第三十四幕 謀略の影


 インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
 デオスグランテ城 皇帝執務室

「三五○万人規模にまで陸軍の動員を進めて欲しいだと?」

「はい。それだけの数が必要と判断されましたので」

 報告書に書かれている詳細を確かめながら些か驚く九条。
 それを目の前にいる榊原は堂々とした態度で受け止めて答える。

 九条は眉間に皺を寄せて問いかける。

「だが、国内産業がその分停滞するのではないか? ……それに経済的、社会的な問題が発生するのならば承諾しかねる」

「御心配には及びません。南方の人間を引き抜いて当てれば支障は出ないでしょう。我々が心血を注いで育成したエリート達を潰すような事には決してなりません」

「ほぅ? ……だが、南方の連中は幼少時から軍事教練を受けていたわけではないのだぞ?」

 インビンシブル大帝國では、初等学校の高学年より軍事の授業が入る。
 基本的に軍事の授業は学校がある日なら全て最低一時限は時間割に入れられており、銃の組み立てや分解などを徹底して教えられる。
 中等学校に上がれば、更に複雑な授業が執り行われる。それらが帝國軍の精強さに繋がって来ることは言うまでもない。
 尤も、精強な軍という事についてはそれ以外にも様々な要素が関係しているが。

 しかし、昨年併合したばかりの南方地域では当然まだ学校教育の制度が行き届いてはいない。それどころか開発だって満足に出来てはいない。急速に進めてはいるが、まだまだのはずだ。
 九条はそれを気にしているのだ。果たしてそんな南方地域の人間が厳しい戦争を戦い抜く事が出来るのか……疑念は尽きない。

 だが、榊原はそんな九条を見ながらニヤリと笑って告げる。

「それについては三ヶ月ほど御時間を頂きたく思います。その間に立派に任務をこなせる兵にして見せます――……ただ、陛下の御認可と協力が必要不可欠ですが」

 何の軍事教練も施していない人間でも三ヶ月もあれば、とりあえず戦える兵士にはできる。
 しかし、それには当然教官が必要だ。優秀な教官が、だ。

 それが頭によぎった九条は自然と苦言を漏らす。

「……軍部から人はあまり出せんぞ」

 少し前に出された榊原の提案で指揮官に余裕ができるだろうから言える言葉だった。それが無ければ人は出せないと言っているだろう。
 元々、陸軍拡大も提案されていた事もあるが九条としては現在の常備軍・徴集兵混合一二○万人から数十万人規模のプラスと予想していたのが、いきなり何百万人もの増強を要請されている訳だから、かなりの譲歩をしている発言といっても過言ではない。

 榊原にとっては大いに不満のある発言だろうと予想していた九条だが、彼の余裕の笑みは消えない。
 むしろ、その言葉を予期していたかのようにスラスラと榊原の口が動いた。

「それについても御心配には及びません。最低限度で結構です。氷室技監に強引な施術を依頼しておりますので」

 これに幾分かの衝撃を覚える。
 榊原は氷室の人柄を好いてはいない。むしろ、嫌っているはずだ。それがどうして……。

 少し考え込むが、すぐには明確な答えは出ない。
 仕方が無い故、一先ずそれは考えの外に置いて話を進める。

「まぁいい。それで解決するのならばいちいち深く訊くつもりは無い。元々、貴様が言い出したことなのだから最後まで貴様自身の責任で行動しろ。……場合によってはその首貰い受ける故、そのことを肝に銘じて忘れぬように」

「はっ、有難う御座います」

 ビシッと姿勢を正して敬礼を行う榊原。そして、すぐに脇に抱えていた一枚の紙を提出し、サインを求めてくる。
 九条は適当に読んで確認すると指定された欄に自分の名前を書き込む。
 それが終わると元々読み進めていた報告書に視線を戻し、そのままの状態で告げる。

「では、そろそろ貴様の執務室に戻るといい――……あぁ、その前に一つだけ言っておく」

「なんでしょう?」

 何かを思い出したかのような仕草をしながら榊原を見た。
 客観的に見て、その瞳には冷たいナイフの様な鋭さが秘められているように感じられる。

「貴様の持つ権限は私から貸与されているものでしかない。いつでも剥奪出来る事をくれぐれも忘れてくれるなよ?」

「……承知致しました。陛下の御期待に沿うよう全力以上の能力を持って当たらせて頂きます」

 そう返事を返すと榊原は静かに部屋を後にした。
 残された九条は視線をしばらく自室の扉からは離す事はなかった。


















 ダルフォード大帝国 帝都エルリーフォード
 フォートグランティス城

「エンハイム公ギュスターヴ、参上致しました」

「ヘルムツェルト辺境伯ウラヌス、同じく参上致しました」

 玉座に座るダルフォードに巨躯な身体を持つ二人の男が跪いて言った。
 両者とも帯剣こそしてはいないが、兜を脇に抱え、見た目からしても重厚そうな鎧をその身に覆っている。
 その歴戦の勇者と言える風貌に満足そうにダルフォードは何度も頷く。

