第11話
ゲリラ部隊の追撃を振り切った高鷲は、民家の屋根裏部屋に潜みながら奪った無線機からの声に耳を傾けていた。スラブ系の言語なのでまったくなにを言っているのか、落ちついて聞けばわからないでもなかったが、7割は意味がわからなかった。
何か警告している感じだった。しかし、具体的な固有名詞が出てこないので、何を警告しているのかわからない、本当は自分の無線を通じて本部の翻訳家に通訳してもらいたいところだが、長時間無線の回線を開く事は、電波で自分の位置を露見する危険がある。
ともかく本隊と合流しなくてはと、腰を上げようとすると無線から耳を離そうとした。
「アスタロージナ・・・、グヴォジーカ・・・ジヴェーイ」
高レベルの暗号回線のため聞き取りにくいが、辛うじて意味のわかる単語が漏れる。
滝の様に血の気が引いて高鷲の顔が青ざめた。
「グヴォジーカ(カーネーション)だと・・・?」
グヴォジーカ。旧ソ連製の2S1 122ミリ自走榴弾砲の名前だ。幸い高鷲は昔野戦特科部隊にいて、敵製兵器について少しだが知識があった。グヴォジーカ自走榴弾砲、最大射程15.2キロ、発射速度毎分四発。迂闊だった。市街地への重砲攻撃はバルカン半島では常套手段だった。しかも、このラードゥガの町は山を削って階段状に造られているため、自走榴弾砲の砲撃を食らえば一溜まりも無い。
すぐさま無線機を取ったが、回線を開くのに少し躊躇った。
「…こちらミスト、ハチロク聞こえますか?」
「お前ぇ!! 勝手な事ばかりしやがって!」
怒りまかせに怒鳴り散らす川島に代わって、藤橋が無線に出た。
「ご活躍の様だな、ミスト」
「えっ、その声は化学隊の藤橋小隊長!? なんで」
「おう、援軍に来てやったぞ、こっちは任せとけ。今何処だ?」
藤橋は地図に高鷲の位置をマーキングし「随分離れてるなぁ…」と呟いた。
「はぁ、その…。敵指揮官を追っていまして…」
「てめぇにヤマモト・オプションなんざ10年早ぇんだッ!!」
「まぁ落ち着けよ、川島。ミスト、そっちまで援護を送れそうにない。自力で合流箇所まで向かってくれ」
「自分の事は構いません! 早くこの町を脱出してください!!」
川島と藤橋は目を合わせた。
「どういう事だ、ミスト?」
「自走榴弾砲がこの町を狙っています!!」
「自走砲だと!? そんな情報はないぞ?」
「気付いたときには砲弾は頭の上です! すぐに脱出してください」
「本当なのかそれは? 何処から仕入れた情報だ」
別の声が無線に割り込んだ。回線を開いていた者はそれが誰なのかすぐにわかった。萩原中隊長の声だった。背後から銃声が響いて、どうやら交戦中らしい。
「敵の指揮官付き通信兵から無線機を奪取しました。暗号レベルも高度です」
「最高のニュースだ、良くも悪くもな。全員撤収準備しろ。藤橋、89式でこいつら後ろから轢き潰してくれ」
「そんな!? 高鷲はどうするんです?」
「自分でいいと言っているんだ。さっさと部隊をまとめろ! それとも貴様は部隊を全滅させる気か!? 優先順位を考えろ!」
川島がしぶしぶ「了解」と答えた。
「俺は89式で中隊長や他の奴らを拾ってくる。本部に連絡して隠してある高機動車を出してこいよ。その間にアイツを助け出す方法を考えればいい」
藤橋は諭す様に言うとさっさと出て行った。川島はしばらく怒りで頭が回らなかった。
