第8話


 人間の行為を引き起こす主要なもの、しばしば唯一の動機は恐怖である。やみくもの、無分別な、時々まったく根拠の無い、しかし真実の、深い恐怖。

 そう語る旧ユーゴ出身の作家がいた。ニナは脇腹を押さえながら、目の前に横たわるポロシャツ姿の男は、まさにその筆頭だなと思った。男は数秒前まで生きてマカロフ・ピストルを引きつった表情で撃った。弾は幸い防弾チョッキで防げたが、いかにライフル弾を食い止めるタイプの防弾チョッキでも、並の防弾チョッキなら貫通するほどの威力を持つマスロフ弾の衝撃を全てを吸収することは無かった。

「大丈夫ですか」と母親が尋ね、「ええ…」とだけ答えた。

 スコーピオンを握る手の震えが止まらなかった。今まで何人もの敵対者を殺めておきながら、 いまさら殺人への罪悪感を感じる自分が怖かった。
 堪らずもう一方の手で、その手を包む。
 無神論者のニナには祈る神はいなかったが、初めて何かにすがりたいと思った。間髪をおいて、頭の隅に残った気丈な理性が、「否」と否定した。いわく、祈る暇があればその間に何をすべきかを考えよ、と。

「この地にキリストもマホメットもいない。いるのはマルスとアザレルだけだ…」

 ニナは恐怖と憎悪からくる暗いの感情を振りきるため、呪文のように呟いた。



六本木の作戦部に急遽搬入されたワイドテレビはABN放送を映し出していた。

「グランド・セルフ・ディフェンス・フォースによるミサイル攻撃が開始されました!」

 テレビ画面の中でABNのキャスターが絶叫する。
 その背後で高機動車に乗せられた六連装ランチャーから96式多目的誘導弾が次々と発射されていた。
 普通科隊員がカメラの前に立って、「危ないから下がって」と声を掛けていた。

「取材を許可した覚えは無いが?」

 と雷倉健陸将が誰にともなく問うた。

「バルカンはジャーナリストの見本市です。想定されていました」
「高い96式をバカバカ撃って…、来年の調達費はどっから捻出すればいいんだ」

 会計科が鉛筆を舐める。

「財務省の役人でも連れていって、結果を見せればいいだろ」

 ファックスが鳴って、用紙を吐き出した。

「研究本部から評価が来ました!」
「どうだ?」
「評価D、シビアです。この画像は国民の理解を得がたいものです」

 雷倉健陸将は「そうだろう…」と漏らした。

「華々しくミサイルが発射される。まるで湾岸戦争やイラク戦争だ。無機質で残忍な…」
「時間が経てば、おそらく撃破するシーンも」
「国民はもうこの手の映像では納得しないだろう。ここが正念場だな」



 戦闘が小競り合いになると、高原は暫しの静寂に包まれた。まもなくして稜線の付近で閃光が瞬き、数秒遅れで腹に響く轟音が轟いた。戦車砲の音だった。
 OH-1を失って、手持ち無沙汰になった茂住三佐と高岩ニ尉は再出撃していくナイト・コブラを恨めしそうに見上げていた。

「カワセミ1、そんな目で見ないでくださいよ。こっちはこれから戦場へ行くんですから」
「何なら代わってやってもいいぞ」
「冗談を。とりあえず独立行動だけでやってみるんで、指揮はこっちで預かります。地上との連絡たのみますよ」
「わかったわかった。さっさと行ってこい。アウト」

 茂住三佐は手に持っていた無線機を切ると「これじゃあ、届かん」と漏らした。
 所詮、ハンディー無線機では衛星経由でもない限り見通し距離がいいところだった。

「どっかで無線機を調達する必要がありますね」
「無線機は中隊規模のヤツをかっぱらえばいいが、目がないとどうしようもないぞ」
「目ですか…、あれなんかがいいんじゃないですかね」

 高岩ニ尉が林の中にカモフラージュされた81式短距離地対空誘導弾の射撃統制装置を指差した。

「なるほど、対空レーダーか。あれならコブラの位置もわかるな。よし、使わせてもらおう」



 ジェルゼレズ中尉の中隊は丘を盾にしながら移動いていた。不用意にそこから顔を出せば、即砲弾が飛んでくる状況だった。 その砲弾の命中率たるやスナイパー戦車とよばれたM-84の数段上回る性能だと思えた。

「あいつら半世紀前に特攻とかカミカゼとか、本当にやっていたのかよ。随分堅牢な防御陣じゃないか」

 自衛隊は幅200メートルほどの間隔で戦車を配置し、防御に徹していた。
 迫撃砲でも撃ったところであっさりとかわされたうえ、迫撃砲自体に自走砲の応射が雨霰と降り注いだ。

