第6話


土岐は相手のナイフが首に掛る寸前、肘打ち食らわして避けた。首からヒンヤリとした鮮血が垂れるのがわかる。気管や頚動脈まで達していなかったのが幸いだった。
 振り返ろうとする間に、またしても敵が突っ込んできた。
今度はナイフを腰で構え文字通り突っ込んでくる。一瞬早く土岐が脇にかわした。そのまま相手の右腕を掴み、ナイフを叩き落とそうとする。 相手の力が意外に強くてナイフは握られたままだった。顎に一撃食らわせ、相手が怯んだ隙にこちらもバヨネットを掴み態勢を立て直す。
 2、3度鍔迫り合いをした。相手のナイフはこっちのバヨネットと似たり寄ったりの長さだった。煙幕で相手の顔が見えなかったが、ニヤニヤ笑っている気がした。
突き出されたナイフをバヨネットの柄でかわし、そのまま反撃に出る。相手もそれを予想していたらしく、あっさりかわされた。
 土岐は劣勢だと感じた。なにしろ自分が築いた障害物と死体で足場が悪い。
右足で踏んでいるのが上に毛布を敷いたコンクリートブロックなのか、死体の頭なのかわからなかった。
首から流れる血が煙幕の中で目立っていた。相手はそれを目掛けて攻撃すればいいだけなのだ。
 間合いを取って不用意に動かなかった。相手も回り込みながらこちらの出方を待っている様子だった。徐々に間合いを詰めてくる。
 緊張の糸は不意に切れた。敵はナイフを構えながら向ってきた。振り下ろされたナイフを避けるのは土岐には造作も無いことだったが、後ろにかわした瞬間、死体の腕が足に引っかかって無様にすっ転んだ。相手はこの好機を逃すはずが無く飛び掛ってきた。

 「クソッ!」

 土岐はうめきながら相手のナイフを防いだ。しばらくもみあいになり、土岐は必死で首に突き立てられるナイフを掴み応戦した。
力比べはほとんど互角の戦いだった。視界の端に映った人影に注意をはらう余裕は無かった。
 突然、敵が顔をしかめて身体が震った。ナイフを握る力が無くなり、気が付いたらあっけなく死んでいた。

「大丈夫か?」

 物陰から銃を握った人影が近付き、土岐の体を起こした。てっきり同じ部隊の隊員だろうと思っていた土岐は、見なれない顔の自衛官に驚いた。
もっている銃こそ自分と同じMP5SD5だったが、戦闘服等のその他の装備は一般隊員と変わりなかった。

「しっかりしてくれよ。お前さん普通の歩兵とは違うんだろ」

 土岐の腕を掴んでぐいっと置きあがらせながら、その隊員は言った。

「あんたは?」

「前田太尊、臨時隊員だ」

 前田は挨拶もそこそこに土岐の築いた塹壕へ入り、応戦態勢を取った。西側の銃撃戦はいつの間にか終わっていた。

「首から血が出ている。こいつを使え」

 あとに続いた土岐に救命パックを投げ渡す。

「あ、ありがとう」

 首に包帯を巻きながら土岐がはたどたどしく礼を言った。傷は縫うほどのものではなかったが、放って置いていいものでもなかった。
 萩原隊長が塹壕へ飛び込んで来た。

「すまない、住民の避難でカバーが手薄になっている。先に前田を送ったが間に合ったか?」

「命を助けられましたよ。いったいどこで見つけてきたんです?」

「逸材を見つけるのは得意でな。敵の様子はどうだ?」

「後退していく」

 前田が告げた。

「西側の路地と呼応した行動だったらしい。戦術を立て直すための一時的なものだろう。住民の収容が完了した。 住民の避難が完了しだい我々も後退し態勢を立て直す」

「そんな! 高鷲はどうするんです!?」

「馬瀬から連絡があって、ヘリが向っているそうだ。もともと住民救助用の切り札だったが、住民の数が少なくて何とかこちらで収容できた。 高原地帯の戦闘が終結したら迎えに行かせる」

「高鷲にその事は?」

「無線で呼びかけた。クリック音で返事が聞こえたそうだ」

「そうですか、了解しました」

 そう答えたが土岐はここで粘れるまで粘ろうと思った。
 いくら指揮を離脱したはぐれ者であろうと高鷲は10年来の朋友であり、共に戦う戦友なのだ。割りきって見捨てられるほど土岐は薄情な性格ではなかった。



