第4話


 機動化学科中隊の指揮官、馬瀬ニ佐はバルカン展開部隊の後援スタッフが詰める市ヶ谷の防衛庁ビルの作戦部を出て、玄関ホールで岐阜基地から出向した一等空佐を出迎えた。

「わざわざすみません。蘇原一佐ですね」
「あいさつはいい。本題にはいろう」
「ここではなんですから、食堂へ」

 食堂には数人の従業員がいるだけで閑古鳥が鳴いていた。馬瀬と蘇原は奥のテーブル席へ座った。

「目的はアサルト・ドラゴンか」

 蘇原一佐はやれやれとした顔だった。

「アドリア海にはもう入ってますね」
「赤城にな。あれはただの武装ヘリじゃない。岐阜基地謹製の虎の子だ」
「ニュートライズ・ヘリは今後の作戦を遂行するのに必要です」

 馬瀬はニュートライズ・ヘリという奇妙な言葉を使った。それは航空開発部の新型回転翼機のカテゴリーを表すもっとも簡潔な言葉だった。

「陸自の主力では、あてに出来ないのか?」
「展開する兵力で先遣隊を排除することは可能です」
「じゃあ、なぜうちの虎の子を引っ張り出すんだ?」
「看板の陸自には、まだ戦死者を出すわけには行きません。戦力差は3倍、一方的な勝利を勝ち取るのは無理です」
「黒子部隊ならいいのか?」

 蘇原は露骨に嫌な顔をした。

「そんな顔しないでくださいよ。私の部隊も出ているのに」
「いいたいことはわかるぞ。装備を搭載した状態では往復飛行は出来ない。虎の子のアサルト・ドラゴンを渡せ、だろ」
「借用したい、と言い換えてくださいよ。あれの予算はうちからも出ているんです」
「三自衛隊共同開発だが、指揮権は私にある」
「実戦評価できる最高の機会を与えようと言っているのです。戦場より正しいデータのとれる試験場は無い」
「内陸部にいれれば、アサルト・ドラゴンの六割のユニットが不要になる。もともとは北の不審船対策用だ」
「機動化学科中隊で独占する気はありません。これは自衛隊の名誉を傷つけるか否かです」

 蘇原は席を立つと「この借りは高くつくぞ」と吐いた。

「だせるとすれば夜だけだ。用件が済んだら返してくれ」
「期待しています」

 ニュートライズ・ヘリと機動化学科中隊を組み合わせれば、たとえ旅団規模でも相手に出来るというのに・・・、馬瀬はF-2開発の失敗をおかすまいと躍起になる航空開発部とのうまくいかない連帯に臍を噛んだ。



 自衛隊機甲部隊は高地へ展開すると、およそ300名の隊員を使って辺りの草刈をさせていた。
 もっとも前に立つ戦車から最低500メートルは草を刈らせ、いざ戦闘状態となった場合敵側の遮蔽物を無くし、戦闘を有利に進めることが出来るようにした。
 戦車等の硬目標は96式誘導弾と対戦車ヘリで撃破し、歩兵はなるべく遠距離で倒す作戦だった。
 大洞連隊長が機動化学科中隊の通信小隊の元に訪れたのは、太陽が上がって間も無い頃だった。そこには中隊の指揮を取る萩原がいた。

「なぁ、萩原。町の連中あの様子だと徹夜で夜警しているようだな」

 町の明かりは一晩中消えることは無かった。

「そうだろう。退くに退けないだろうな。お前交渉に行くんだろ、気を付けろよ、そうとう殺気立っているかもしれない」
「気が重いよ」
「死んだら俺が連隊を引き継いでやる。まぁ、安心しろやニ個小隊も出してガードするんだから」
「あいつら、ただの歩兵だぞ」
「ああ、もしもの時の弾除けになる」
「俺は部下をそんな風には使わない、住民を非難させるときの人手だ。お前の部隊は来るんだろうな、さっきから姿が見えないが」
「かなり拡散して偵察に出ている。まったくこんな広いところをたった二個小隊じゃザルだよザル」

