第三十三幕 禁断の同盟


 大デルフリード帝国は本来ならば正当なるレイジェンス大陸の覇者たる国家である。
 しかし、帝位継承の折に当時の宰相ガルフ=ヴァン=ダルフォードが突如謀反、そこから全ての歯車が狂っていった。
 傘下にあった諸侯は次々と独立し、大陸に覇を唱えんとして戦乱の世がやってきたのだ。
 当時まだ十四の少年でしかなかった崩御した皇帝の嫡男であるダリス=ジュス=デルフリードはそれを止める事などできず、諸侯の台頭を許す事となった。
 それからというもの初代皇帝の出生地であり、歴代皇帝の直轄地である大陸南部に一旦退くと同時にその地域で最も大きい港湾都市であるランズベルクに遷都し、ただ只管に耐え忍ぶだけだった。力が十二分に蓄えられるのを、自分に好機が巡ってくるのをじっと待ったのだ。
 それによって大陸中央部の領土を失い、ガルフに殆どの古参の臣下が寝返ったものの幸いにも致命的な打撃を受けるまでには至らなかった。ガルフは自らの勢力の周囲に多くの敵を抱えていたためにいつまでもデルフリードに構っている暇はなかったのだ。
 それ以来、レイジェンス大陸は果てしないまでに血を飲み干していくことになった。


 そして、それから幾年月が経過した現在。


 大デルフリード帝国は嘗ての繁栄を取り戻した。
 大陸中央部の領土を失ったと言っても、元々の領土が他に比べて広大であり、それに相応しい力を持っていたのだ。確かにそれなりに困難ではあったが、不可能ではなかった。
 しかし、大デルフリード帝国がその力を取り戻したのはダリスの手腕によるところが大きい。
 軍事に関しては絶望的にまで無能であるが、政治に関しては一流――謀略関係は二流だが――であったからだ。
 できない軍事は自分以外の信頼できるものに任せれば良い。
 幸いランズベルクに遷都してから時間こそ掛かったものの、多くの有用な若々しい人材を抱える事に成功していた。そのため軍事の問題を始めとした様々な難題を比較的あっさり解決できた。
 あとは国力を増強させ、更に領土を拡大し、大陸を再統一するのみ。

 大デルフリード帝国の逆転の時は近い。皇帝ダリスを始め、忠義心厚い臣下一同はそう信じていた。








 大デルフリード帝国
 帝都ランズベルク近郊

「……静かだなぁ」

 のんびりとした口調でポツリと呟く。
 肩に掛かる程度の長さの真っ赤な髪が海から吹きつける風に流される。

 彼が大デルフリード帝国皇帝ダリス=ジュス=デルフリードである。
 現在、三七歳であるが、まだ二十台の後半にしか見えない若々しさを持っている。
 適度に老いた事で経験を積み、自らの能力が洗練されている。それが今日における大デルフリード帝国の復活に繋がっているのだ。尤も、精神的にはまだまだ成熟を遂げてはおらず、子供っぽいところが多々残っているが。

 そして、そんなダリスは心ここにあらずといった様子で、ただ呆然としていた。
 穏やかな天気が彼をそうさせるのだろう。気を抜けば眠ってしまいそうである。

「ずっと、この緩やかな時間が続けば良いのに……」

 頭の中でそう思うと、つい口から言葉となって出てしまう。いけない、これを誰かに聞かれて自分が皇帝だとバレたら臆病ものだという風評が流れかねない。
 すぐさま周囲を見渡してみるが、そこには人の姿は無く、ただ波の音が聞こえるだけだ。今、自分がいるのはランズベルクから少し離れた外れの海岸だ。滅多に人が来るところじゃない。
 誰もいない事が分かり、安堵の表情を浮かべると、この静けさを噛み締めながら少し遠くの方に見える何隻かの船が港から出て行くのを見詰める。