「暗視装置のレベルが違いすぎますよ」
「だが、昼間にやったらもっと犠牲が増えるぞ」

 轟音が響いて、前方の戦車が砲塔が吹き飛んだ。

「こちらグローム22、われ被弾!戦車長がやられた!!、繰り返す・・・」

 無線機から悲鳴が聞こえてくる。

「どうします。中隊長」

 ロビンスキー操縦手が尋ねた。

「残念だがあちらの方が技術が高い、がそれは慢心を生む。よし、敵の裏をかこう。モーリッチ、徹甲弾装填。ロビンスキーあの丘の盛り上がったところまで行け」

 ジェルゼレズ中尉は、部隊に別方向への移動を命じ自らは丘陸の盛り上がった部分へ移動いた。

「モーリッチ、見えるか?」

「地面すれすれです。でもこれ以上出るとやられますね」

「ロビンスキー、エンジン目一杯吹かせとけ。モーリッチ、走行間射撃だ。できるな?」
「やるしかないんでしょ、全開走行中の射撃なんて初めてですからアテにしないでくださいよ」
「当たらなくても、それで相手が浮き足立ってくれればめっけものさ」



 村上戦車隊長はCITVのスコープに顔を押し付けていると、丘陸部に熱反応の靄が上がり、突然そこから戦車が猛スピードで飛び出してきた。

「まさか!?」

 村上が叫んだ瞬間、敵戦車が発砲し塹壕のすぐ脇に着弾した。衝撃で50トンの車体が揺れた。

「おい、あいつ走行間射撃ができるぞ」
「そんなバカな!? あの速度で射撃なんて、この90式でもジャイロと砲スタビライザをフルに使わなきゃ出来ない芸当ですよ。アナログ・コンピータがついているかも怪しい戦車が」

 矢部砲手がうめいた。

「砲手の腕がいいんだ。とんでもない動態視力の持ち主だぞ」

 三両の90式戦車が発砲したが、弾は虚しく地面を抉った。その戦車はほんの一瞬、姿を現しただけですぐに丘陸の影に消えた。速度が速すぎて応戦する時間すらなかった。

「以外な強敵ですね」
「ああ、いい乗り手だ」

 相手は旧式戦車だが、それだけでは戦力が評価出来ない。それに乗る乗員とそれを指揮する指揮官の力量が戦力となって初めて評価されるのだ。
 こいつは厄介な事になりそうだと、村上は思った。



 ジェルゼレズ中尉は丘陸の影まで逃げ切ると、額にたまった冷や汗をぬぐった。

「モーリッチ、よくやった。命中はしていないがいい手応えはあった」
「タイミングは掴みました。もう一度トライやらせてくれるのなら、次は当ててみせますよ」

 モーリッチはケロリとした様子だった

「いや、次は敵も警戒する。さてと次は別の戦法を取らないといけないぞ」
「正面は危ないですね。側面を突いたらどうです?」
「森を迂回しなければならないな。いけるかロビンスキー?」
「動き辛いけど仕方ありませんね」
「司令部に連絡して歩兵を付けてもらおう」

 ジェルゼレズ中尉は今日まで生きてこられたのは、この優れた部下達のおかげだと思っていた。 砲手モーリッチは下手なセンサーが敵を見つけるより早く目視で敵を見つけて撃ち抜き、 操縦手のロビンスキーはこの重鈍な戦車を、レースカーのように操ることが出来る。 その他の僚車たちも皆、実に良い戦友達だった。ゆえにジェルゼレズは誰も失いたくはなかった。



 咬龍はようやく追跡していた目標を捕らえた。すでにIRジャマーを作動させ、91式対空誘導弾にはバッテリーが入り、サイドとフロントの20ミリ・バルカン砲は使用可能な状態だった。
 巣南機長は赤外線監視装置が捕らえた映像を見ていた。正面12時方向に六機のハインドが映し出されていた。

「この低空だと連隊の連中は気付いてるかな?」
「この距離では93式の射程外ですし、まだなんとも言えませんね。連隊の側面をついて攻撃する気でしょう。ということは乗っているのはエリート空挺?」
「なんにせよ連隊の被害を回避せよという命令だから、撃墜していいんだよな」
「対空ミサイルは二発しか積んでませんよ?」
「ガンでやるさ。俺にとっちゃこんな相手七面鳥撃ちにすぎんよ」

 ハトンドが編隊を崩した。

「おっ、気付いたな。突っ込むぞ」

 次の瞬間、咬龍はとんでもない加速力で相手に接近した。散開を始めたハインド編隊の真中の機体が、
 まずコクピット側面に仕込まれた20ミリ・バルカン砲の餌食になった。それがハインド編隊の編隊長機だった。
 1機目を撃墜すると巣南はオーバーシュートする前にレバーを引いて上昇に転じた。突然警戒音が鳴り響いた。