 萩原は、わざとらしくため息をついた。

「こっちは草刈で手一杯だ。ヘリがいるだろ」
「高地の向こうはすぐ深い森だ。上から見てわかるもんじゃない」
「俺が行くときは一個小隊くらい回してくれよな」
「まったく、心配性な奴だな」

 昼頃になり、大洞一佐は96式装甲車に乗ってラードゥガの町長との話し合いに臨んだ。
話し合いは町の入り口の平野部に建てられた教会でおこなわれ、町には早朝から入ったらしいフリーランス・ユニオンのジャーナリストの姿がみられた。
 町長のアレクセイと名乗るという男はなかなか自衛隊の避難案に応じず、ただ時間だけが過ぎていった。

「アレクセイさん。もう時間が無い東戦線は今日の夜まで持たないだろうというのが、我々の分析結果です。いそいで避難すべきなんです」

 大洞は同じような台詞をもう何度も言っていた。

「我々はこの町を捨てることはできん。気に入らない欧州企業の靴をなめて、やっと築き上げた町だ。
ここにはまだ住民の三分の二が残っている。避難する余裕があるにもかかわらずだ。これが何を意味するかわかるか?、我々に避難先など無い」
「トゥズラ郊外にキャンプ施設を作りました。この町の全住民が収容できます」

「収容してどうする?、そのあとは?所詮仮の住まいだろ、戦争が終わってここへ戻ってこれる保証は無い。前紛争のコソヴォ難民はいまだ帰還の途につけないのだろ? そのようなあいまいな交渉では、我々はそちらの避難案に応じることは出来ない」

 命あっての物種だろうに、大洞はそう思いながら粘り強く交渉を続けていた。
ここで大切なのは強攻策をちらつかせる事ではなく、ただ交渉することだ。
向こうが折れてくれないと思うが今をそうすることしか出来ない。すでに太陽は西へ傾き始めていた。



 機動化学科中隊第一空挺小隊第一分隊を乗せたM2キャリバー機関銃搭載の高機動車は、車体のいたるところに草木を張りつけていた。外郭線を僅かに崩すことによって薄暗い森の中では意外と迷彩効果をあげていた。
 これから暗くなればもっと見つかりにくくなるだろうと川島が言っていた。
 隊員を周囲に散らせると小隊長の川島と分隊長の神岡曹長、それと通信員の春日三曹が車内に残り隊員達に指示を下していた。

「メリクリウスより、ティガー。もう五十メートル進んで西側を警戒してくれ、ファルシオンはその場で待機北側を張ってくれ」

 春日は地図に隊員達の位置を書き込みながら「穴が多いや」とぼやいた。かれらはラードゥガの町がある山の裏側を守っていた。

「こういうのは人海戦術ですね。効率が悪い…」
「泣き言言うな神岡」
「だって二人一組の原則を破って、単身で散開させてもこれですよ」
「黙ってろよ。通信の奴にでも聞かれて隊長にばれたら、大目玉食らうのは俺なんだから」
「昨日から不眠不休の行軍のあとにこれですよ。たいした休みもとってない。部下も疲れきって判断力が鈍ってます」
「まぁ、残るは町の真裏ですからね。いま高鷲を行かせてます。そろそろ着く頃…」
「こちらミスト、ターゲットを見つけました」

 最も離れたポイントにいる高鷲の声が無線に割りこんだ。車内が一気にざわついた。

「シルビアより、ミスト。詳しく知らせろ」

 神岡が無線を取った。

「見えているのは十数人です。多分もっといる」
「敵なのか?」
「こんなときに自動小銃もって狩りに行く奴はいません」
「牽制できるか?」
「ブッシュが酷すぎます。何人かは倒せますが」
「しまったな。高鷲の位置じゃ最も近い味方でも300は離れている。援護に駆け付けている時間は無いぞ」

