第十七幕 掃討状況


 真っ暗闇の中、城壁から一定の距離をとりつつ、取り囲むようにして兵を配置して攻囲戦の真っ最中のある国の軍勢。
 この軍勢こそ既に事実上滅びたザーブゼネ王国百万の残党の一部。その数およそ八万五千。
 しかし、その大軍も本国から送られてくるはずの物資が一月前に急に途絶え、手元にあった物資も殆どを貪り尽くしてしまい、兵の士気も低下の一途を辿っていた。

「一体どういうことだ! 食料も何も全く届かんではないかッ!」

 荒々しく鼻息を立てながら天幕の中で喚き散らす髭面の男。
 歳は外見だけで判断するなら、もう四十過ぎだろうか。若々しい英気は最早そこには感じられないが、代わりに熟練した勇猛な指揮官というイメージを見るものに与える。

「落ち着いてくだされ、サイゼル公爵閣下」

「そうです。焦っても仕方ありますまい。そのうち届くようになりますでしょう」

「ここはもっと余裕を持って冷静にならねばなりませんぞ」

「この、馬鹿共がッ!! 悠長に落ち着いていられるものかっ?! このままでは我々は飢え死にだぞ!」

 周りにいる自分の指揮下の貴族たちに宥められるが、聞く耳を持たずにさらに騒ぐ。
 クソ! このままでは軍を維持できない。最低限必要な食料ですら殆ど無いのだ。水は川から確保できるからまだいい。しかし、食料はそこいらの動物を狩っても気休めにしかならないのだ。現在は節約して何とか凌いでいるが、何処まで持つか。
 だが、限界に近づいているとしても退くに退けん。退こうとすれば、今攻囲している城から忌々しい奴らがここぞとばかりに出てくる危険性があるのだ。迂闊な真似はできない。

 と、そうやって考え込んでいる時、天幕の外で番をしていた兵士が慌しく入ってきた。
 その兵士は背中に赤い何かを……いや、血塗れになった誰かを担いでいた。

「サイゼル公に火急のご連絡!」

「待たれい! その者は何者ぞ?!」

「はっ、サイゼル公が本国に出した使いにございます!」

 その言葉にざわざわと辺りが五月蝿くなる。サイゼル公自身もかなり驚いた様子で動揺を隠さない。
 サイゼル公とて馬鹿ではない。本国からの物資が途絶えてから一週間ほど経過したところで使いを幾人か出していたのだ。
 サイゼル公自身はどうせ他のところを攻めている連中が物資を横取りしているのだろうと思っていたのだが、一向に出した使いが帰ってこない。
 流石に何かあったと思ったが、もう少しだけ待ってみようとそのまま待ち続けて帰ってきたのが目の前の血塗れの使いただ一人。明らかに尋常ではない。

「……その者は喋れるのか?」

 サイゼル公は静かに訊く。

「何とか……。ですが、あまり喋らせては命に関わ――」

「公爵、様……」

 血塗れの男は僅かに口を動かしてそう言った。力なく腕を伸ばして空を掴む。
 サイゼル公は命を途絶えかけている血塗れの男にゆっくりと近づいていき、耳を傾ける。

「ここにおるぞ。申してみよ」

 できるだけ穏やかに訊ねる。傷に障らぬように、穏やかに穏やかに。
 血濡れの男はその言葉に従ってゆっくりと喋りだす。

「は、い……現在、我が国…は、何者かに、攻撃され…陥落……国王陛下も…殺害、されました……」

 息も絶え絶えに言う血濡れの男の言葉に皆一様に声を失う。
 自分たちが国を空けている間に他国が侵攻して来る事など考えられない。自国に隣接する全ての国に合わせて百万もの大軍で侵攻しているというのに一体どういうことなのか。

「な、なんと言う事か……」

「詳しい話を、詳しい話を聞かせるのだ!!」

「そうだ! さっさと言わ――?!」

「五月蝿くてかなわぬ。黙って静かにしておれ」

 ギンッ、と威圧感を込めた眼差しでサイゼル公は睨みつける。それに怯えたのか貴族たちは口を噤んで黙り込んで頭を下げながら後ろに退く。
 それを横目で見た後で視線を血塗れの男に戻す。

「さあ、ゆるりと話せ。無理をせぬようにな」

「は……私と…共に本、国に、向かった……者、たちは…急ぎ、この事実を……お伝え、するために…馬、を走らせ……ました」

 息が弱い。少々拙い兆候だ。これ以上の会話は命に関わるだろう。
 しかし、サイゼル公は止めさせない。いや、止めさせられない。この血濡れの男の姿は酷い怪我を負って弱々しいものだ。
 だが、そこには気迫があった。自分の命を燃やしてでも構わない、最後まで話すのだという気迫が。
 それを止める事などできようはずもない事だった。

「し、かし…途中で……見た、事もない…化け、物に……襲われ、皆散り散りに…なり、私も……手、傷を…負い……ながらも、やっとの…思いで、ここに……」

「そうか……」

「公爵、様……我が国、は…最早、無くなって……しまい、ました。私、たちは…一体、どうすれば……宜しいの、でしょう……」

 この言葉にズキリと胸が痛む。どうすればいいかなんてわからない。自分は戦場で戦う事には長けているが、それ以外は自信がないのだ。道を指し示すなんて事は出来はしない。
 サイゼル公は眼を伏せながら、静かに言葉を発する。