 高地ではようやくその火蓋が切って落とされようとしていた。セルビア解放軍の威力偵察部隊が陸上自衛隊の90式戦車隊へ近付きつつあった。
 連隊の野戦指揮所には戦車隊から行動指令を催促する無線がひっきりなしに届いていた。

「まったく戦車屋っていうのは、こうも気が短いものか!?」

「華ですからね、戦車は。普通科のミサイルに獲物を取られるのが怖いんでしょう」

 作戦幕僚が机の上に開いたマップを眺めながら、さらりと言った。
 大洞はジオラマに歩み寄り状況を確認した。白線で引いた防衛ラインの前方に示威活動中の戦車部隊が並べてあり、 ライン上にはそれを支援する普通科部隊が展開していた。その後方に特科部隊が配置されており、この指揮所はそれらよりさらに後方に位置していた。

「東戦線が終結して、戻る途中でここに来たジャーナリストのグループがそこら中にいます。確認されているだけで4グループ、ラードゥガへ入ったグループも含めると5グループが我々の行動を見ています。ABNのテレビクルーが96式多目的誘導弾の発射場に張りついてて、どうにも退かせないそうです」

「厄介事が増えてくばかりだな」

「彼らの取った映像は確実に日本でも放送されます。謙退な行動が必要です」

「謙退、謙退じゃなにもできない。予定通り示威行動へ出よう。まずは空へ空砲だ。戦車隊へ通達しろ」



「まったく指令部の連中は、俺達の事を警察かなにかと勘違いしているんじゃないか!?」

 90式戦車を主体とする機甲部隊長の村上ニ佐は、90式戦車の車長席で憤懣やるかたないと怒気を飛ばした。

「まっ、無抵抗じゃないだけいいと思えますけどね」

 砲手の矢部准尉は素っ気無く答えながら120ミリ滑腔砲に空砲を装填した。

「空砲だぞ、無抵抗じゃないか。だいたい、89式FVがミサイル食らっているんだから交戦規定はクリアじゃないか?」
「あれは舞台裏の出来事ですよ。我々は陸の顔ですし、この高地が本来の戦場です。戦争は今から始まるんですよ」
「それで初弾が空砲か」
「まったく自衛隊らしいじゃないですか!」

 操縦手の金村曹長が口を挟んだ。

「俺らが米軍とは違うと言うことを見せ付けてやりましょうよ。ええ、それで犠牲が出ようと、自衛隊としての宿命が蔑ろにされることは無くなる!」
「金村、お前やけになってないか?」
「はっきり言って自分でも頭に血が上っていると思いますよ!」

 理不尽な事に熱っぽくなるところが、この操縦士の性格だった。

「相手の立場も考えてみてくださいよ。空砲なんて屈辱的だ。初弾必中! 戦車乗りなら初弾から徹甲弾を使うべきです。 それで力の差を見せれば相手も馬鹿げた突撃はしなくなるし、双方の最終的な犠牲も少なくなる」
「面白い答えだな。今度の人事で富士学校にでも送ってやろうか?」
「結構です。自分にはこのせまっ苦しい棺桶が似合っています!」

 村上隊長は部下達の心情を確認すると、自分の考えを話した。

「それでだ。お前ら、俺は派遣が決まってから、こうなることを予測し対策を練った。
その場しのぎのちゃっちな頓知を使わず、指揮所から効果弾使用許可を受ける作戦だ。そうすれば今後の作戦も逡巡することなく遂行できる」

 村山は車外への無線が切れていることを確認してから、その作戦を話した。

「なるほど、そいつは名案だ!