 高鷲は街を見下ろす崖の上で狙撃姿勢をとっていた。その後になって次々と部下から敵発見の報が入った。少なく見積もっても中隊規模はいるような感じだった。

「奴らは町の背後から襲う気だな。
 全員に告ぐ、集合し敵の側面をつくぞ。高鷲、そこからじゃ位置がわるい、戻ってこい」

「了解・・・、あっ」

 高鷲が何かに気付きいた。

「どうした?」
「こちらミスト、このまま敵を追います」
「だめだ高鷲!、単独行動は厳禁のだぞ」

 高鷲は無線を一方的に切る。

「あの馬鹿、なに考えてやがる!?」

 川島が、怒り任せに無線機を叩きつける。響いた音と重なって、パーンと銃声が響き渡った。

「はじまったか」

  記録上、のちにラードゥガの攻防と呼ばれる自衛隊初の交戦劇の始まりだった。



 話し合いは銃声によって終わりを迎えた。

「アレクセイさん。もうこれまでです。我々は住民を保護し避難させます。
確かにあなた達の今後は保証できない。
しかしいま、無意味な犠牲を払わせるより、建設的なことであると私は断言出来る」

 アレクセイが押し黙ったままだった。

「沈黙は了解と判断します」

 大洞は無線機を鷲掴みにすると連れてきた二個小隊に付近の住民を保護するように命じた。
数秒遅れで高地に展開する本隊からセルビア解放軍のゲリラ兵が迫っていることが伝えられた。
 大洞は「そんなことわかっている!」と怒鳴り散らした。
 ゲリラと住民の間で銃撃戦が起き、銃声が散発的に響く。
 大洞でなくても怒鳴りたくなる状況だった。

「萩原、トラック隊を率いて早く来い。住民はまだ2,300人はいるぞ」

「待ってろ。すぐコンボイを送る」

 萩原は30台のトラックと護衛の高機動車、96式装輪戦闘車でコンボイ(護衛輸送隊)を編成すると、自分は施設科小隊の小坂が運転する先頭の軽装甲機動車に乗り込み町へ続くガタガタの道を疾駆させた。

「こちらカワセミ1、戦車を補足、数8その他歩兵戦闘支援車12、東北東から接近中、10分後にこちらの射程圏内に入ります」

 上空から偵察活動を行っていたOH-1から無線が入った。状況からして市街戦に呼応した行動であることは明白だった。

「こちらセンチュリオン、了解した。監視を行ってくれ。OH-6で大洞を回収する。随伴歩兵が対空ミサイルを搭載している可能性もある5000メートルには近付くな」

「カワセミ1、了解」
「敵はニ正面作戦ですか?」

 ハンドルを握る小坂が尋ねた。

「その割には無用心だ。偵察が一人も来ていない」
「まぁ、我々の索敵にはかなりの穴がありましたからね。見逃していてもおかしくないでしょう。」
「本隊の偵察部隊もいるし、高地地帯ではヘリで舐める様に捜索したんだ。そんなことは無いと思うが。
 小坂、お前は小隊を率いて本隊を支援しろ」
「えっ、今からですか」 

 小阪が路肩にずれると急ブレーキを踏んだ。後に彼の小隊を乗せた四台の高機動車が止まり、輸送部隊の乗るトラックが追い越していった。
 すでに本隊からかなり離れていた。

「合流する必要は無い。敵の後方に回るなりして敵を混乱させろ。
 新装備を試すいいチャンスだろ。うちの中隊じゃ、火力はお前らがトップなんだ。あとで第ニ空挺小隊もまわす。こっちもニ正面作戦だ」

 特科の役割も兼ねる機動化学科中隊の施設小隊は、同中隊の二個空挺小隊より打撃力が勝る装備を持っていた。

「そりゃまあ、隊長の命令なら従いますけどね」
「交戦規定は守れよ」
「自衛措置ぐらいは取らせて頂きます」

 小坂は無線で部隊に対機甲戦準備を伝えると、萩原を降ろして後続を引き連れ道を外れて走り出した。
一人残された萩原は、本隊の陣地を離陸しようとしたOH-6に自分を回収するよう連絡をいれた。



 ラードゥガでは教会前の広場に住民たちが続々と集まってきていた。
その数だけでゆうに200人は越えていた。自衛隊は8輌の96式装甲車で住民を守るように広場を囲み、第ニ普通中隊第二小隊が護衛に付き第一小隊が町の深部へはいって家に閉じこもっている住民に避難するよう促していた。
 いつ敵がやってくるかわからない状態では第一小隊の隊員達は戦々恐々としていたが、実際ゲリラ部隊と向かい合っているのはさらに深部へ入った機動化学科中隊の第一空挺小隊だった。

