馬鹿げた発想だと、七原自身も否定するだろう。
『殺し合ったイコール愚かだった』なんてのは川田もがっかりすること間違いなしの短絡的発想だし、
そもそも国家がかりの『システム』として浸透していた『プログラム』と、見せしめの一人もいなかった今回のゲームでは初期条件から違いすぎて比較しようもない。
だからこそアホらしいやっかみだと無視して、意識することなんかできなかった。
それでも、たしかに傷だった。
なぜなら七原だって、最初は叫んでいたのだから。

信じられるはずだ、と。

だから、らしくもない悲鳴じみた叫びをあげる。

「川田は最期に『お互いを信じろ』って言った!
典子は、あんな殺し合いの真っ最中だってのに、最初から俺のことを信じてくれた!
よく知りもしないで、人の思い出に踏み込んでんじゃねぇよ!!」

階段を転がった時に落ちていたグロックを拾い上げ、見えないまま闇雲に発砲する。
しかしガキンと甲高い金属音が響いて、銃弾が銛に弾かれたことを知った。

「嘘ついてんじゃねーよ! 信じろとか言っておいて、テメーはさっきの女を囮に使ってたじゃねーかよ!」

サーブが唸る音が聞こえて、脇腹に刺さった瓦礫がまた秋也を転がす。
全身が軋むような痛みに唸りながらも、秋也は叫んでいた。

「俺のことはいいんだよ! 俺が弱くて、みんなを救えなかっただけだから!!
でも、あいつらのことは汚すなよ! 川田も典子も大木も委員長も榊も! 
俺の手が届いてたら、ちゃんと救えてたんだから!」

痛い。
痛い。
痛い。
喪ったのに、国家を憎むことさえ許されないなんて、許せない。
罪深いのは、仲間たちじゃない。不条理がまかりとおる世界の方だと。
そんな呪詛を、となえていたかったのに。

「どうせお前なんか、友達が何人か死んだってだけだろ!
元の世界に帰ったら、クラスメイトだって家族だって生きてんだろ!
俺には何もないんだよ! 誰も『おかえり』なんて言ったりしない!
それなのに俺から『復讐』まで取り上げようってのかよ!」
「開き直ってんじゃねぇよ! 家族は残ってたって、副部長はもういねぇんだよ!
それでまた元通りにテニスなんかできるわけねぇだろが!」

今度は直接的に、ラケットで殴りつけられた。
激痛でぼんやりとしていた意識が、異なる激痛によって強制的に覚醒される。

「あぁ――もういいよ。お前」

ぽつりと、興ざめしたとでも言いたげに、悪魔はこぼした。
カラリと床をこする金属音がする。
それは敵がふたたび、ラケットではなく銛を手にしたということだった。

「そんなに弱いなら、強い俺に、負けて死んどけ」

すぐ頭上には、もう悪魔が立っている。
見えない視界に、銛が振り上げられる光景が描かれる。

畜生、とまた呻いた。
自分に世界を変える力なんてないかもしれないことぐらい、知っていた。
けれど、だからって、せめて『革命家』として散らせてくれてもよかったんじゃないか、神様?



「秋也くんを殺さないでっ!!」



――詩ぃちゃんを殺さないでっ!!

どこかで聞いた声と同じ声を、聴いた。

ギン、と金属を打突する音が、悪魔よりもさらに背後の方向から刺さる。
おそらくは、金属に金属をぶつけて、銛を食い止める動き。
その『金属』とは、もしかすると研究所での対面時に持っていたシャベルかもしれない。

「んぁあ゛!? 何だテメーのその格好は!」

霞んだ意識の知覚に、悪魔の苛立った声と、金属武器の打ち合う音が届く。
それはしきりと悪魔が持つ銛を攻撃し、七原に刺さるはずだったそれを食い止めようとする小刻みな刺突音だった。

