三人でいたい  ◆j1I31zelYA


《綾波レイの食卓》

トン、トン、トン、とまっすぐに包丁を上下させ、やわらかい豆腐に切れ目をいれていく。
料理を学び始めたころは、包丁の切っ先が震えて指を切ったりしていたけれど、その頻度が減って行くたびに上手くなっていると実感することができた。
豆腐へと縦に包丁を入れ、横に包丁を入れ、最後に横に倒して、たくさんの立方へと切り分ける。
きれいに64分割された豆腐を見てほっと一息。
まな板の横には、水でゆすがれたワカメもボウルの中で用意済みだった。
包丁やまな板の形は家で使っているそれと変わらないのに、場所が高級レストランの厨房に変わっただけで、調理に伴う緊張感が大きく感じられる。
あるいは、人に食べてもらうのが初めてだからかもしれない。
調理の練習はしたけれど、あの『食事会』まではぶっつけ本番のつもりだったから。
ちらりとホールに続くドアの方に視線を送って、空腹で待っているはずの二人を意識した。

レストランの厨房を探せば、確かに食材はあった。
大きなスチールの扉をした冷蔵庫を開ければ、刺身や寿司や和え物や茶碗蒸しや何とかのゼリー寄せがラップにかけられてたくさん並んでいたし、
いくつかある大鍋のふたを取れば、すぐにお客様に出せますと主張するかのように野菜の煮物や豆腐料理が柔らかな色つやを見せていた。
しかし鍋の中身は食欲を喚起するまでには至らない。
それもそのはずで、会場に連れこまれてから八時間は経過している。
主催者がサービス心から湯気のたつあたたかい料理をセッティングしてくれたのだとしても、とっくに冷めてしまう頃合いなのだった。
冷めきった鍋と冷蔵庫を交互に見て、さてどれをどう温めたものかと思案したり、焼き魚は諦めて冷たいもので妥協するかと悩んだりする少年二人に、綾波レイは言った。

簡単なものなら、作りましょうか。

高坂王子と越前リョーマは、心なしか意外そうな顔をした。
淡々と調理器具を取り出して水洗いにかかる綾波を所在なげに眺めていたが、『一人でできるから待ってて』の言葉を決め手に、ホールへと追いやられる形となる。

そして今、綾波は手料理をしている。

本来は碇親子に振舞うためのものだった手料理を、そうではない場所で『やってもいい』と思えた心の動きは、自身にも説明できなかった。
けれど、できるかもしれないと思ったのは事実だし、できるならやってみるべきではとも思えた。
『料理』という覚えたばかりの行為を通して、己を確認するのは無意味ではないと理由づけをしてみた。

調理台の左には大きめのガスレンジがあり、右のコンロではだし汁を煮立たせているみそ汁の鍋が、具材の投入を待っていた。
その隣のコンロに置かれた鍋からは、冷蔵庫から見つけて来た根菜と厚揚げの煮しめが再加熱されてくつくつと音を立てている。
一汁三菜という言葉は、料理について勉強した時に覚えた。
白米と汁物を一品に加えて、あえ物、煮物、焼き物で三菜。
白飯については、厨房の炊飯器に十数合は残っている。
本当なら炊きたてを用意したいところだが、業務用の大きな炊飯器で一から炊くとしたら空腹の人間を待たせるのに忍びない時間を必要とするだろう。
煮物とあえ物については、作り置きの料理で流用できる。煮物の再加熱による味の変質を防ぐために、水と調味料で補正する程度で良かった。
焼き物については――『焼き魚食べたい』という希望が出ているので、ひと手間ぐらいがんばる。
遅い朝食にしては豪華すぎた気がしないでもないが、中学生男子は多めに食べるものらしいので、おそらく大丈夫。

『料理をする』という行為に意味を見出し始めたのは、あの『社会見学』で皆と食事をすることを経験してからだ。
碇シンジが皆の為に食事を作ってきた。
それだけで、そこにいた全員が明るくなって、空気があたたかくなったのが分かった。