連絡を受けた野戦指揮部は蜂の巣を突ついたような大騒ぎになった。
「いったい何処から沸いて出た!? ドリナ川の橋を渡った形跡は何処にもないぞ!?」
大洞連隊長が叫び散らした。
「ものはグヴォジーカ自走砲ですか…」
作戦幕僚が頭をこつこつ叩いて、何かを思い出そうとしていた。
「…たしか、その自走砲は浮航能力をもってます。川を直接渡ってきたのでしょう」
「自走砲が渡河能力? 信じられんな」
「捜索範囲を広げるべきです」
「航空科以外に浸透偵察が可能な部隊は?」
「偵察隊が六個班。あと機動化学科中隊の二個小隊が後方撹乱に回ってます。しかし、機動化学科中隊の指揮権は我々でなく化学学校の馬瀬二佐となって…」
「かまわん! 馬瀬には事後承諾にしてもらう。捜索班にまわせ!」
加えたところで焼け石に水だなと大洞は思った。渡河能力を持つのならば捜索範囲はドリナ川の沿岸全域全域に及ぶ、北海道のポテト畑でビーズ玉を見つけるようなものだった。
萩原達が89式装甲戦闘車でヘッドクォーターとしていた保養所に戻ると、他の隊員たちは周りに隠してあった高機動車を引っ張り出して撤収の準備をしていた。土岐は辺りを見回して、小隊長を探した。
「川島隊長! 高鷲は! あのバカは何処にいます!?」
「無駄だ。あいつを待つ事は出来んぞ」
「そんな…見殺しにするんですか!?」
「向こうは動けないんだよ。引き返したゲリラ部隊と鉢合わせになる」
土岐が無力さを呪って「ちくしょう」とうめいた。
「無線でも送ってやれ、何かの励みにはなるだろう」
民家の二階で外の様子を見張っていた高鷲は、敵の足音が聞こえなくなると壁に背をあずけて座り込み、担いでいた狙撃銃をおろした。
自分の事は特に考えていなかった。自分が通報した事で部隊は救われる、いまも特に感慨はない。
小さな出窓から高地で起こる戦車戦の閃光が時々届いてくる。
「ワイルドキャットより、ミスト。聞こえてるか?」
土岐からの通信だった。
「こっちは打つ手無しだ。どんな気分だ?」
「タバコを吸う習慣が無かったのが残念かな」
「そんな冗談を言えるくらいなら大丈夫だな」
「砲撃が終わったら迎えに来てくれ」
スイッチを切ろうとすると、土岐の背後が騒がしくなって誰かが「貸せッ!」と怒鳴った。
「高鷲、諦めるのはまだ早いぞ!」
川島小隊長の声だった。
「いいかよく聞け! 思い出した。俺達が陣取っていた保養所だ。たしかワインのカーヴがあった。今から動いても何とか行けるだろうし、地下室にはいれば助かる可能性も上がる。ともかく貴様はすぐさまそこに行け! 命令だ! いいな!!」
高鷲はゆっくり腰を上げた。今なら会敵する危険も少ない。
「隊長、あの・・・」
「ぐだぐだ言う暇が合ったらさっさと動け!」
川島隊長は一呼吸間を置いた。
「高鷲、戻ったら覚えてろよ」
「はい」
はっきりと答えた高鷲は、装備をまとめながら今までの行いを反省した。命令無視に単独行動・・・、帰ったらどれだけの厳罰を受けるかわかったもんじゃない。そう思っているとなんだか笑えてきた。これから砲火に晒される兵士は、生き延びた後の事を考えているのだ。
なぜこんな事をしたかを考えたとき、手の動きが止まった。自分はまだあの人を見つけていない。他の部隊に保護されただろうか?