「うむ、よく来てくれた。貴公らの活躍に余は非常に期待している」

「過分な御言葉、身に余る光栄に存じます」

「陛下の期待を裏切らぬよう死力を尽くしましょうぞ」

 打てば響くとはまさにこの事。
 ダルフォードが期待しているのは本心であり、それに対する返答も実に満足のいくものである。
 機嫌を良くしたダルフォードは口元を僅かばかり緩め、告げる。

「うむ、その言葉しかと受け止めた。疲れているであろう故、今日はもう休息を取るが良い……下がって良いぞ」

「「ははっ」」

 頭を深々と下げた後、彼ら二人は静かにその場を後にする。
 すると、玉座の後ろから音もなく宰相のロンガードが現れる。ずっとそこで気配を消して待機していたのだ。
 ロンガードは玉座の横に立つと、口を開いた。

「エンハイム公とヘルムツェルト辺境伯の両名は中々に有能で忠誠心も高いので此度の戦にて頼りになりましょう。先遣隊だけで先行して参られたようですが、その規模から兵も相当な数を率いて来ている様です」

「でなければ困る。彼奴等の打倒は一筋縄ではいかんのだからな」

 額に皺を寄せながらダルフォードは言う。
 ダルフォードは大デルフリード帝国を舐めてはいない。それどころか自国と互角の相手と認めている。

 自分には『切り札』があるが、それでも何があるか分からないのが戦争だ。
 十分な戦力があろうとも、九割以上勝利が確定していようとも絶対に油断はしない。常々、そう自分に言い聞かせているのだ。

「無論、あらゆる手段を講じて全力で打倒致します。……金の亡者どももそろそろ黙らせる必要があります故」

「ふむ、確かにな……アレは明らかに後々の障害となろう。デルフリードを滅ぼした後に奴らを潰すのに異論はない」

 ロンガードの言葉で出た金の亡者とはバールドバル海洋王国の事を指す。
 ロンガードとしてはいい加減、腹を据えかねているのだ。大デルフリード帝国とダルフォード大帝国との間を行き来する中間交易によって莫大な財を手にしている憎き豚ども。
 そんな醜く太った豚には制裁を下さねばならない。日頃から財政に苦慮しているロンガードだからこそ、その感情が異常に強い。

「賛意を示して頂けて幸いです」

「構わん。余も些か鬱陶しく思っておるからな。だが、いちいち言わずとも分かってるだろうが当面はデルフリードに集中する事だ。よいな?」

「御意に」

 ロンガードは頭を垂らす。
 そして、俯いた状態のままでブツブツと何言かを呟くと、途端に彼の体が瞬時に闇に包まれ、跡形もなく消え去る。
 その場に残ったのは爛々と瞳を輝かせているダルフォードただ一人だけであった。



















 飛鳥島 地下兵器研究所
 科学技術総監執務室

「んー、とりあえずは順調かな」

 椅子に座って、何らかの書類を見ながらポツリと呟く氷室。
 それと同時にデスクと一体になっているコンソールに指を走らせ、幾つかのデータをモニターに映し出し、比較を行う。
 その作業はかなり素早く、また的確であり、極めて合理的だった。流石に数十年も続けていればそれぐらいはできるようになるだろう。
 しかし、氷室は事務屋ではなく科学者であるため、こういった事はかなり面倒と思っているが。

「よいしょ、と……」

 コンソールを叩く速度を上げ、作業を高速で進める。今、氷室が行っているのは様々な計画の修正及び進行状況の確認などである。
 モニターに映る諸所の計画のタイトルを見ると『虜囚の強制労働による国力強化計画』、『新型生体兵器開発計画』、『敵対国国力強奪計画』などがある。これらだけでなく、他にも様々な計画を推し進めている氷室は正直かなり忙しい。
 しかし、どれもこれもが独断且つ極秘で氷室が進めているものである。無論、これら以外に公で行っている計画もあるが。

