第三十幕 鮮血のクリスマスイヴ


 帝國暦二一年一二月二四日

 インビンシブル大帝國
 帝都ノーブルラント郊外 第三処刑場

「狙えー……筒ッ! 撃てぇ!!」

 バン、バンと乾いた音が響き、目標となった柱に縛り付けられた人々が次々と項垂れる様にして前のめりに崩れていく。
 その身体は穴が数多く開き、そこから血をダラダラと流し、地面に血の池を作っている。

「担当のものはあれの処分の後、次のものを配置せよッ!」

 一時間ほど前からこのような光景がずっと続いていた。
 帝國には全部で九八もの処刑場がある。そのうちの一つがこの場所で、今日この日はここ以外の九七箇所の処刑場でも同じように銃殺やギロチンによる斬首が行われている。
 殺されているのは勿論、数ヶ月前に併合した地域の貴族や富豪の特権階級者である。しかし、これが中々に数が多い。
 実のところ、今回併合した地域の特権階級身分のものたちの人数は七五○万人を超えるほどいるのだ。助命する女子供を省けば半分程になるのだが、それでも多い。
 追加で言わせて貰うと同地域における奴隷階級身分のものの数は恐るべき事に一億二五○○万人を超える。

 この大陸の異常とも言うべき点、それがこの恐るべき数の人間である。
 推定であるが、この大陸中の総人口は七億から九億と考えられている。当然推定であるためこれ以上の数かいるかもしれない。
 全く持って恐ろしいとしか言いようが無い人口である。しかし、それだけの人口があるからこそ一○○万の軍勢を用意したりする事が可能なのだろう。

 まぁ、兎も角、貴族等の特権階級身分だけで、助命対象者を省いても三五○万人を超える人数がいるというのが今は問題なのだ。
 それだけの数の人間を全て殺さねばならない。どう考えても邪魔にしかならないし、労働力として使うにしてももう十分な頭数があるので不要だからだ。
 となると氷室の実験台くらいにしか使い道が無い。しかし、幾らなんでもそこまでの数は今はいらない。
 維持するだけでもかなりの物資を消耗する事を考えると数万人単位残すぐらいで十分だろう。ただ、その数万人は実験に使われるだけが用途ではないが。

 兎も角、それで現在の状況に至る訳だ。
 九八の処刑場を全てを丸一日稼動させた場合、およそ三○万人近い数の人間を処刑できる。よって、十日と少しあればこの『作業』は終了する。
 ちなみにその処刑映像は逐一録画し、後々に編集して国民の戦意高揚に使える様にするつもりである。

「狙えー……筒ッ! 撃てぇ!!」

 レイジェンス大陸における貴族たち、特権階級身分の終わりはもうすぐそこまで来ていた。














 インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
 デオスグランテ城 宰相執務室

「ふぅむ……ま、首尾は上々か」

 細かな字で埋められた書類を流し見しながら言う。
 その書類の表紙には『諸外国行動遅滞戦略乙案』と書かれていた。
 タイトル自体は実に分かりやすそうではあるが、具体的な内容を想像するのは難しそうだ。

「はっ、全ては順調と言えるでしょう。宰相閣下、そろそろ一斉蜂起を促しますか?」

 恭しく礼を取りながら問う榊原の所に所属する官吏の男。

「いや、まだ待ちたまえ。今は『実験中』と言える時だ。これの平均的な戦果のデータを出し、そこから色々と考慮してからでなければ問題も出よう。時期的に一斉蜂起の予定としては来月の中頃が好ましいな」

「左様ですか。……しかし、宰相閣下も御人が悪い」

「私は『政治家』だからね。人が悪いのも当然だよ」

 まぁ、嘗ての我が祖国の政治家はそこのところをまるで理解できていないようだったがね。
 口には出さず、榊原は心の中でそう呟く。
 本来政治家というのは底知れぬほど腹黒くてはならない、清廉潔白の政治家などでは物事の表裏が見えないせいで容易く騙され、裏切られ、出し抜かれるからだ。
 政治家という人種はそういうものである。如何にして自国に莫大な国益をもたらすかが最重要、そのためには何をしても許される。そういう心構えで行かなくてはならない。