「さて、何処から来る」

 川島小隊長は山の斜面を這うように造られた住宅地の中央部に位置する3階建ての瀟洒な建物から辺りを見張っていた。時々くる高鷲からの一方的な無線により、ゲリラ部隊がまだここより下方には行っていないという話しだが、川島は全周囲を警戒させていた。

「ところで高鷲はいったいどうしたんだ。こんな積極的な奴じゃなかったのに」

 と川島が首をかしげた。

「まぁ、いわゆる功を焦ったってやつですか、でもそんな奴じゃないと思います、成績はまあまあですけど。土岐、あいつに変わったことはあったか?」

 神岡が高鷲とコンビを組む土岐にふった。
土岐ニ曹は小中高と机を並べた竹馬の友で、機動化学科中隊では狙撃手の高鷲の観測員を務めていた。

「もともとそういう競争意識はない奴でしたよ」
「何か思い当たる節はないか?」

 川島が尋ねた。

「さぁ…。住民を助けたいから飛び出した、っていうような事をするような奴じゃないです。もっと他の理由があるはずです」

  この場所より上の住宅地からも住民達が逃げ出していた。

「かれらを助けに行かなくていいんですか?」

 神岡が川島に問うた。

「助けを求める気なら、もっと下の方にいるだろ。自業自得だ」

 川島はそう言いながらMP5SD5消音器付きサブマシンガンに手を伸ばした。どちらかというと川島の方が飛び出すタイプだった。

「分隊を借りるぞ」

「俺が行きますよ、隊長はここで指揮を取ってください」

 川島がMP5SD5を神岡に渡すと、神岡は一人減った六人の部下を率いて建物から出ていった。かわりに第二分隊が川島のところに上がってきた。

「上之保、ここから第一分隊を支援しろ」
「了解、神岡さん達だけに活躍させるわけにはいきませんからね」

 上之保一曹は部下達を窓際に配置すると、「敵味方の確認を厳守せよ」と命じて、自らスコープ付きのMP5SD5を構えた。

「第三第四分隊は両翼へ展開、住民を保護しつつセーフポイントを確保せよ」

 川島は「篭城戦は苦手だよな」と呟いた。
 住民をだかえて戦場を歩くなんて、たかだか7、8人の分隊で出来るはずが無い。
 今のうちに防衛拠点となる物件を探す計略を練る必要があった。



 第一分隊は住民を僅か5人保護したところで、彼らが足手まといになり身動きが取れなくなっていた。仕方なく、護衛を一人つけて小隊長が陣取る場所まで引き返させた。
 坂の上から銃弾が降ってきて、さっそく交戦状態になった。

「分隊長、こいつは坂になっている分、まずいっすよね」

 道を挟んで向い側で、車を影にしてMP5を構える春日が叫んだ。

「無駄口叩くな!」

 神岡は壁を背にしながら返すと、一瞬身を乗り出してAKライフルを構える兵士に銃弾を浴びせた。
その後ろから倍の応射が帰ってくる。一人が倒した男を盾にして向ってきた。人体は時として、もっとも有効な防弾チョッキに変わった。春日が隙を突いて腰の辺りを撃つ、兵士は転がる様に倒れると呻き声を上げた。
 救援に向う者はいなかった。

「切りが無いな。ガスは使えないし…、よし、宮川、土岐付いて来い」

 神岡は後ろの部下に命じると2階建ての民家の中へ入り、残りの部下に下がるよう命じた。
春日達がじりじりと後退するにしたがって、敵が前に出てきた。神岡は2階に上がってそれを確認した。

