第二十九幕 動き出す氷室
帝國暦二一年一二月三日
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
デオスグランテ城 皇帝執務室
『――……で、どうでしょうか、陛下?』
「ふむ、政治に関する事は全て貴様に一任しているから好きにすると良い。ただ、私の管理する軍事にまであまり影響を飛ばすなよ?」
手元のコンソールを叩きつつ、モニターの片隅に映る榊原に返答する九条。
最近では榊原がいちいち九条の執務室に訪れられないくらいに忙しくなって来たのだ。
まぁ、やる事は山ほどどころか海ほどある今の状況では仕方の無い事だが。
『承知しておりますとも。出来得る限り善処させて頂きます』
「善処、か。便利な言葉だが、私に使うのは褒められんな」
『申し訳ありません。では、結果を出します、と言えば宜しいでしょうか?』
「それでいい。ところで結局西方の国はどういう動きをする?」
何気なく訊いてみる。
榊原はどういう手法を使ったのか知らないが、妙に頼りになる情報網を構築している。
一度、それについて訊いてみたが、情報の信用度の維持のために結局明かされる事は無かった。
それ以来、自分も同じように信用のおける情報網を手にしようと試行錯誤を繰り返しているが……中々に上手くいかない。
なのでこういう事に関しては榊原頼りにならざるを得なかったりするのだ。
と、そんな事を考えているとは知らず榊原は実にあっさりとした口調でこちらの知りたい事を伝えてきた。
『はっ、どうにも揉めているようで』
「二国ともか?」
それは好都合。実にいい按排ではないか。
『はい。と言うよりも二国だから揉めているようです。西方の国家であるバクスラント王国は隣国のテドロキア王国と同盟関係にあり、我らがインビンシブル大帝國と敵対する構えを取りたいようですが……』
「テドロキアが賛成しないのだな?」
やはり一枚岩では無いか。
まぁ、普通はそうだろうな。そもそも国家に真の友などいないのであるし。
今回の場合はどうもテドロキア王国という国自体の事情から来ているな。
『はい、テドロキア王国は特に何をするでもなく、傍観したいようです。下手に刺激して攻撃されるのは嫌という考えのようで』
「地理的な問題だな。バクスラントは隣接している国家が我がインビンシブル大帝國とテドロキア王国の二ヶ国。だが、テドロキアの方はダルフォード大帝国、ルドバキア王国、バクスラント王国、そして我々インビンシブル大帝國の四ヶ国。まぁ、ここまで言えば貴様でなくとも慎重になる理由くらい分かろう?」
『下手に動いて周辺国から介入されれば亡国の危機でしょうな』
詰まる所結論はそうなる。
位置的に考えて少しでも気を抜けば滅びかねない場所にあるのだ。テドロキア王国は。
「そういう事だな。だが、揉めてくれているのはこちらも助かる。そのまま一年くらい揉めていて欲しいものだ」
自分でも何を都合のいい事を、と思いつつ、楽観的な願望を抱く。
そののち、九条は榊原との通信を切ると激務に飲まれていった。
テドロキア王国 王都テロドロス
ドルンノイス城 国王寝所
「クソッ、バクスラントの馬鹿どもめ……」
忌々しげに言葉を吐き捨てるテドロキア王国の国王。
乱暴に椅子に座ってグラスに注がれた酒を荒っぽく飲んでいる。
先刻、謁見の間にてバクスラント王国の使者に散々インビンシブル大帝國と戦うべきだと言われ、それを宥めて帰すのに物凄い苦労をしたのだ。
はっきり言ってバクスラントの言い分は完璧な感情論だ。
高貴なる我ら貴族に反旗を翻した下等なゴミどもに鉄槌を下すべきだのなんだのと五月蝿い事この上なかった。
二国で掛かれば物の数では無いだと? 天から与えられし、神聖なる力を見せ付ければ屈するだと?