 今回の『諸外国行動遅滞戦略乙案』にしてもそうである。
 これを立案したのは榊原本人である。よって、中身を見れば榊原という人間の本質を少しは覗ける。政治家としての榊原の姿も同時に見えてくるに違いない。

 この案は簡単に言うなら他国内に大規模に工作員を派遣し、その派遣した地域の民衆を掌握、扇動する事によって反乱を起こさせるというものだ。
 ただ、その過程で色々と『調査』もする。具体的には対象となる国の行動を把握するのだ。
 まずは弁舌の才のある工作員を派遣して民衆を掌握、水に食料、武器などの支援物資を送りつけ、秘密裏に訓練を行い、物資の集積を行うというところまでが第一段階である。ちなみに送る武器は今まで滅ぼしてきた国々から接収した剣や鎧である。銃火器等は技術漏洩の危険を鑑みて供与しない。

 次に、対象となった国の何処でもいいから反乱を起こし、それによって相手がどれくらいの期間に兵を集めるか? どれくらいの兵力で来るか? 行軍にどれくらいの時間が掛かるか? 戦術はどのようなものを取るか? など、そういったことを見極める。
 それを二、三度繰り返し、確認もする。その間の反乱は別に失敗しようが成功しようがどうでもいい――まぁ、まず成功なんてしないだろうが。
 そもそもが相手の行動を束縛し、外に眼を向けれないようにした上での弱体化がこの案の目的である。この段階での反乱によって対象国の体制の転覆を狙うものではない。兎も角、以上で第二段階である。

 そして、その調査及び確認作業が終了したところで更に大規模に工作員を派遣、前述した第一段階まで準備を推し進め、ひたすら沈黙を保つ。
 後は合図次第で一斉に蜂起する。これによってその国が倒れる寸前まで行けば即時こちらの軍を投入して丸ごと掻っ攫う。
 倒れなければ倒れないで予定通り疲弊してもらうだけである。どのように事が転がろうとも都合がいい。
 民衆自体に多大な犠牲が出るだろうが、そんなものは適当に勇敢さを褒め称えつつ、貴族が民衆の虐殺をしているとでもプロパガンダ活動を行い、更に貴族憎しの思いを増大させるまでである。
 結局、インビンシブル大帝國に都合がいいように回るのだ。全ては榊原の掌の上の出来事である。これが最後の第三段階である。

 以上が『諸外国行動遅滞戦略乙案』の中身。榊原の腹の中の一部。
 民衆を利用した敵対国への攻撃である。

「まぁ、今回のこれで我々以外の国の力をある程度削ぎ落とせるだろう。回復には時間が掛かるだろうからその間に後ろから殴りつけ、それでおしまい。我々の完全勝利によって幕は閉じるという訳だ」

「これ以上無いハッピーエンド、ですな」

「我々にとってのな。貴族の連中からしてみればバッドエンド極まるだろうよ。ただ、唯一気掛かりなのは……大陸南端にあるというあの勢力だな」

 榊原の顔が曇る。
 気掛かりな勢力というのは大陸南端にある異種族連合共同体の事である。
 この勢力内にはそもそも人間がおらず、亜人種と言われる種族が支配しているとの事で、自国の商人及び他国の奴隷階級の商人たちへの依存度が高い榊原の情報網では中々内情を窺い知る事が出来ない。
 おかげで榊原の中の不確定要素ランキングでは堂々第二位を獲得している。ちなみに第一位は未だに未解明な部分が多い魔法である。