 正確に言うと榊原という支援者兼協力者兼共謀者がいるが彼は直接関わっているという訳ではない。何か問題が生じた際のサポートが主な榊原の仕事だ。
 ただ、榊原はきちんと各計画の最新の情報を手にしている。意外かもしれないが、それは氷室が自分の信用を高めるために行っている事だ。自分が榊原からあまり信用されていないのを自覚しているが故の行動である。

 下手をすれば榊原は自分を切る。如何に良い取引をだとしても自らに火の粉が飛ぶならば榊原は躊躇しない。
 それを防ぐための措置の一つが正確で最新の情報の提供である。他にも前述した氷室が密かに行っている計画の一つの『虜囚の強制労働による国力強化計画』によって、虐殺されるはずだった貴族や富豪の面々を過酷な労働に酷使する事によって生産している資源やら何やらを榊原に回して信用を獲得しようとしているのだ。

 今、述べた事で分かると思うが氷室にはかなりの労働力の余裕がある。
 虐殺予定だったもの達を書類を改竄して死亡した事にし、飛鳥島に連れてきては記憶を奪い、生きた人形に作り変える。
 そして、氷室が極秘開発中の鉱山や平野を農場にするための労働者として供給するのだ。

 無論、人道面から考えれば最低な事この上ない。だが、そんな幻想よりも氷室は、そして、榊原は現実的な利益を優先する。
 元々、殺す予定だったものを流用しているに過ぎないのだから、それによって何らかのプラスに繋がるのなら幾らでもやる。それだけの話である。

「んー……面倒だなぁ、もう」

 軽く溜息をつきながら作業を中断させ、一旦小休止に入る氷室。
 両手を伸ばして椅子にもたれかかりながら背を反る。ゴキゴキと結構大きな音が背骨で鳴る。

「あー、そろそろ何処からか事務処理能力に特化した奴を引っ張ってこないと駄目だなぁ、いい加減飽きたし」

 そんな事を言ってぐったりする氷室。
 しかし、それも仕方ない。彼の双肩に掛かる負担は極めて大きいのだから。

 前述された氷室独断で実行中の計画以外の仕事において彼はインビンシブル大帝國で使用される各種兵器の再設計・改良なども一通り担当している。
 つまるところ帝國で使われる兵器はベースや外見こそ旧来通りのものだが、中身は別物という事だ。

 戦車ならエンジン出力を上げたり、少しばかり大型化して搭乗員のスペースの拡大や砲弾、燃料を増加、そして電気駆動化などといったものである。
 航空機もやはりエンジン出力を上げたり、燃費の改善や武装の変更、装甲と搭載弾薬量の増加などの改良が施されている。
 元々、先進的な技術を持っているのだからそれを流用しないはずがない。普通に考えればこれぐらい行うのは言うまでもない当然の事だ。

 ただ、最近では兵器の名称の変更をしようという声が上がっている。
 どうにもそのままの名前を使うのは何だか癪らしい。まぁ、別段大して気にするようなことでもないが。

「ハァー……ダルい」

 そんな事をポツリと言うと、唐突に執務室の扉をノックする音が響く。
 氷室は面倒くさそうに身体を起こして姿勢を正した。これでも体裁はそこそこ気にする方なのだ。

「どうぞー」

「失礼します」

 暢気そうな氷室の声を合図に執務室に入ってくる大林。
 相変わらず硬い表情をしている。それを見て思わず徹底的に弄繰り回してからかいたくなったが、ギリギリのところでその衝動を抑え、素知らぬ顔で大林に応対する。

「や、大林君。相変わらずの狭苦しい穴倉生活だけど元気かい?」

「そこそこ好調です。特に問題はありません」

「素っ気無い返事だけど、そこそこか。ま、調子が悪いよりは断然いいね」

「でしょうとも。まぁ、それよりも総監、色々と御報告させて頂きたい事がありますので宜しいでしょうか? あと、それに対する総監の御考えを伺いたいのですが……」

「あぁ、いいよいいよ。ちゃっちゃと終わらそう」

「はい。では、失礼して……ゴホン、現在の各研究室における独自の――……」









「……――その件は第一三研究室の室長に任せるよ。彼の個性に期待してるからね」

「承知しました……と、以上で終わりですね。有難う御座いました」

 そう言って一礼する大林。既に彼が執務室に入ってきてからもう二、三時間は経過していた。
 氷室は、やっと終わったかぁ、と、心の中で呟き、グテッとダレる。

 今日はなんだかやけに疲れたなぁ、明日から三日くらい休みたい気分だよ……いや、というか休む。もう決定。
 なんとも自堕落な思考を頭一杯に満たす。氷室の場合、立場が立場なのでこれぐらいの我が侭はどうという事無く押し通せるのだ。まぁ、自分の権威をそんな小さい事に振りかざすのはどうかと思うが。

