第二十二幕 始まりの鐘


 インビンシブル大帝國
 バルデバルド平原 国境地域より北方に約20kmの地点


 広大で平らな大地が一面に広がるこの場所で、キュラキュラと履帯の音が五月蝿く鳴り響く。
 戦車、戦車、戦車……普段は穏やかなこの場所は今、戦車の群れによって占拠されていた。
 その戦車の上には歩兵がしがみつくようにして乗っており、戦車関連用語ではこれを『跨乗(こじょう)』と言う。そして、その跨乗している歩兵を『跨乗歩兵』と呼ぶ。
 まぁ、それは兎も角として、現在このバルデバルド平原にはインビンシブル大帝國の機甲軍団が集結して、その圧倒的なまでの暴力的な力を発揮されるのを今か今かと待ち侘びていた。殺戮の風が思う存分に吹き荒れるのを。

 そして、その平原にある一つの天幕にはこの軍団の頭脳が集められていた。
 天幕の中は簡易的なテーブルと椅子が幾つかあり、テーブルにはここ周辺の地図が広げられている程度の質素なものだった。

「今回の侵攻作戦では、我々の働きが特に重要とされる。全員油断の無いように心してかかれ」

 そう発言したのは陸軍大将であり、この機甲軍団の総指揮を任された狂気の名将の紫芝であった。
 実際には後方の司令部で全体の指揮を取る予定であったのだが、強引に現場で動く事を認めさせたのだ。まぁ、それもこの男ならば納得のいくことであるが。
 そして、その紫芝の眼前には真剣な面持ちの頼りになる彼の幕僚たちが存在していた。

「重々承知しておりますとも、閣下。如何に相手が小国ばかりであるとは言え、全力を持って撃ち滅ぼすのみです」

 紫芝の言葉に真っ先に答えたのは『ヴェルグ=ケラーネ』陸軍少将だった。
 彼はその名前からして分かる通り異世界人で、それも二十年前に滅ぼしたザーブゼネ王国の貴族の子供なのだ。
 ザーブゼネ王国を滅ぼした際に、支配階級の一定年齢以上の男子は全て氷室の実験台か、断頭台の露と消えたが、まだ幼い子供や女子に関しては飛鳥島で保護する事になった。その彼らには時期的にも反抗されると色々と拙かった為に念入りに洗脳を行い、今でもその大半は飛鳥島にて暮らしている。貴族打倒を国是として掲げている以上、彼らを自由にするわけにはいかないからだ。
 結果としては、彼らは飛鳥島で比較的製造工程が簡単な工場で働いたり、広大な畑を耕したりしてもらう貴重な労働力となっている。また、才能があると判断された子供を中心に様々な事を学ばせ、帝國に不足している人材の補充に当てた。
 そのうちの一人が彼、ケラーネ少将なのだ。近年、その軍事的才能を十二分に発揮し、長期に渡る洗脳によって裏切りや不正の心配も全く無い信用も信頼も出来る有能で誠実な将軍であると言えよう――たとえ、そう作られたとしても。

「その通り、私もケラーネ少将と全く同意見にございます。相手が地べたを這いずり回る小さき蟲であろうとも徹底的に粉砕するまでッ!」

 ケラーネに続いたのは『カイン=ルーデル』陸軍少将だ。
 彼もまた貴族の子供で、その才が認められてこの場にいる。但し、少しばかり熱くなりやすいタイプで、コントロールに多少の手間が掛かるのが玉に瑕だ。
 しかし、逆にその性格ゆえの突破力を見せ、攻撃においてはかなりの戦果を上げる男だ。同時に被害も大きくなりかけるが。

「……全ては皇帝陛下の御心のままに」

 静かに、だが、何処か鋭さを感じさせる口調で言葉を発したのは『フォルク=リューベルト』陸軍少将である。
 口数が少なく、あまり他者と会話をしようとしないが、優れた洞察力と冷静で的確な状況判断能力を持つ。
 戦い方に派手さは無いが、その用兵は巧みで、彼と戦った相手は気が付いたら負けていたという状況に度々なる。尤も、彼らの経験した戦いというのは全て演習で、実戦は今回が初であるのだが。

 以上三名が紫芝の機甲軍団の各師団長で、紫芝直轄の機甲師団を合わせて計四個機甲師団、五万二千名がその機甲軍団の中身である。

「うむ、貴官らの活躍に私は大いに期待している。この戦いが無事に終われば貴官らの昇進は間違いないだろう」

 紫芝は満足そうに頷きながら、自分の後釜になり得る三人の将軍を見る。
 どれもまさしく粒揃い。決して自分の期待を裏切らない戦果を上げるはずだ。

「はっ、閣下のご期待に沿うよう我らは死力を尽くす所存であります」

 ケラーネがそう言うと、ルーデルとリューベルトもそれに続く形で言葉を連ねる。
 紫芝がそんな彼らに軽く笑いかけていると、ピピピピピッという電子音が鳴り響く。時計のアラームだった。