「確かにそうですな。あまりに知らないことが多いですから」

「そうだ。しかも、あの勢力は貴族どもの迫害から逃れてきた亜人種たちが協力して出来たという話じゃないか。我々の基盤である民衆の共感を呼ぶぞ?」

 苦々しげな顔をして言う榊原。
 それを見たせいか、官吏の男は黙して口を開かない。余計な事を言うべきではないと判断したのだろう。

 沈黙は金、雄弁は銀である。
 その官吏の男の沈黙を榊原は特に気にせずに自分のデスクの引き出しを開け、そこからシガーカッターとシガーケースを取り出すと一本の葉巻を出した。
 外観は普通の葉巻だが、これは帝國産のものである。元の世界にあったものを何とかしてこちらでも生産しようと試行錯誤した結果の一つで、こういった嗜好品の類も段々と作られ始めている。

 榊原はこの葉巻の独特な香りが好きでよく喫っていた。一緒に取り出したシガーカッターで吸い口を慎重に切る。
 あとはポケットに入っているライターを出し、じっくり時間を掛けて火をつけ、ゆっくりとふかすように喫い始める。
 しばらくの間、榊原は一切何も言わずに、ただ葉巻をそうやって喫った。
 そして、何度かその余韻に浸った後で榊原はようやく言葉を口にした。

「全く……面倒は無くならないものだよ」

 そう言って煙を眺めた後、仕事に戻りたまえ、と続けて官吏の男を執務室から退出するよう命じる。
 彼は失礼しますとだけ言い、他に何も言う事無く、出て行った。

 執務室にはあてどもなく流れる煙が静かに充満していった。






















 飛鳥島 地下兵器研究所
 研究員召集用大ホール

「やあ、みんな。今日も僕たちに御日様は輝いてないけど元気かなー?」

「「「「「サーイエッサー」」」」」

 ホールの最奥にある舞台中央で、氷室があらかじめ設置されたマイクを使って言った。
 彼の眼前には研究員ではなく、量産タイプの強化人間兵がズラリと席を埋め尽くしていた。
 その数、およそ六○○○名。一個旅団規模である。これだけの数の強化人間兵がいれば異世界の軍隊ならば容易くねじ伏せられるくらいの軍事力となる事は想像に難くない。

「んーとね。実は君たちにはちょっと働いてもらいたいんだよね。秘密裏にさ。つまるところ、インビンシブルの九条閣下とかの判断じゃないわけだけど……いいかな?」

「「「「「サーイエッサー」」」」」

 そんな彼らに氷室は相変わらずの軽いノリで話す。
 自分に決して逆らわない事をわかっているからだ。意のままに動く殺戮人形が彼ら量産タイプの強化人間兵なのだから。
 氷室はただ自分の言う事に従う強化人間兵たちにニタリと哂う。

「これは僕の個人的な戦略って言うのかな? ま、そんな感じで独自路線の第一歩な訳でね。ちょっとした悪巧みなんだよねぇ」

 哂いながらベラベラと一方的に喋る。
 それはそれはもう楽しげに。

「あは。で、何をするかって言うとね。ちょっとばかり暴れてもらいたいんだよねぇ、これが。――……正確に言うと盗賊紛いな事をしてもらっちゃおうって事なんだよ。他国の陸上通商路を阻んで、隊商を襲って丸ごと奪う――……陸上での通商破壊戦って訳だ」

 ここまでの強化人間兵を集めておいて暴れさせないという事は有り得ないだろう。
 案の定、氷室が頭に思い描いたものは相当なものであった。

 他国の陸上輸送路の破壊。
 この大陸においては荷馬車が陸上輸送の主役である。隊商はその荷馬車が数十台から数百台集まったもので、護衛に貴族の兵士が若干名ついているのが常である。
 護衛については富裕層と貴族間の協定で決められた事であり、幾らかの上納金と引き換えのものという訳だ。
 時々、盗賊に堕ちた貴族――滅亡した国の貴族、もしくは没落し、貴族としての資格を失った貴族がよく盗賊となる。奴隷階級身分のものは数名の護衛の貴族相手でもやられるため殆ど盗賊にならない。盗賊になれるような奴隷階級のものは相当な組織力を持つ。故に危険視され、大抵討伐軍を送られて即時殲滅される――の襲撃があるため必要な措置であると言える。
 しかし、そんなものは氷室にとっては物の数ではない。故に簡単にその隊商が持つ全てを奪ってしまえると踏んでいるのだ。