いや、そんな報告は聞いていない。高揚した気分が冷める、嫌な予感がした。
寒気が刺すようだった。気違いじみた絶望にかられ、つま先で飛びはね、両手を上に突きあげてみるが、感じるのは痛みばかり。
まだ、硝煙がうっすら残る部屋でニナ・ユーリィブナは自衛隊が置いていった落書きだらけの市街図を見つめた。さっきまで街のあちこちで鳴り響いていた銃声がぴたりと止んでいた。やっとの思いで自衛隊が陣取っていた保養所についたが、そこはすでに裳抜けの空だった。
ほんの僅かな行き違いで自衛隊は撤収してしまったのだ。
母親は置き去りにされたショックで足がすくみ、その場にしゃがみ込んでしまった。
「少し休んで、麓に向かいましょう。もうこの辺りには誰もいないようです。大丈夫、歩いても一日でトゥズラまで行けます」
「でも、それでは…」
母親がニナのわき腹に穴の開いたパーカーに視線を移した。さきの銃撃戦で負傷した痕だった。
「私なら構いませんよ」
そうは言ったものの、痛みは弱まるどころか時間が経つにつれ増していた。自分はたぶんこれ以上動けない。しかし、何としてもこの親子だけは逃がさなければという使命感がわいてきた。
硝煙の霞が動いて、階段の方に漂った。下の階で空気の流れが起こったという事だ。つまりそれは誰かが入ってきたという事に他ならない。緊張で神経はスレていたが、感覚が数段冴えていた。
どうするかは決めていた。追い返すだけだ、たとえ自分と刺し違えようと・・・
ニナは窓の下に落ちていたガラスの破片を掴むと、母親にここで待ちもし自分がやられたら窓から屋根伝いに逃げるように告げ、階段を降りた。これで最後にするつもりだった。
高鷲はホールの扉をそっと開けると、マグライトを灯した。灯した途端、幻影のようなゆらゆらとした人影が現れた。
「嘘だろ・・・」
高鷲が呟くと同時に、ニナは床を蹴って飛び掛かった。
高鷲はマグライトを捨て背を反らしてかわそうとした。鋭いガラス片が首もとを掠る。繰り出されるガラス片は全て人体の急所を狙っていた。高鷲には反撃の隙がなかった。しばらくはかわすだけで必死だった。相手は今まで戦った誰よりもスピードがあり、異様なセンスを持っていた。
戦車砲の光りがホールを照らした。それでニナは初めて相手の顔を見た。瞬間、身体の動きが鈍った。高鷲は反射的に突き出されたガラス片を握る腕を掴んだ。反撃にでれると確信した。捻ってガラスを落とそうとするが、相手は手首を掴まれただけであっさり捨てた。
そのまま手を開き、手の甲を腕に這わせる様に回しながら腕を引く。不思議な事に高鷲がいくら力を入れていようと、まるで魔法のように腕が外れた。瞬きする間に、逆にこちらの腕を掴まれた。そこから先はまったく何が起こったのかわからなかった。天井が見えたと思ったときには、床に変わり叩きつけられた。自分が投げ飛ばされた事にようやく気付いた。
起き上がって態勢をたて直そうとすると白刃が降ってくるのが見えた。高鷲の腰から抜き取ったバヨネットだった。殺られた、と思ったがバヨネットは防弾ベストの肩を貫通しただけだった。何故か身動きが取れなくなった。バヨネットが防弾ベストのプレートの隙間を突き抜け、床板に深々と突き刺さっていた。
ニナは兵士の持っていたヘッドギアとライフルを外し、ホルスターのピストルを抜いて兵士に向けた。
「また、会いましたね・・・」
自分で思っていたよりか細い声しか出なかった。無理に動いたせいで余計に体力を使ってしまったのだ。正直なところ立っているだけで辛い。頭がくらくらして、目が霞んでくる。
兵士は起き上がろうとして、手足をジタバタさせていたが、肩に刺さったナイフはなかなか外れなかった。
「無駄です。大人しくしてください」
「逃げろ! ここはもうすぐ砲撃される!」
ニナは兵士の叫びが一瞬理解できなかった。
「そんな脅しが・・・」
「嘘じゃない!! グヴォジーカが狙っているんだ! カーヴに逃げろ!」
ニナが弾かれる様にカーヴの入り口とは反対側の階段へ向かった。
なんて失態だ、あの親子を置き去りにしてしまった。ヘッドクォーターに使われていた部屋が一番安全だと思ったのに。