 あの船に乗って大海原に出てみたい。

 幼き頃よりの夢。しかし、それは最早叶わぬ夢。
 自分は皇帝だ。とてもじゃないがそんな事をしている余裕なんて無い。
 財政の改革、直轄領の開発、富豪達との会談、悪質な官吏の摘発……やる事はまだまだ多い。

 思わず溜息をつく。
 面倒はなくならないな、と心底思いながら。

「陛下、こちらにおられましたか」

 背後から唐突に声をかけられる。
 クルリと頭をそちらの方に向け、声をかけた人物を視界内に収める。

「あぁ、リュッデル。君か」

 ダリスは暢気そうに言って、笑う。
 アムマイン=リュッデル。それがダリスの元へ現れた男の名で、大デルフリード帝国において一、二を争うほどの名将でもある。
 また、たまに城を抜け出す皇帝ダリスの御目付け役でもある。ちなみにダリスの年齢に近く、今年で三六歳になる。
 今は金属製の鈍い輝きを見せる軽鎧に身を包み、腰元に剣を携え、片手に槍を持っている。

 リュッデルは笑みを浮かべるダリスに顔を顰めて言う。

「君か、では御座いません。帝国の頂点に立つ貴方様がこのような場所で何をしておられるのですか。まだまだやらねばならぬ仕事がそれこそ山の如く残っているのですよ?」

「ただの気分転換さ。城は息が詰まっていけない」

「……まぁ、確かにたまには気分転換もいいでしょう。しかし、今はダルフォードに不穏な動きが見られます。それに大陸北方に突如として現れた大国の動向も――」

「分かっている、分かっているとも。もう戻るさ」

 軽く溜息をついて立ち上がる。
 ……リュッデルは基本的には良い奴なんだが、こういう時に小言が多いのが玉に瑕だな。それに色々と癪に障る事を結構言ってくるし。
 そう思いつつ、リュッデルの方に向かってスタスタと近づいた。

「では、行きましょう」

 途端にブツクサ言うのをやめ、先導するためにダリスの前を歩き始める。
 二人ともそこそこに歩みが速く、すぐさま大きな街道に出るとそれに沿ってランズベルクを目指す。

「それにしても今日は良い天気だな」

「左様ですね。こういう日はのんびり過ごしたいものです」

「……いや、余はそうやって過ごしていたんだがね」

「陛下は別です。仕事がたくさんありますから」

「皇帝は辛いねぇ……」

 ホント、時々泣きたくなるくらいに。心の中で深々と溜息をつく。
 そんな風に何気ない話を続けながら早足で歩いていくと、眼前に結構な高さのある壁が見え始める。
 壁の前には広い幅と長さを持つ堀があり、今は通行が出来るように吊橋が掛けられている。それがここランズベルクの守りの要である。

 リュッデルとダリスは、そのまま街道を歩いていき、吊橋を渡る。
 そして、ランズベルクに四つしかない門の一つである『静かなる月光門』を衛兵に見送られながら通り抜ける。
 普通は通行証の確認やらで少し時間を必要とするのだが、将軍であるリュッデルがいるため顔パスである。
 ――……ダリスは今は至って普通な『市民』の格好をしているので皇帝と一目では中々分からない。

 門を抜けるとすぐにランズベルクの市街地に入る。
 大きな港湾都市なだけあって人の往来が盛んで、そこら中に露店やら市場が開かれている。

「活きの良い魚はいらねぇかぁ! 今さっき上がったばっかりで新鮮だよ!」

「この剣はそんじょそこらのものとは訳が違う! 彼の名工、ヴィッゲル=シュトラッグが――」

「果実酒はいらんかぁ! 大陸一美味いぞぉ!」

 客寄せに精を出す人々の声が五月蝿く響く。
 これに顔を緩めるダリス。自分のやって来た事の成果は何度見ても良い。

「相変わらず元気で賑やかだ。苦労した甲斐があったって事かな?」

「それはそうでしょうとも。陛下の行った奴隷の市民化は彼らに活きる活力を与えましたから」

 奴隷の市民化。
 ダリスの打ち出した改革の一つで正確には『奴隷市民令』と言う。国内における奴隷という身分の名称の改称及び一定の権利を認めるという内容だ。
 通常、このような改革は国内の有力貴族や富豪に猛反対されるものだが、ダリスはそれを行わなければならなかった。