 実のところ皇帝である九条も同じような事を考えた事がある訳だが、隊商の面々が奴隷階級身分のものと知って計画段階で止めている。自分の支持層を打ち壊す真似なんて出来はしないからだ。
 だが、氷室には関係がない。隊商も皆殺しにすればいいと思ってるし、仮に殺し損なってその死に損ないが原因で民衆の不信を招きそうになったら、解放すべき人民のくせに貴族の下で働いていたのが悪い、と榊原に宣伝してもらうつもりだ。

 基本的に民衆は愚かなのだからどうとでもなるというのが氷室の考えの根幹だった。特にこの大陸の人間の大半を占める奴隷階級身分のものは愚民と言える。何せ学問を学ぶ学校という場は貴族と富裕層のために存在しているもので、奴隷階級身分では通えないからだ。
 インビンシブル大帝國でも未だに全体の識字率が低く、それが少々問題になっているくらいなのだから。

 氷室は、なおも言葉を連ね続ける。

「相手は失い、僕は得る。実に単純で簡単な事だろう?」

 ニヤッと嘲笑の笑みを顔に浮かべ、両眼を瞑って夢想する。
 今回の計画によってどれだけの成果を上げるか……それがどのような影響を及ぼすか考えるだけでワクワクして来る。

 数瞬の間の沈黙の後、すぐさま閉じていた眼を開き、言葉を発する。

「君たちは大体百人程度に細分化して行動してもらう。つまり、全部で六十の部隊になるけど、うち半数は補給とか雑用に従事させてもらうからその半分の三十の部隊が通商破壊に勤しんでもらう。いいね?」

「「「「「サーイエッサー」」」」」

「じゃあ、ここらで解散。あとで命令書と計画内容の細かなデータを皆に送っておくからね。実際に動くのは三日後を予定してるからそのつもりで」

「「「「「サーイエッサー」」」」」

 一斉に強化人間兵たちは席を立つとゾロゾロ出口へ出口へと歩いて出て行く。
 何処からどう見ても操り人形そのものだ……これが捕まった捕虜たちの末路である。

 それを横目で見つつ、氷室は舞台袖へと引き上げる。
 ちょっと演説の真似事をやってはみたものの案外疲れるものだな、と考えながら。

「造物主様」

 ふと、舞台袖に入ったところで声を掛けられる。高いソプラノの女性特有の声だ――氷室も例外的にそんな声だが。
 氷室は声のした方へは向かずにそのまま喋った。

「彼らの指揮は君たちに任せるよ。これは君たちの性能テストも兼ねてるんだからね」

「御意に御座います」

 感覚的に相手が頭を下げているのがわかる。
 氷室としては崇めるように扱われるのはちょっと恥ずかしい。
 しかし、体裁から外面にそういう態度は一切見せずに続けて喋る。

「ま、過程はどうでもいいから結果を見せてね。じゃ、そういう訳だから他の皆にも教えてきて」

「承知致しました。全ては造物主様の御命令のままに」

 そう言って彼女の気配が消える。
 残ったのは氷室ただ一人。

「ん~、あんなに堅物にしちゃった覚えはないんだけどなぁ~……ま、いっか。それもまた面白いし」

 あははっ、と笑って氷室はその場を立ち去る。
 後はどうなるかの結果を待つだけ……実に待ち遠しい待ち遠しい。

 運命の輪は廻る。
 ぐるり、ぐるりと軋みを上げて……


最終更新:2007年10月31日 00:40