0320:死神交響曲第十一番第三楽章『王者』
ビル群。
そこは、四国の中でも都会に属する街なのだろう。
オフィス街とも呼べようか、無機質な建物の集合地帯は、夜の暗闇によって奇妙な怪しさを漂わせていた。
(――しつこい!)
ビルとビルの間を、冷たい風が吹き荒れる。余計な雑音がない分、何気ない風の音でも不思議と耳に止まった。
「――おらおら待ちやがれェ!!」
ビル群を舞台にした、化け狐と死神の鬼ごっこ。
二人の接触は数時間前。下津井瀬戸大橋を基点に、ここ、四国は愛媛県まで逃走劇を繰り広げてきた。
追う者の名は、
更木剣八。死神。欲するは、闘争。
追われる者の名は、
うずまきナルト。人の皮を被った九尾の化け狐。欲するは、力。
共に常人離れした身体能力を持つ二人。ナルトに同行していたヒル魔を既に大きく引き離し、愛媛の街を駆け回る。
(………………くそっ、忌々しい小僧が!)
封印される前、その膨大な力で木ノ葉の忍を追い回してきた九尾が、今は追われる立場。呪うは、おかしな制約を付けられたこの身体。
うずまきナルトという入れ物に入れられ、その本来の力を発揮できずにいる。
自分をこんな状況に陥れた木ノ葉の忍と、制約をつけた主催者共が憎い。
そしてそれ以上に憎悪の炎を燃え上がらせる対象が、九尾を追い回す死神の男。
奴さえいなければ、計画はもっとスムーズに進んでいたはずだ。
あの目付きの悪い小僧を利用し、四国にいるであろう同族を喰らい、更なる力を手に入れる。
その計画が、この男のせいで全て狂った。チャクラも無駄に消費してしまい、いいことなし。
この男さえいなければ――九尾の意思を持ったナルトは、死神への殺意を沸々と湧き上がらせていた。
誰もが見上げるであろう高所を易々と走り回る二人は、未だ追いかけっこをやめない。
ビルを蹴り、夜空を翔る。月光に照らされた汗は、そろそろ訪れるであろう限界を物語っていた。
汗をかいたのは、九尾の方。消費したチャクラに仮初の入れ物では、死神を凌駕することは不可能だったのか。
考えられない未来に絶望することはなかったが、さすがに不安は覚えてしまう。
「待ちやがれ――」
死神との距離がさらに縮まろうかというその時、
ビル群に一迅の風が吹いた――
「四国の平和を乱す輩は、この私が許さん!」
風と共に現れたのは、乱入者だった。
腰みの一丁の半裸という凡そ都会には似合わない風貌に、獅子のような気高い雰囲気を醸し出す男。
本来はジャングルの平和を守る彼こそ――四国の平和を守る、守り神だった。
「少年、私が来たからにはもう大丈夫なのだ」
ビルの屋上で立ち止まり、現れた男に視線を促す九尾と死神。
男はその二人の間に割って入り、追われていた九尾を"守るべき者"として認識した。
「あ、あんた誰だってばよ?」
「私の名前は
ターちゃん。四国で悪さをする奴は……私が許さない!」
それだけ言って、
ターちゃんと名乗る男は死神に向き直る。戦わなければいけない相手に、敵意の視線を向けて。
「ああん? またおかしな野郎が邪魔に入ったか」
溢れる戦闘意欲を抑えつけ、その場はなんとか会話を整えようとする死神――
更木剣八。
この男、自分と九尾の戦いの邪魔をするつもりらしいが、どうやら代わりに自分と戦うつもりでもあるらしい。
ならば文句はない。風貌はふざけているが、この男はかなりの実力者に見える。ひょっとしたら、九尾以上の"当たり"かもしれない。
「……まぁいい。俺は相手が誰だろうと構わないぜ……真剣に死合ってくれるってんならよォ!!!」
数秒だけ足を止めた剣八は、獲物を狩るため、再び足裏を爆発させる。
その標的を、九尾の意思が宿った小柄な少年から、ジャングルの王者に変えて。
強大な威圧感――正体は"霊圧"というものだが、
ターちゃんがそれを知る由はない――を伴う剣八の突撃は、
王者の風格を持つ
ターちゃんでも圧倒されるほどだった。
相手の武器は刃物。こちらの武器は拳。正面からぶつかってはどうしても不利になる。ならば、
「おらぁ!!」
落ち着いて、見切る。
剣八が繰り出す斬撃は、パワー、スピード共に驚異のものだ。
だが、
ターちゃんとて歴戦の勇者。さすがに死神との交戦記録はないが、剣を武器に使う者への対処法くらいは熟知している。
まずは、相手の武器を無効化する。そうすることで相手の攻撃力は格段に下がり、
運がよければそれだけで相手の攻撃手段を無にできるかもしれない。
見たところ剣八の武器は、折れた刀に布か何かを巻きつけて握りとしたもの。剣と呼ぶにはあまりにも不恰好で、刀身も短くなっている。
(――まだ!)
