第二十七幕 外交
帝國暦二一年一一月一八日
インビンシブル大帝國 南部国境地域
南方臨時司令部 大会議室
臨時の交渉の場にしては広々として立派と言うに相応しい作りとなっている大会議室。
今現在この場にはダルフォード大帝国の外交使節団を迎え入れており、それに対する形でインビンシブル大帝國の外交官たちが相手をしている。
しかし、肝心の交渉が遅々として進まず、三時間もグダグダと話し合っているために両者共に相当な疲労を蓄積させていた。
「……我がダルフォード大帝国の力はご存知でしょう? その傘下に入るのを何故そこまで拒絶するのですか?」
疲れているはずなのに平然とした表情で言うダルフォード側の代表。
彼ら使節団は貴族には珍しい理性的なメンバーを集めてきたようで中々に忍耐がある。大抵は苛々が蓄積して爆発する。
しかし、この場で何かしでかす事は明らかに自国の不利益になると認識しているのだろう。少し、厄介な相手だ。
「何の見返りも無しに傘下に入るわけにはいきませんし、我々にも矜持というものがあります。それに我がインビンシブル大帝國だとて貴国に負けてはいない力を持っている」
自信満々に言い切る。
こういう場では舐められたらおしまいだ。だから、どんな事でも自分たちの方が優れているという態度を取り続ける必要がある。
無論、相手も同じだろう。
「恩恵は与えられますとも。今ならば様々な優遇措置が取られる事でしょう。しかし、貴国が我が国に負けていない力を持っているというのは過信し過ぎなのではありませんか? 我が国は大陸最強と言われる国なのですぞ?」
「過信などではありません。我が国は貴国と同等以上の国土を有していますし、また軍も精強です」
弱気にならずに真正面から突っかかっていく。
ズイッと身体を前に出して、さながら喧嘩を売るような視線を浴びせる。
「国土が同等以上なのは認めましょうとも。北方主要四ヶ国、及び中小国七ヶ国を纏めた領土は実に広大、我が国の国土を僅かにでありますが超えているでしょうな。そして、それらを手にする事を可能にした軍事力は恐るべきものがあるでしょう。しかし、それが我が国に匹敵するというのは信じられないし、有り得ない」
挑発じみた行動には乗らずに淡々と述べる。
――やはり冷静で理性的。表面だけを繕ったものではない。
「まぁ、確かに正確に我々も貴国の軍事力を調査したわけではありませんから、基準に誤差がある可能性は高いでしょう。しかし、仮に匹敵していないにしてもです。それでも無視できない戦力を我が国が有しているという事は認めてくださいますでしょう?」
この言葉に眉を寄せて少し言い辛そうにする。
何かしら発言する言葉を選んでいるのだろう。慎重なヤツだ。
「それは……まぁ、認めざるを得ないでしょうな。しかし、それは兎も角として我が国の傘下に入っては頂けないのでしょうかね?」
「それに対する返答は変わりません」
結局適当な言葉がなかったのか、あちら側の代表はこちらの言い分を認めた。が、すぐに話を最初のものに切り替えて流す。こちらも無遠慮な返答で流したが。
まぁ、認めさせたからには後々でそこを突ける機会があれば突いてしまおう。
しかし、流石に問答無用な無遠慮な返答にカチンときたのか今度は向こうが挑発的な行動を取ってきた。
「たとえ我が国と敵対する事になっても……ですか?」
目を細めて言ってくる。
だが、温い。そんなブラフは通用しない。
「これはおかしな事を。貴国が我が国と敵対するはずが無いでしょうに」
「ほぅ? それはまた何故?」
「貴国の最大にして不倶戴天の敵である大デルフリード帝国に隙を見せることになる、という理由では御不満ですかな?」
この発言にどうやら驚いたらしく、使節団のメンバー全員が目を見開く。
我々が何の情報も持っていないとでも思っていたのか? いや、多分そうではなく、行動範囲が北方限定だと思われていたのかもしれない。
ならば、大陸中央部に位置するダルフォード大帝国や大陸南部に位置する大デルフリード帝国に関する情報入手は出来ていないと考えるが道理。
しかし、他国に侵攻し、併合した際に色々な情報も獲得できると考えるのが普通ではないのか? ……この大陸では普通ではないのだろうか?
だとしたら、微妙なところで抜けているとしか言いようがない。――いやいや、重要な情報などは処分するに決まっている。
しかし、おそらくそれは時間があればの話だ。体勢を整える暇も何も与えずに電撃的な侵攻をされてしまえばそんな事をしている時間などない。逃げる準備をするのが精一杯だ。だからこそ、我々は普通は破棄されてしかるべきものを手に入れることができたのだろう。まぁ、あくまで推測での話だが。
そんな事を思考していると、ゴホン、というあからさまな咳払いがあちら側の代表者から聞こえてきた。
どうにも仕切り直しらしい。そのままこちらを見てくるとふっと溜息をついて喋り始める。
「……認めたくはありませんが、その通りです。貴国がこのレイジェンス大陸の事情を知らないだろうと考えての交渉でしたが当てが外れたようです。意外によく知っている」
「意外という言葉はあまり受け入れたくはありませんが、まぁ、一般的にはそう考えるのも当然かもしれません。何せ我々は貴族ではありませんから」
当てつけのように言う。いや、むしろ当てつけそのものか。
しかし、相手は意外な応対をしてくる。
「少なくとも私個人は貴族だなんだで人を区別する事はありません。全てはその人の能力次第と思っています」
――なんとも厄介な人物だ。
改めてそう感想を抱いた。こういう人物がトップに立たれると我が国の大義が薄れる。それに適切な改革を行えそうだ。
個人的には好感が持てるのには違いないが……早めに消しておきたい人物にあたるのは間違いない。
「……珍しい方だ。ここには貴方以外にも貴族の方がいらっしゃるのに明け透け無くお答えなさる。よく迷惑を被ってはいませんか?」
「ここにいる面々も私と同じような考えですよ。それと迷惑は度々被ってます。今も外交交渉に駆り出されて難儀している最中です」
苦笑しつつ言う。
確かに。おそらくこいつは今さっきの交渉が上手くいかないことを読んでいる上でここに来ているな。
となると、何か別の目的があるのか?