動かない体に力をこめて、七原は制止の声をあげようとする。
おい、ちょっと待て。
アンタがそいつを相手にするのは、いくら何でも無茶だ。

しかし声になる前に、七原を抱き上げるもう一人がいた。

「今のうち」

こちらもまた、聞き覚えのある少女の声。
しかし、優しく七原を持ち上げる両腕は、ゴリラのようにごわごわとした感触だった。
何だこれは、と疑問を出そうとして、思い出す。
真希波とかいう少女を獣のようにさせていた、謎の変身するアイテムのことを。
あれを食べた真希波が、人間離れした腕力で彼女たちを抱えて逃げたことを。

「テメェ……! 獲物を仕留めようって時に、邪魔してんじゃねぇよ!」
「そんなことを言わないで、まずは私に付き合ってほしいかな、かな」
「知るか! 化物の格好のくせに、女みたいな声だしやがって気持ちわりい……」

金属同士が軋む、鍔競り合いのような音。
そして男と少女の口論を背後に聞きながら、七原は抱えられたまま遠ざかる。
口論の内容から、七原は戦っている方の少女――レナもまた、同じドーピングをしているらしいと悟る。
だが、しかし。
この状況は。

「おい、やめろよ。降ろせ……って」
「降ろしてる暇なんかないよっ。すぐに黒子の方も回収しなきゃいけないんだから」

七原はほっておけと頼んだ。
死にたくはなかったけれど、よりによってレナと結衣に助けらるのも惨めが過ぎる。
まるで、己の弱さをどこまでも思い知らされるかのようで。

「だいたい、降ろして死なれた方が、迷惑だっ。私だって、言いたいことは、たくさん、残ってるんだから!」
「降ろした方が、身軽に、動けるだろーが……どうせ、いい気味だと思ってんだろ?」

ゴリラのような生き物にお姫様抱っこされて、必死に非常口へと向かうシチュエーション。
絵にならないことこの上ない、そんな二人は互いに息を切らせて話している。

「そんなわけあるか! 見下してる相手を、命がけで助けるわけ、ないだろ!」

ぎゅっと、七原を抱える腕に力がこもった。

「悪いけど、だいたいの、話は聴いた。『正義日記』の、予知に、出てきたから」
「ぇ…………」
「ナーバスになってるみたいだけど……これだけは、言っておく」

非情口となる扉をあけて、すこしだけ呼吸を整えて。
ちょっとだけ怒ったような声で、船見結衣は言った。

「誰も一緒にいてくれないなんてこと、絶対にない。
自分の知ってる人たちはいい人達だったってことを、あんなに必死に叫べるのに
――どうして戻った世界では、誰も迎えてくれないなんて言うんだよ」




「なんだお前。テニスの技がまったく効かねぇのかよ」
「石ころで人を傷つけるのは、テニスって言えないんじゃないかな」

レナたちの元に残っていた奇美団子は、それぞれに残り2つずつ。
そして、より多くの団子を口にすればするほど、変身した後の身体能力と体の頑丈さは強くなるらしい。
説明書によれば、本来は『自分が受けたダメージを記憶して癒す』という特殊な体質の人が使っていた薬なのだそうだ。
しかしレナたちにはそんな能力など無かったので……結果として『変身を重ねるごとに、徐々に体が頑丈になる』という程度にとどまっている。

「たかだか石ころをぶつける攻撃なんて、ちっとも痛くないよ。
むしろ、命懸けの決闘に、飛び道具を使うなんて無粋じゃないのかな。かな」

だから竜宮レナは、そのお団子を2個食べた。
おかげで体中には突起のような羽毛が生えて、これはこれで『かぁいい』けれど、ちょっと圭一くんには見せられないような姿になっている。
でも、格好なんかに頓着していられない。
普通に立ち向かってしまえば『DEAD END』が待ち受けていることを、正義日記から教わっている。
運命を超える奇跡を起こすには、それなりのものを払わなければいけない。

「ハッ。決闘って言ったな。つまり、負けた方は勝った方に好きにされるってことだよな」

しかし、防御力を手に入れたからといって、安心することはできない。
真希波が変身していた時間はおよそ数分。あの時は丸ごと食べなかったから効き目が短かったのだとしても、十数分以上は持たないと覚悟していた方がいい。
それまでに決着を付けなければ、この悪魔の餌食となるだろう。