相手のリーチをギリギリまで見極め、極限でかわす。その一瞬の動作のために、
ターちゃんは全神経を振り絞った。少しでも狂いが出れば――死。
結果は――
「っ!?」
剣を振り下ろした次の瞬間、剣八の身体は宙に舞っていた。
今の一瞬。
ターちゃんは剣八の斬撃を寸でのところでかわし、咄嗟に剣八の衣服を掴み取り、投げ飛ばしていた。
しかし、さしもの
ターちゃんでも十分な余裕は作れなかったのか。
剣八はムラサメブレードを手放すことなく、宙に舞った身体も易々と制御し、着地する。
今の一連の攻防。これにより、お互いの身体能力の差は把握できた。
感想は共に『強い』。王者と死神、この二人の身体能力にそれほどの差はないだろう。
ならば、勝敗を決めるのはそれ以外の要素が重要になってくる。
一つは、武器。剣八は折れているとはいえ得意な刀を。
対して
ターちゃんは、刃物も持っていなければ拳銃も所持していない。頼れるものは、鍛え上げられた己の肉体のみ。
しかし、決して不利ではない。拳こそ、
ターちゃん愛用の武器。己の肉体一つで戦う
ターちゃんに、刀剣類や銃の類は必要ない。
しかし、だからと言って刀を持った死神に対抗できるか否か。相手の手の内がまだ完全には分からぬ現状、正面から戦うのはまだ危険か。
「……ククク、やるじゃねぇか。思ったより楽しめそうだ」
(……いや、この男を相手に小手先の手段は通用しない。正面からぶつかるしかないのだ)
剣八本人も、子供騙しや手加減などを好む人種ではない。戦う時は常に全力で、常に正面から。
会ったばかりだが、
ターちゃんも剣八の戦闘スタイルだけは感じ取ることが出来た。
「
ターちゃんパンチ!」
今度は
ターちゃんから仕掛ける。
数多の密猟者共を下してきた王者の鉄拳が、死神に伸びる――が、
「おせぇよ」
剣八は『瞬歩』でこれを容易く回避。スピードでは、剣八が
ターちゃんの上をいった。
速度で上をいかれる――ということは、戦闘において致命的なこと。
スピードで勝っていれば相手の攻撃を避けることも容易であり、相手より先に攻撃することも容易い。
回避と攻撃。これを同時に行えば、反撃となって相手にダメージが下る。
「……が!?」
斬られた。
『瞬歩』により背後に回られ、
ターちゃんの背中が一刀で斬りつけられる。
その刀の軌跡からは鮮血が吹き飛び、笑いながら戦う死神の頬を塗らした。
僅かな嗚咽と共に地に足を付く
ターちゃん。背中が熱い。無視することの出来ない痛みに、王者は劣勢を感じた。
だが、
(これしきの……ことで!)
致命傷でなければ、身体は動く。振り返りざまに拳を繰り出すが、そこにはもう死神の姿はなく。
「だから、おせぇんだよ」
死神は常に背後にいる――
ターちゃんは背後に強烈な寒気を感じ、咄嗟に身を引いた。
案の定、背後には剣八が。先程まで
ターちゃんがいた場所は、振り下ろされた一撃によって無残に大破する。
コンクリートの床が抜け、下の階層に崩れ落ちる光景が目に映った。
「いい反射神経じゃねぇか。いいぜ……もっと俺を楽しませてくれ」
(この男……!)
戦闘狂。
戦うことに喜びを感じ、闘争を求めて生きる者。好物は強者、そして勝利。殺し合いのゲームなどでは、もっとも危険な人種だ。
こいつをここで取り逃せば――公主や乾にも危険が及ぶかもしれない。
(……それだけはいけない!)
四国の平和を守る。現在
ターちゃんが抱える使命。危険因子は、殺してでも止めなければいけない。
(私に……力を貸してくれ!!!)
(……なんだ? 霊圧が上がった……?)