――いっただーきまーす!!
――意外、うまいわね。
――あの9割人造肉が、調理次第でこうもおいしくなるとはまさに驚愕だよ。
――シンジ、隠れた才能やな。

皆で食事をすることは、人を喜ばせるらしい。
そんな人を喜ばせることが自然にできるシンジは、いつしか綾波よりずっと成長していたのだろう。

――ごめん綾波。口に合わなかった?
――じゃあ味噌汁はどう? 暖まるよ

そして、もしや彼はその輪の中に綾波も加えようとしてくれたのかと感じられたのも。

まな板を持ち上げて鍋の上まで持っていき、豆腐を投入する。
ちゃぽちゃぽと軽いさざなみが起こって、だしの効いたお湯が具材を飲みこんでいった。
煮たてる間の時間を使って、隣の鍋から蓋を持ち上げて煮物をチェックする。
煮汁はそこそこ煮立っていたが、形よく一口サイズになった芋やタケノコまで熱が通るには、もうしばらくかかりそうだった。
豆腐とワカメはいずれも軽く煮る程度にして、いったん火を止める。
風味を損なわない為には、みそを入れる時に鍋を煮立たせてはいけないからだ。
この間にコンロの下にあるガスグリルの扉を開けた。
そこには塩をふられた二尾の青身魚がいて、焼き魚になるべく順調に焦げ目をつけている。
あと五分くらいだろうかと目測をつけつつ、菜箸で上下をひっくり返した。
ジュウジュウと焼ける音を立てていた魚が、裏表を返されてまだ艶のあるこげていない面を見せる。
肉類を食べられない綾波には、肉料理魚料理のレパートリーが無かった。
しかし網の使い方なら覚えていたし、厨房には三枚おろしで塩漬けにされて、焼くのを待つばかりになった魚も見つけられた。
網にのせて焼くだけならできるはずと、己をアテにしてグリルを閉める。

碇ゲンドウとも、同じ食卓についたことはある。
会話することも手作りの料理でもない、ただ食べるだけの食事風景だったけれど、それでも『食事にしよう』と誘ってくれることはあった。
だから綾波も期待した。
『みんなと食事、どうですか』と働きかけることができた。
代わりのきく他人でしかない綾波にさえ笑いかけてくれる人なのだから。
実の息子に笑いかけることだって、できるはずだ。

鍋の温度に注意しながら、お玉でみそをすくい取ってスープの中へと浸す。
もう片方の手に持った菜箸でみそをときほぐすようにして、風味のきいたみそを『みそ汁』として馴染ませていく。


方法として『料理』を選んだのは、それしか手段を知らなかったからだ。
前に進む方法を、見つけるのは難しい。
シンジも、そういうもどかしさを感じていたのだろうかと記憶を顧みる。
ゲンドウに命令されたことを遵守していた綾波にとって、怖がってばかりいた当初のシンジはよく分からない人間に見えた。
親子なのにゲンドウに非協力的だったのと、非難する言い方をしていたことに怒りを覚えたりもした。
本当はシンジだって父親に歩み寄りたいのだと知ったのは、しばらく後のことだ。
仲良くしたいのに、どうして冷たくしてしまうのか。
人間のやり取りというものはよく分からない。
以前なら、分からないのは自分が普通の人間ではないからだと理解して思考停止していたことだった。
今はだんだんと違ってきている。
分からないことは変わらずたくさんあるけれど、かといって『分かろうとしない』ままではいけない気がしている。

――狭いなぁ……もっと広いところで泳げればいいのに。
――無理。この子たちは、ここでしか生きられないもの。

あまりに、何も知らない。
だからゲンドウの真意だって時どき分からなくなるし、シンジのして欲しいことだって『分からないなら聞けばいいじゃない』という越前の言葉に頼るしかなかった。
狭い水槽を仕切る壁は、物理的にだけでなく能力的にも存在している。
その事実を顧みると、身の丈がとても小さくなってしまうような錯覚が感じられた。
しかし――

――俺らと違わないじゃないっスか。

しかし少なくとも、与えられてばかりの自分は嫌だ。
シンジから与えられた暖かさを、時おり寂しそうな顔をするシンジにも感じてほしい。
それができる自分になりたい。

溶かしきった頃に、ふたたびガスレンジのつまみを回して、もうひと煮立ち。
沸騰する直前の、“煮えばな”と呼ばれるタイミングで火を止めれば、最適なタイミングでみそ汁の出来上がり。



――あのバカをどう思ってるの?



分からないことが、分かるようになったら。
二号機の少女に聞かれた問いかけの答えも、分かるようになるだろうか。


《高坂王子の食卓》


「なぁ、綾波って料理できんのか?」
「さぁ……まだ会って八時間ぐらいだし」
「ゲーム開始からほとんどずっとじゃねぇかよ。なんで一緒に動いてんだ?」
「まぁ、なりゆき? ……そうだ、餌の時間だからペンペン出さないと」

桜見市ツインタワーは、左右のそれぞれ20階までを巨大ショッピングモール、それ以上の階を企業のオフィスが占めている。
そしてレストランフロアとは、往々にしてモールの最上階に割り当てられる。

「くわー!!」

ペンペンとかいうペンギンは、レストラン内を見回すや、まず窓際の座敷席に突進した。
ぴょこん、と障子の嵌めこまれた窓の桟に飛び乗り。
ぺたっと、両のかぎ爪をガラスに押し付けて。
眼下にある地上20階の絶景に夢中になっている。
高価そうな花模様のふすまで仕切られた座敷に、黒い漆で塗装された壁と柱。スピーカーから流れる筝曲の調べ。
格調高そうな『和』の空間で、ペンギンだけがエキゾチックに浮き上がっていた。