全く、冗談ではない。何の根拠もなしに言いおってからに。
未だに健在だと思っていた大国、ザーブゼネ王国。それが二○年も前に既に滅亡していたこの事実……。
考え無しに行動すれば確実にこちらの足元が掬われる。そして、その結果など……考えたくも無い。
兎に角、連中の事をもっと知る必要がある。
今でさえ碌に分かっていないのだから。
そんな事を考えながらふと思った。
「……組む相手を変えるべきか?」
こうなれば是非も無い。
バクスラントの連中を見限って何処か別の相手と組むのが宜しかろう。
そう、それもかなりの大国と……。
だが、そうなると自分の国が属国と化してしまう可能性が高い。しかし、付き合いが長いだけに過ぎなくなってきたバクスラントとこれ以上組んでいてもこちらが打撃を受ける可能性が……。
何か良い手は無いものか。この際、どのような政治的裏技とて使って見せるのだが。
「……まぁ、そう簡単に思いつけば苦労はせんか」
グイッ、と片手に持ったグラスに入った酒を喉に流し込む。
今日は酒を飲んで嫌な事を全部忘れよう。たまにはそういう事もいいだろうて。
テドロキアの国王はそのまま酔いを深めていった。
インビンシブル大帝國
ロネジア湾 コープス海軍工廠
「ふむ。素晴らしいな」
笑みを隠さずに伊達は言った。
眼前には火花を飛び散らせて作られていく駆逐艦群、巡洋艦群の姿があった。それらはまだまだ戦闘艦としての姿が欠片も無いが、伊達の眼には完成された姿が頭の中に映し出されている。
それにこのコープス海軍工廠だけで第一次海軍整備計画を行っているとあって大変活気に溢れている。
「はいっ! 我々、帝國海軍もこれでようやく具体的な形になれますからね!」
「そうだな。まぁ、あと何ヶ月かは必要だろうが……」
現在の帝國は造船力はあれど、海軍に回される鉄量は少ない。
陸軍と空軍に奪われているのだ。新設される製鉄所もまだ稼動には程遠いという事もある。
特に陸軍は大量の弾薬に榴弾砲、機関銃、戦車、自走砲、輸送トラックなどなど際限が無いくらいに物を必要としているため、湯水の如く鉄を消費している。
しかし、そんな状況でも伊達は気にしなかった。
確かに回してもらえる鉄量が少ない以上、海軍の強化にも限度があるが、陸軍と空軍が一定の戦力を持てばそれも改善されるだろうし、その間に海軍の兵士たちをゆっくりと鍛えていく事が出来る。
海軍だからと言って、船の上でなければ訓練や勉強ができないという訳ではないのだ。むしろ、後方勤務の人間を着実に増やせるチャンスだ。後方担当の人間が増えれば前線で活動できる人間の許容人数もまた増える。決して悪い事ばかりではない。
「そう、決して悪いことではない」
「閣下? 何か仰いましたか?」
思わず出た呟きを聞かれたが、伊達は「なんでもない」と言ってその場を濁す。
特にそれ以上追求される事なく、横にいた副官とともに建造途中の数々の艦艇へと眼を戻した。
いつかはこうやって空母や戦艦も作られるのだろう。
それがいつの事になるかは分からないが……少なくとも一○年以内には建造に入れるはずだ。
それまでにはこの大陸も掌中に収めているのだろうから。
そして、そこからが勝負。我が海軍はその先で大活躍するのだ。
世界史における大航海時代の中心を担うような活躍を……。
海を駆け抜け、領土を広げ、海上交通線を構築・防衛し、宝を祖国へ持ち帰る。
それが将来の海軍の姿だろう。そうなれば、陸軍にも負けない。
伊達の脳裏には既に海軍の将来像が見えていた。
将来的にはインビンシブル大帝國において帝國海軍はその重要性を飛躍的に高めるだろう事は疑いようのないことと確信していた。
眼前の艦艇群もまたその日を待ち侘びるようにただ静かに佇んでいた。
飛鳥島 地下兵器研究所
科学技術総監執務室
「僕ってさあ……いつも飛鳥島から動かずにいるよねぇ、大陸の方にいる研究員に指示は出したりしてるけど」
「……はっ、その通りですが……何か問題でも?」
またこの御方は何かしてくれるのかと気が気でない大林。
それとは正反対に眠そうにだらけている氷室が印象的である。
「いや、問題とかじゃないんだけどね。なんか刺激が足りないじゃない?」
「はぁ……刺激、ですか?」
散々捕虜をこちらの意のままに動く生きた屍のような強化人間兵に変えたり、女子供にはそうするわけにはいかないと言いつつ、思いっきり記憶やら人格を弄繰り回した挙句、催眠と暗示で完全に洗脳したり、余った捕虜を使ってやばい人体実験を繰り返したり……それで刺激が足りないと仰られても激しく困る訳ですが。
大林は平静を保っているように見せて心の中で頭を抱えて悩む。もうどうしようか、と。
しかし、氷室はそんな大林の心の内を悟る事無く話を続ける。
「そうとも刺激さ。血肉沸き踊る刺激が足りないの――……あ」
「? どうかなされましたか?」
「いやいや、なんでもないよ。うん。なんでもない」
明らかに様子がおかしい。……何か厄介な事を思いつかれましたな?