 と金村は絶賛したが、矢部は額にしわを寄せて、何かを考えてながら答えた。

「面白い作戦ですね。でも砲手の私がそれを知らなかったというのは問題ある気がしますが・・・」
「この作戦の参加車は半分しかいないが、各車長にはすでに話してある」
「これでだめなら、いよいよ陸自は用無し。持っている兵器を永遠使えないチキンになってしまいますよ」
「敵勢車輌射程内に入りました。示威行動フェーズ3威嚇射撃に入ります」

 90式戦車の120ミリ滑腔砲の砲身が空を向き、次の瞬間凄まじい轟音と空気の波動が高地を制した。

「敵車輌、変化ありません。・・・応射を始めました」

 矢部砲手が報告する。車長用独立熱源映像装置(CITV)で見ると敵戦車が反撃を開始しているのがわかった。 当たる気配は無いが、この距離なら被弾したとしてもかなり砲弾のエネルギーはかなり削られている。

「ヒグマ・リーダーより全車へ、もう一斉射して塹壕へ退くぞ」

 再び轟音が響いくと、戦車隊は戦車塹壕へと引き返した。

「それで隊長、いつ行動に出ます?」
「この作戦はタイミングが全てだ。ある程度こちらも危険を冒さなければならん」
「了解、チキンゲームを楽しみましょう」



 高鷲はゲリラに注意しながら銃声と爆発音のした民家へ辿り着いた。付近に敵の影はなかった。
路地裏から裏口に入ると焦げた肉の匂いと血の匂いが鼻をついた。
 機動化学科中隊仕様のザウエルSP2009ピストルを構えながら奥へ入る。階段の付近に身体を穴だらけに死体と四散した肉塊が壁に焼き付いていた。
いったい何人が犠牲になったのか分からなかった。匂いの正体はこれだった。高鷲は足元にあった金属片を拾った。

「破片型の手榴弾…、トラップか」

 階段を上がると、そこにも二人の死体が転がっていた。一人は喉を切り裂かれ、もう一人は額に風穴が開いていた。 高鷲は犯人は一人だろうと思った。複数ならもっとチームワークの取れた作戦におこなうし、同時に攻撃をしかける。 銃声と爆発音は間があった。二人一組が厳守の機動化学科中隊のチームならこんなことはしない。近くに転がった包丁を見て、高鷲にはピンときた。階段の死角に隠れながら一人目をやり過ごし、後ろに続いていたコンビを斬殺し、その後銃を使って前の兵士を倒した。
 そして銃声で下の連中を集めてトラップで一網打尽にしたのだ。自分が同じ状況ならそうする。
 いや、そこまで作戦を立てれたかもわからない。乱暴だが要点を突いたやり方だ。そんなことが出来るのは高鷲の脳裏に一人しかいなかった。
 道徳的にはともかく、サバイバーとしては、高鷲はまったく尊敬に値する人だと思った。

 突然下から怒鳴り声と物を蹴り倒す音が響いた。大勢いるようだ。身を隠す場所が見当たらなかったので、窓から屋根へ上がった。 高鷲はロシア語はわかったが、同じスラブ系でもセルビア語はほとんどわからなかった。
 高鷲は屋根から身を乗り出し、逆さまになったの格好のまま窓からそっと中を覗いくと、指揮官らしい男が怒気を吐く傍で、背中に大きな通信機を背負った兵士が、通信機から伸びる受話器でどこかと連絡をとっていた。
 こんな所に来るとは迂闊な指揮官だが、戦場に真っ先に飛び込む自分の中隊長に比べれば謙虚なものだった。
 手榴弾を投げ込んでやっても良かったが、自分の生存を危うくするので止めておいた。
 高鷲はチャンスを狙って、しばらく彼らを追跡することにした



 野戦指揮部ではジオラマを睨みながら次の行動を模索していた。

「進軍速度が意外に早いですね」

 無人偵察機から得られる最新の映像では敵車輌隊は砲撃を行いながら無停止前進で接近しつつあった。

「実弾を使う前に、もう一つ何か我々に決断される何かが必要だな。くそっ、十分な警告ってなんだよ・・・」

 大洞連隊長はジオラマを睨み付けながら、吐き捨てた。正直なところ、今回の派遣に対して立案された法律も、彼らの足を縛るものに他ならなかった。

「他の部隊は?」
「96式とFVを主体とした普通科部隊は戦車塹壕から300メートル後方に下がっています」
「これ以上引き伸ばすとラードゥガからの脱出も困難になるぞ」
「戦車隊が敵戦車砲の射程内へ入りました。しかし、まだ敵側の夜間戦闘能力を考えると脅威度は薄い模様です」
「それでも当たれば被害が出る事には変わりないだろ」
「村上ニ佐から通信が入っています」