 それにはダリスのある事情があった。
 ダリスの臣下はその大部分が新しい。はっきりと言うのならば奴隷階級身分のものを数多く登用したのだ。

 大陸中央から退いた際に古参の臣下の殆どがダリスの元から消えており、早急に自らの家臣団を再編成する必要に迫られた。
 僅かながらに残った忠義心の厚いものだけでは、あまりに人材不足で国の建て直しなどできるはずもない。そこでダリスはなりふり構わず、有能であるならどんなものであろうとも登用していった。
 その登用の中心となったのが奴隷階級身分のものたちである。

 在野には多くの有能な人間がいるが、それは奴隷階級という事で登用されなかったものたちが大半だ。
 奴隷とは支配されるものであって、支配する側には存在してはならない。それがこのレイジェンス大陸での暗黙のルールだ。
 そのルールを破って奴隷を登用することに反発はあったものの、現実的に考えればどうあっても登用せざるをえない。

 そして、多くの奴隷階級のものたちがダリスの元へやってきた。
 名声を、富を、領地を。それらのものたちは各々目的は違えど目標は同じだった。

 すなわち、奴隷階級の社会的地位の向上。

 それこそが目標だった。彼らはそのために必死になって働いた。
 魔法は使えないが頭は使える、腕力がある。彼らの頼りはそれだった。
 魔法というものは確かに戦場などを始めとして幅広く用途があり、あれば様々な場面で圧倒的に有利な立場に立てるものだ。
 しかし、あくまで有利になれるというだけであって『魔法が使える=勝利・成功』という図式は成り立たない。
 彼らは持てる知恵を振り絞って様々な献策をし、また騎馬に跨り数多の戦場を駆け抜け、幾つもの国を滅ぼした。
 そして、その結果こそが『奴隷市民令』である。

 大デルフリード帝国内の奴隷は市民となって生まれ変わった。
 基本的な権利が与えられ、法的に保護される事となり、一方的に不当な扱いをする事は公的に禁じられた。また裁判もきちんと受けられるようにもなった。
 これに奴隷階級出身の臣下たちは非常に満足し、この権利を失わぬためにも更なる功を上げようと躍起になっているのが現状である。

「リュッデルはこれで満足かい?」

 ふと、ダリスが訊ねる。

「奴隷出身の私としては満足です。今はまだこれぐらいがちょうどいい」

「そっか……」

 リュッデルの返答に些か考え込む様子を見せたものの、ダリスはすぐに気を取り直して顔を上げる。
 二人は何気ない話をしながら、そのままランズベルクの高台にある城へと歩いていった。




















 飛鳥島 地下兵器研究所
 科学技術総監執務室

「ここに私が来た理由は分かるな?」

「さて……」

 若い二人の男がソファーに座り、テーブルを挟んで対峙する。
 片方はこの部屋の主の氷室、もう片方は今や大国の宰相榊原。

 その二人の視線が絡み合い交差する。

「貴様は……一体何を企んでいる」

「企む? はて、何のことやらさっぱり……」

 全く心当たりがないという様子で、その問いに氷室は素知らぬ顔で答える。
 知らぬ存ぜぬを通すつもりか。榊原は目を細め、より強い眼光を放ちながら続ける。

「惚けるな。貴様が実験軍団を大陸で動かしているのは知っている。……もう一度訊く。一体何を企んでいる」

「仰る意味が分かりませんね。実験軍団が動いているのは事実ですが、それはただの性能テストや調整、その他諸々のデータ収集のため……何かを企むなんて事はしていませんよ」