大林は更に悩む。何か問題を起こされても立場的に不問に処せられるのは分かっているが、その事後処理に追われるのは痛い。
しかし、自分に止めることなど出来ようはずもない。見るがいい、あの爛々と輝く瞳を……何を言っても絶対に何かやる。最早、ブレーキの壊れたトラックだ。
こうなれば自分にできる事はただ一つ。
「総監、戯れも宜しゅう御座いますが……くれぐれも程々になされませ」
こうやって緩い釘を一本打っておくくらいだ。
ブレーキは壊れているが少しでもアクセルの踏みを緩めてもらうための細やかな配慮。これが私の限界。
「はいはい、何の事を言ってるか分からないけど、とりあえず考慮しとくよ。じゃ、僕今から忙しくなるからさ。大林君も仕事に戻るといいよ」
「……はっ、承知しました」
一応、聞き届けてはくれたようで、あとはもう野となれ山となれ、だ。
とりあえず今は言われたとおりに自分のできる仕事に戻るとしよう。全ては終わってから、だ。
「それでは総監、私はこれにて失礼します」
「うん。じゃあね」
氷室は笑顔で手を振って大林を部屋から見送る。
大林もいつも通り扉をくぐって廊下に出たところで一礼し、そのまま立ち去る。大きな不安を心に残しながら。
一方で、大林を部屋から追い出した氷室は可愛らしい顔を悪巧みしてますと書かれているような小悪魔的な表情に変え、席を立つ。
氷室は壁際にある本棚に近き、一番下の方にある本をごっそりと抜く。またあの隠し扉を出すためだ。
慣れたように、抜き出した本を横に置き、本で隠れていた壁に手をやり、いつも通りの手順を手早く済ませる。
すると相変わらず派手な音と共に本棚とは反対側の壁が二つに割れる。
割れた先もまたいつもと変わらない更なる地下へと続く階段が存在した。
本をさっさと本棚に戻すと氷室は立ち上がる。
「さてさて、ちょっと早いけどお披露目しちゃおうっと」
と、言いながら軽い足取りでその階段の方へ行き、迷う事無く歩いていく。
カツン、カツンと地下への階段を下りていく。
一歩、また一歩――……そうして歩く事十五分にしてようやく目的の場所へとたどり着く。
氷室の眼前には巨大な扉があり、その扉の横には小さなパネルがあった。扉の与える威圧感に臆する事無く氷室はそのパネルに近づく。
「暗号コード入力……指紋照合……網膜照合……よし」
氷室が何やら色々な事をし終えると、巨大な扉がギリギリと音を立てながら開き始める。重厚な扉ゆえに開く速度はかなり遅いが、氷室はその時間を楽しむように笑っていた。口の端だけを外に引っ張って。
扉が開き終わると氷室はそのまま中に入る。中は階段とは違い、電灯が眩い光を放っており、非常に明るかった。
しかし、そんな事よりも眼を惹いてしまうものがそこにはあった。
それは何らかの液体に満たされた不気味な培養槽の群れ。
しかも、その中には明らかに人間が入っていた。これで眼を惹かないはずがない。
氷室はその培養槽の前に立つと感情を爆発させたかのように口を開いた。
「ククク……さあ! 僕の頭脳の全てを結集させ、今までの実験データと可能な限りの知識を詰め込ませた最高傑作たちよッ! お前たちを世に出す時が遂に来たぞッ! クハ、クハハハハハハッ!!」
その声を、その笑いを合図にしてか、十三の培養槽に入っていたそれぞれの人間の眼がゆっくりと開き始めた……
最終更新:2007年10月31日 00:39