階段の中程まで駆け上がり叫ぼうとしたところで、砲兵一個大隊の全火力である122ミリ榴弾砲弾18発がラードゥガに襲い掛かった。 そして不運にも、砲弾の一発が保養所を3階を直撃した。砲弾は2階を押し潰し1階の一部を吹き飛ばした。とてつもない衝撃でニナの身体は1メートルほど宙に浮き、階段に叩きつけられた。彼女の意識はそこで途切れた。
自走榴弾砲の捜索を行っていた機動化学科中隊の第ニ空挺と施設の両小隊と偵察科の隊員たちは、遥か頭上を飛び去る曳航をただ見上げる事しかできなかった。
自衛隊のコンボイは降り注ぐ破片の雨に晒されながら間一髪でラードゥガを脱出した。しんがりの89式装甲戦闘車の兵員室で萩原隊長を含めた機動化学科中隊の隊員たちが砲火の渦に飲み込まれていくラードゥガを見守った。
連隊司令部は対砲レーダーの輝点の軌跡に唖然としていた。
誰も、その災厄を防ぐ事は出来なかった。
高鷲は結局床に貼り付けにされたまま動く事ができず、砲撃で机や椅子と一緒に吹き飛ばされてようやく解放された。銃が折れ壁で全身をしたたか打ち、しばらく朦朧とした。炎が上がり、周りが紅で染められ明るくなった。だんだん意識がはっきりして、ようやく前を見ると自分がいた場所が完全に崩れ落ちていた。自分が生きているのが奇跡のようだった。
ふらふらと立ち上がり、千鳥足で階段のほうへ向かう。なぜ、彼女が階段のほうへ向かったのか高鷲には理解できなかった。階段の途中で倒れている人影を見つけ歩み寄った。この人も運がいい、階段を上がりきっていれば、砲撃で潰されていたに違いない。ともかく生き残った。一生分の幸運を使いきった気がした。
「あれで負傷していたのか?…」
パーカーを貫く銃痕に気が付いて彼女が負傷していること知った。血は出ていないが、中に来ているセーターも貫いている。頭も打っているかもしれないので、あまり動かしていいものではないが、このままでは二次攻撃の餌食になるので何とか移動させようとした。腕を自分に肩に回して起きあがらせようとすると、力の無い手に引っ掛かっていた自分のピストルがこぼれ落ちた。高鷲はそれを拾って自分のホルスターにしまった。
起き上がらせるが、小柄な身体の割にやけに重い。その理由パーカーの下に着た防弾チョッキだったが、高鷲はかまわず引き摺ってカーヴの中に転がり込んだ。転がり込んだ途端、二波目の砲撃がやってきた。 心なしか最初の砲撃より数が少なかった。
第一波攻撃後、対砲レーダー隊の通達を受け取った野戦特科部隊の中で、かろうじて射程内に収める事のできた99式自走榴弾砲部隊が2両のグヴォジーカ自走砲を潰し、機動化学科中隊もMAGICによって一両撃破していた。しかし、敵はまだ15両のグヴォジーカ自走砲を展開させていた。
ラードゥガから火の手が上がるとジェルゼレズ中尉は作戦を実行した。
「全車作戦開始! いけーッ!!」
二個戦車小隊計6輌が一斉に丘へ向けて粘着榴弾を発射する。
ラードゥガに気を取られていた村上が、CITVを回して爆発の起きた方向を見た。六発もの戦車砲の同時攻撃で丘の一部が綺麗に吹き飛んでいた。
「ヒグマ5、バックしろ。急げ!!」
次の瞬間、ジェルゼレズ中尉の指揮車とイェーリ小隊の三両がその僅かな隙間に向けて砲撃した。
爆発が起こり、熱風がここまで届くかと思った。
「ヒグマ5、大丈夫か!? ヒグマ5!!」
「5、被弾!くそ、動け・・・」
戦果を確認するためジェルゼレズ中尉が顔をスコープに押し当てると、敵戦車はまだブルブル動いていた。どうやら撃破こそ出来なかったが衝撃でキャタピラが外れたらしい。砲身がボロボロで使いものになりそうになかった。これでようやく一両潰せる。日本軍とって大きな痛手になるはずだ。んっ、痛手?・・・
ジェルゼレズの脳裏に雷のような閃きが過ぎった。
「くそッ!」
モーリッチが毒吐きながら砲弾を再装填する。
「装填よし、照準よし」
「待てモーリッチ! 全車発砲禁止だ! 安全なところまで下がれ」
「なんでです!?」
モーリッチがびっくりして声を荒げた。
「わかったぞ!。ラードゥガ砲撃の理由が、これが終止符だったんだ」
「終止符?」
戦車を低地に隠れさせてロビンスキーが尋ねた。
「ああ、もともと司令部は先遣隊だけで日本軍を突破できるなんて思っていなかったんだ」