「ハッ、見え透いた事を言うものだな」

 苛々して来た榊原が侮蔑の意を込めて言葉を投げる。
 しかし、それを氷室は、

「事実ですから」

 と、それだけ言って軽くあしらう。
 これに榊原の神経が逆撫でされるが、これぐらいで忍耐の限界に達するほどではない。少々、眉間に皺を寄せる程度だ。
 そもそも榊原も強化人間。脳内物質の放出量を自ら調整すればどうとでもなる。例えば、ほっとしたり、落ち着く性質を持つβエンドルフィンや我慢・抑制・切り替えといった性質を持つGABAを多く出せば済む話だ。まぁ、忍耐の限界に達するような事でもない限り行わない方法だが。

「事実と言うならその調整やデータ収集を行っているのを見せてもらえるのだろうな? 当然、映像での記録も残っているのだろう?」

「それは駄目に決まってるじゃないですか。そういったことは研究内容の漏洩を防ぐために一切禁止していますから。ま、研究員は例外ですけど」

 不毛な言い争いになって来ている。
 しかし、榊原としては現段階では怒るよりも呆れの感情が強い。ここまで白々しいことを言うとは思っても見なかったのだ。

 思わずそれが言葉になって口から出る。

「……よくもまぁ、抜けぬけと言ってくれるものだな」

「お褒めに預かり恐悦至極ですね、宰相閣下?」

 速攻で皮肉を返す氷室。
 それを合図に無言でお互いを睨み合う。
 冷たい刃を突きつけられるような空気が室内を満たす。

「……あくまで正直に話すつもりはないのだな?」

 確認の意味で訊く。最早、実力行使以外に手段は無しだな。
 榊原はそう思った。しかし、その矢先に氷室の返答で困惑の表情を浮かべる事になる。

「いえ、僕としては別に色々お話しても宜しいですよ」

「なに?」

「少しばかり協力してもらいたくてね。まぁ、ギブアンドテイクでいきましょうよ」

「……取引がしたい、と?」

「そう思ってもらっても構いませんよ」

「ふむ……」

 しばし思考の海に潜る榊原。
 奴としては何らかの事で自分の力だけでは対処できかねると判断し、私に協力を要請していると考えていいだろう。
 メリットは大きい。私自身がかなりの権力を持っていることからそれは容易に理解できる。
 しかし、奴が取引材料として私に提供するものはなんだ? 情報公開だけでは割に合わないだろう事は奴にも分かっているはずだ。
 当然、それ以外にも何か大きな利益を齎すものを提供しなければならない……兎に角、話だけでも聞いてみるか。

「仮に私が貴様に協力するとして、だ。貴様は私に何をしてくれると言うのだ?」

「そうですねぇ……ま、色々と詳しい事はこれを見て頂ければ分かりますよ」

 そう言って、何処からか取り出した分厚い書類の束を榊原に投げる。
 顔面にぶつかるコースで投げてきたが榊原は難なく片手で受け止め、即座に中身を読み始める。

 そして一時の後、一瞬だけ眉が跳ね上がったと思うと、榊原は突然ニヤリとした不気味な笑みを浮かべた。

「……ここに書かれていることは本当なのだろうな?」

「こんな状況で嘘をつくほど馬鹿じゃありませんよ。なんでしたら直接確認にでも行きますか?」

「いや、結構だとも。私もこんな状況で嘘をつくとは思えんからな。……貴様が私との取引が本気というのは十分に理解した」

「そうですか。で、御返事は?」

 淡々とした口調で聞く氷室に榊原は一拍の間を置いて告げた。

「無論――……承諾だ」

「フフッ、歓迎しますよ……宰相閣下」

 どちらから言うでもなく、二人は握手を交わす。
 ここに絶大な権力を持つ宰相榊原と狂える科学の申し子氷室の同盟が成立した。

 打算と相互の利益で繋がった不確かな絆。その糸が切れる日はすぐに来るのか、はたまた何十年と続くのか……それはまだ、誰にも分からなかった。


最終更新:2007年10月31日 00:46