0406:ハイブリッド・レインボウ



俺達が駅の外に出たときには、雨はもう随分小降りになっていた。
これなら少しぐらい濡れたって気にならない。
寧ろ、腫れた顔にはちょうど良い塩梅だ。
殴られたところがひりひり痛む。口の中の傷口もやたらと沁みる。
――肉弾戦なんてガラじゃねえんだけどな、本当は。



あの後は、悲惨だった。
Lの連れの少年は、治療しようにも既に事切れていた。
パピヨンの方は案外しぶとかったものの、意識が回復しなかった。
Lのもう一人の連れの女の子は、何処を探しても見つからなかった。
だから仕方なく、パピヨンの応急処置をし、少年を近くの公園に埋葬した後で、
パピヨンを背負って駅にキン肉マンとウソップを迎えに行った。

二人は、列車に乗ってはいなかった。志々雄もいなかった。
「恐らく彼らに、少なくともキン肉マンの身には何かがあったのでしょう」
Lは、冷静にそう言ってのけた。

「ところでポップさん、この後の予定が無いのでしたら、この電車に乗って少し移動しませんか? 行きたい場所があるんです」
Lには全くと言っていいほど動揺が見られない。俺と違って。
ポップさん、我々は手負いの上に、接近戦に適した仲間を失いました。
 貴方の話からすると、貴方も彼――パピヨンも距離をとった戦法を得意とするようです。
 ですので、地の利のある場所に移動し、態勢を整えた上で次の行動に移るべきだと思います」
今しがた人が一人死んだっていうのに。
その上、さらにお互いの仲間に何かがあったってのに、コイツは無神経というか冷血というか……
「待てよ。キン肉マンたちが歩きでここに向かってるかも知れねえだろ?少しぐらい待ってやっても」
「それでしたら駅の掲示板に『暫くしたら戻る』と伝言を残しておきましたから大丈夫でしょう」
「……このタイミングでそんなに急いで移動したいのかよ?」
「ええ、まあ」
Lが俺の目を見る。真面目な目だ。意思の光が輝く。
「解ったよ」
どうやら、何か考えてやがる。
人間としては微妙な奴だが、Lの思考力には俺でも舌を巻いてしまう。それに、一応は悪い奴ではないようだ。
だだ、Lは自分の考えに絶対の自信を持っていて、周りの思案を超えたところで思考を奔らせている。
それに取り残された奴は、きっとLのことを良くは思わないだろう。
良くて嫉妬。悪ければ理解不能の変人扱いってところが関の山か。
Lなりに他の奴に歩み寄ってる所はあるんだろうけど、如何せん距離が遠すぎる。
要は、不器用な奴なんだ。
仕方ねえ。俺ぐらいは付き合ってやらねえとな。


気絶したままのパピヨンを背負い、列車に乗り込む。
するとそれを待っていたかのように列車の扉が閉まり、列車はゆっくりと動き出した。
Lは先に乗り込んでいて、座席の上でまたあの三角座りをしている。
俺は横の席にパピヨンを寝かせて、治療の続きを始めることにした。

しかし、どうも回復呪文の効きが悪い。
回復呪文は、対象の生命力を増幅、後押しして、傷と体力の回復を飛躍的に早める魔法だ。
それは、人間を始めとして全ての生き物――魔法生物や超魔生物にも効果が及ぶ。
それこそ、対象が死んでさえいなければ、十分な効果が得られるはずなのだ。
だが、Lの肩を治療したときにも感じたことだったが、この世界ではその効果が著しく減少している。
そして、ことパピヨンに於いては、特に効果が薄くなるようだった。
……これも、パピヨンの『体質』のせいなのだろうか。
ホムンクルス。パピヨンは、『既存の生命体を超越した存在』とか言っていた。
つまり、生命体という範疇からはみ出した存在だ。そのイレギュラーな分だけ、回復呪文の効果が出ないのだろうか。
先ほどから何度もベホマを唱えている。だが、腹の穴が塞がるどころか、パピヨンの顔色も一向に良くならない。
俺の頬を嫌な汗が流れる。
無理なのか?
また仲間が死ぬのか?

自然と、今ここにいない仲間のことを考えてしまう。
消息を絶ったキン肉マンとウソップはどうなったのだろう。やはり二人とも志々雄の手にかかって……
ダイはまだ生きてるみたいだけれど、果たして無事なのだろうか。
そして、マァム……

ここまでの俺の判断は正しかったのか?
俺に出来たことがまだあったんじゃないのか?
俺のミスであいつらは死んでしまったんじゃないのか……?
それなのに俺はのうのうと生き残ってしまっている……

俺のせいないのか……?
俺があいつらを殺してしまったんじゃないのか?
俺は、もしかしたらとんでもない過ちを犯してしまったんじゃあ……


ポップさん、ちょっとよろしいですか」
「えっ?」
いつの間にか、Lが俺の前に立っていた。
「……そうですね、ポップさんが好みそうな方法にしましょうか。そのまま、少し顔を前に出して貰えますか?」
「?……こうか?」
Lの真意が読めないが、とりあえず言われるとおりに顔を前に突き出す。
「あと数cm、ちょっぴり私の近くに」
「なんなんだよ……?」
「もう少し左に出て来て貰えるとベストですが……まあいいでしょう。今いち気に入りませんがギリギリです」
Lがそう言うや否や。