「だったら、これからテメーには赤く染まってもらおうじゃねぇか。どうせ俺が勝つんだからな!」
「いいよ。勝った方が正義なんだよね。私はそのルールでぜんぜん構わない。
だって『部活動』っていうのは、そういうものだからね!!」

相手は凶暴で、まるで鬼が目の前にいるみたいで、言葉が通じる感じもしない。
しかし、逃げるなんて選択肢はあるわけない。
『正義日記』とは、『守るべきもの』のことを知るための日記だから。
予知によれば白井黒子たちは瀕死の状態で、治療をするための時間が必要になっている。
それに雛見沢の『部活』メンバーの会則に、敵前逃亡はあり得ない。

「分かってんじゃねぇか! 勝ったヤツだけが最後に笑える!
俺はテメーらをぶっ殺して、先輩たちを生き返らせるんだよ!」

勝った者にはご褒美を、負けた者には罰ゲームを。
さぁ、始めよう。
『覚えている気がする別の世界』で、前原圭一が、竜宮レナに教えてくれたように。
再演しよう。
竜宮レナの、がんばり物語。

踏み込んだのは、同時だった。
少年はテニスラケットの代わりに不慣れな銛を振り回し、
少女は持ち歩いている鉈の代わりに、不格好なスコップを振りかざす。

ガッキンと、不格好な剣戟が、異常なほどの腕力で火花を散らした。
悪魔化によって強化された身体能力と、奇美団子による異常腕力がつばぜり合いを演出する。

「舐めんなよ! こちとら素振りを何千回もやってんだからな!」

さながらインパクトの瞬間にラケット面を傾けるような仕草で手首をひねり、つばぜり合いをするりと外す。
続く動きで、ねじり込むように銛を押し込む。銛の先端がレナの頬をかすめた。
『魔雉の装』によって強化された皮膚に血が飛び散ることはなかったが、それでも皮膚が薄く切れて、擦過は残る。
『傷つきにくい』と言っても、本来の使い手が口にした場合の防御力とは比較にならない。
石ころによる打撲には耐えられても、心臓に銛を串刺しされたりすればどうしようもないだろう。

「でも、させないよ!」

まるで鉈でも振り回すかのように、レナがスコップを横に払った。
それはスコップの面で叩くのではなく、傾けたスコップを刃として斬りつける動きだ。
ガァン、と音をたてて銛はその直撃を受け、横に払われる。

互いにできた隙を庇うように、両者は互いを蹴り合って距離を置いた。

「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ! なんだよその固い羽毛みたいなのは!
俺なんかより、お前の格好の方がよっぽど化物じゃねぇか!!」
「あっはははははははははははははははははははははは!! あははははははははは!
そっちこそ、『生き返る』って言われてあっさり信じ込むなんて、頭は大丈夫かな?
今どき、サンタさんを信じてる幼児だってゾンビやキョンシーなんか信じたりしないよ!
もしかして首が痒くて痒くて我慢できないような、おかしな病気にでもかかったんじゃないの!?」

お互いに、血が上っているせいで奇妙なほどハイになっていて。
それはまるで、どこかの世界で竜宮レナが経験した『決闘』を思わせて。
だから、レナにも信じることができた。
まだ相手のことをよく知らないけれど、それでも通じない言葉なんてないはずだと。

なぜなら二人は、いずれも『勝ち』を目指しているのだから。




「はぁ…………テンコのおかげかな」

銛が胴体を貫通したボロボロの黒子を見たときは、生きた心地がしなかったけれど。
テンコから、海洋研究所を犬と一緒に探検した報告を聞いていたことが幸いした。

資材置き場を探している時に、曰くありげな『宝物』と書かれた箱を見つけたのだという。
その中に入っていたのは、とても便利らしい支給品と、その説明書で。

『束呪縄』と書かれた茨みたいな形のロープは、黒子たちの体に巻き付けると、バチバチと怪しげな火花を発し始めた。
かえって不安になるような見た目だったけれど『正義日記』によれば間違いなく治癒の効果はあるらしい。

気を喪ったまま治療される二人を見ていると、どっと力が抜けそうになったけれど。
それでも結衣には、まだ立ち上がる理由があった。

「レナを……助けにいかなきゃ」

残された奇美団子はたったの1個。
心もとないし、足でまといになるかもしれないけれど、黙って待っていることはできない。
レナは『DEAD END』という困難な壁に、挑んでいるのだから。