決死の覚悟で立ち上がった
ターちゃんに、剣八は違和感を感じた。
この腰みのの男、とても霊圧のコントロールが出来るような人種には見えないが……今の一瞬、確かに威圧感が増した。
(……おもしれぇ!!)
その正体がなんであれ、これは喜ばしいことだ。敵が強くなる。もっと楽しい戦いができる。望むところだ。
たとえその先に敗北が待っていようが、そんなことは関係ない。今が楽しめれば――
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
ターちゃんの雄雄しく、勇敢な雄叫びが木霊する。
四国を、家族を守るため、死神を下さんとする渾身の拳は、先程の比ではない。威力も、速度も。
「っぐ!?」
こればかりは、『瞬歩』でも避けきれなかった。脇腹に命中した
ターちゃんの拳は、剣八の身体を宙へと持ち上げ――
「!?」
違った。宙に舞ったのは――
ターちゃんの方。
一撃目の攻防の時のように、剣八は拳のカウンターとして
ターちゃんの身体を投げ飛ばしていた。それも飛距離は
ターちゃん以上。
投げ飛ばされた先に見えるのは、向かいのビル。そして、地上。
――そうだった。ここは階層数十階はあるであろう高層ビルの屋上だったのだ。
そこから宙に投げ飛ばされた
ターちゃんは、遥か地上を眼下に手足をばたつかせる。
いくらジャングルの王者とはいえ、鳥のような翼は持ちあわせていない。
落ちれば――死。
「――まだなのだ!」
ターちゃんの眼は、まだ死んでいなかった。
それは、ジャングルの王者だからこそ――いや、"
ターちゃん"だからこそ出来る芸当。
何を思ったか
ターちゃんは自分の股間に手を伸ばし、陰嚢をゴムで出来ているかのように大きく広げてしまったではないか。
陰嚢を広げたその姿は、まるでムササビの如く。そして信じられないことに、本当にムササビのようにそのまま滑空してしまった。
浮力を得た
ターちゃんは、ビル屋上から落下した衝撃を和らげ、降下態勢を取る。が、
「――ったく、えらく滅茶苦茶な野郎がいたもんだ」
死神の魔手は、執拗に
ターちゃんを付け狙う。
「ゲ! な、なにぃぃ~!?」
ムササビの要領で滑空する上方に目をやると、なんと剣八までもが降りてくるではないか。
"降りてくる"と言っても、剣八も翼などは持ち合わせておらず、
ましてや
ターちゃんのような常人離れした飛行手段も持ち合わせていない。降りてきたと言うよりは、落下してきたのだった。
それこそ"死"は覚悟しているのだろうか。あの高さからの降下がどんな事態を招くのかを、分かっているのか。
そんなこと、もとより考えてはいない。
剣八の頭を過ぎったのはそんなつまらないことではなく、"ここで
ターちゃんを逃がすわけにはいかない"という一心のみ。
今度こそ、完全な形で決着のつく勝負をする。そのために、剣八は
ターちゃんに止めを刺すことを選択したのだ。自らの身の危険も顧みず。
こいつの方がよっぽど滅茶苦茶――
ターちゃんがそう思った頃には、死神は頭上まで迫っていた。
「これで……終わりだァァァ!!!」
振り下ろされるムラサメブレード。
ターちゃんは已む無くムササビモードを解き、これを回避しようとするが、ここは空中。回避は不可能だった。
回避が無理なら防御しかない。
ターちゃんは何とか剣八の斬撃を受け止めるよう体勢を整える。
しかし、やはりここは空中。満足に動けず、加えて剣八の繰り出す剣には、重力の落下スピードが加算されている。
打つ手はなく――剣は――
ターちゃんの身体にめり込んだ。
「が…………」
ターちゃんの顔が、あのどんな時でも優しく微笑んでいた顔が、苦悶で歪む。
斬り付けられた箇所は左肩。そこから刀は腹部までめり込み、今まさに
ターちゃんを両断しようとしている。
いや、ここは空中――それよりも、地上に落下する方が先だろうか。
どちらにせよ
ターちゃんに待っているのは死。もう成す術はない。できることはやった。公主や乾も、きっと分かってくれる。
(……それじゃあ……駄目なのだ)
薄れゆく意識の中、
ターちゃんは心中で呟いた。
ここで死んで、なんになる。結果的になにが守れる。
ヂェーン、エテ吉、
アナベベ、ペドロ。
