0344:恋する少女は盲目で友達の声も耳に入らないの



 ブルマが製作、アビゲイルが改造せし世紀の大発明、オリハルコンレーダー
 アビゲイルが愛知県に入ってから数時間、そのオリハルコンレーダーに、動かぬ光点が一つ点在していた。
 場所はすぐ近く、ここ、名古屋市街からそう離れていない地点。
 斗貴子との邂逅を終え、就寝しようとしていたアビゲイルは、その光点が気になってなかなか寝付けなかった。
 思えば、数時間前にも似たようなパターンに遭遇した。
 まだリンスレットが生きていて、石川県に滞在していた頃。
 動かぬオリハルコンの光点を放置されたアイテムと認識し、回収しに行った。
 だがそれは相手がただ休息を取っていただけにすぎず、しかもその所有者はマーダー。
 結果、リンスレットの死という最悪の結果を生んでしまった。
 あのままあそこで大人しくしていれば、オリハルコンレーダーなんてものを作らなければ、リンスレットは死ななかったかもしれない。
 後悔の念がまだ残っているからこそ、アビゲイルは動けなかった。
 サクラという新たな仲間を得たことも理由の一つだが、
 もし今回も飛影の一件の時の様に誤認だったら、今度は自分の身一つ守ることも叶わないかもしれない。
(私にはもう、決断を誤ることは許されない。死んでいったお嬢さん方の無念を晴らすためにも、私は死ぬわけにはいかない)
 だからこそ、無理は禁物だ。
 アビゲイルはオリハルコンレーダーの見せる輝きから眼を逸らし、床に就いた。
 今は体力を回復させる時。少なくとも、戦闘を行えるまでには。
 首輪の解析も、間近にあるオリハルコンの詳細も、全ては夜が明けてからだ。

 二日目、午前二時頃。
 アビゲイルは、そう決断した。
 もしこの時、彼が違う選択をしていたら。
 あの男は、あの少女は、あの少年は、
 あるいは、違う運命を辿っていたのかもしれない……




「…………すー…………すー…………」
 安らかな寝息を立てる少女の横で、ケンシロウは怒りに震えていた。
 思えば、この世界に来てから自分の感情は怒りに支配されっ放しだったような気がする。
 リンが死に、ダーク・シュナイダーが少女を殺し、くだらない幻想を抱く男にリサリサが殺され、そして気高い女戦士が蛇の道を行った。
 被害者だらけのこの世界で、加害者と呼べる存在は誰なのだろうか。
 それは、ダーク・シュナイダーのようなゲームに乗った人間ではない。
 このゲームを企画した大元、フリーザ、バーン、ハーデスら主催者三名である。
 未知の力を持つ悪党三人に、ケンシロウの誇る北斗神拳の奥義は通用するのだろうか。
 もし仮に通用しないとしても、それでケンシロウの拳が屈するはずもない。
 主催者は必ず倒す。時が来れば、必ず。
 決意しながらもケンシロウが怒りを抑えられないでいるのは、偏に傍らの少女が原因である。
 西野つかさ。これまでにたくさんの知り合いを亡くした彼女は、先の第四放送でまた泣く羽目になった。
 聞けば、つかさにはリサリサの他にもう一人、マァムという武道家の少女が仲間にいたらしい。
 だがそのマァムは東城綾との遭遇の際、突如現れた黒尽くめの男と交戦したまま――行方知らずになったらしい。
 その時から、危険な香は漂っていた。それでも、きっと、と希望を持ちながら探し回っていたのに、結局マァムは発見できなかった。
 そして、彼女はもういない。四回目の放送で、それが明らかになってしまった。
 つかさは、全てをなくしてしまったのだ。この世界で知り合った二人の女性と、元の世界にいた友達二人。みんな死んでしまった。
 唯一残っているのは――人間をやめてしまった――東城綾一人。
 つかさの話によれば、彼女はつかさを優勝させるために、全ての存在を屠るつもりでいるらしい。
 綾とてつかさと変わらぬ無力な女子高生だが、リサリサの見解によれば、彼女は既に人外の者――吸血鬼になってしまった。
 吸血鬼なる存在がどれほどの脅威なのかは、ケンシロウの考えが及ぶところではないが、それでもつかさなら止められるかもしれない。
 彼女と友達だった、西野つかさならば。

「う…………ん……」
 魘されるように、つかさが寝返りを打つ。
 今、彼女は眠りながらも戦いを続けている。夢の中で、悲しみという名の強敵に抗っている。
 つかさは、リサリサから強さを教わった。もう一人でも歩ける、立派な娘に成長したのだ。
 そんな少女を守らなければいけない。非道な暴力を振るう、悪の魔の手から。
 ケンシロウは誓う。自らの拳にかけて。