「えらく興奮してんなぁ……ペンギンでも景色を楽しんだりするのか?」

人間じみたペンギンの仕草に半ばあきれ、半ば感嘆していると、ガタリと席を立つ音がする。
越前がディパックを持ち、それまで座っていたカウンター席から移動を始めていた。
ペンギンのいる座敷にあがって靴を脱ぎ始める。

「ん、こっちに座らないのか?」
「席なんてどこでもいいし」

すとんと、ペンギンのすぐ隣の位置に腰をおろした。
景色に夢中なペンギンに合わせたらしい。高坂もいまだ着座していなかったので、そのまま座敷にあがる。
すかした態度ばかりが目立っているが、意外と気を回すことのできるヤツかもしれない。
越前に対する評価を少しだけ改めようとして、

「興奮って言えば、高坂さんさっきから落ちついてるっスよね」
「落ちついてるって、何がだ?」
「いや、こういう高い店に来ると、みっともないぐらいはしゃぐタイプかと思ってたから」
「テメー、よく一言多いって言われるだろう」

前言撤回。ただの無礼な中坊だった。

「つか、そんな騒ぐほどのもんでもねぇだろ。このぐらいの料亭、初めて来るわけでもねぇし」
「え……もしかして、よく来たりしてるんスか?」

聞き返す声に、羨ましげな響きがあった。
そう言えば和食派だと言っていたか。高級嗜好は無くとも、美味しい料理が食べられる環境には反応するらしい。

「よく来るってほどでもねぇよ。たまの記念日とかに来るだけだ」

屋敷は無駄に大きいし、それを維持できるだけの財力もあるけれど、『金持ち』だという実感はなかった。
食卓にはたいてい一般家庭でも食べるようなものが並んできたし、学校の昼食だって購買部のパンで済ませている。
そもそも高坂なりのプライドとして、自力で手に入れたわけでもないものを自慢するのはかっこ悪いことだった。
自分がいかにカッコいい奴なのか、どんな輝いた行動をしたかひけらかしたことはあっても、家の財力を鼻にかけたことは一度もない。
それなのに『痛々しい』だとか『中二病』だとか言われるのだから、どうにも不本意なのだが。
最後に高い店で食事をしたのは、いつのことだっただろうか。確かここ最近で、蟹が食べられるとうきうきしていたことがあったような――

「……思い出した。雪輝のせいで蟹を食い損ねたんだよチクショー」

カニ食べ放題の旅行に釣られて秋瀬或らに付いて行ったら、天野雪輝の救出を手伝わされた挙句に、我妻由乃に撃たれて病院に行く羽目になった。
こんな状況でいまだ根に持つのもどうなんだと言われそうだが、むしろ死が近い状況だからこそ腹が立つ。
きっとあの蟹は美味しかった。死ぬ前に食べておきたい味だった。間違いない。

「雪輝って、さっき言ってた監禁から助けた友だち?」
「友だちじゃねーよあんなヤツ。腐れ縁だ腐れ縁」

好き嫌いで言えば、高坂は間違いなく雪輝が嫌いだった。
臆病で、いつもやましいことがあるみたいにびくびくオドオドしていて。
そのくせ自分を磨いて改善を図ろうとするのではなく、誰かが助けてくれるとアテにしているところがある。
学校でも村八分にされる原因が己にあることは分かっているはずなのに、絡みに行った高坂たちを恨みがましげな目で見てきた。
それがまた一段と気に入らなかったから、よく蹴りとばしていた。
高坂が雪輝に助けられたこともあったけれど、雪輝が関わっているサバイバルゲームに巻き込まれた結果なのだから、恩と元の原因でトントンだと言える。
こちらは雪輝を助けるために、家を燃やされたりボウガンで撃たれたり携帯を壊されたり生き埋めにされかけたりしているのだから、ぜんぜん釣り合っていない。
しかしなぜかモテる。我妻由乃は言うまでもなく、日野や秋瀬も『助けてあげたいオーラ』を感じているフシさえあった。
そこがまたイライラするポイントだった。
飼っているバカ犬が、バカのくせに愛情はほしいという目ですり寄って来るのに似ていたからだ。

「どうせ今回も我妻に守られてるんだぜ。
そんで気付いたら残り十人ぐらいになっても生き残ってます……とかが有り得そうだから腹立つんだよ!」
「ふーん。だったら、こっちも長生きするしかないんじゃない?」
「お前な、そんな簡単に……」