「一人、二人、三人…、全部で七人か、俺が後ろの三人をやる。宮川は前の二人、土岐は真ん中の二人、ダブルタップで無駄弾を使うな」

 三人がそれぞれは位置に付くと、ターゲットが前を通り過ぎる寸前一斉に射撃をおこなった。ほんの2秒でかたがついた。

「こちらメリクリウス、クリア、制圧を確認しました」
「シルビア了解、屋根伝いに移動してしばらく上から援護する」
「前進します」

 神岡達が屋根に上がると、下にいる春日のグループがジクザクに走り出した。
しばらく走っては物陰に隠れる。前進スピードは三輪車並だった。


 ニナ・ユーリィブナは町の中をたまたまインタビューしていた幼子とその母親を連れて逃げ回っていた。
場所が最悪だった。何しろ町の一番上の住宅地にいた所を襲撃されたのだ。ジャーナリスト達は麓のほうに全員いるはずだったが、上のほうにも人がいたためニナが独走してインタビューへ出かけたのだった。
ニナ本人の感は「やめろ」と言っていたが、ニナはジャーナリストの本能に従った。
 結果として、それは最悪の結果になったのだった。路地を曲がるたびに住民と兵隊の銃撃戦に出くわした。
 幼子が泣きじゃくって、母親が必死にあやしていた。どうにか、無人の民家の中へ飛び込む。2階へ昇ると、ようやく一息つけた。子供がギャーギャー泣くため、母親がニナに謝った。

「いいですよ、タチヤーナさん。子供は泣くのが仕事です」

 ニナは、途中で銃撃戦の中で拾ったスコーピオンをチェックした。元はチェコスロバキア製のサブマシンガンだが、ユーゴスラビアでライセンス生産されたものらしい。この辺りでは、最もポピュラーな短機関銃だった。

「あなた強いのね…、同じスラブとして誇りに思うわ」

 母親も泣き顔だった。

「スラブは本来強い人種です。私は混血だけど、あなたもお子さんも純粋なスラブですよ」

 人種のタペストリー地帯でこんな事を言うのも変だなと思った。

 ニナは窓からそっと外を覗いた。
町が山の斜面に低い階段状に造られている為、町の景色うかがうことが出来た。
夕暮れが刻一刻と迫る、辺りはもう闇に閉ざされようとしていた。

「あの頭一つ出た。3階建ての建物なんです? ずいぶん大きいようですけど」

「フランスの企業が作った保養所です。今の時期は誰もいないはず」

 ニナは目を凝らして保養所の様子を窺った。
マズルフラッシュこそ見えないが、人がいて窓から狙撃を行っている様子だった。
光が見えないのはサイレンサーを付けている為だ。
セルビア解放軍にそんな装備を持った兵士はいないはずである。
 町の麓部に自衛隊が展開しているので、住民を保護するために部隊を送り込んできたのだろうかと思ったが、それでもサイレンサー付きの銃を装備しているのはおかしな話だった。
 もしかして…。ニナは監視ポストの事件を思い出していた。


 アドリア海が夜を迎えると、おおすみの船員達から「赤城」と言われた貨物船の甲板に一機の大型ヘリが現れた。投光器をつけていないため暗闇に包まれたその姿を見るものは、周りの整備員しかいなかった。
 機付き整備長の串原哲一等陸曹は岐阜基地の指揮官に呼び出され、油のついた手のまま通信室で駆け込んだ。

「はぁ…ラードゥガ、それで蘇原一佐。任務は? …制圧作戦?敵兵力は戦車50輌その他軽車輌多数、対空兵器はシルカとガスキンですね。あとハインドに、…えっ救援? そりゃ咬龍の仕事じゃないですよ。
まぁ、ミサイルを使いきれば30人くらい載せれますけど」

 串原はメモを取りながらラードゥガまでのフライトプランを考えていた。直線では対した距離ではないが、NATO軍やその他周辺諸国のレーダーを誤魔化さねばならないので航行距離は倍以上延びる気がした。

「機動化学科中隊の指揮下に入れと…、そりゃ、同じ黒子同士からこっちの事情もわかってくれると思いますが」

通信室を出て甲板に戻ると副機長の美山恵那ニ等海尉に「機長知らない?」と声を掛けられた。

「部屋にいませんでした?」
「それがいないのよ。まったくこんな時に」

 美山ニ尉は両手を腰に宛がい膨れた。

「俺がエンジン暖めておきましょうか?」
「あなたライセンス持ってないでしょ?」
「いつも後ろから見てますからね。飛ばすことは出来ませんが、そのくらいは出来ますよ」
「じゃあ、お願いするわ、私は私物とって来ますから、あなたはいいの?」
「鳥のように身軽なのが、俺のモットーですから」