「……むにゃ」
 つかさの隣では、まだ名も知らぬ少年が依然眠ったままだった。
 遭遇していきなり卒倒した訳のわからない少年。考えてみれば、この少年も辛い目に遭ってきたのかもしれない。
 だからこそ、怒りに身を滾らせていた自分に恐怖したのだろう。この少年もまた、見捨てては置けない。

 一人睡眠も取らず、寝室の窓から満月を眺めていたケンシロウは、徐に立ち上がるとドアを開けて外に出た。
 辺りは住宅街だった。それほど大きな建物もなく、満月は何者にも邪魔されることなく映えている。
 こんな美しい月夜に、無粋な感情は不必要。ケンシロウは一旦怒りを静め、満月から視線を外す。
 そして、集中した。
 襲ってくる、その『狂気』に反応するため。

「あたぁ!」
 掛け声と共に腕を振り上げ、それを掴み取る。手裏剣だった。
 つかさ達が寝静まる民家を出て数秒、ケンシロウは、何者かの放った手裏剣の標的にされた。
「北斗神拳の前ではボウガンの矢など止まった棒も同然……それが手裏剣であろうと銃弾であろうと、同じことだ」
 自らの心臓目掛けて飛び込んできた手裏剣を投げ捨て、その発射元に闘気を送る。
 返ってきたのは、紛れもない殺気。恐ろしいほどに冷酷で、禍々しい邪悪な気だった。
 その者の正体は――考えるまでもない。

「ブラボー。素晴らしい反射神経だ。敬服するよ」
 パチパチ、と気持ちのこもっていない拍手をしながら現れたのは、放っている殺気からは考えもつかないような容姿の男。
 紳士的な立ち姿に、鮮やかなブロンドの髪。どこかの社交界にでもいそうな男だった。その、不敵な笑みを除けば。
「何者だ」
「ああ、すまない。私は単に人探しをしていただけなんだが……
 君があまりにも"怖い顔"だったのでね。思わず攻撃を仕掛けてしまった」
「貴様の目的などどうでもいい。名を名乗れ」
 紳士的な振る舞いを見せる男に対して、ケンシロウは厳格な態度を崩さない。
 当たり前だ。こんなに殺気を漲らせた紳士がいるはずがない。
「まぁそう言わないでくれ。私が探している人物の名は……"西野つかさ"。知らないか?」
「知らん。失せろ」
「おや……そこの"家"、中にまだ人がいるようだが……君の仲間か? よければ紹介してもらえないかな?」
「失せろと言ったはずだ」
 大胆にも歩み寄ってくる男に対し、ケンシロウは構えを取る。戦闘をする構えを。
 敵と見定め、殺気を放つ。ケンシロウと謎の訪問者、二人の殺気は相殺され、あたりはピリピリとした緊張感に包まれた。
(この男が何故つかさを探しているのかは知らないが……危険人物には違いない。ならば!)

「――あたぁッ!」
 恐れ知らずなことに、拳の間合いまで近づいてきた男に対し、ケンシロウは問答無用の正拳を繰り出す。
 しかし男もそれを予期していたのか、ケンシロウを嘲笑うかのように後退してかわした。
「クク……怖い怖い。当たればただでは済まぬ"剛拳"だな。それは何かの拳法か?」
「北斗神拳――貴様のような邪気に満ちた輩共を滅ぼす、正義の拳だ」
「正義か……言うものだな」
 男が放つ気味の悪い笑みは、余裕の表れなのだろうか。
 この世界では、様々な戦闘技術を持つ人間が存在する。ダーク・シュナイダーしかり、クリリンしかり。
 その全てに北斗神拳が通用するかどうかは分からないが、前述で述べたとおり、やはり悪党に屈する拳は持ち合わせていない。
「そういえば先ほど、君は私の"名前"を訊いてきたな。君も名前を名乗るというのなら、私の名を教えてやってもいいが?」
「ケンシロウだ」
「ケンシロウ……か。私の名前は"DIO"。聞き覚えが、あるんじゃないか?」
「DIO――!」
 やっと名前を露にした男、DIOに対し、気を引き締めなおすケンシロウ。やはりこの男、ただの訪問者などではなかった。
「聞き覚えがあるか? おそらく……リサリサという"波紋使い"からその名を聞いたんじゃないか? もしくは、"西野つかさ"を通して」
「……やはり貴様は、ここで倒さなければならぬようだ」
 DIOという名には、確かに聞き覚えがあった。
 今は亡きリサリサが吸血鬼と称し、つかさにその恐ろしさを伝えていた。ケンシロウは、その話をつかさから聞いていたのだ。
 夜を生き、人間の生き血を吸う"人をやめた存在"。つかさの友人、東城綾も、どういう経緯かその吸血鬼に変貌してしまったらしい。
 なんにしても、人間の生き血を吸う吸血鬼など、放置して置けるものではない。つかさの保身のためにも、ここで倒す。