「もう限界だろう。早く治療して休ませてやれ。あと、この事は他言無用だぞ。よいな?」

「はい……承知しました」

 暗く沈んだ口調で血塗れの男を連れてきた兵士が言う。
 今の話を聞けば無理もないか。もう帰るところがないのだから。誰かに喋らなければいいが……。
 そう思いながら天幕から血塗れの男を背負って出て行くのを黙って見送る。

「公爵閣下! これは一大事ですぞッ!!」

「急ぎ我らの手で祖国を取り戻しましょうぞっ!!」

「焦らずともそうするつもりだ。……転進するぞ、今のうちに荷物を整えて置くように」

 サイゼル公がそう言うと彼らは嬉々として天幕から出て行った。
 自分たちの領地の事が気になって仕方がないと見える。このまま攻撃続行になると思っていたのだろう。
 しかし、ここからは死地への旅路になると理解してはいまい。短期間に国を一つ、それも北方最大の我が国を潰すような者が敵だ。
 恐らく勝てはしまい。敗北は既に決定している。ならば――……

「我が命ぐらいくれてやろう。だが……」

 サイゼル公は黙って北の方角をじっと見ていた。
 懐かしむように、悲しむように、祈るように、ただじっと遠く、遠く、その方角を見ていた。
























 飛鳥島 第七空軍司令部
 司令官執務室

「今までで動きがあった残党軍は八つあるうちの七つ。その七つには既に我が空軍と海軍が全力を挙げて空爆。現在も断続的に攻撃を継続中。残る一つは未だに何の反応も見せていないため空爆はしておりませんが、無論監視は緩めておりません」

「それで宜しい。現状を維持しつつ、残党軍を壊滅せよ」

「ハッ! 了解しました! それでは引き続き任務を続行します!」

 顔も名前も覚えていない部下が勢いよく敬礼して立ち去る。元気な事だ、自分にもその元気を分けて欲しい。
 自分の机にはその部下が持ってきた報告書が束になって置かれていた。
 上杉はおもむろにその書類を取り、ページを捲り始める。

 空軍作戦参加機数180機、海軍作戦参加機数200機、合計380機余。
 敵残党軍は合計して百万、これを八つに分割し、他国に攻撃中。それぞれ第一軍から第八軍と呼称。規模は大体それぞれで十万人前後、最大のものは二十万人に達すると思われる。
 作戦開始第一日目から第十七日目まで敵はこちらに向かっては来なかったが、第十八日目では敵第四軍が旧ザーブゼネ王国方面、即ち我々のいる方へ進軍を開始。おそらくは撤退と思われる。敵第四軍の推定規模は十四万三千から十四万九千。
 即時全作戦機に攻撃命令下命。敵は歩兵中心のため攻撃方法は高度を一定に保っての精密誘導爆弾による爆撃、状況によっては機関砲による掃射と決定。
 攻撃命令下命から五分後、空軍・海軍共に攻撃隊が順次出撃。
 二時間後に海軍機およそ40機が敵第四軍の上空に到着。敵密集地帯に集中的に爆撃を敢行。
 敵第四軍の監視任務についていた偵察機の詳細な映像分析による戦果確認の結果、敵に少なくとも二千人からの死傷者が発生した模様。
 それから遅れて十分後、空軍機およそ60機が到着し、海軍機に続いて攻撃開始。
 敵第四軍は先の海軍機の空爆により混乱状態にあり、空軍機によるさらなる攻撃により軍機能が想定以上にあっさりと瓦解。
 膨大な数の脱走兵が偵察機によって確認。決定的打撃を与えるためにより苛烈な攻撃の必要性がありと判断。全航空部隊に徹底攻撃及び反復攻撃を行うよう命令を通達。
 数時間に渡る攻撃の後、敵第四軍は進軍を完全に停止、その時点での敵第四軍の規模は当初の半分ほどにまで減少したと思われる。時間経過と共に自滅が確定的であると推測する。

 第十九日目、敵第二軍及び第六軍に動きあり。
 推定規模は双方共に九万人前後、こちらも旧ザーブゼネ王国方面に進軍、撤退を開始した模様。
 敵第四軍と同じように攻撃を仕掛けるが、二手に分かれる事になり、戦力の二分化が不安材料とされた。
 両軍の行動開始から二時間後、まず敵第二軍に対し、海軍機30機、空軍機20機が空爆を開始――……

 ……――パタンッ、と報告書を閉じる。
 この報告書の内容は殆ど変わらずに同じような事がこのまま続いているのだろう。ならば、これ以上読む必要は無い。仮に問題が起こっているのなら先程来た部下がそう伝えていくはずだ。
 ふぅ、と溜息をついて机の上に乗っているティーカップを手に取る。中には少々冷めてしまった紅茶がカップの半分ほど入っていた。
 ティーカップを自分の鼻の近くにまで持っていき、ゆらゆらと紅茶を波立たせて香りを楽しむ。何とも言えない甘い香りが心地よい。
 口元にティーカップを近づけ、ゆっくりと飲む。美味だ。まったりとしてまろやか、飲み応えも抜群にいい。
 この紅茶を飲む時間が私の至福の時間だ。この時間だけは誰が何と言おうと譲れない。

 上杉は幸せそうな表情をした後、うっすらとした笑みを浮かべたまま書類整理に取り組んでいった。
 今の気分なら、好調に仕事が進められそうだ。束の間の幸せを上杉は大いに味わっていた。


最終更新:2007年10月30日 20:19