 串原はコクピット席に乗り込むと、機長がいつもやっている様に、まずコクピット脇に置かれた写真を袖で磨いた。写真には自分を含めた三人の搭
乗者と開発スタッフ、その背後にロールアウトされたばかりの『アサルト・ドラゴン』が写っていた。

 ニュートライズ(制圧)・ヘリコプター『アサルト・ドラゴン』はE-101ヘリに後継が決まったME-53J『シー・ドラゴン』掃海ヘリの延命措置を模索す
る段階で生まれた改造機だった。
 しかし、その性能と形状はまったく別の機体と言ってよい。
 まず、機体の外部的特徴はコクピット下部に取りつけられた菱形のカナードと機体側面から突き出た砲身がある。カナードはフライ・バイ・ワイヤー制御になっており、揚力確保と高機動化が実現した。最大90度まで仰角が付けられる為、高速機動状態ではエアブレーキの役割も果たしす。
 この機体はヘリでありながら、戦闘機と張り合えるほどの性能を秘めていた。
 武装は本家の戦場制圧機AC-130に習い、機体側面をぶち抜いてM61 20ミリ・バルカン砲と40ミリ低圧ライフル砲を並べられ、コクピット側面にも前方攻撃用M61 20ミリ・バルカン砲を搭載されていた。
また、エンジン下部からスタブウィングが延びており最大16発の各種ミサイルを搭載できた。
 センサー・システムは機首部を延長して取り付けられた試作のフェイズド・アレイ・レーダーに、コクピット上部に主要センサー群、そしてローター・マスト方式でESMセンサーといった具合で、その他にもソノブイランチャーや吊り下げ式ソナーも装備しており、音紋解析作業は自機内でおこなえた。
 このヘリはまさに万能だった。
偵察、対空、対地、対艦、対潜をそつなくこなし、武装を制限すれば30名の兵士を輸送することも出来た。
欠点といえば、あまりに試作品を流用しすぎていることで、それは兵器としての価値を落としている事に他ならなかったが、『アサルト・ドラゴン』の開発スタッフは自信を持ってこの機体を納入し、三名のクルーもそれを信用していた。
 3000馬力を超える三基のエンジンが力強い爆音を響かせる。

「いつ聞いてもいい音だなぁ」

 串原はヘッドセット越しのこの音が好きだった。エンジンをアイドリング状態にすると、シートを寝かせてしばらくこの音を聞き入った。

「おい!」

 突然声をかれられ、串原が泡をくった顔をして振りかえった。
不精ひげを生やしたニ佐がシート越しに睨んでいた。寝ているところを叩き起こされた顔だった。

「巣南機長!」
「まったく勝手にやりあがって、咬龍はデリケートなんだよ」

 クルーの間ではこの機体を開発部のコードであった『アサルト・ドラゴン』とは呼ばず『咬龍(こうりゅう)』の愛称で呼んでいた。また、機長自身のTACネームも『コウリュウ』であった。

「どこにいたんです?」

 串原に代わって巣南が機長席についた。寝袋を引きずっていた。

「カーゴ」

 ヘッツドセットを被りながらあっさりと知った。

「なんでまた?」
「同室の奴のいびきがうるさくてな…寝れたもんじゃない」

 寝起きの目を擦りながら、恨めしい視線で後ろの機付き長をみる。巣南ニ佐の同室は串原哲一曹だった。

「どうせ、船の連中と麻雀でもしていたんでしょ。どうだったんです」
「負けたよ、船乗りは怖い。とぶのか?」

 巣南機長は隅に転がっていたフライト・メットに手を伸ばした。

「はい、同僚(陸自)の支援でラードゥガ高地まで、我々の本分たるニュートライズ・ミッションです。
敵は戦車50輌を含む機甲部隊、交戦規定解消後、本隊を支援し制圧せよと。場合によってラードゥガでの民間人救難があるかもしれません」
「補給は受けられるんだろうな。そんなに遠くちゃ帰れんぞ」
「しばらく向こうに留まるみたいですよ。例の機動化学科中隊に一時的に編入されるようです」