 無線機に取りついていた通信員が告げた。

「大洞連隊長、こちら村上ニ佐です」

 大洞が受話器を掴むと、無線の後ろから何かが爆発する轟音が聞こえた。

「敵弾です。これでも100は離れています」
「観客がいる。武力執行はまだ待ってくれ」

 鳥頭が!! あんたさっきの訓示でなんといった! 村上は怒りを押し込めて、毅然とした態度を取った。

「アクシデントです。今回の派遣が急であった事もあり、各車に十分な給弾がされていませんでした」
「なんだって!? 規定の32発を搭載していないのか?」
「いえ、砲弾は32発搭載されています。空砲を使いましたから現在30発です」
「じゃあ、何が足りないんだ」
「有効砲弾の種類です。装弾筒付翼安定徹甲弾、多目的対戦車榴弾等は25発しか搭載されておりません」
「残りの5発はなんだ」
「訓練弾です」
「訓練弾?」
「弾頭に石灰を詰めてあるだけで機甲撃破能力ははありません」

 装甲をまじめに張っていればな。無線の向こうで村上はニヤリと笑った。
 戦車砲の真価は弾頭の小細工ではなく、その弾速にあるというのが村上の持論だった。

 大洞連隊長は意外な事態に、次に何を尋ねるべきか考えた。

「待て待て、では訓練弾を使用した警告射撃は可能か?」

「はい、長年戦車に乗っている者として、この砲弾による撃破は困難なものの、ある程度のダメージを与える事は可能であると判断します」
「よし村上ニ佐、訓練弾による直接射撃を許可する。被弾させて敵対行動とる車輌のみ有効弾頭を使用して良し」
「OK お前ら言質は取ったぞ」

 村上は満面の笑みで車間無線に取りついた。さっそく28輌中故意に訓練弾をを積弾させた14輌の部下に目標を割り当てる。

「オーライ、隊長。さっそく見えてます。距離3000」
「よっしゃ! 矢部、駆動部に当てて擱坐させろ。そのあと砲塔にブチ当てて終わりだ」
「了解、撃ちます!」



 90式戦車隊から攻撃が開始された。その様子は今だラードゥガに留まっていたフリーランス・ユニオンのジャーナリストたちにも見えていた。 一本道の山道の安全が確保されていないため、足止めを食らっていた。 それに仲間が一人行方不明だ。すでにそのことは自衛隊に伝えてはいたが、彼らはこの場所の防衛で手一杯の様子だった。

「あ…、ようやく始めたようだ」

 バンの上に立ったアル・ハザットはパシッブ赤外線装置付きビデオカメラの倍率を最大に上げ、その様子を撮影した。 奇妙な事に気付いた命中したはずの戦車は撃破された様子は無く、姿勢を崩しただけだった。爆発する様子もない。かわりに煙幕みたいな白煙が上がった。

「弱装弾か?」
「いや、違うな」

 隣で双眼鏡を覗いていたドイツ人のヘルマンが答えた。

「兵役についていた時、レオパルトの演習で見たことがある。訓練弾、中身は石灰だ」
「石灰? なんでまた」
「旧軍との違いを見せ付けたいんだろう。ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォースは、たとえ犠牲を出そうとな」
「そんなの無意味だぞ。兵隊を犠牲にすることじゃない」
「日本は半世紀前の大戦をいまだに引きずっている。冷戦の最前線だったドイツとは違うからな」
「馬鹿らしい。そんなこけおどしの通じる相手じゃない事は彼らも知っているはずだ」
「まぁな、しかし見ろ被弾した戦車の動きが鈍っているだろ。弾頭がなんであれ音速の数倍の速度で飛んでくる物体を食らったらダメージは受けるさ。 しかし、次の砲撃が効果弾でなきゃ、俺達も諦めたほうがいいかもしれないな」
「次は実弾に賭けるよ、現場の兵隊はそんなにバカじゃない。
 それに石灰弾の砲撃なんて司令部が思いつくような手じゃないしな。これが彼らのギリギリの妥協だ」

 自衛隊のニ射目は、期待した通りだった。訓練弾攻撃を受けた8両中2両が敵対行動を示し、高速徹甲弾によって撃破された。 戦車に搭載されたエレクトロニクスの違いがはっきりとわかる戦闘だった。