どうせまた適当そうに生意気なことを言うのだろうと予期したが、続く語調は思いのほか真剣そうだった。

「そんなに悪く言う相手なら、負けたくないでしょ?」

返す言葉を思いつかない高坂を見て、『おかしなことを言ったかな』という風に首をひねる。それきり、座卓の上に腕枕をしてもたれかかった。
十秒ほど経過してから、もしかしてこいつなりに高坂を乗せようとしたのかと思いつく。
神様に勝負を挑むとか、一緒にどうだと誘われたりしたが、その為の根回しなのだろうか。
年下のガキ(お前と一歳違いじゃないかと言われそうだが、中二にとって中一とは若造なのである)の思惑に乗せられるとしたらしゃくだったが、
それでも打算にせよ善意の発言にせよ、納得できる部分もあった。
雪輝が高坂より長生きするという展開だけは嫌だ。
自分より下の人間を見て「アイツよりマシならいい」というのもカッコ悪いことだが、雪輝以下のヘタレになるのは願い下げだった。
アイツより長生きするというのはちょっと気の長い話にしても、雪輝と合流するまでは死なないでいたい。
前回の殺し合いに深く食い込んでいた雪輝なら、主催関係の情報だって持っているかもしれない。
あの雪輝を脅すなり殴るなりして情報が手に入るなら、それは手ごろで達成可能なレベルの目標と思えた。

数少ない行動指針に、雪輝を探して問い詰めることを追加する。

「よし。オレ様は決めたぜ……っておい」

話題を振った当人である越前は、高坂が黙考する短時間で眠りに落ちていた。
腕枕の隙間から『すぴー』と鼻息が漏れている。

……やっぱり、さっきの発言も深い意味はなかったのかもしれない。
これが雪輝ならどつき起こしていたところだが、そこまでの苛立ちを覚えるレベルではなかった。
適当そうに返事をしていた割には、努めて相槌を売ったり聞き返したりしていたし、こちらを知ろうとする誠意が見えなくもない。
例えば高坂に苛められていたころの雪輝なら、表面上は如才なく「高坂には敵わないよ」などと言いながら、実は聞き流しているということがよくあった。
もしかしてこいつに言葉ほど苛立たないのは、雪輝と真逆だからではないかと思いついた。
態度はデカイが、少なくともびくびくオドオドからはかけ離れている。
かと言って、真逆もここまでいくと生意気になるわけだが。

座卓に頬杖をついてそんなことを考えていると、カラカラとキャリーケースを運ぶような音が近づいてきた。
旅館などで、仲居さんが食事を運んでくる時に使うようなカートだった。
荷台にはご飯をよそう時に使うお櫃やら湯気の立つ鍋やら、取り分けるための小皿やらが置かれていて、それを綾波レイが押してくる。
座敷の前でカートを止めると、綾波はそれらをてきぱきと卓上に並べ始めた。

「あ、悪いな……」

普段はパシリを使って昼食を買いに行かせたりしているとはいえ、初対面の女子にここまでされるのは申し訳なさとむず痒さがある。
綾波が小皿に煮物を取り分けるのを見て、配膳の作業を手伝った。
そのついでに、越前からは聞きそびれた話題を振ることにした。

「なぁ。なんでこいつと行動することになったんだ?
元からの知り合いってわけじゃねぇんだろ?」
「うん……最初は、碇くんを一緒に探してくれるって言ったから」
「碇って誰だ?」
「守りたい人」

即答ですごそうなことを言われた。

「怖いこと言うんだな……」
「怖いの?」
「いや、すまん。知り合いに『私が守る私が守る』って連呼する奴がいるんだよ。
そいつが怖いんだ。ほら、さっき話した雪輝を監禁したやつ」
「守りたかったら閉じこめるものなの?」
「オレに聞くなよ……だからその発想が怖いんだって。
まぁ、健全な気持ちで好きならいいんじゃねーの?」
「好き、なのかしら……」

守りたいやつを好きじゃないわけないだろうと思ったが、綾波はすでに配膳を終えて、越前を揺り起こしにかかっていた。

「越前くん、起きて」
「――れ? 焼き肉が焼き魚になった……」

ずいぶんと美味しそうな夢を見ていたらしい。


《越前リョーマの食卓》


ライバル関係、とは少し違うみたいだった。
それでも、「こいつには負けたくない」という意識があるらしい。
それは人を動かす起爆剤になることを、身近な例から知っている。
高坂の思考がちょっとネガティブ方面に向きそうだったので言ってみたのだが、効力を発揮したかは分からなかった。