 大きなバックを抱えた美山副操縦士がコ・パイ席の入ってきた。

「機長、何処にいたんです?」
「魔法のランプの中さ」

 美山ニ尉はバカらしくなってそれ以上訊こうとしなかった。

「エア・ボスに離陸許可とって来ました。いつでもいいそうです。
装備は対地誘導弾8、ロケット弾ポッド4、20ミリ弾、40ミリ榴弾がフルです。ウィングの端にはいつものように91式を付けておきました」
「通信、管制につないでくれ」
「了解」

 副機長はタッチパネルを操作さして、航空管制室につないだ。

「コウリュウより、アカギタワーへ、これより離陸する。注意点はありや?」
「こちらアカギタワー、天候はしばらく崩れる様子はない、ESMにはイタリア軍とスプリットのイギリス軍レーダー波を捕らえている。しばらく低く飛んでくれ」
「最初からそのつもりさ」
「向こうに留まるそうだが、何か言い残す事はあるか?」
「操舵の白川さんに、この前の麻雀のツケ待ってくれと言っといてくれ」
「了解、武運を祈る。アウト」

 巣南はエンジンのパワーを上げ機体をふわりと持ち上げると、
海面へ出て赤城貨物船の甲板より低く飛んだ。
 咬龍の三人のクルーは陸海空の自衛隊の混成だった。コ・パイロットは海上自衛隊の美山恵那ニ等海尉、機付き整備長は陸上自衛隊の整備科の串原哲一等陸曹、そしてパイロットは航空自衛隊で元イーグルドライバーの巣南健二ニ等空佐だった。
 咬龍ヘリは自衛隊のある種のプレゼンスの結晶のようなものだった。



 高鷲は住宅地にはいると、ハッとなって立ち止まり、辺りを見回してから自分がとんでもない事をしていることに気付いた。あの時、引き返そうとした高鷲は、一瞬見覚えのある顔が目に止まったのだ。誰なのか、しばらく思い出せなかったが、今になって気付いた。高地にいた、あの人だ。
 「有機的に、有機的に…」

 高鷲は路地の影に潜みながら、自分の行動をイメージした。
 来てしまったものは仕方ない、空挺としての仕事である後方撹乱の為、追跡していた四人の兵士を仕留めようとしていた。
 狙撃銃を肩に掛け、バヨネットを構える。弾をあまり使いたくなかった。高鷲の装備はここではあまりにも特異的で、弾切れしたからといっておいそれ置いていけるものではなかった。
 足音が通り過ぎていく。

「待て、待て…」

 自分自身にコールしながらR93LSR2狙撃銃のストレートプル・ボルトアクションを作動させる。
「ナウ」に変わった瞬間、高鷲はバネに弾かれたように路地へ飛び出した。

 四人のゲリラ兵が前を歩いていた。一人が後ろを向いている。高鷲はまずその兵士の首を真一文字に切り裂いた。がくんと崩れる体を掴み、音を殺して次の兵士に手を掛ける。三人目の兵士が気付いた。
高鷲は予めずらしておいたR93LSR2狙撃銃をくるりと回して脇で固め、一発で相手の顔面を撃ちぬいた。
先頭を歩いていた兵士に後ろから持たれかかる。
 先頭の兵士が最後に見たものは、自分の脇を通り過ぎる人影だった。その瞬間わき腹を刃物で抉られ、激痛を伴う前に首を掻っ切られ意識を失った。
 高鷲は四人の死体からAKSライフルとマガジンを回収すると、足早にその場を立ち去った。