ボカッ

Lのパンチが俺の右頬に炸裂した。
「ッ痛てぇっ!?いきなり何しやがんだよ!!」
人の顔面をいきなり殴るなんてワケが解らない。やっぱりコイツは天才とは名ばかりの狂人だったのだろうか。
ポップさん……今、何を考えてました?」
Lは、じっとりと俺を睨み付けている。
「酷い顔でしたよ。どうせ『仲間が死んだのは俺のせいだ』とか考えてたんでしょう。
 『何故俺だけ生き残っているんだ』とか、
 『俺が代わりに死ぬべきだったんだ』とか」

図星だった。
俺の心を見透かすように、Lの視線は俺の目を射抜いている。
「だから、今のは貴方が欲しがっていた『戒め』です。
 この痛みを胸に刻んで、もう二度と仲間を失わないと心に誓いましょう。そして――」

ボカッ
続けざまに、左頬も殴られた。
「これは、貴方に対する『叱咤』です。
 生き残った貴方がそんなふうにウジウジと悔しがっていてどうするのですか。
 そういう非生産的な後悔など全くのナンセンスです。
 貴方は自分の信念に従って行動してきたのでしょう?
 なのに、当の貴方が今更迷いだしたのでは、彼らが浮かばれませんよ。あと――」

ボカッ
今度は脳天を殴られた。
「そしてこれは『激励』です。
 ポップさんの悲しみも痛いほど解りますが、今は心を鬼にして前に進まなければなりません。
 ですので、今の痛みを推進力に変えて、一歩ずつ前に進んでいきましょう。あ、それと――」

「ふざけんな!」
ボカッ 「ぐえっ」
今度は逆に、俺の拳がLの顔面を捉える。
「人が黙って大人しくしてりゃあ人の頭をポカポカ殴りやがって、俺の頭は太鼓じゃねぇっつうの!」
「いい音はしましたが」
「うるせぇっ!俺だって辛いの我慢してんのに……ちょっとは察しろよ!」
「ですから、ポップさんのことを思えばこそ、心を痛めつつも……」
「てめぇがストレス発散してるだけじゃねぇのかよ!」
「心外ですね。私はポップさんの悲しみを少しでも分かち合おうと」
「なら痛みも分かち合え!」
そのままLの顔めがけて殴りかかった。
しかし、Lはするりとそれを躱し、
ゴンッ!
反対に俺の顔を蹴り上げた。
「ああ、言うのを忘れていましたが私も格闘技を少し齧っていましてね。
 自分で言うのもなんですが、それなりに強いですよ?」
「言ってろ!勇者パーティーの一員を嘗めんなよこんにゃろうっ!!」
そして、俺はLに飛び掛った。

後は本当に酷いものだった。
知性派を自負する者同士でみっともない殴り合い。
「てめぇ、喫茶店で俺に言い負かされたの根に持ってんじゃねぇのか?」
「失敬ですね。そもそも私は議論に負けた覚えなどありません」
「悔しそうに拗ねてたじゃねぇかよ!」
「本当に失礼な方だ。これはキッチリとお灸を据えてあげないといけませんね」
「言いたいことはそれだけか!?」
後は口汚く罵り合うばかり。
子供の喧嘩か、こりゃあ?
殴って、殴られて、蹴って、蹴られて。

「全く、何をじゃれ合っているんだ、お前らは? これでは落ち着いて昼寝も出来ん」

いつの間にか目を覚ましたパピヨンが、呆れ顔でこっちを見ていた。
でもそんなのはどうでもいい。とりあえず、あと一発コイツを殴らないと気が済まない。

ボカッ


 * * * * * * * * * * *


俺達は、コーベ駅で列車を降り、アカシ大橋を渡ってアワジ島という島にやってきた。
パピヨンは、Lから貰った核鉄を腹の穴に嵌め込んでからは調子が良さそうだ。
核鉄の治癒効果の賜物なのか、意外にも平然と歩いているので少し安心した。
Lは、俺に殴られた痕が痛々しいが、それ以外はいつも通り、といったところか。
何処で拾ったのか、ロープをぐるぐると振り回しながら、先頭に立って歩いている。やっぱり変な奴だ。

俺はと言うと……Lに殴られた頬は痛むが、心は落ち着きを取り戻している。
Lと殴り合ったおかげで、モヤモヤしていたものはどこかに飛んでいってしまったようだ。
もしかすると、これもLの目論見どおりなのかもしれない。
Lなりに俺のことを案じて、Lなりに気を使ってくれたのかも……
って、まさかな。考えすぎか。

当の本人は、後ろをついて行く俺達を尻目に、ひたすら南へと歩いてゆく。
このままこの先のシコクに行くつもりなんだろうか。
でも確か、アワジと橋が架かっているのは既に禁止地区になったトクシマの筈だが……

