三十七幕 ステッキーワールド


 大デルフリード帝国
 帝都ランズベルク ホーエンハイム城

「ダルフォードが大規模な出兵をしたと?」

「はっ!」

 日の当たるバルコニーで寛いでいた時にいきなりこの報告だ。機嫌も悪くなるというものだろう。
 一緒にいたリュッデルも顔にこそ出してはいないが、なんとなく嫌な気配が伝わってくる。
 ダリスは眉間に皺を寄せて溜息をつくと、すぐさま告げる。

「帝都にいる家臣たちを速やかに召集してくれ。集まり次第、対策会議を開く。その準備も任せた」

「はっ、承知致しました!」

 バタバタと慌てて伝令は去っていった。
 それをダリスは静かに見送り、呟く。

「また……血が流れるな」

 憂鬱な気分になる。
 近頃は大規模な戦なんて全く起きなかった。束の間の平和を謳歌していたのだ。
 そもそも自分は戦は得意ではないし、好きでもない。自分にできる事は政治しかないのだから。
 ダリスは先程よりも深く溜息をついた。自分の表情に出ている悲観の感情を隠す事無く。

 一方で、そんな様子を見ていたリュッデルが口を開く。

「致し方の無い事です。それが今の時代の、戦乱の世の理なのですから」

 ダリスの眼がリュッデルの方に向く。苦々しさが溢れた視線を飛ばしてくる。
 しかし、それに構わずリュッデルは続けた。

「……しかし、陛下。この戦乱の理に終止符を打てるのは貴方様以外にはおりません。少なくとも私はそう信じております」

 リュッデルはそう言うと、ただダリスの眼を見詰める。
 真っ直ぐな瞳だった。邪念なんてものは一切ない、純粋な気持ちがその瞳には宿っているかのようだった。
 その瞳に見つめられたダリスは、数瞬の後に目を逸らし、呟いた。

「……辛いね。胸が苦しいよ」

 ダリスは自らの性質上、戦いよりも交渉を重視する。
 政治的な腹の探り合いや時間稼ぎは得意だが、力と力がぶつかり合う戦争にはかなり疎いし、感情的に嫌っているのだ。
 ただ、逆に学問は奨励するし、法律や制度を整備する事には相当な情熱を傾ける。
 ようするに強圧的な武断政治ではなく、前述した事を行って社会の安定を図り、それを持って臣下を服従させる文治政治の人間なのだ。

 それにダリスはまだまだ若い頃、あまりにも若過ぎる頃に亡国の危機という状況に追い詰められて、そこから何とか今の状態へと這い上がった経験がある。
 その時に経験した事は通常の特権階級身分のものがまず体験する事がないものだ。
 つまりは奴隷階級身分のものと協力し合い、同じ釜の飯を喰らい、同じ泥水を啜るというような体験だ。
 それまではダリスも一般的な特権階級のものと同じく、奴隷階級のものを人間と見ていなかった。せいぜいが使い潰しの利く道具と思っていた。
 だが、ダリスのそんな価値観は最早過去のもの。遥か昔に塵となって崩れ去っている。
 ダリスは彼らと一緒に行動するうちに彼らを自分と変わらぬ同じ人間なのだと認識したのだ。
 その事について中央から退く事になったダリスについてきてくれた極少数の忠誠心厚い旧来の臣下たちは良い顔をしないものが殆どであったが、彼らがいなければここまでこれなかったのは事実である。
 結果、旧来の臣下たちは黙認する事を余儀なくされている現状である。尤も、その大半はやはり奴隷階級身分のものに対する蔑視と偏見があり、これは大デルフリード帝国における決して小さくない火種となっているが。

 兎も角、そのような経緯があるためにダリスは奴隷階級出身の将兵たちの命を尊いものだと認識している。
 そして、その尊い命を散らせる事にダリスは強い嫌悪感を抱いているのだ。そもそもダルフォードは殆ど間違いなく勝てるという状態になるまでは動かないような相手だ。
 そんな相手に勝てる保障が無い以上、無駄に散らせてしまうかもしれないという恐れがあった。それはダリスにとって非常に強い重圧となって胸を締め付けていた。

 人間性、という事に関してはダリスは大陸に存在する支配者の中で最上級のものを持っている。
 しかし、皮肉にもそれが国家の指導者としてのダリスを二流にしている。……これもまた大デルフリード帝国の試練の一つであろう。