「それとラードゥガ砲撃とどう関係があるのです?」
「日本軍は我々にとって橋頭堡となるラードゥガを防衛する為にわれわれと戦っていたんだ。結果として我々はボロ負けしている。だが彼らはラードゥガを守れなかった。我々が欲しかったのはラードゥガの土地だったが、彼らの守るものはラードゥガの町だからな。つまり彼らの作戦も失敗したんだ」
「それがなんで終止符なんです?」
「だから我々だけじゃ、日本軍を突破できないんだって言ってるだろ。仕切り直ししようと思っても、時の勢いで攻める軍司令部は許可しない。師団長はラードゥガの町を破壊して敵の作戦目標を失敗させたんだ。これ以上こちらの戦力を削られると後の作戦にも支障がでる」
「それって本当ですか?」
「あの中佐が言っていた。これはまだ緒戦だと」
車体がガンガン叩かれた。ジェルゼレズ中尉がキューポラを開けると、泥だらけのジェーオ中佐が飛び込んできた。
「よくやったぞ中尉、一両確実にやった。しかし、なぜとどめを刺さなかった?」
「あなたはわかっているはずだ。この戦いは終わりですね? 撤退するなら余計な敵愾心を煽って後ろから撃たれるのは嫌です」
中佐が苦笑いしながら「つねづね君の部隊は一個中隊で収まる器じゃないな」と答えた。
「さっそくで悪いが君に停戦の交渉をしてもらいたい」
ジェルゼレズ中尉が目を丸くした。
「なんで私なんです!? いや、なぜ停戦を? 自衛隊がベオグラードに侵攻しているわけじゃない。黙って撤退したって背後から撃たれるわけでもないでしょ?」
「中尉、多くの戦友が負傷して、死を待つばかりなんだぞ。ズボルニクまでたどり着くまでに半分は息を引き取る。軍人のプライドにかけて兵士の命を無駄には出来ないと思わないか?」
「トゥズラなんかに送ったらリンチにされますよ。あそこはムスリムの天下なんです」
「そうはならんことを祈りたいな。それに負傷者は日本軍の手をふさぐ。君を交渉人に選んだのは、君が唯一にして初めて敵戦車を仕留めたからだ。やつらをある程度威圧できる。第152砲兵大隊に損害が出ている。時間がないぞ中尉」
ジェルゼレズ中尉は車内へ戻ると「誰か白いもの持って無いか?」と尋ねた。
「停戦ですか? 何でもありますよ。スカーフにシャツにハンカチ・・・」
モーリッチから白地のスカーフを借りて、アンテナの先に縛り付けた。
「ちゃんと見えるといいな。ロビンスキー行ってくれ」
ロビンスキーはゆっくりとした速度で戦車を前進させた。
「こちらヒグマ5、まずい! 戦車が出てきます!!」
「カバーする。金村出せ!」
村上車が草地に出ると、敵戦車がゆっくり前進していた。
「照準よし!、発ッ・・・」
「待ってください!。アンテナに何か付いてます。・・・白旗!? 敵が白旗を揚げてます!」
「なに!?、白旗だと」
村上は舌打ちしながら「どういうつもりだ」と呟いた。
「こちらヒグマ・リーダー、連隊指揮所聞こえるか?」
「こちらオオタカ、メリット5です」
「敵が白旗を揚げている。コイツ等だけか敵の部隊全隊の意志か知らんが、とりあえず接触して話を聞く」
「了解、回線はこのままにしてください」
村上は90式戦車をジェルゼレズ中尉のM-84に横付けするように止めた。二輌並べると90式の方が一回りでかいが、主砲はM-84の方が大きかった。
「セルビア軍ヴォールク師団、ジェルゼレズ中尉です」
相手の佐官級の階級章を見て、ジェルゼレズ中尉が先に敬礼した。
「陸上自衛隊第7機甲師団、村上中佐だ。さっそくだが君の用件を聞きたい」
会話は幸い英語で何とかなりそうだった。
「停戦交渉です。我々の負傷兵を受け入れるかわりに、部隊はこの場から一時後退します。負傷兵はそのまま捕虜として扱ってかましません。ジュネーブ条約とハーグ陸戦協定に則った待遇を期待します」
村上はその要求を連隊司令部に伝えた。返答があるまで時間があった。
「うちの戦車をやったのは君かい?」
返答を待っている間に村上が尋ねた。
「ええ、これが我々の実力です」
相手を威圧するためとはいえ、ガラにも無い事を言うものじゃないなとジェルゼレズ中尉は思った。
「この要求を受け入れると、我々はトゥズラの住民から疎まれる羽目になるんだろうな」