「もうこれ以上仕事はないよね?」

 顔だけを動かして大林を見る。

「……それはまぁ、総監次第かと」

 少し間がありつつも曖昧な返答をする。
 氷室は一瞬だけしかめっ面を見せたが、すぐにニヤッと笑って言った。

「じゃ、終わり。残ってたらそれは明日に持ち越し」

「随分と強引な事で……では、ここからは仕事の話ではなく、個人的な御話を一つさせて頂きたいのですが……宜しいですか?」

 大林は氷室のあんまりな発言にほんの僅かに溜息をつきたくなるが、敢えてせずに別の話に持っていこうとする。
 一方で、氷室はそれに些か興味を抱いたのか、相変わらずダラけた状態であるものの一応肯定の意思を示す。

「んー……まぁ、いいよ。仕事の話じゃないんなら」

「仕事、と言いますか……総監の『個人的』な『活動』についてです」

 氷室は途端に目を細める。
 だが、それだけで特に突っかかったりするような事はなく、数秒ほど何か考えに耽る様子を見せる。
 そして、その後は表情を元に戻すと溜息をつきながら喋り始めた。

「ふぅ……しょうがないか。大体分かってるけど、色々言いたい事があるんでしょ? いいよ、好きに言っても」

「はっ……では、失礼を承知で言わせて頂きます。総監は些か事を急ぎすぎです。宰相閣下に情報が漏洩している事態をもっと憂慮して頂きたい。……我々が享受している利益を失わないためにも」

 大林は一気に言った。
 その顔は至って真剣で、自分の忠告が受け入れられない場合は何らかの行動を起こすと書いてあった。
 氷室はその言葉に対し、不敵な笑みを浮かべて告げる。

「言うじゃない。でもね、宰相への情報漏洩は別に大した事じゃないんだよ」

「大した事ではないとは一体どういう事なので?」

「なに、僕も向こうに内通者を抱えてるって事さ。それに宰相とは一応同盟みたいな関係にあるんだから一先ずは問題ないよ」

 さらりと言われたその言葉に大林は目を見開いて驚く。
 後半は兎も角、前半の内通者云々については全く知る由もなかった事だ。一体いつの間にそんな事を……。

 大林は頭を二、三度軽く振って、自分の動揺を追い出す。
 そして、すぐに思考を纏めて、それによって出た結論の確認のために問いかける。

「……つまりはこちらの情報はある程度は筒抜けですが、それは向こうも同じである、と?」

「いや、こっちの方が有利だよ。何せ、向こうは内通者がいること自体分かってないと断言できるからね。逆にこっちは潜入しているのが誰か大体目星はついてるし」

 なるほど、流石に抜け目がない。それでこそ我々の総監閣下だ。
 きちんとした対処を既に済ませているのなら何も問題はないし、この総監の余裕も頷ける。
 自分がいちいち口喧しくする必要など何処にもなく、また出る幕もないようだ。やはり全て総監に御任せするのが正しい。

 大林は早々と自分の配慮が全く無用なものであったと判断した。
 そして、一歩後ろに退くと、腰を一気に九○度に折り曲げた。

「全ては私の浅慮ゆえの間違いに御座いました! 今後は思慮深い言動を心得ますので、どうか御容赦くださいますよう御願い申し上げます!」

 このいきなりの行動に氷室は一瞬呆気に取られる。
 だが、すぐさま顔に笑みを浮かべて気軽に返答する。

「はは、別にいいさ。ひたすら黙って僕の言う事だけしか聞かないってのは『人形』だけでいい。大林君のような人間にはむしろドンドン意見して欲しい。その方が僕にとってプラスが見込めるんだからね」

「寛容な御言葉……有り難く頂きます」

 ホッとした表情で元の体勢に戻る大林。
 しかし……

「で、ものは相談なんだけどさ。一つ頼みごとを聞いてくれよ」

 大林が安堵した途端に氷室は意地の悪い笑みを浮かべる。
 その瞬間、直感と経験から大林は嫌な予感がした。
 だが、それでも聞かない訳にはいかないため、大林は沈黙を維持する。

「実はね――……」

 この後、大林は心底今日は厄日だと感じたという。


最終更新:2007年10月31日 00:53