守ることが出来ず、死んでいった家族達。
公主、乾、鵺野、ダイ、両津、
太公望。
まだ生きている、守るべき家族達。
ターちゃんは死ねない。死ぬわけにはいかない。
(そう……なのだ)
家族を守る。あの儚げな美女を。あの利口な少年を。あの悲しみにくれる青年を。
(私には……守るべき"家族"と大切な"使命"があるのだ)
頼りになる仙人と、無垢な少年と、たくましい男性の帰りを待つ。それまでは四国の平和を保つ。
これは、
ターちゃんにしか出来ないことだ。
(死んじゃ……駄目なのだ)
何よりも、"家族"のため。
めり込む刃と、それを握る手。そして、その手を握るもう一本の腕。
「なっ……!?」
それは、
ターちゃんの腕だった。
自分の身体に繋がる剣八の腕をがっしり掴み、決して離そうとしない力強い腕。そして、振りかぶられるもう片方の腕。
「
ターちゃん……」
空中で振り絞る、最後の力。片方の腕は剣八を逃さぬため、片方の腕は剣八を倒すため。
全てをこの一瞬に懸けた。空中、加えて片腕を封じられたこの状態ならば、『瞬歩』も反撃も行えない。
チャンスは、この瞬間にしかない――
「…………パンチ!」
家族を守る――その思いが、
ターちゃんに力を与えた。
落下の衝撃音は、耳を貫くほどの轟音だった。
下にあったコンクリートの地面は衝撃で大破し、粉々に崩れ散る。その中心にあったのは、二人の男の姿。
左肩から腹部にかけて、刃の軌跡が走る
ターちゃん。落下の際のダメージも合わせて、夥しい出血をしていた。
外見では
ターちゃんほどの傷は見られないが、その中身はボロボロな剣八。
骨もほとんど折れているのだろう。ところどころ外に突き出し、血を流していた。
男達の戦いの跡――見るも無残だったが、不思議なことに、二人ともまだ意識だけは保っていた。
「……得物がなくなっちまったな」
呟く剣八の傍には、粉々に砕け散ったムラサメブレードが転がっていた。おそらく先程の落下の際、衝撃に耐え切れず破砕したのだろう。
あれだけの戦闘をしたのだ、無理もない。戦いを楽しむための得物をなくしたことに、剣八の士気は消沈していた。
「……家族は、私が……守るのだ」
倒れながらも戦意を失っていなかったのが、
ターちゃん。剣八の意識がまだあることから、自分もかろうじて意識を保っているのだろう。
崩れたコンクリートに這い蹲る姿は情けないが、その顔が見せる雄雄しさは、誰も馬鹿にすることが出来なかった。
「心配しねぇでも、俺はもう得物を持ってねぇ。当分戦わねぇよ」
そう言うと剣八は立ち上がり、歩を進めた。
この男は、あの傷でどうして歩いていられるのだろうか。
ターちゃんが不思議そうに見つめるも、死神の背中は徐々に小さくなっていく。
「――この勝負は、次に会う時まで預けておくぜ。お互い、しばらく戦える状態じゃなさそうだからな。それまでは」
ここからでは剣八の顔は見えない。この死神は何を考え、何を企んでいるのか。
「死ぬんじゃ、ねぇぞ」
危機は、去ったのだろうか――?
更木剣八の心は、今までにないほど満たされていた。
ターちゃん……最初に対面した時はキン肉マンと同じような甘ちゃんかと思ったが、"敵"として十分な素質を持った男だった。
あの豪腕から繰り出される拳、何かを守ろうとする力が生み出す、驚異の闘争心。
この戦いが、今までの戦いで一番楽しめた。
ただ一つ惜しいのは、決着をつけることが出来なかったこと。
だが、同時に楽しみも増えた。お互いまだ生きているのだから、いつか再戦が廻りこんでくる。
その時を思えば、震えが止まらない。
キン肉マン、志々雄、
ターちゃん、まだ見ぬ参加者。
死神の次なる相手は、誰だろうか――?
「……ごはっ」
絶頂に浸っていると、急に身体が軋みだした。血を吐き、思わずその場に倒れそうになる。
常人なら即死でもおかしくないダメージ。枯れることなき闘争心を原動力に動く死神は、生きている方が不思議なくらいだった。
だが、ここで死んでいるわけにはいかない。明日にはまだ見ぬ強者が待っている。そのことを思えば、これしきの傷など。
「俺は……まだ戦える……」
吐き捨てる死神の足は、重い。
その足取りを、一人嘲笑う者がいた。
最終更新:2024年06月10日 19:08