「おそらく、そうなるでしょう」
ジェルゼレズ中尉の拙い英語では一言ずつ答えるのが精一杯だった。
辺りは静まりかえり、砲撃の音一つしない。耳を済ますと両軍の戦車のエンジン音が微かに聞こえた。
ようやく返答があった。連隊司令部ではなく、市ヶ谷の作戦部から、それも雷倉陸将からだった。
「村上二佐、要求をのむ。よく戦い抜いてくれた。地球の裏側からでわるいが感謝する」
村上は、それをジェルゼレズ中尉に伝えると中尉は「引渡しは高地で行います」といって、戦車をターンさせて森へと引き返して行った。
作戦部は、すぐさま市ヶ谷の防衛庁で記者会見を行い戦闘の一次終結を発表した。おりしも日本ではゴールデンタイムと重なりプレスルームを埋め尽くすほど集まったマスコミの執拗な質問には「状況を確認している」と切りぬけたうえで、「自衛隊はボスニア政府の主権を守るために、やむえない戦闘だった」と付け加えたが、それで納得する者は誰もいなかった。
機動化学科中隊の第一空挺と化学科小隊はラードゥガに引き返したが、広場で立ち尽くしていた。建物という建物が崩れ落ち、前進するには重機で瓦礫を押し退けて進むしかなかった。結局、停戦が結ばれるまでに全部で5波の砲撃を許してしまった。
「どうするんです隊長・・・」
萩原中隊長が腕を組んだ。
「聞こえないか?」
耳をすませると、空気を叩く力強い音が聞こえた。その音がどんどん大きくなっていた。
「こちらコウリュウ、センチュリオン聞こえるか?」
「こちらセンチュリオン、よく聞こえている。地上からは前進できない。行方不明者の捜索を頼む」
「こりゃ文字通り焦土ですよ。こんな状況で生存者なんているんですか?」
「この程度でくたばる部下は俺にはいない」
巣南機長は「マジかよ」と言いながら無線を切ると後ろを振り返った。
「串原、準備はいいかい?」
真っ黒な戦闘服にMP5を抱いた完全装備の串原一曹は「いつでもどうぞ」と答えた。
「あの中隊長さん、本当にそう思っているんですかね?」
「はったりだろ、まぁその意気に免じて骨くらいは拾ってやらんとあかんなぁ」
「お前、そんな事もやるのか?」
まだ副操縦席に座っている茂住三佐が尋ねた。
「不審船の突入とか、いつも俺の役っスよ」
「レンジャー資格とか持ってたわけ?」
「んなモンありませんよ。でも心配要りません、慣れてます。それよりホストイ操作は副操縦席でやりますから頼みますよ」
「おう任せとけ、これでもC-47に乗ってるときはスリングの魔術師と呼ばれていたんだぞ」
串原一曹がハーネスをフックに掛けると茂住三佐は高度計とウインチから真下を見るように設置されたカメラを見ながら串原を降下させた。
「着地しました。コウリュウ聞こえます?」
「こちらコウリュウ、OKだ。まずはその保養所から調べてみるか」
「了解です。援護をお願いしますよ」
咬龍ヘリが見守る中が串原はMP5を構えて保養所の方へ向かった。
きっと炎が収まったら、この町は廃墟のようになるんだろうなと思った。地面は足のふみ場もないように瓦礫で埋まっており、ほとんどの建物が倒壊していた。まるで大地震直後の様だった。
いきなり民家の壁が崩れてきて危うく下敷きになりそうだった。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」
ほうほうの体で保養所までたどり着く。カーヴの扉を開けると、ボロボロの身なりの兵士がいきなりピストルを突き付けた。一瞬息が止まったが、兵士は相手が自分と同じであることに気付いて、その場にへなへなとしゃがみ込んだ。
「串原一曹だ。まぁ敬礼とかはいいよ」
串原一曹はひどい格好の高鷲に手を差し伸べ、立ち上らせると後ろにいた女性に気が付いた。
「デートの邪魔して悪かったね」
「高鷲士長です。すみませんでした」
高鷲はシグ・SP2009ピストルをホルスターに戻した。
「気にする事はない。誰でも極限状態だと判断力が鈍るものさ。誰だい彼女は?」
「逃げ遅れた遭難者です。ひどい怪我をしてまして」
「君もかなり酷そうに見えるけど、こっちから先にとりあえず担架で運ぼう」
串原が連絡すると上空のヘリから担架の繋がれたケーブルが降りて来た。