「対空ミサイルなんて持っている奴いるの?」
「AA-8です。ということはハインドF型ですね。大丈夫IRジャマーが効いています」

 別名IRサプレッサーと呼ばれる対赤外線ジャミング装置は、それ自体が熱を帯び対空ミサイルが感知すね排気温度を変化させることによって、 ミサイルのロックをはずすことが出来る。フレアより効果はないが連続使用できるのが利点だった。

「よし、このままインメルマン・ターンといくぞ」

 そのままレバーを引き続け、咬龍が宙返りをした。地面が見えると同時に先ほどAA-8対空ミサイルを発射したハインドが飛んでいた。

「フォックス3!」

 コールと同時に引き金を引く。ほとんど真上から銃撃に晒されたハインドは、そのまま地面に落ちて爆発した。

「串原、次は何処だ!」
「3時の方向、距離700」

 巣南は機体をリカバリーさせる事無く、そのまま戦闘機の空戦機動でいうロー・ヨーヨー機動で機首を右に振った。その姿はとぐろを巻く龍のようだった。

「サイドでいくぞ!」

 距離が近すぎるのと、降下によって速度がついているため、フロントの機銃では照準が合わせられなかった。巣南はカナードでエアブレーキをかけると、コクピットの横にも付けられたワイドHUDに首を振り、通り過ぎる瞬間を狙って20ミリ・バルカン砲を斉射しながら交差した。エンジンから兵員室にかけて一刀両断だった。 ハインドは大鉈でバッサリと切り裂かれたように二つに折れながら墜落した。 

 また、ミサイル警戒音が鳴った。

「機長!、ヤバイ。デット6を取られてます!!」

「まかせろ!」

 フレアを放つと、カナードを左右逆に動かし咬龍が急旋回した。スピンしたのかと思うような急機動をおこない180度ターンする。ミサイルがフレアの中に突っ込んで爆発した。

「91式、いくぞ」

 91式対空誘導弾がスタブウイングを離れていく、ハインドもフレアの放ちながら回避行動に移ったが、
イメージ・ホーミング機能付きの91式対空誘導弾には無意味だった。あっさりとエンジン部分に命中して山肌に墜落した。

「あと二機だな」

「はい」

 またしても警報が鳴った。

「またかよ」
「いえ、今度はレーダータイプです」
「じゃあジャミングだ。串原! 電子戦開始しろ」
「了解、やっと俺の出番だ」

 串原が専用コンソールをあわただしく叩き始めた。

「ミサイル来ます!」

 レーダーでは二発のミサイルがまっすぐにこちらを目指していた。

「串原。ECMが弱いぞ!なにやってんの!!」
「おかしいですよコイツ、なんで効かないんだ…」

「さっきからなんかちょろちょろ飛んでるハエがいると思ったら、やっぱりお前らかよ」

 突然、誰かが無線から割り込んできた。三人の咬龍クルーには聞き覚えのある声だった。

「その声は茂住さん!?」

「お前らそのミサイルは陳腐な対空ミサイルと勘違いしているようだが、そいつは高射特科の誇る81式を改造に改造を重ねた最新型だ。邪魔だからさっさとどけ。撃ち落すぞ」

 いかにも指揮官らしい不遜な声だった。
 OH-X試作機のテスト・パイロットをしていた茂住三佐とは、同じ岐阜基地所属で、何度か模擬空戦をやったことがある顔見知りだったが、まさかこんな所にいるとは思わなかった。
 巣南は機体をリカバリーさせると、ゆっくり高度を落とした。81式対空誘導弾が残ったハインドを撃墜する。

「なるほど複合誘導のC型か、これじゃあ俺のジャムも掛らんわけだ」 

 串原がやれやれと両手を組んだ。

「一言ぐらい連絡しろよ、高射特科の連中いままでずっとお前らをボギー評価していたぜ。俺が火器統制室にいなかったら撃墜されていたな」
「何言っているの、かわしてみせるさ。ところでOH-1のテスト・パイロットが何でそんなところに?」
「それはOH-1が撃つ…ぐッ!」

 誰かが後ろから言いかけて殴られた。いつも余分なことを言う性格からするとからするとガンナーの高岩ニ尉だろうな、と思った。

「まぁ、飛ぶことしか能がないテスト・パイロットが、よりにもよって高射特科に間借りしているって事は、いろいろ訳ありかい?」
「そうだ、そんなわけでちょっと居心地が悪い。そこでお前らの機体を航空科の指揮機にさせてもらう。さっさと下りてこい。アウト」

 交信は始まりと同じように唐突に切れた。

「なんだよ。初めっから人の機体乗っ取る気で黙っていやがったな」





最終更新:2007年10月30日 23:29