「ほあたぁ!」
 意を改めたケンシロウは、ダンッとコンクリートの大地を踏んで跳躍する。
 大きな跳躍の先には、吸血鬼という正体を見たDIOなる襲撃者。
 繰り出す拳は、DIOを倒すため。ケンシロウは一片の躊躇もしなかった。
 DIOが飛び、ケンシロウの拳を避ける。代わりに標的となった向かいの民家の壁が崩壊し、残骸が辺りに散らばる。
 拳一振りでこの威力。敵に恐怖心を与えるには、十分すぎるほどの効果だった。
 だが、悪の帝王はこの程度で恐れなど感じない。
「やるな。北斗神拳、か。どうやら、常軌を逸した体技のようだ」
 冷静に分析するDIOの表情に笑みはなかったが、やはりどこか余裕が感じられる。
 まだ何かを隠し持っている――ケンシロウがそう感じた矢先だった。

「……なんだ、それは?」
「ほう。やはり貴様にも見えるか。このDIOの『スタンド』が?」
「『スタンド』だと?」
 なんだそれは、とケンシロウは訝しげに視線を送る。DIOの隣に出現した、"もう一人の人物"に対して。
 DIOの仲間の参加者とは思えない。姿形からしてそうだが、『スタンド』なるDIOの隣人からは、生気が感じられない。
『スタンド』なるものの情報はつかさから聞いていなかったが、いったいどんな力を秘めているというのか。
(吸血鬼に、人型をした『スタンド』なる能力……秘孔は存在しないと考えた方がいいか?)
 北斗神拳の真髄は、人体に708あると言われる経絡秘孔を突くことによる内部破壊にある。
 だが、経絡秘孔は人間にのみ存在するもの。いくら相手が人型とはいえ、吸血鬼に秘孔があるのかどうか。
(いや、考えるだけ無駄か。この男は、北斗神拳の"剛"の部分で潰す)
 つまりは、力ずくで屈服させる。力を誇示する悪党には、それ以上の力でねじ伏せるのが一番効果的だ。

「俺はその『スタンド』ごと、貴様を潰す」
「言うな、ケンシロウよ。このDIOに……このDIOの『ザ・ワールド』に勝てるかな?」
 もう何度目か分からないDIOの嘲笑に、ケンシロウの怒りが爆発した。
 相手の力がなんのかは分からない。それでも、北斗神拳の威力と速度を信じ、勇猛果敢に立ち向かう。

「あぁたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたぁっ!!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!!!」

 ぶつかり合うケンシロウの『北斗百烈拳』と、DIOのスタンド『ザ・ワールド』の拳撃。
 その眼にも留まらぬ撃ち合いは、常人から見れば何が起こっているのか分からぬだろう。
 ましてや、高速で動いているのがたった計四本の腕だとは誰も思うまい。
 それでも、伝説の北斗神拳を継承せしケンシロウからしてみれば、これくらいは雑作もない妙技。
 驚くべきは、そのスピードに対抗している『スタンド』の存在だった。

「――あっったァァ!!」
「グゥゥ!?」
 最後は意地が勝ったのか、拳の撃ち合いはケンシロウが勝利を収めた。
 衝撃で吹き飛ばされるDIOは即座に体勢を立て直し、驚きに満ちた表情を見せる。そこにはもはや、余裕の色はなかった。
「驚いたな……『ザ・ワールド』の拳を防御するでもなく、同じ拳で撃ち返すとは。本気で敬服するぞ」
 この世界に来て戦った道着の男――孫悟空は、『ザ・ワールド』の攻撃を「よく見ればかわせる」と言った。
 このケンシロウも悟空と同等の体術と筋力を持っているに違いない。少なくとも、『スタンド』とやり合える程度には。
「弱肉強食……さて、私とケンシロウ。どっちが"強者"でどっちが"弱者"かな?」
 突如、DIOの表情に、不快な余裕さが戻った。

「君はどちらだと思う――ウォーズマン?」
「DIO!」
 DIOの問いかけに対し、どこからともなく現れた第三者は間髪いれず答えた。
 そして、同時に赤い閃光が迸る。