「陛下……」

 リュッデルが複雑そうな表情を浮かべて、何か声をかけようとする。だが、上手く言葉が出てこない。
 そんな彼にダリスは小さく首を横に振った。

「いや、何も言わなくていい。……決断をしなければならないのは理解しているから」

 ふと空を見上げる。
 雲が所々に浮かんで風に流されていた。

「……今度の戦いで決着をつける」

 太陽がやけに眩しく、暖かかった。
 ――……それをとても羨ましく思った。とても、とても。

















 闇。ただ、ただ、真っ暗な闇。
 紫芝はその闇の中で、ぼんやりと浮かんでいるような感覚に包まれていた。
 それは全くの未知のようでもあり、昔から知っているような気もした。そして、冷たいようで暖かい、そんな感覚も肌で感じていた。
 しかし、手足の感覚がまるでなかった。ピクリとも動かない。それどころか瞼一つ開けられない。自分は死んだのではないかと紫芝は思った。
 しばらくの間そのままの状態だった。しかし、唐突に闇の中で何か声が聞こえてきた。

「柳……起きなさい、柳や」

 起きろと言われても体が動かないのではどうしようもない。そう思っていたが、何故か手足の感覚が急に蘇ってきた。
 口も開くし、瞼も動かせた。紫芝はその声に従うかのように薄っすらと目を開けた。


 ――そして、眼前には不思議な世界が広がっていた。


 訳の分からない捻じ曲がりまくった鉄塔。
 小学生のラクガキのような真っ白なビル。
 これまた同じくラクガキのような空飛ぶ妙なヘリコプター。

 絶句するというか、呆気に取られる。
 一体全体、何だこのステッキーワールドは……。

 幾らなんでも平静を保つのは限界があり、軽くパニックに陥る紫芝。
 しかし、そんな彼の眼前に唐突に一人の『少女』が現れる――ただ、やたらと身長が低い上、何故か軍服姿で小さいが戦車の砲塔らしきものを担いでいた。

 紫芝はいきなり現れた少女に警戒心を抱いた。当然の判断である。
 しかし、数秒考えた後に状況改善のためには彼女に話しかけるしかないとの結論に達し、意を決して声を出した。

「何だ、お前は」

「わたしは帝國の戦車T-34の精ですオブイェクト♪」

 右腕だけ鬼人化、そしてアイアンクロー。
 ギリギリと思いっきり握り締める。

「へうッ?! やッやめッ、やめてオブイェクト! 話を聞いて! 聞いてくださいオブイェクトォ!!」

 涙目、しかも背が非常に小さいために上目遣いでバタバタと訴えてくる少女に少しだけ罪悪感が刺激された。まぁ、仕方ないのでやめてやる。
 ――同時に保護欲も刺激されたのは私だけの秘密である。何処となく、犬や猫を連想させるし。

 とりあえず右腕を元に戻し、一言言ってやる。

「オブイェクトと言っていいのはT-72だけだ」

「そこですか?! 問題点はそこなのですかオブイェ、クト~~ッ?!」

 再び右腕を(略

 学習という事をこの少女にしっかり教える。
 一、二分経過したところで彼女がまたしても涙目&上目遣いのダブルアタックを仕掛けてきたので、しょうがないからやめてやる。
 彼女は頭を両手で押さえて唸っているが、これではいつまで経っても先へ進まないのでこのままで問いかける。

「ここは何処だ。私は帰る」

 しかし、この言葉に彼女はニヤリと笑う。
 ……まぁ、怖さではなく、可愛らしさが前面に出てきてしまってるのには突っ込まないでおこう。

「ここはこのわたしT-34の精空間『オブイェクト空間』なのですオブイェクト」

 自慢げに胸を張って言う。
 紫芝は「これは見事な貧乳だな」と思ったが、敢えて口には出さなかった。
 彼女の言葉は続く。

「あなたはもうここから出られないんですよオブイェクト。ここで一生面白いのか面白くないんだかよく分からない微妙なラヴコメに出まくるのですオブ、イェクト~~~ッ?!」

「学習しろ。いい加減学習しろ」

 また再び右う(略

「ふぇ~~~ん!! やめてくださいオブイェクト~~~ッ!!」

「ダメ」

「も、もう出してあげますからオブイェクト!!」

「ダメ」

 彼女の懇願を斬って捨て続ける紫芝。
 右手を力を入れて握ったり、それを緩めたり、また力を入れたりしてジワジワ嬲っている。
 それに彼女は更に喚いて暴れるが、紫芝はそれを見てニタニタと笑っていたりする……少し逝ってしまっている顔だった。

