第三十五幕 支配者達の憂鬱
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
デオスグランテ城 皇帝執務室前
「どうしたものか……」
皇帝である九条の執務室の前で扉をノックする寸前で迷いに迷っている大林。
本来ならば、このような場所には出頭命令でもなければ来ないのだが、今日はとある用でわざわざやってきたのだ。
まぁ、今日の用件は先日、氷室から強引に押し付けられたものであり、その用件を九条に伝え、反対された場合には更に説得までも行って来い、という無茶なもので……正直、帰りたい。
――そんな事が無理なのは百も承知だが。
「……いい加減、腹をくくるか」
ようやく意を決し、大林は若干震えながらも扉を二度ほど軽く叩く。
すると、すぐに中から「入れ」と、入室を促す声が聞こえてくる。
緊張で身体が固まりそうになる自分に心の中で喝を入れながら「失礼します」と言って扉を開け、中に入る。
そして、すぐさま唖然とする。
執務室に入った途端に馬鹿らしくなるほどの大量の書類がそこら中に積み上げられているのが眼に入るのだ。
客人を持て成すためにあるはずのテーブルやソファーなどもそれで埋められてしまっている。
しかし、幾らなんでもこれは激務にもほどがあるだろう。常人ならば確実に過労死直行の仕事量である事は疑いようがないのだから。
「悪いが手を休めるわけにはいかんのでな。用件はそこで話せ。出来る限り手短にな」
その声にハッとして、視線を声の主へ定める。
書類の内容を異様なスピードで読み進め、物凄い勢いで処理していくこの国の支配者がそこにいた。
彼のデスクもまた書類の山で埋められている。いや、書類だけでなく、何枚もの皿も積み重なっている。
恐らく簡単な食事をその場で取っているのだろう。現状を鑑みれば執務室から動きようがないのは明白である。
この場を見れば食事に時間を取られるのを避けたいのはよく分かる。ただ、鬼人化されたその身に必要とされるタンパク質を補充するのにそれなりの食事量がいるので、皿がかさばってきて狭いデスクを圧迫しているのがアレだが。
「どうした? 早く言え」
「は、はっ! 申し訳ありません!」
他事を考えていたせいで黙り込んでいたのに、たった今気が付く。
しかし、肝心の用件がまた問題なのだ。だが、言わない事には話が進まない。
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けると、大林は意を決して言った。
「率直に申し奉ります。特権階級身分に対する抹殺計画を是非とも中止して頂きたいのです」
途端に、九条の動きが止まった。
ゆっくりと顔をこちらに向け、鋭い視線とプレッシャーをぶつけて来る。
……こうなると分かってて総監は自分で行かずに私を送ったのだろう。大体、「特権階級を殺すのをやめるように言って来てくれない?」と、私に頼んだ時物凄く目を逸らしていたからな。
「今日、この時間にここに来る予定だったのは氷室の助手である大林君……で、よかったかな? 今回の事は彼の意思か?」
「……はい」
短く返事を返す。
一応、平静は装っているものの背中にベタついた汗が先程からダラダラと流れる。
……嫌な感じだ。まるで、頭に手術用のメスを刺し込まれているような気分がする。
しかし、そんな私の様子に気が付く事無く……はたまた気が付いているが、全く気にも留めていないのか。兎に角、こちらに説明を求めてきた。
「では、何故中止を求めるのかを具体的、且つ極めて簡潔に述べてもらおうか」
まぁ、この場でつまらん嘘を吐いた場合はその命を貰うが。
あっさりとした口調で、かなりキツイ言葉を後に続ける。
冗談ではなく嘘をつけば、おそらく本当に命を奪われるだろう。
ドクン、ドクン、と心臓が早く脈打つ。
「それでは御説明させて頂きます」
一度、深呼吸をし、一拍の間を置いた後に口を開く。
「特権階級身分に対する抹殺計画は我々の地位を完全に固めるのにはある程度は必要であるのは理解しております。しかしながら、我々には更なる力が必要であり、それを獲得するに辺り捕らえた特権階級身分をもっと有効利用する事が上策と判断した訳です」
今までの事を真っ向から否定せずに一定の理解を示し、さらに要求された通りに簡潔に纏めて慎重に発言する。
下手な事を言えば、自分が一体どうなるか分からないのだから当然の行動だ。
しかし、九条はそれに対し、あまり興味が無さそうに答える。
「それが理由かね? だが、女子供は既にその有効利用のため労働力に使っている。特に将来の期待できる子供はこちらで徹底した洗脳、及び英才教育を施し、一級の人材に育て上げ、活用しているが?」
「それでは不十分なのです、陛下。確かに労働力が足りないということはありませんが、苦痛極まる鉱山労働者には特権階級のものが最も適任なのです。我々の国民に無用な苦痛を与える訳にはいきませんから。それに使い潰しが可能でもあります」