「おっと、もうこんな時間か。では、各々配置に付け。一時間後には進軍を開始する」

 紫芝の言葉に三人は勢いよく立ち上がるとビシッと敬礼をする。
 紫芝もそれに応え、彼ら一人一人の顔を見回すと、満足そうな顔をして天幕から出て行った。

 舞台の開演の時間は、もうすぐそこまで迫っていた。














 インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
 デオスグランテ城 皇帝執務室

「いよいよだな、榊原」

「えぇ、かなり待ちくたびれましたよ」

 何処か遠くを見るように会話をする九条と榊原。
 何せ大陸の覇権を賭けた本格的な戦いができるようになるまで二十年という洒落にならない長さの時を消費したのだ。感慨も一入である。

「二十年という月日は莫大なものです。我々の目的も既に大きく変わってしまいました……」

 何処か寂しそうに聞こえるはずだが、榊原は爛々と瞳を輝かせている。
 まるで、気になっていた映画が長いコマーシャルを終えて、ようやく始まる時のウキウキとした雰囲気を楽しんでいるようだ。

「本来の目的は元の世界への帰還。だが、今ではこの異世界の完全なる征服が我々の大目的だ」

 九条もニヤリとした笑みを浮かべていた。
 長い年月は異邦人である彼らに望郷の思いを忘れさせていたのだ。最早故郷を懐かしむ事も無く、ただそんなところもあったな、としか思わない。
 時間とは残酷なもので決して止まる事は無く、無情に過ぎ去るもの。辛い記憶も楽しい記憶も途端に色褪せさせ、思い出ではなく一時の出来事に変える。
 それが時間という名の超越した一種の力なのだ。

「世界征服……大国の支配者たちが夢見てきた到達点」

「そうだ。その到達点に向かって我々は進んでいるのだ」

「まずは大陸の統一のための戦争、その次は世界を征服するための戦争……その次は何をしますか?」

 ふと思いついたように問いかける榊原。
 九条はその問いの答えを静かに、だが、二つの眼に狂気を宿し、言葉に相当な重みを加えて言った。

「戦争だ。ただ戦争をするのだ。戦争の歓喜を無限に味わうために……次の戦争のために、次の次の戦争のために」

 まさしく狂人の模範解答。
 ああ、その言葉は神の代行の言葉、死と戦いの神からの御告げ。
 今ならば躊躇する事無く、その想いを彼の心は語るだろう。私は戦争が大好きだ、と。

「フフフ、陛下も御人が悪い。ある意味で紫芝大将よりも厄介ですな」

「厄介かね? クク、元々日本人は戦闘民族なのだ。むしろこれが本質というものだよ」

 そう言うと楽しげに哂う。この後の戦いで流される血を大帝國の歴史は刻み込む。
 何人、何十人、何百人、何千人、何万人、何十万人、何百万人、何千万人、何億人、何十億人……天や地獄に捧げられる数はどれくらいになるかは分からない。
 血が歴史を動かし、血が時代を作り、血が理想郷を形成する。
 それが戦争、大戦争なのだから。

「ハハハ、そうかもしれませんね」

「だろう? まぁ、その話はしばし置いておくとして大海軍と大空軍の建設は南方諸国を制圧中、もしくは制圧後までには出来るか?」

「まぁ、なんとか。既に我が国は経済的に自立していますし、国内交易でも十分財政を回せます。造船所も航空機工場も急ピッチで次から次に建設していますから、それをいつまでに稼動できるかが勝負でしょう」

 そこからの問題は航空機や艦船を作るための多量の原材料の供給ですが、と続ける。
 だが、それについては問題ではないだろう。そのための南方侵攻でもあるのだから。
 豊富な鉱物資源が南方にあり、それを手に入れれば我が国は一気に空軍と海軍を編成できる。
 予定通りならば、数年以内に爆撃機、戦闘機、偵察機などの航空機が3000機か4000機は用意できる。尤も、それ相応の時間が必要であるし、どの機体もまずは第二次世界大戦レベルのものになるだろうが。

「結構。実に結構だ。政務も大変だろうが、その調子で頑張ってくれ」

「了解です……そろそろ紫芝大将が進軍を開始した頃でしょうか」

 ふと壁にかけられた時計を見ながら榊原は呟き、九条は無言で頷いた。
 時計の長針と短針は12のところで重なり合っている。午前零時、作戦開始予定時刻。
 千を超える数の戦車を有する紫芝の機甲軍団は今回の作戦の要。十分な戦力を与えた以上、結果は奴の手腕次第。

 二十年の時を待ち、ひたすら臥薪嘗胆の思いで国力の増強に努めた成果が今試される。
 さあ、血の狂宴の始まりだ。主役は異邦人の指揮する地獄の軍隊。引き立て役は異世界のクソ貴族。

 始まりの鐘は鳴らされた。


最終更新:2007年10月30日 20:34