「敵撤退していきます」

 熱赤外線映像装置を見ながら、矢部が淡々とした声で報告する。敵戦車は砲塔を空に向け無抵抗の意思を示しながら、脱兎のごとく後退していった。

「まっ、これで奴らも、こっちが本気だとわかっただろう」

 村上戦車隊長は得意気にフフンと鼻を鳴らした。

「次はこの倍以上の戦車が来るんですよね」
「どうした矢部、怖いか」
「いや、ちょっとは普通科の連中にも御裾分けしてもいいかなぁて」
「次はこっちも普戦チームでいくから、おちおちしていると獲物をごっそり取られるぞ。なんせ向こうはミサイルなんて卑怯なもの使うからな」

 今回は示威行動のみとしていたため戦車部隊のみの行動であったが、通常は戦車の特性を最大限に発揮しつつ、 同時に弱点を克服するため普通科部隊と組み合わせた「普戦チーム」と呼ばれる部隊を結成して行動する。

「さて金村陸曹長、今のうちに砲塔に撃破マークを描いておけ」
「了解」

 金村がスプレーとプレートを持って90式戦車の砲塔に取りつく頃、後方の野戦指揮所はようやく戦車隊に騙された事に気がついた。 落ち着いて考えれば、安全のため一発づつ手作業でおこなう砲弾の積載作業では、そのようなことが起こる筈が無い。初めから使用する目的で訓練弾を積載したのだ。しかも、その威力たるや装甲車程度なら簡単に無力化するほどの威力で、現に8両の敵戦車のうち5両が擱坐した。後退したのは辛うじて動けた満身創痍の3両だけだった。

「どうやら、我々は抑止力という防衛ラインを突破したようですね、連隊長」
「こちらが望んだわけじゃないが、いずれはこうなるんだ。厄介事は早めにかたつけた方がいい」

 両手を腰に宛がい大洞が漏らした。

「この段階までに戦死者が出なかっただけでも幸いか」
「いずれにせよ、我々はもう引き返すことは出来ません」
「ああ、すぐ普戦チームに交戦態勢を取ってくれ、忘れるな敵は先遣隊だが我々より兵力は多いんだ。
全部隊に通達、陸上自衛隊トゥズラ派遣連隊はこれより戦闘態勢を発令する!」

 大洞は最後の言葉に決意を込めた。



 普通科部隊長の坂祝ニ佐は指揮所からの伝令を伝えられると82式指揮車を降り、96式多目的誘導弾を指揮する林一尉に「いよいよ、おっ始めるぞ」と告げた。

「ようやくですか」
「ああ。お前たしか村上ニ佐と組んだことがあるって言ていたよな」
「ええ、富士の演習場で目の仇にされました」
「どんな男だい? 俺、トゥズラで顔合わせたばっかりでさ」
「生粋の戦車野郎ですよ。あの人は死んでも歩兵に頼ろうなんて考えません」
「おいおい、普戦チームは基本だぞ。大丈夫かそんな奴」
「ま、冗談は置いといて、普戦チームの価値と意味はわかっていますよ。でも配置は今のままでいいでしょう。下手に出過ぎると轢き潰されるかもしれない。 拙いコンビネーションを組むより、互いの力を最大限に発揮し、任務を遂行することが効果的な戦い方であると考えています」
「互いに全力を尽くそうか。そっちの方がこっちも気楽だな」
「隊長はどうするんです?」
「前に行って各隊を激励したいところだけど、こいつタイヤだろ。どうするかなぁ」

 坂祝が82式指揮車を指差した。装輪車は路上ならまだしも、高低差がある原野を疾駆するのは不向きだった。

 キャタピラ音が聞こえフロントが黒く焼け焦げた89式戦闘装甲車が向ってきた。
 第ニFV中隊長の北濃車だった。爆破反応装甲が装備されているため、非常にゴテゴテしく見える。

「おっと、勇者の御帰還だ。どうしたんだ、ラードゥガへ入ったんじゃないのか?」
「ああ、部隊長。離れた方がいいですよ。こいつは全身に爆弾付けてますから。機関部がおかしいらしい。おぃ! 整備員はどこだ!」