一から関係を築くというのは、難しい。
いつもは自然にやっていることを意識してやらなきゃいけないわけだし、何よりテニスという共通言語もない。

神様に勝つと決めた以上、仲間は必要になりそうだった。
たとえリョーマ一人だけになっても戦うぐらいの覚悟はあったけれど、だからと言って一人でいればいいというものでもない。一人でやれることにも限度はある。
とはいえ主催者に勝ちたいというのはリョーマ個人の希望なわけで、『だから皆もやれ』と押し付けるわけにもいかない。
自分自身も、あの放送までは『どうにか生きて帰らなきゃ』程度の考えだったわけだから、そういう温度差のある人だっているだろう。
高坂だって考えとしては脱出寄りだし、綾波も今のところ人探し優先で動いている。
さっきは『仲間のことをよく見よう』とも思わされたし、互いを知る努力が待っていそうだった。
……これから出会う参加者全員に、いちいちそういう手探りをしていこうというのは、なかなか前途多難そうだった。

まぁいいか、と腕枕をして姿勢を楽にする。
面倒ではありそうだったが、嫌々やるという気持ちはしない。
協調性がないとはよく言われるけれど、人と何かをする楽しさだって知っている。

そう。人と関わるのは、意外と嫌いではないのだ――




――眼の前に、肉があった。

焼き網の取りつけられた長方形の座卓に、こんもりと盛られたカルビ、ハラミ、牛タン。
野菜もおまけのように盛られているけれど、肉の割合が圧倒的に多い。
鮮やかな赤身の上に薄桃色の柔らかそうなあぶらみが走ったそれらの大盛りは、見るだけで唾液腺を刺激するぐらい壮観だった。

あれ、ここはどこだっけ。

周囲を見回すと、そこにはいつもの面子もいた。
すなわち青学テニス部のレギュラーメンバー8人、プラス自分。
全員が卓について好きな飲み物入りのコップを持ち、一座の中央にいる部長に注目していた。
あれ、部長は死んだんじゃなかったっけ……。
そう聞いたはずなのに、どこで聞いたのかが思い出せない。
部長はいつもの生真面目な顔で、決勝戦は会場の都合で三日後にのびたからこそ云々と前口上を述べている。

そうだ、今は祝勝会なのだった。
顧問の先生の全額おごりで、焼き肉食べ放題なのだった。

「「「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」」」

口上が終わるのを待ちかねたように、全員がコップをがしゃんと衝突させる。
そしてわっと歓声をあげんばかりに、皿とトングを手に肉を焼きにかかった。
肉、肉、肉。
肉の行進。焼き肉のお祭り。
食べ放題とは、無敵の言葉である。
牛タン、骨付きカルビ、中落ちカルビに、ロースに、ハラミに、フィレのシャトーブリアン……は無理だとしても。
食べたい肉はいくらでもあった。ジュウジュウと音を立ててあぶられる音が、その待ち時間がもどかしい。
肉から染みだして網の隙間から炭火へと落ちる肉汁の一滴までもが、この上なく美味しそうに見える。

他の面々はこの待ち時間をどう潰しているのかと見渡してみると、そこにはそれぞれ、『らしい』行動を取る先輩たちがいた。
てきぱきと肉を裏返していく人。
鉄板を凝視して目を離さない人。
ハラミは牛の横隔膜の背中の薄い部分であり少し昔は以下略と、うんちくを披露する人。
うんちくを「肉がまずくなるーっ!」と止めにかかる人。
そのやり取りを見て吹き出す、何人かの人。
いつもこれだけバラバラなのに、いざという時はまとまったり息が合ったりするのだから不思議だった。
しかし少なくとも、皆で何かをやるのは嫌いではない。
そのことを自覚できたのは中学生になってから、もっと言えば青学テニス部に入ってから。
アメリカ時代も友人はそこそこいたけれど、少なくともテニスという世界においては一人で戦っていた。
一人きりでも、成長できると思っていた。

しかし、いろんな『強さ』を持った人がいることを知った。
人と出会い、その人を知ることで、学べることがあると知った。

――自分たちの力を信じよう。
責任感が強くて、人に対する優しさと厳しさを使い分けられる先輩がいた。
――やーいオレの勝ち!! 乾ーっ、たーっぷりおチビに特性汁を……。
気分やでうっとうしいぐらいにかまってきたけど、それを良いところだと思えた先輩がいた。
――そうだね。このまま負けたんじゃ、なんか悔しいや。
なかなか本音も本性も見せてくれなかったけれど、それも『駆け引き』という一つの手段だと学んだ先輩がいた。
――データは嘘をつかないよ。
自分のように勢いに任せて動くのではなく、しっかりとデータを集めて思考を絶やさなかった先輩がいた。
――悪いけど、うちの生徒に手を出さないでくれ!
ひとを思いやる心を、そのまま強さと努力に換えられる先輩がいた。
――オレは強い!!
色々と面倒をみてくれた先輩は、曲げない心の強さみたいなのを持っている人だった。
――たとえ残り一球だろうが何だろうが、絶対に諦めねぇぞコラ
自分以上に、決して諦めない精神を持っていると感じられた先輩もいた。
――自分で確かめてみるか?
部長から教えられたことは……今さら言うまでもないとして。