 萩原はコンボイを追い越し、自分を乗せたOH-6を広場に着陸させると「大洞何処だ!」と叫んだ。

「ここだ、相変わらず派手な登場しやがる」

 教会の中から大洞連隊長が飛び出してきた。

「ここの指揮は俺が取る。こいつで戻れ!」
「一個小隊が町の奥へ入って救難活動をしている」

 銃声が散発的に響いていた。

「AKだな、大丈夫。うちの小隊が前にいるはずだ」
「いつの間に?」
「これでも黒子部隊だからな。ハンズフリーで交戦できるのは俺達くらいだろ」
「先遣隊の車輌が来たみたいだな」
「正確には先遣隊の先遣だ。威力偵察部隊だろう。いまは速度を落としている。恐らくこちらの存在に気付いたのだろうな」
「よし、ここの指揮はお前に任す。くれぐれも部下を弾除けにせんでくれ」
「わかったよ」

 OH-6は大洞連隊長を乗せると素早く離陸した。
萩原はその場にいた第ニ普通中隊第二小隊の小隊長に住民をコンボイに載せる段取りを簡単に説明し、
第一小隊の現在地を聞き出すと3丁のMP5SD5を持って駆け出した。

 ほんの3分走って鹿間小隊長の第一小隊に辿り着いた。

「第一空挺団、萩原俊樹三佐だ」
「第七師団、鹿間亮ニ尉です」

 第一小隊の面々は、3丁のMP5SD5を肩に掛け、防眩迷彩の黒装束姿という萩原のあまりに特異な装備に目を剥いた。誰かが「俺のサバゲ―の装備と一緒だ…」と漏らした。

「あの…?」
「まっ、そういう部隊だ。おもちゃじゃない実銃だ。君達がいまだ敵兵と出会っていないのは、君達の前に私の部下がいて連中が交戦しているからで、装備はこれと同じ。知っている奴はわかると思うが消音器付きで銃声がしない」

 皆があっけに取られている中、森茂だけが目をきらきら輝かせていた。

「鹿間ニ尉、すまないが部下を二名ほど貸してくれ」
「はぁ…」
「隊長、俺をいかせて下さいよ」

 森茂の声が弾んでいた。

「死ぬかもしれんぞ」
「大丈夫ですよ。俺らの前にいるのは陸自最強のコマンド隊長ですよ」
「う~ん」

 他に名乗り出る者もいなかったので鹿間は渋々森茂を出した。もう一人迷っていると前田ニ士が「俺、いいですよ」と名乗り出た。

「いいのか前田?」
「誰もやらないなら、階級の低いのがやるしかないでしょ」
「わかった。萩原ニ佐、森茂、前田の両名をニ佐にあずけます」
「生きて返してやるよ」

 萩原はMP5SD5を二人に渡すと「遅れた奴は置いてゆく」と言って駆け出した。



 OH-6に乗った大洞連隊長は機内の無線機で高地に展開する機甲部隊に第二種警戒体制を取らせた。
下界に見えていた小さなライトが次々消えてゆき、本隊が暗闇に消えた。

「準備はいいか、諸君」

 大洞は無線を全部隊に通すとまずそう呼びかけた。

「我々自衛隊は発足以来初めて本格的実戦を経験しようとしている。
これは喜ぶべきなのか、否、悲しむべきだ。
おおよそ軍事的組織においてその第一任務は、その存在意義を示し抑止力となる事である。
その第一任務が達成できなくなることは悲しむべきだ。しかし、このバルカンの戦禍は我々国際社会の無関心から招いた結果ではなかろうか。ならば我々はこれから始まるであろうジェノサイトを防ぐため、我々の持つ能力を行使しよう。後の歴史家がこの戦闘を自衛隊の新たなる1歩と見るか、旧軍への転機とみるかわからない。しかし、私は戦争を見極めることは出来ないが戦場を見極めることは出来る。
この作戦が完了し一人の欠員もなく皆と顔を合わせる日を望んでいる。
 では諸君らの奮闘に期待する。アウト」

 無線機を切ると大洞ははぁ、とため息をついた。

「いい訓示でしたよ」

 OH-6の機長が冷やかした。

「ふん、辞表なんて用意してないぞ」

 本隊へ向っていたOH-6はくるりと旋回しながら降下し、地表近くへ降りるとNOE飛行で東へ向った。





最終更新:2007年10月30日 23:17