 北濃三佐が車体から飛び降りて叫んだ。
 武器科部隊の隊員らが弁当箱のような反応装甲ユニットを持って89式戦闘装甲車に集まってきた。

「ちょっと装甲もいいけど、エンジン見てくれないかなぁ。水温が上がっているらしい」

 北濃が車体に乗っかった隊員を捕まえエンジンを指差した。

「あの人に言ってくださいよ」

「ヒュー!、反応装甲は当たりだ!」

 カメラを持った氷頭技師が現れパシャパシャとシャッターを切った。

「そういうの後にしてくれないかなぁ、あんた専門だろ」
「はいはい、わかってますよ。ちょっと操縦席にいれてください」
「わかった。三田出て来い」

 前部ハッチが開いて三田三曹が這いでると、入れ替わりに氷頭技師が入った。

「あー、かなりメーターが割れてますね。エンジンにダメージはないし、たぶんメーターの故障でしょう。ユニットごと交換します」
「35ミリ弾も給弾たのむ。だいぶ撃った」
「しかし、三佐。このテスト装甲で命拾いしましたね。TOWを食らってもこれだけ動けるのはなかなかですよ」
「TOW! サガーじゃなかったのか!?」

 北濃が驚きの声を上げた。てっきり東側製の対戦車兵器だと思っていた。まさか米国製の対戦車ミサイルとは夢にも思わなかった。

「OH-1の赤外線映像見ましたけど、TOWの初期型でしょう」
「なんでそんなものが、こんな所にあるわけ?」
「蛇の道は蛇、ブラック・マーケットならちょっとした戦闘機から最新の携帯火器まで手に入ります。とくにアメリカ製やフランス製はね」
「次は悠長なことは出来んな」
「連隊長は腹をくくりましたよ。発見即攻撃ができます」

「ちょうどいいや北濃三佐、そのFV、指揮車に貸してくれないか?」

 坂祝ニ佐が駆け寄ってきた。

「82式があるじゃないですか?」
「タイヤじゃダメだ。やっぱりキャタピラだな。うしろは空いているだろ」
「歩兵はラードゥガに置いてきましたから。でもこいつは戦闘車ですからね、危険ですよ」
「いいさ、決まりだ。すぐ無線機を持ってくる」

 なんだか指揮官達が前に出過ぎている気がした。



 セルビア解放軍、第17連隊365戦車中隊のアリヤ・ジェルゼレズ中尉は自分が乗車する一両を除けば、3両一小隊で編成した9両三個小隊の部下を率いて隊列の中程を行軍していた。彼の乗る戦車はT-72ではなく、それを改修したユーゴスラビア製のM-84といわれる戦車だった。

「こんな開けたところで戦うのか?、嫌な予感がする・・・」

 ジェルゼレズ中尉はキューポラから身を乗り出し双眼鏡であたりを確認しながらそう呟いた。
ハンドシグナルで部隊にデルタ隊形を取らせる。隊形を取らせている間に別の部隊の戦車隊が追い越していった。 最後尾の車輌から車長が乗り出し「お先に」と手を上げた。

「みんな、なんでそんなに一番乗りをしたがるのかねぇ、先陣争いなんて無駄な犠牲を払うだけなのに」

「褒賞目当てでしょ」

 砲手のモーリッチが素っ気無く言った。

「特に俺達なんてのは目の仇みたいにされてますからね」

 ジェルゼレズ中尉の載るM-84の砲塔には撃破マークが三つ付いていた。
彼の戦車隊こそがヴィシェグラード侵攻戦においてフランス軍のルクレール戦車を破った精鋭部隊だった。
だがジェルゼレズ中尉にいわせれば卑怯というレベルの狡猾な計略と一生分の幸運を使っておこなった下手な作戦だった。

「怖いよ。今度は部下を連れて帰れないかもしれない」
「隊長がそんな弱気じゃ困ります」

 操縦手のロビンスキーが言った。

「隊長だって人間さ。怖いものは怖い」
「でも、俺達は隊長を信じる以外ないですから」
「ま、やるだけのことはやるさ」

 彼はこの戦争が始まって、まだ一人の部下も失っていなかった。
それが彼のプレッシャーになり重く圧し掛かっていたが、それが彼の誇りであり、敵を撃破するより自慢できることであった。




最終更新:2007年10月30日 23:24