などと考えながら歩いていると、いつの間にかアワジの南端に到着してしまった。狭い海峡に橋が架かっている。
「さて、俺達をここまで連れてきた訳をそろそろ喋ってもらおうか」
パピヨンが切り出す。
「そう……ですね。お話しましょう。とは言っても、大した事では無いのですが」
相変わらずロープを振り回しながらLが答える。
「今、我々は手負いの上、遠距離戦闘のエキスパートは居ても接近戦に長けた者が居ません。
 ですので、敵が接近してくるのが良く見渡せ、且つ遮蔽物が少ない地形というのが戦闘の上では望ましいと言えるでしょう」
ひゅん、とロープがしなる。先には重りが付いており、このロープは思いの外危険だ。
「つまり、明石大橋、もしくは鳴門大橋に留まり、傷が癒えるのを待った上で、次の行動に移るべきかと思いまして。
 そろそろ放送の時間ですし、その情報も分析しないといけませんから」
「それならば、態々淡路の奥まで来ずとも明石大橋に居れば十分だろう。何故こんなところまで来る必要がある?」
「それは、この淡路島に他の参加者が居ないことを確かめる為です。それと――」
ぶんっ、とLがロープを投げる。重りにかかる遠心力で、ロープは対岸の方まで飛んでゆく。
「散歩というか、休憩の意味もありますね。ゲームが始まって丸一日と半、少し骨休めが必要でしょう」
鳴門大橋の対岸側にロープの先に付いた重りが地面に落ち、カーン、という乾いた音が辺りに響く。
円形の重りが、コロコロとトクシマの方へと転がってゆく。
そして、その金属製の重りに―― 一匹の黒蝶が舞い降りた。

ドン!

パピヨンの武装錬金が、ロープを、重りごと爆砕した。砕けた破片が対岸に散らばる。
「巫山戯るのもいい加減にしろ。休憩?骨休め?そんなことに時間を浪費する暇が何処にあるというのだ。
 俺にはこの世界を脱出し、武藤カズキと決着を付けるという高尚な目的がある。
 そのためにすべきことが山積している今、一分一秒、セシウム原子が遷移する時間すら惜しい。
 その俺の貴重な時間を浪費させた罪、万死に値するぞ!」
そう言うと同時に、パピヨンの右手が、フリスビーを投げる様に鋭くLの方に向かって翳される。
黒死の蝶が、爆ぜる。

ドォン!

「ヒィッ!」
Lの眼前で、小さな爆発が起こった。Lが尻餅をつく。
「此れまでを鑑みて、今回だけは大目に見てやろう。だが、二度目は無いぞ!」
ぴしゃりと言い放ったパピヨンは、そのままくるりと向きを変え、元来た道を戻り始めた。
「お、おい、待てよパピヨン!」
慌ててパピヨンを呼び止めるが、パピヨンはそのまま俺達を一瞥もせずに、歩き続ける。
仕方なく、俺もパピヨンの後を歩き出す。
Lも、地面の上で腹這いになっていたが、何とか立ち上がって俺達の後を付いてきた。


その後、俺達は明石大橋手前の休憩所に着くまでの間、一言も言葉を交わさなかった。




だが、俺はしっかりと見ていた。
Lが投げたロープの先に付いていた、リング状の金属塊を。
パピヨンがLの眼前での爆発に先んじて投げ、空中で爆散した物体を。
そして、Lが立ち上がる前にさりげなく集めた、その欠片を。


実験はひとまず成功に終わった。これから解析作業に入るとしよう。


 * * * * * * * * * * *


明石大橋手前の休憩所に向かう道中で、6回目の定時放送が聞こえてきた。今回、バーンは一言も喋らなかった。
彼らが読み上げた死者の中には、志々雄だけでなく、キン肉マンも、ウソップも含まれていた。
相打ちか、それとも新たな敵が乱入したのだろうか。
キン肉マン……あんたは満足できたのか?
ウソップ……すまねぇ。
俺の横のLは相変わらずの無表情だったが、俺にはそれが沈痛な表情なのだと分かった。
Lも仲間の死を悼んでいるのだろう。
――でも、俺達は立ち止まるわけには行かない。
死んだ仲間の分まで生きて、必ずあのいけ好かねぇ主催者どもに一泡吹かせてやる……!

目的の休憩所は、明石大橋全景を見渡せる場所に立っていた。
これなら橋を渡る者が居ても、一目で分かるだろう。
眺めも中々良かったが、Lの話だと、元の世界ではこの何倍もスケールが大きいのだという。
このゲームを抜け出した後に機会があれば、オリジナルの景色も見てみたいものだ。


俺達は、休憩所の店内で橋が見渡せる一角に陣取った。
「フン、必要な情報は得た。俺は今から思案がてら少し休むが、命が惜しければ邪魔するなよ」
パピヨンは俺達と対照的に、死者の名には微塵も動じずにそう言うと、ごろりとベンチに横になった。
「それでは、私達は食事にしましょうか。腹が減っては戦は出来ぬ、と言いますからね」
Lは荷物の中から、食料と、そして筆記用具を取り出した。俺もそれに続く。

そして、会議は始まった。


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最終更新:2024年07月27日 07:02