実践できているかは怪しいにしても、教えられたことは多かった。
あれ、どうして過去形なんだろう。部長以外は、まだ死んでいないはず――。

やっと、思い出せた。
そうか。
これは夢なのか。

「どうした越前、箸が止まってるぞ? いらないならオレが――」
「――いる!」

どうやら夢の中でも、先輩の大人気なさは変わらないようだった。
目の前にあるいい焼き色の牛タンが浚われそうになるのを、箸でおさえてキープ。
こんがりと網目模様の焼き目をつけたそれを、ハシですくい上げて塩皿へと運ぶ。
金網から剥がれた肉をなおもあぶろうと、網のすきまから火が追いかけてきた。

とりあえず今はこの焼肉を味わうべく、大きく口をあける。
深くは考えず、いい夢だと思うことにする。
夢の中で肉が食べられるなら、それはとても得なことだった。
それに、夢でしかもう9人揃うことはありえないのだし。
そんなことを、感傷を持たずにさらりと考えた自分に驚きを覚えた。
もしかして、案外と『今の仲間』にも面白みを感じているのかも――


「越前くん、起きて」


揺らされ、視界がぶれる。
少しくらくらする感じがして、ぼやけた頭がまたすっきりとした。

「――れ? 焼き肉が焼き魚になった……」

目を開けると、ジュウジュウと焼ける金網ではなく、みずみずしい香りのする白米と焼き魚があった。




目覚めると、そこは焼肉屋肉々苑ではなく高級料亭の座敷。

「なぁ、こいつに魚はいらねぇんじゃねぇの」
「いらないの……?」

上からふってきたのは、嫌味っぽい声と、平坦だが心なしかがっかりしたような声。
寝ぼけて頭ははっきりとしないが、魚を取り上げられそうになっていることは察知できたので、慌てて皿を守るように両手で引き寄せた。


《三人の食卓》


ほかほかと茶碗に盛られた白いご飯に、こんがり焦げ目のついたサバの塩焼き。
根菜と厚揚げの煮しめに、大根とにんじんの紅白なます。
そして、湯気をゆるゆると立ちのぼらせる、豆腐とワカメのおみそ汁。
「「おおー」」と感嘆詞を漏らす、男子二名。
綾波の席には焼き魚が無いけれど、これだけの品目が卓に並べばおのずと食材と調理人への感謝の念はわきあがる。

「「「いただきます」」」

普段はそんな習慣など無いのに、三人ともが手を合わせて深く一礼をしていた。

それぞれが順不同に箸を手に取り、少しの緊張と共に皿と向かい合う。
まだ少し眠気の残る頭を覚ますべく、リョーマはまずみそ汁のお椀を取った。
黒い漆塗りの椀の中で、茶色い濃淡のさざ波が起こる。
やわらかな湯気がまぶたを優しく突き刺し、しばしばと瞬きを繰り返させた。
眠気覚ましの刺激物で無理やり起こされるのではない、緩やかにまぶたがうるんで頭が澄んでいく心地よさがあった。
やっぱり、朝はパンと牛乳よりみそ汁がいいなと思う。
高坂の咀嚼音と「おっ普通に上手いじゃん」という感想に促されて、慌てて椀を傾ける。
ずずっと音を立ててお椀の中の小さな世界をひと口、すすった。
あ、いい匂い、という感想が一瞬。
うま味を凝縮した“熱”が舌をやわらかく刺激した。
かぁっと、体が温められるのが分かる。
舌を火傷しそうなほどの“熱”なのに、ほんのりと広がるダシとみその溶けあった風味が、この熱をもっと欲しい、もっと味わいたいと訴えてくる。
ずずっ、ずずっと二、三口さらにすすって、ふぅと一息。
自然と、口からひとつの言葉が紡ぎ出された。

「あったかい……」

高坂があきれ顔で突っ込みをいれた。

「お前な、味の感想を言えよ」

褒めるところが無いみたいじゃねぇか、と小声で付け加えられる。
どうやら、言葉を間違えたらしかった。
リョーマとしては、みそ汁のちょうどいい濃さとか味わいとかの全部を含めての『あったかい』だったのだが。

「いや、別に不味かったわけじゃ……」

褒めるのは苦手だ。
すごいとかやるじゃんとか、思ったことをそのまま言うだけで言葉を飾るのには慣れていない。
以前にも、ある女の子がおにぎりを作って持ってきた時に『美味しかった?』と聞かれたので、
『おにぎりを不味くつくる方が難しいと思う』と思ったまま答えたら、それではいけなかったらしく後で先輩たちからどやしつけられた。
その時の女の子はしょげていたけれど、綾波は……。