 しかし、それが二、三分続いたところで紫芝はいい加減飽きてきた。
 さて、そろそろやめてやるか、と思ったその時

「きょ、強制排除ですオブイェクトッ!!」

 彼女がそう言うなり、急激に自分の意識が一気に遠退いた。
 最後に見たのは恨みがましそうに目に涙を浮かべてこちらを睨んでくる自称T-34の精だった。……萌え。

 ――暗転。













「閣下……閣下……」

「ん、ん……?」

 自分の身体が揺さぶられ、誰かに呼ばれているような気がした。
 そっと閉じられた瞼を開いてみる。

「……桐山か」

「ええ、そうです閣下。まだ視察の途中ですので、とっとと起きてください。こんなところで寝ていては示しが付きませんよ?」

 桐山にそんな事を言われる。
 どうやら気が付かないうちに座り込んで眠っていたらしい。確かに最近は色々と忙しかったからな……。
 とりあえず立ち上がる。そして、何故か背後が気になり、ふと後ろを向いた。

「これは……そうか、これを背もたれにして寝ていたのか」

「どうかなされましたか?」

 桐山が疑問の声を上げるが、そんなものは耳に入ってこない。
 今、眼前にあるものに集中しているからだ。思わず唐突に苦笑いをする。

「閣下?」

「……なんでもない。ただ、少し思うところがあっただけだ……そろそろ行こう」

 そう言うと、紫芝は踵を返して歩き始めた。
 それに桐山は頭に『?』を浮かべながらもとりあえず後を追っていった。

 ――……その場に残されたのは一両の『T-34』だけだった。


















 飛鳥島 地下兵器研究所
 科学技術総監執務室

「うん、やっぱ無理だわ」

「……実にあっさり言うものだな」

 そう言って二人は共に茶を啜る。
 やはり異世界産の茶はイマイチ美味しいとは思えないので、双方とも一口飲んだだけでテーブルに湯飲みを置いた。……結構高い茶なのだが。

 現在、この執務室にいるのは榊原と氷室の両名。
 そして、話題にしているのが陸軍の急速な拡張についてである。

 帝國軍は今のところ名目的に常備軍と徴集兵を混合させた一二○万人の兵力を保持している。
 そのうち陸軍は五○万人を占める。しかし、これではあまりに広大なレイジェンス大陸を征服するだけの兵力が足りないという事で陸軍大拡張が榊原によって提案され、それが実行されるに至っていたのである。
 だが、軍備の拡張が経済の発展に悪影響を与えるのは自明の理である。それが大規模なものであれば尚更だ。
 それに急激に人員を増やしたとて練度の方に関しては極めて不安である。

 勿論、それなりの対処法はとっている。
 経済の問題は特権階級から奪った財産を用いてやりくりしている。また、広大に広がった領土に存在する鉱物資源、特に金銀の採掘が好調なので拡張が完了した陸軍の維持は長期的には不安はあるが、短期的ならばなんとか問題はない。
 それに実を言うと、帝國は現在かなりの好景気だったりする。陸軍の拡大によって巨大な需要が生まれ、軍需生産が活発になっているのだ。そして、それに引き摺られるように他の産業も引っ張られている状況だ。加えて国内開発も活発化しているので、その需要も大きい。
 更に、南のダルフォード大帝国との貿易が盛んに行われており、その輸出が好調なのも重要な要因の一つだ。
 ちなみに主な輸出品は繊維製品、鉄製品、タバコ、茶、染料、食料品などである。但し、帝國から商人が向こうに赴く事はなく、ダルフォードの側からやってくるのが常である。

