
「どのような?」
短い言葉で先を促す。
「――――という名前ではどうだろうか?」
「元帥閣下がそれで宜しいのならば、私は一向に構いません。後々また演説をしてもらわねばなりませんね」
責任逃れみたいな台詞だな、九条は心の中でそう呟く。
榊原は九条がそんな事を考えていると気がつく事無く、胸元のポケットからメモ帳を取り出し、同じく胸元にあったボールペンでサラサラと九条が考えた国名を書き留める。
「……では、次の用件に移りたいと思います」
あっさりとした口調で言う榊原。
しかし、この後の言葉に九条は大いに戸惑う事になる。
「元帥閣下、私にこの国の内政に関する権限を頂きたいのです」
「なに?」
内政に関する権限の委譲だと? 一体何を考えている。
九条は怪訝な顔をして榊原を見る。
あからさまな九条の反応に榊原は苦笑しながら続ける。
「顔に言いたいことが出ていますね。一体何を企んでいる、というところでしょうか」
「近い、とだけ言っておこう。……まぁ、そんな事はいい。榊原、仮に内政に関する権限を手に入れてどうするつもりだ? その答えを聞くまでは考慮すらできんぞ」
「決まってます。政治を行う、ただそれだけです」
堂々とした様子で言う。そこには何の打算も見えなかった。少なくとも表面的には。
だが、当然そのような答えでは納得できない。その九条の考えを察したのか、スラスラと榊原の口が動く。
「単刀直入に言わせて貰うのならば、今現在の占領統治のやり方がなっていないのです。私は早急に我々に合った効率的な統治体制に移行させるべく、幾つもの試案を作成しております。それを実行させるために内政の権限を必要としているわけなのです。ただ、段階的に効率的な統治体制に移行させるつもりですので多少の時間は必要ですが。兎に角、私に任せていただければ必ずや結果を見せてご覧に入れます」
「ふむ……」
九条は考える。確かに今の占領統治のやり方はイマイチだ。占領下においた地域を幾つかの管区に分けて、それぞれの管区を任せた指揮官の裁量に任せているだけ。監督方法に決して小さくない差異もある。この問題を解決するにはそれ相応の政治能力を有した人材に全て任せるのが一番手っ取り早い、が……
チラリと榊原の顔を見る。榊原は軍人でも十分にやっていける能力があるだろうが、その本質は事務屋だと私は感じている。恐らくは軍人などよりも政治等をやる方が向いているだろう。それに結局のところ占領統治の監督という役目は誰かにやってもらわねばならない。ならば、別に榊原がやったとて問題はない。試してみるつもりで任せてみるのもまた一興、か。
目を細めて榊原を鋭く見る。突き刺さるような視線を飛ばすが、榊原はただじっと直立不動のままであった。
しばらくの間、その状態が続いたが、九条が根負けしたかのように目を瞑り、閉じていた口を開いた。
「……いいだろう。貴様の好きにさせてやる。但し、失敗すれば……わかっているな?」
「はい、勿論です」
「ならばよし。これで用件は終わったな。後で必要となる書類を送ろう。詳細も関係各所に通達して円滑な行動を約束する。実質的に動けるようになるにはしばらく猶予が必要だが、その間に貴様の言う試案というのを纏めておくがいい」
「ハッ! 重ね重ねのご好意に感謝の念を禁じえません」
「感謝はいらん。結果を出せ。それと、私は他にも色々と雑務がある身だ。邪魔になるからとっとと行くがいい」
そう言うなり、手早く自分の机にある書類の片付けに入る。
榊原は黙って一礼するとすぐに部屋を出て行った。
すると、九条は何故か作業していた手を止めて榊原が退出した扉をじっと見詰めて呟く。
「さて……貴様の手腕と限界、見せてもらおうか」
九条は一瞬だけ頬を緩めた後、すぐに止めていた手を動かして作業を再開した。
最終更新:2007年10月30日 20:14