横目に、表情をうかがう。
驚くべきことに、綾波は微笑んでいた。

「ううん。嬉しい」




碇シンジが作ったみそ汁を飲んで、綾波レイは「あったかい」と言った。
それまで錠剤を飲み込むような食事ばかりしてきた綾波にとって、その味は新鮮な驚きになった。
『あったかい』という感想をもらえたのならば、綾波と同じことを感じてくれたということだ。
今の綾波は、同じあたたかさを与えることができるようになった。
喜ばしかった。

がつがつとおかずを減らしていく二人を見て、自身も食事を進める。
自分の味は客観視できなかったが、それでも上手くいった手ごたえはあった。
ちなみにすぐそばではペンペンが、冷蔵庫にあった魚をペンギンらしくバケツから食べている。

「越前くん、魚の焼き加減はどう?」
「まあまあっスね。塩はもっと多い方がいいかも」

感想はそっけないものだったが、黙々と箸を動かす様子からはそれが好物であること、美味しいと感じていることが汲みとれる。
高坂は高坂で「なぁ、余ったらタッパーに入れて持ち帰りしていいか?」などと尋ねてきた。
それはどうなのだろうか。
しかし、食べたがってくれることに悪い気がしない。
心が晴れやかになった感じがして、皆に料理を作っていたシンジもだから笑っていたのだろうかと思う。

相手がシンジだったら、もっと嬉しいのだろうか。
そんな想像をしそうになって、やめた。
シンジもここにいれば良かったのに、とないものねだりしそうだったことがひとつ。
シンジをこの2人と相対比較するのは、シンジにも2人にも失礼な行為だと気がとがめたのがひとつ。
今、作った料理を食べてもらっていることが嬉しい。
今はまだ、それでいい。

「綾波。お櫃取ってくれるか?」

早くも空になった茶碗を手に、高坂が身を乗り出してきた。
それを見て、むっとしたように越前の箸を動かす速度が上がる。別に早食いを競っているわけでもないはずなのに。

「いい、わたしがよそうから」
「おう、じゃあ大盛りで頼むぜ」

どうせならおかわりも自分で用意したいと、綾波は中腰で立ち上がって茶碗を受け取り、

「あ……」

中腰になって、視界が少しだけ高くなった。
そこで初めて、窓の『外』の眺めが目に映った。


ふとガラス張りの窓に視線を向けた綾波が、そこでぴたりと固まった。
不自然なぐらい長いことじっとしているので、おかわりを待つ高坂は声をかけようとした。
しかし綾波がそこで、ぽつりと一言。

「海……」

そこで、綾波が目を奪われていたものに気付く。
地上20階の景色からは、GPSの地図画像とそっくり同じ地形がよく見えた。
少し遠くにある中学校の校舎も確認できるし、小高い丘にあるホテルも小さく見える。その背後の青々とした山も。
そして景色の右端と左端で地平線が途切れて、かすかに青い水平線が続いているのも。
そのギリギリ見える海に対して、綾波は釘づけになっていた。

「ここの海は、青いのね……」

そんなことを言う。
青くない海があるのだろうか。赤潮とかいうヤツか?

「なんだ? お前んちの近所は青くなかったのか?」
「十五年前から、赤くなったから」
「あー、そう言えば東京がなくなったとか言ってたような……」

越前が納得したように口をはさむ。しかしその内容は意味が分からない。

「じゃあ、青い海は初めて?」
「うん。赤い色より、青い色が好き」

海を見る綾波の目は澄んでいた。
感情の希薄な瞳だからなのか、曇りのないガラスのようにただ景色を映す。

「ここなら、魚も泳げるのかしら……」
「そりゃ、魚もいるでしょ。もしかして赤い海には魚いないんスか……?」

綾波の話を聞いて、わびしそうな目で焼き魚を見下ろす越前。
話は読めないが、こいつは間違いなく生態系ではなく食材のことを心配している。

「絶滅はしていないけど。
前に碇くんが『もっと広いところで泳げたら』って言ってたから」

ぽつり、ぽつりと。
途中からは半ば独白のように、綾波は続けた。

「……だから、この海を見たがるかと思って」

今度の言葉には、越前もぽけーっとしていた。
いつもの高坂なら、電波じみた発言は「なんだよそれ」でスルーしていたところだが、それさえできないしんみりした空気がある。
碇くんとやらが、綾波レイの『守りたい人』だとは聞いた。
『守りたい人の為になんでもしてやる』という女なら知っているが、こういう『一途さ』の片鱗に触れるのは未知のことだ。