 次に練度の問題だが、これは氷室が肉体改造用の生体ナノマシンを使用するという事で一応の片がついていた。
 生体ナノマシンの開発を氷室は続けており、これはその一つである。投与された肉体を文字通り改造してしまうもので、投与されてからたった一日で兵士として理想的な肉体にする事が出来るものだ。しかも、従来のものと違って鬼人化という処置を行う必要が無い。
 ただ、欠点がある。一旦、改造が始まると、とんでもない激痛に襲われるのだ。まぁ、当然である。自分の身体が中からかき回されている様なものだから。そして、従来のものと違って抵抗力の向上こそ見込めるが病気にもなるし、老化も止まらない。ようは、ただ単に肉体的に超一流の兵士を作るだけの量産タイプの生体ナノマシン。
 激痛に関しては別に全身麻酔を使えばいいのだが、ただでさえ生体ナノマシンの費用が高くつくので麻酔はあまり多用はできない。
 そして、肉体改造が終了次第、第二段階として脳を弄ったり、強力な暗示や催眠、薬物などでガチガチに精神を固める。
 精神を固めるというのはようするに帝國の為に生き、帝國の為に死ぬ、自己の感情なんて存在しない、そんな忠実な死兵に仕立て上げるという事だ。
 その第二段階が終わったら最終段階へ移行。必須となる軍事的知識を頭に直接『ぶち込む』。特殊な機材を使用して脳に情報を書き込むのだ。
 ただ、この作業が一番時間が掛かる。軍事的知識というのは多岐に渡り、また膨大である。それをすぐに全部書き込めるはずはない。
 まぁ、時間がかかる事だけが唯一の問題なので一番楽と言えば楽なのだが。
 とりあえず、これらを全て行うのに一月の時間が必要となる。

 そして、それが今回、氷室が無理だと言った原因であった。

「あっさり言うに決まってるさ。大体、三○○万人も面倒みるなんてできないね。八○万人が限界だよ」

 つまりはそういう事である。
 処置の最中は、ここ飛鳥島で全て氷室が面倒を見なければならない。それが三○○万人などという膨大な数は氷室に許容できないのだ。
 尤も、氷室が提示する八○万人でも十分恐ろしい数なのだが。

「……予定していた数の一五分の四が限界か。不安だな」

 少しの間で計算し、そう答える榊原。
 これに氷室は眉を吊り上げる。

「そうは言っても全工程を終わらせるのに一ヶ月かかるんだよ? 馬鹿にならないくらいの予算食べるし……」

「増額しても無理か?」

「……多少の余裕はできるだろうけど、今からじゃ遅すぎる。施設の拡充から始める訳だからね。やはり陸軍の増強は八○万人に縮小してもらうしかない」

「……仕方あるまい。ここは大人しく縮小するとしよう」

 意外にもあっさりと縮小を決定する榊原。
 氷室はこれを怪訝に思いながら、軽い口調で問う。

「……ふーん、随分と簡単に引くんだね。何かあったの?」

「フン、貴様が無理と言うのだ。ならば、それが真実なのだろうよ。それに正直経済に与える負担が怖くてな」

 苦々しい顔をする榊原。
 眉間に皺がかなり寄っている。

「あぁ、そういう事ね。『軍備の拡張が完了しました。しかし、経済が崩壊しました』っていう風になったら意味ないもんね」

 とりあえず合点がいった。
 まぁ、それ以外にも理由があるかもしれないが納得のできる話だ。

「ソ連の二の舞になるつもりはない」

 榊原がムッとして言ってくる。
 どうにも皮肉と取られたらしい。少しだけ反省。
 まぁ、とりあえずこういう場合は軽く受け流すに限る。

「そうかい。じゃあ、八○万人って事で一つ宜しく」

「……分かっている。では、そろそろ行く。他にも色々やらねばならんのでな」

 不機嫌そうにそう言って立ち上がる。

「はいはい、頑張ってね」

「……フン」

 そのまま何も言わずにスタスタ扉に向うと、乱暴に開けて出て行った。
 氷室は、変なところで意地を張るもんだな、と思いながら湯飲みを持つと中に入っている飲みかけの茶を少しだけ飲む。
 少し時間を置いたところで相変わらずイマイチな味だった。

「……はぁー、微妙。ま、八○万人でも歩兵師団三○個、砲兵師団一五個が新設される予定なんだ。大陸全土は不安だろうけど、北部を完全制圧するには十分でしょ」

 そう言うと、茶を一気に飲み干す。残すのは勿体無いから。
 茶を飲み終わると、氷室はさっさと仕事に戻る。陸軍拡張の影響で書類関係の仕事が中心だ。
 これをさっさと終わらせないことには自分の研究に専念できないため、氷室は意外と頑張っている。傘下の研究員も同様なため大忙しだ。

 ――……まだまだ楽は出来そうになかった。


最終更新:2007年10月31日 01:00