「――!?」
 ケンシロウが異変を感じた時には、既に轟音が響き渡っていた。
 DIOの言葉に答えた謎の声。そして、後方から感じる強烈な熱気。振り返るとそこには、燃え上がる民家があった。
 ケンシロウが守り、共に歩もうと誓った少女――西野つかさが眠る家が、燃えていた。
「――DIOォォ! 貴様、いったい何をした!?」
「我々の勝負は"ここまで"だ、ケンシロウ。私は彼女のためにお膳立てをしただけに過ぎない。
 もちろん、本当は狩りを楽しみたかったのだが……どうやら楽に倒せる相手でもなさそうなんでな」
 急に殺気を収め、穏やかな表情を見せるDIO。その言動には、いったいどんな意味が込められているのか。
(いや、今はそんなことよりも――)
 つかさを救わなければ。後方の民家は業火に包まれているが、生きている可能性はまだ十分にある。
 駆け出すケンシロウはDIOに背中を見せ、そしてそこを狙われた。

「無駄ァッ!」
「くっ!?」
 後方から、『ザ・ワールド』の一撃。難なく捌くケンシロウだったが、DIOは攻撃の手を休めない。
 どうやら、このまま素直に行かせてはもらえないようである。
「慌てるなケンシロウ。ウォーズマンの燃焼砲は民家には直撃していない。中にいる住人も即死はしていないだろう。だから……」
『ザ・ワールド』の速度が速まる。
「もう少し付き合ってもらおうかァ!!」
「貴様に構っている暇はないっ!」
 再び、ケンシロウとDIOの攻防が始まる。そしてその脇では、
「アアアァァアアアァァアアァァアアアアアァァアアアアアアアアアア!」
 西野つかさを脇に抱えたウォーズマンが、燃える夜空を駆け抜けていった。




「う……」
 全身が軋むような痛みに襲われ、西野つかさは眠りから覚醒した。
「ここ、は……?」
 目覚めると、そこはどこかの集合住宅の屋上だった。
 隣で眠っていたはずのたまねぎ頭が見当たらない。傍らにいてくれたケンシロウの姿が見当たらない。
 ここはどこなのか。
「痛っ……!」
 起き上がると、全身がさらに軋んだ。どうやら所々打っているようである。それに、火傷らしき箇所も見えた。
「いったい、私の眠っている間に何が……!?」
 顔を上げて見つけたそれに、言葉を失った。
 見覚えのある黒いボディ。見覚えのある不気味な微笑み。
 忘れもしない、流川楓を殺したウォーズマンが――そこにいた。
「あ……あ……」
 突如訪れた最悪の状況に、動くことが出来ないつかさ。必死にこうなった原因を究明するが、まったく真相が見えてこない。
 ケンシロウやたまねぎ頭の少年はどうしたのか。ここはどこなのか。そして、なぜこの男が目の前にいるのか。

「――怯えなくてもいいわよ、西野さん。そのロボットさんは、あなたには何もしないから」

 恐怖に連れ去られようとした直前に、懐かしい声を聞いた。
 穏やかで、優しくて、友好的な、友達の声が聞こえる。
「東城……綾、さん」
「お久しぶり、西野さん」
 ウォーズマンがつかさの視界から退き、その少女は眼前に躍り出た。
 片腕をなくして、人をやめてしまった、それでも友達には変わりない――東城綾がそこにいた。

「ごめんなさいね、手荒な真似をしてしまって。近くになんだか怖い人がいたから、ロボットさんにあなたを攫ってきてもらったの」
「攫う……?」
 つかさが疑問の瞳を浮かべても、綾はただ、微笑ましそうに笑い返してくるだけだった。
 自分は、東城綾の差し金で攫われた。それは理解できた。いや、そんなことよりも。
 何故、綾がこの男と一緒にいるのだろうか。流川を殺し、マァムを襲った、この黒尽くめの男と。