淡々と言葉を連ねる大林。努めて冷静に吐き出したこの言葉は紛れもない事実である。
帝國においては鉱山開発は最も盛んな事業の一つとして行われており、次から次に新しい鉱物資源の供給地が出来上がっている。
今のところは労働力の面では大事ないが、労働者の精神的負担が少々問題になってきているのだ。
鉱山での労働というのは極めて重労働である。元の世界においても南米辺りではコカの葉――コカインの元、いわゆる麻薬――を使用してそれに耐えたほどである。
それに九条は黙考しつつ、何度か首を縦に振って頷く。
「ふむ……確かに一理ある。だが、彼らから搾り取れるようになるまではこちらが一方的に養わねばならん。とすれば金が必要であろう? それも莫大な大金が、だ。それはどう用意する?」
特権階級身分の人間の数は膨大であり、それを労働力として活用・維持するための予算は当然その膨大さに比例する。
今のところは財政に余裕があるインビンシブル大帝國であっても湯水の如く金を使う訳にはいかない。質素倹約は常に心掛けるべき事である。
大林は静かに答えた。
「何も全てを生かして使おうとは言いません。必要な分だけで宜しいのです。余分なものは殺してしまって構いません」
それにいざとなれば我々がその予算を捻出します、大林は最後にそう続けた。
九条は額に皺を寄せて「むぅ……」と唸る。そうまで言われてはこちらからいちいち口出ししてやるのも気が引ける。
そもそもあちらが予算を持つのならば別段反対する理由もない。考えは纏まった。
「……難題極まるな。だが、余としては別に構わん」
「では……」
「そう急くな。内政に関する事だからな。宰相の……榊原の承認を得てくる事を薦める。それが済めば、近いうちに予定している隣国への侵攻にまた多くの特権階級の者どもを捕らえられるであろうからその者達を使う事にしよう」
ここで大林の眉が一瞬だけピクッと動く。
陛下は知らないのだ。我々が書類改竄を行って既に相当な人数の特権階級身分のものを確保している事に……。
この事を言うべきか大林は判断できなかった。そして迷いに迷ったが、結局飛鳥島に帰還し、氷室総監の考えを仰ぐべきと判断した。
「承知致しました。では、この件については宰相閣下との会談の後にまた……」
「うむ。近いうちにまた会おう。……下がるがよい」
一礼して執務室から退室する。廊下に出て、飛鳥島に戻るべく歩き始めた時になんとも言えない嫌な感じが背筋を走った。
何か見えないものに動かされている気分だ。まるで自分が操り人形になったようで……。
大林は妙なわだかまりを胸に感じていた。
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
帝國重工本社ビル
「ハァ……」
超高層ビルの最上階にて、やたらと高級そうな椅子に腰掛けつつも深い溜息をつき、今日も今日とて胃薬を飲む。正直、情けない姿だ。
既に人外の強靭さと回復力を備えているはずのこの身体で胃薬が必要なのは自分だけなのだ。
何か欠陥があるのではと調べてもらった身体検査では肉体の面での問題でなく、精神的な問題との結果が出ている。
日頃貧乏くじを引かされ続けてきた人生が大いに影響しているんだろう。
身体は変われど、中身は変わらず……それだけの話だ。
もう一度溜息をついた後、チラリと自分の横にいる見栄えのいい女性に視線を飛ばす。自分の秘書の『クルシア=シーリス』だ。
銀色のキラキラとした長い髪を持った彼女は携帯電話を片手に誰かと話し合っているところだった。ただ、それもそろそろ終わるようだが。
「――はい……はい、わかりました。社長、本社正面ゲートに御車が到着したようです」
社長……そう、それが今の自分の『役割』だ。
まぁ、それも仕方ない。正直な話、自分には軍人は向いてなかった。
元々やっていた仕事自体も事務中心で、一度たりとて戦場に出た事はない……だが、それが悔しくもある。
拳に若干、力が篭る。言いようもない苛立ちを感じていた。
しかし、その苛立ちはあくまでも心の中に留め、それを外には一切出さずに平然とした表情で秘書に答える。
「ああ、わかった。じゃあ、行くとしようか」
そう言って席を立つ。その手に持つものは銃ではなく、書類や何枚かのディスク、ノートパソコンの入った革製の鞄。
最早かつて、小林信也中佐と呼ばれた男の姿はなく、そこにいるのは帝國重工の社長となった一人の『商人』がいた。
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
デオスグランテ城 皇帝執務室
「……これぐらいで終わるか」
大林が出て行った後も延々と執務をこなしていた九条であるが、いい加減その作業も億劫になり、適当なところで区切った。