……いや、そもそも。

「つーかお前ら、オレが知り合いのこと話したんだからお前らも話せよ。
さっきからオレだけ話についていけてねーぞ」

半ば空気を壊すのを自覚して割り込んだ。
よく知らない連中から、一方的にこちらを知られるのは不公平でもある。
「「あ……」」と間の抜けた声を出して、二人が顔を見合わせる。

「何から説明したらいいんだっけ……とりあえず、会ったとこから始めます?」
「私も、越前くんにはまだ聞きたいことがあったから……」
「じゃあ、それで」

二人とも仕切るのには不慣れなのか、もたつくような会話を経て綾波は切り出した。

「越前くん。さっき戦っていた時に見せたあれは、何……?」

戦っていた時の『あれ』。
高坂は鼻血を出していたので注視できなかったが、確かに色々と常識の範疇を逸脱していた気がする。

「あれ……?」
「そういや俺にも光ってたように見えたぞ。もしかしてお前もマリリンみたいな能力持ちなのか?」
「いや、あれテニスの技だし」
「嘘つけ。テニスで人間が光ってたまるか」
「いや、確かにみんなできるわけじゃないけど、簡単だし。今だってやろうと思えば……ほら」

次の瞬間、高坂は驚愕するものを見た。

「うお!? 何か光った! しかも水蒸気みたいなのが出たぞ!!」
「How’s that(どう)……って、ちょ、高坂さん、ベタベタ触らないでくださいよ」
「いやだって、人間の体が光ってるんだぜ? 気になるって、ほら」
「キモいっス。綾波さんも、ぼーっとしてないで止めてくださいよ」
「綾波も何か言うことないのかよ。明らかにおかしいだろこれ?」

光輝くオーラを発する越前の腕をつかんで、じろじろと間近で観察する高坂。
そんな2人に対応を迫られて、綾波は言った。




「ごめんなさい。こういうとき、どんな顔をすればいいのか分からないの」



もっともだった。

「……笑えばいいんじゃね?」
「オレ、笑われればいいんスか?」


【H-5/ビル内 レストラン/一日目・昼】

【越前リョーマ@テニスの王子様】
[状態]:決意
[装備]:青学ジャージ(半袖)、太い木の枝@現地調達
リアルテニスボール(ポケットに2個)@現実、ペンペン@エヴァンゲリオン新劇場版
[道具]:基本支給品一式、不明支給品0~1、リアルテニスボール(残り8個)@現実 、自販機で確保した飲料数種類@現地調達
基本行動方針:神サマに勝ってみせる。殺し合いに乗る人間には絶対に負けない。
1:ビルに行って、脱出の為の手がかりを探す……前に、おかわり。
2:碇シンジを見つけるまでは綾波レイと行動。ペンペンを碇シンジに返す。
3:2と並行して跡部さん、真田さん、切原、遠山を探す。
4:第二~第四放送の間に、学校に立ち寄る。
5:ちゃんとしたラケットが欲しい。
6:碇シンジとその父親に、少し興味

【綾波レイ@エヴァンゲリオン新劇場版】
[状態]:疲労(小)
[装備]:青学レギュラージャージ(裸ジャージ)、 第壱中学校の制服(スカートのみ)
由乃の日本刀@未来日記
[道具]:基本支給品一式、 天野雪輝のダーツ(残り7本)@未来日記、不明支給品0~1、第壱中学校の制服(びしょ濡れ)
基本行動方針:碇君を探して、何をしてほしいのか尋ねる。
1:ビルに行って、脱出の為の手がかりを探す……前に、おかわりをよそう。
2:第二~第四放送の間に、学校に立ち寄る。
3:碇君を探す。その為に越前くんについて行く。
4:他の参加者と、信頼関係を築けるようにがんばる。
[備考]
※参戦時期は、少なくとも碇親子との「食事会」を計画している間。

【高坂王子@未来日記】
[状態]:疲労(小)、全身打撲
[装備]:携帯電話(Neo高坂KING日記)、金属バット
[道具]:基本支給品
基本行動方針:秋瀬たちと合流し、脱出する 
1:輝いて挽回したい……前に、おかわり。
2:ビルを探索して手柄をたてる。
3:雪輝を探し、問い詰める。

[備考]
参戦時期はツインタワービル攻略直前です。
Neo高坂KING日記の予知には、制限がかかっている可能性があります。
『ブレザーの制服にツインテールの白井黒子という少女』を、危険人物だと認識しました



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背中を追って 越前リョーマ 枯死 ~絶対危険領域~
背中を追って 綾波レイ 枯死 ~絶対危険領域~
背中を追って 高坂王子 枯死 ~絶対危険領域~


最終更新:2021年09月09日 19:36