「大丈夫、心配しないで西野さん。私は、ただ単にあなたとお話がしたかっただけなの」
「綾さん……それは、私だって」
 もう一度話がしたかったのは、つかさも同様のこと。
 吸血鬼に変貌してしまい、人の心を失いかけている友達を救うために、つかさはもう一度綾と話をしなくてはならなかったのだ。
「ねぇ、西野さん。四回目の放送……主催者の人達が話していたこと、覚えてる?」
「ご褒美の、一人蘇生のこと? でも、あれは……!」
 第四放送で説明された、優勝者へのご褒美。死者の蘇生。
 そんなことは不可能だ。一度死んだ人間を生き返らせるなんて――そんな『素敵な御伽噺』、信じちゃいけない。
 放送の直前、リサリサがドラゴンボールの力を否定したように、つかさもまた、死者の蘇生など信じてはいなかった。
 だからこそ気づいたのだ。もし綾が、あの話を信じたのだとすれば。
「東城さん、あなた、もしかして真中くんのことを……」
 生き返らせようとしているのでは。そのために、殺戮を行おうとしているのでは。
 思って口に出そうとしたつかさを、綾は柔和な微笑で制した。
「いいえ。私には、真中くんを蘇らせることはできない。
 "人をやめてしまった"私には、もう現世で真中くんと再会する術はないのよ……」
 その言葉を聞いてホッとするつかさ。だが、だとしたらこの嫌な予感はなんなのだろう。
 綾は真中淳平のために凶行に及ぶことはしないと言っているのに、なのに、この負に満ちた禍々しさはなんなのか。
「東城……さん?」
「私はやっぱり、もう"あっちの世界"でしか真中くんと会えないのよ」
 綾の言う"あっちの世界"というのがどこなのかは、考えるまでもなかった。
 やはり、綾の考えは変わっていなかったのだ。自分を犠牲にし、"死後の世界"で真中に会おうとしている。
 そんなの、

「駄目!」
 つかさは声を張り上げ、キッと綾の顔を睨みつけた。
 真っ直ぐな、目を逸らしたくなるような強い眼差し。この西野つかさという女の子は、こんなにも強い瞳を持っているのか。
(だから……真中くんは……)
 その先は思わず、綾はつかさの瞳に視線を合わせる。
「綾さん、真中くんのために死ぬなんて思っちゃ駄目!そりゃあ、真中くんは大切な人だったけど……
 でも、私達は生きてるんだよ!? 死んだ人を追いかけて自分も死ぬなんて、馬鹿げてる!」
 そうだ。馬鹿げてる。つかさに強さを教えたあの気高い女性なら――きっと、同じようなことを言ってくれたはずだ。
 たとえ東城綾が人間をやめてしまったとしても、それでも真中淳平とは違う。れっきとした、生者なのだ。
 愛の形が人それぞれだとしても、生きている者には死んだ者の分まで生きる義務がある。
(真中くんだってきっと、そんなこと望んでいない――)

「――なら、あなたの真中くんへの思いは、それっぽっちだったってことね」

「――え?」
 声が、想いが、届かなかったのだろうか。
 綾から返ってきたのは、人間とは思えぬ冷酷で無情な言葉。それでいて、中身はあまりにも"重い"言葉。
 愛という重圧を、一挙に叩き込まれたような。
「私は、もう一度真中くんに会いたい。だから、"ここ"にはいられない――真中くんの待つ"あっち"に行くの」
「あ、や、さん……」
「あなたは来ちゃ駄目なのよ、西野さん。あなたは、ずっと生きていなければならない。私と真中くんの領域を、侵してはならない」
「そんな……」
 綾は、次第に瞳を潤ませていくつかさの肩を掴む。
 肩が壊れそうなくらい、凄い腕力だった。男の人よりも強くて、人間じゃないみたいで。
「私は死んで、真中くんに会うの。西野さんなんかには邪魔させない。真中くんといるのは、私だけでいい。あなたは……」
「……痛い、痛いよ綾さん」
「あなたは生きなくちゃ、いけないのよ! 絶対に死んじゃ、いけないの!! 真中くんに会っちゃ駄目……!!」
「痛い、痛い、痛いってばぁ!!」
 つかさがどれだけ抗おうとしても、綾の腕を引き剥がすことはできなかった。
 爪が食い込み、血が流れる。痛みを感じながらも、つかさは綾の顔に視線を奪われていた。
 酷い顔だった。とても最近の女子高生とは思えない、醜い悪鬼のような表情。
 でも、それはちゃんと東城綾の顔だ。たとえ人じゃなくなっても、ちゃんと生きている東城綾の顔なのだ。
「綾さん……生きて……生きてよ……」
「まだ言うの……そうまでして、私と真中くんを会わせたくないって言うの……!?」
「違う。そうじゃない。そうじゃないんだよ綾さん」
「何が違うのよ! あなたはそうやって、私から真中くんを奪ってゆくつもりなんでしょう!?」
「ちが、う……私は、ただ……あなたに」
 生きて欲しい。その最後の一言が、痛みで出てこない。

「あなたは生きなくてはならないのよ、西野さん……でも、人間であるあなたは弱い」
 痛みと哀れみ、双方から来る涙で顔をグショグショにしたつかさの顔を一瞥し、綾の視線はつかさの首筋にいった。

「だから私は、 あ な た を 殺 す 」
 そして、あとで蘇らせる――

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最終更新:2024年06月22日 20:21