九条が今現在取り掛かっている仕事は主に軍の再編成に関係するものだ。
実のところ九条はやたらと役職を兼任している。軍隊における様々な最高職で十分な指導力を発揮できる人材があまりに少ないせいだ。
中堅以下の人材層は厚いのだが、トップクラスとなると中々いないのが帝國の実情である。
そして、そのツケが数少ない上の人間に回ってくるのは自明の理であり、それが現在の執務室の惨状という訳である。
「ん」
唐突に九条は席を立ち、ぐいっと背筋を伸ばす。
最近はデスクワークに追われて身体を動かす機会もめっきり少なくなった。それでも身体の方は万全だが、同時に体力も有り余っている。何か都合よくそれを発散させるようなスポーツなどをやりたいものだ。
九条はそんな事を思いながら、デスクの上にある電話の受話器を手に取った。
連絡する相手は、今現在栄達を極め、威風堂々と陸軍の指導的立場に立つ『陸軍総長』の紫芝柳。
受話器を耳に押し当てて相手が出るのを待つ。何度かのコール音が響いて、しばらくの後にそれは途切れた。
『もしもし?』
「九条だ。紫芝陸軍総長」
『おお。これは、これは……陛下から直接御電話を頂くなど恐悦至極に存じます。して何か問題でも起こりましたので?』
「いや、特に支障の出るような事は起きてはいない。今回は別件で少し聞きたいことがあるだけだ」
『別件、と仰られますと?』
はて、と紫芝の頭に「?」が浮かぶ。
ここ最近で特に何か変な事をした覚えはないのだが……むぅ。
しかめっ面をして唸ったが結局思い当たる事はなく、事情が分からぬまま仕方無しに耳を傾ける。少しばかりヒヤヒヤしながら。
「うむ、陸軍の再編についてだ」
ああ、その事か。紫芝はすぐさま合点がいった……のであるが、その表情は晴れやかなものではなく曇っていた。
あまり好調な仕事が出来ていないためだ。紫芝は一瞬間を置いて一考した後に喋る。
『……そうですか。実のところその件でこちらは手一杯です。特に人事局は崩壊寸前ですな』
とりあえず現在の不満を最初に漏らす。
こういう事は言えなくなる状況になる前にとっとと話すに限るのだ。
「すまんな、迷惑をかけて。榊原の要請だったとは言え、私自身も陸軍の大軍拡は必要不可欠だと思ったが故に行うよう命じたのだが……些か早すぎたかもしれんな」
九条は紫芝の苦言に対して自分に幾つか反省すべき点があっただろうと思いながら答える。
まだまだ自分は勉強不足なのだ。軍事一辺倒ではいけないために経済学も政治学もしっかり学んでいるが、どうしても実践による経験が足りないのだ、そう九条は考える。
事実、大きな失敗こそしていないが小さな失敗は何度かやってしまっている。
まぁ、こればかりは如何に本を読み、理解してもどうにもならない。積み重ねられた勘と経験、働く場所が何処であろうともこれが肝心なのである。
『いずれにしてもこうなる運命だったのでしょう。遅かれ早かれこの大陸を掌中に収めるにはやらねばならなかった事……気にする必要はありません』
受話器の向こうにいる紫芝がフォローと思われる発言をする。
今さっきの自分の発言を弱気と取ったのだろう。……正直、少しばかり癪である。別段、弱気でもなんでもなく、ただ自分の事を客観的に評価しただけだ。
しかしながら、気遣いは有り難く受け取っておくのが礼儀だろう。ここは適当に流して話を進める事としようか。
「そう言ってくれると助かる。……で、結局のところ事は順調に進んでいるのか?」
『とりあえずは……と、なんとか言えるぐらいです。正直に言わせて頂きますと、あまり芳しくありません』
「だろうな、その辺は容易に予想できる。……そういえば空軍の方も榊原が渋っていた予算がようやく出たおかげでP-47の生産を取りやめて急遽発展型のP-72の生産を行うようにしたようだな。まぁ、急な事だから混乱もあるようだが……今は何処も難航しているのが現状か」
軽く溜息をつく。当然先進的技術を適用させているため、そのP-72も色々と弄繰り回されて別物になっている事だろう。
ただ、それで余計に生産工程に問題が出る気がしてならないと不安で不安で仕方ないが。
『こんな急激な変化を求められる状況で順調にいける方が異常ですので。……ただ、下手をしますと陸軍の再編成は予定の期日を大幅に遅れるかもしれません。その可能性は覚えておいて頂きたい』
「ふむ、その言葉、胸に留めよう。……とりあえず詳細を今度直接会って纏めて聞きたい。時間の作れる日はないか?」
『そうですね……今日から、ちょうど一週間後ならなんとか』
「承知した。では、また今度」
『はっ、失礼します』
ガチャリ、と受話器を戻し、ふぅっと息を吐く。
苦労は買ってでもしろと言うが、必要以上に苦労を背負い込むような真似はしたくはないものだ。
「我が国の悩みはまだまだ尽きそうにないな……」
執務室の窓から晴天に恵まれた空を眺めて呟いた。
最終更新:2007年10月31日 00:56