「なるほど。……それで結局交渉はどうなさるおつもりで?」
話を戻して本音を聞き出すことにする。
適当に鎌をかけて罠に嵌めてくれる。これでも外交官育成マニュアルを完璧に覚え、何年も実践的練習を積んでいるし、心理学もキッチリと勉強しているのだ。
そして、その成果がここで先程からはっきりと示されている以上、不可能な事ではない。
改めて意気込み、相手の返答を待つ。
「続けますとも。まぁ、傘下に入る入らないの交渉はやめます――我がダルフォード大帝国と不可侵条約の締結を貴国に申し入れたい」
……何?
「不可侵条約? ……確かにそれならばまだ考える余地は幾らでもありますが……」
これが本音か? 引き出してやろうと思っていたのにこんなにあっさりと出した? 嘘? 虚言?
難しい顔をしながら思考の渦に飲まれかける。相手は真剣な表情で、
「是非前向きに検討して頂きたい」
と、告げる。
――……いいだろう。せいぜい不可侵条約が締結できるように頑張ればいい。
貴様の言った事が本音かどうかも確かめてやる。
「……不可侵条約のみについてならば条件次第では受諾しても構いません」
「それはどのような条件でしょうか?」
「ええ、その条件は――……」
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
デオスグランテ城 皇帝執務室
「引き伸ばしは順調のようだな」
「はい。不可侵条約締結に中々厳しい条件を突きつけましたから。予想通り本国に一端帰還してあちらの皇帝の意見を仰がなければならないそうです」
榊原がそう言って満足そうに頷いていると、九条もまた少し安堵した表情を見せる。
九条と榊原はある程度の時間を稼げた事にそれなりに満足していた。しかし、今回は引き伸ばせたが次回もそう上手くいくとは限らない。注意は怠らないようにしなくては。
ちなみにインビンシブル大帝國が外交使節団に突きつけた条件は以下の通りである。
条件内容
一、奴隷の解放。全ての奴隷を市民とし、少なくとも富裕層の人間と同格に扱う事。
二、奴隷の解放によって法整備を行う必要があるため、それにインビンシブル大帝國も介入させ、提示される全ての案件を飲む事。
三、奴隷に対する補償をする事。今まで虐げてきた分の代価として金銭や物を無償提供し、自分達のしてきた事を全面的に謝罪する事。
四、ダルフォード大帝国はインビンシブル大帝國と接している国境部分を非武装地帯とすること。その非武装地帯はダルフォード大帝国の領内とすること。
五、ダルフォード大帝国は毎年ダルカッド金貨を五○○枚インビンシブル大帝國に提供する事。
六、インビンシブル大帝國に隣接する西方二ヶ国の領有を認めること。
とても飲む事のできない内容だ。
奴隷は彼らの産業基盤を支えるもの。それを解放すれば混乱状態に陥るのは間違いない。
しかも、その混乱を抑えるために法を制定しようとしてもインビンシブル大帝國に介入される。そうなれば自分たちの立場が無いし、またその地位を追われかねなくなる。
それに付け加えて、奴隷に対する補償となればその財政支出は膨大。とてもじゃないが払い切れる金額ではないに決まっている。
非武装地帯についても自国領のみというのが頂けないだろうし、ダルカッド金貨を毎年五○○枚というのもとんでもない。
ダルカッド金貨というのは大陸で流通している中でも最も金純度が高く、価値も歴史もあるものでとてもじゃないがそれを五○○枚、それも毎年なんて揃える事はまず出来ない。
ただ最後のインビンシブル大帝國に隣接する西方二ヶ国の領有を認めることについては唯一問題ではないだろう。
しかし、これはどう見てもダルフォード大帝国の社会を破綻させるための要求であった。
明らかに不当過ぎる要求であり、普通ならば当然の如く大激怒するだろう。だが、ダルフォード大帝国の皇帝は頭がキレる。交渉にあったように大デルフリード帝国の巻き返しに危機感を持っているからこそ不可侵条約の話を持ちかけてきたのだ。
それに一から三は飲めないにしても四から六については検討する余地が十分にあるのだ。ダルカッド金貨についても枚数を減らすように交渉すればいい。
よって、お互いに落とし所を探りながらの長期の交渉になるに違いない。それに交渉の間は双方とも派手な動きはできないから、事実上その間は両国が不可侵条約を締結している状態に近くなる。その間に決着をつけることが可能ならば、それで十分とするのもまた有りだ。
尤も、時間を稼ぐのを望んでいるのはダルフォード大帝国よりもインビンシブル大帝國の方だが。
「このまま時間を稼げれば航空機の数も十分に揃う。その時こそが好機」
「全くです。このままいけば我らの勝利は間違いありません」
全ては予定通り。多少の誤差が出ようと修正できる。
インビンシブル大帝國によるレイジェンス大陸統一まで時間の問題だ。
そして、その後は――……世界征服だ。
最終更新:2007年10月31日 00:25