茂住三佐はウインチのカメラに映る担架に載せられた見覚えのある顔に愕然とした。
「まずいぞ! コイツは民間人じゃない」
「おや、こんな若い娘と知り合いかい? うらやましいね」
「冗談言っている場合か!?、俺達をこんな所に送り込んだジャーナリストだ。シクヴァル・ニナとか言う奴だ」
「へぇ~、トゥズラ空爆を撮った? そりゃ有名人だな」
巣南はまったく気にしていない様子だった。
「昨日会ったがとんでもねぇ野郎だぞ」
「だってケーブルを切り離すわけにもいかないでしょう? 気絶しているうちにトゥズラまで運びましょう」
ニナを回収すると今度は高鷲と串原を引っ張り上げ、咬龍ヘリはラードゥガを一周して他に生存者のいない事を確認した。山側へまわると潰走するゲリラの集団が見えたが、今は停戦が成立し追撃が禁止されていたので、引き帰して麓にいる機動化学科中隊の上空を小さく旋回しながら、無線をつないで報告した。
「こちらコウリュウ、センチュリオン。遭難者二名を救出、うち一名はあなたの部下だ。あなたの部下は不死身か?」
「こちらセンチュリオン、救出を感謝する。我々はこのままラードゥガにとどまり現状を確保する」
無線の背後で歓声が起こっているのが聞こえた。
「もう一名の容態が酷いので先にトゥズラに向かう。アウト」
咬龍ヘリがトゥズラへ向けて進路を取る頃、自衛隊が激戦を繰り広げた高地では敵の負傷兵の受け渡しが始まっていた。大洞連隊長は木枝と布で作られた手作りの担架に乗せて運ばれてくる負傷兵達を、いささか困惑した顔で眺めていた。衛生科部隊は平地に負傷兵を並べさせ片っ端から応急処置を施したが、どうみても死者の数は増えそうだった。
「どれくらいの負傷兵を受け入れる事になっている?」
「少なくても50名以上かと、敵側の話では死傷者合わせて200名に上るそうです」
「朝になったらラードゥガにも行かなならん・・・、こちらは?」
「重傷軽傷含めて十数名、幸い戦死はいません」
「至急、施設科部隊を入れてここに簡易の基地を設置してくれ、周りをフェンスで囲って櫓を立てるだけでいい。表向きは監視ポストと言う事にして野戦病院を作ろう」
「いいアイディアですが、後送してしっかりとした治療を施さなければならない者が半数以上です」
「しかたない輸送トラック隊には道中警戒するように言ってくれ、ムスリム兵に狙われるかも知れん。トゥズラ基地の警戒レベルも上げよう。本国に医務官の増員を要請しないとな・・・」
医者の数も足りない様だった。武器科や通信科といった畑違いの隊員まで借り出されていた。
片手が炭化した兵士が大洞の前を横切った。一瞬度肝を抜かれたが、すぐ姿勢を正して敬礼で見送った。一歩間違えば部下がこうなっていたと思うと、背筋に悪寒が走る。
自衛隊は今回は勝利した。だが次の戦いはわからない、もしかするとすでに第二ラウンドのゴングを鳴っているかもしれないと思った。ここボスニアでは自衛隊と対峙する一個師団を残し、本国ではこれから世論という軍団と戦わなければならなかった。
ジェルゼレズ中尉の戦車部隊は高地まで移動して、負傷兵の輸送を監視していた。ジェーオ中佐とその部下達はいつの間にか姿を消していた。
「ねぇ、隊長」
モーリッチが砲手用のキューポラから顔を出した。
「俺達、なんのために戦っているんですか?」
ジェルゼレズ中尉は自衛隊の陣地を望む双眼鏡を傍らに置いた。
「国家のため、民族のため、どっちがいい?」
「俺はどっちも御免です。勝ったところで明日からの暮らしが良くなるわけじゃないし。
はぁ、冬までには村に帰りたいなぁ」
「そうだな」
ジェルゼレズ中尉はある散文詩の一節を心の中で呟いた。
神は敗者の頭上に手をかざしたまい、いっぽう勝者は孤独で、その喜びは燃え上がり消えていく。この世の全ての希望や慰めや美が、敗者の目には明らかになる。たが、勝者は目が見えず、身震いして燃え上がるが、野蛮な歓声は炎しか持たず、後には灰が残るだけだ。
なぜなら、今日の勝利は明日の敗北に他ならないからだ。孤高をたもつ人間の目には、勝ち戦も負け戦もなく、あらゆる戦争は相等しい。勝っても負けても同じ人類の敗北なのだ。
最終更新:2007年10月30日 23:42