「あ……武器、どうしよう」

黒子と七原を資材置き場まで運び込むのに必死で、黒子を刺していた銛は置いてきてしまっていた。
手元には拳銃があったけれど、扱えるかは心もとない。
こうなったら何でもいいと、黒子のディパックを探り始めた時のことだ。

持ち込んでいた『正義日記』に、ノイズのような雑音が混じったのは。




「さすがだね……立てないや」
「ハッ……やっぱり、勝つのは俺だったじゃねぇか」

変身は、解けていた。
足が疲労でガクガクと震え、レナは床へと膝をつく。
そんなちっぽけな姿を、悪魔が見下ろしていた。

力は、レナの方が勝っていた。単純なスピードでも、奇美団子の力が上回っていた。
しかし、攻撃を見切る反応速度や、単純な小回りでは悪魔の方に分があった。
それだけは身体能力を底上げしただけでは追いつけないもので。
だから持久戦に持ち込まれることを、防げなかった。

「うん、強いんだね……それ、テニスで鍛えたの?」
「あったりまえじゃねえか。俺の目標にしてる先輩たちなんかは、もっとすげぇんだぜ」

息を切らせながらの会話は、これから片方が殺されるとは見えないほどに、穏やかなもので。
いつもの悪魔がそうしているような、徹底的に破壊する攻撃の嵐は収まっていた
それは相手が勝利の余韻に浸っていたこともあるが、何より双方ともが疲労していたからだ。
来ていたユニフォームは雨にでも打たれたような汗でぐっしょりと濡れそぼり、
その疲労をも心地よく感じるかのように、目を細めている。

そんな悪魔へと、レナは問いかける。

「レナと戦って……楽しかった?」
「何言ってんだよ? 『人間』を潰すのが、楽しくないわけねぇじゃねえか」
「そうじゃないよ。『楽しい』っていうのは、それだけじゃないんだよ」

レナは首を振った。
殺されようとしているのに、心は静かだった。
そこにいる悪魔に対して、確信が得られてきたのだから。
対等の、中学生同士だということを。

「『テニス』のことが、好きだったんだよね。だったら貴方は、知ってるはずだよ。
お互いに相手を讃え合ったりする時とか。いつまでもいつまでも、このゲームが続けばいいのにって思ったこととか。」

知っている。
レナだって、同じ気持ちを知っている。
かつての日常で、そうやって競い合ってきたのだから。
スポーツの公式大会じゃなくて、水鉄砲を打ち合うような、たわいないゲームだったけれど。
いつまでもいつまでもこの時間が続けばいいと、そう思える対戦相手がすぐ隣にいたのだから。
胸をはって、幸せだと言い切れた。

悪魔が、くしゃりと顔を歪める。

「なんだよ……テメーも思い出させるのかよ。もう戻れないもんをチラつかせてんじゃねぇよ! 皆殺しにしなきゃ、俺はどこにもいけねぇんだよ!!」

「嘘だっ!!」

怒声だけで、銛を振り下ろす動きを食い止める。
怖いけれど、ためらいはない。
竜宮レナには、嘘をついている人が分かるのだから。

「もう笑えないなんて嘘だよ! だって、私と戦った時の顔には、ちょっとだけ『楽しい』って気持ちが見えたから!
あなたは知ってるはずだ! どんなに汚いものを見ても、楽しかった時間に嘘はないってことを!」

いつまでもいつまでも続けばいいと”願う”ような時間は、手をのばしさえすれば取り戻せる。
そのことを、ぼんやりとしか思い出せないどこかの世界で、教えてもらった。
ガクガクと震える足に、力をこめて立ち上がる。

「あなたにとって、その『楽しいこと』は、悲しいことがあったら、全部の価値がなくなっちゃうものなの!?
私は楽しかったよ! 怖かったけど、死にたくなかったけど……それでも、一瞬だけ『殺し合ってる』んじゃなくて、『戦ってる』んだって思えたから!」

悪魔は顔を歪めたままだった。
レナの問いかけを、言葉でも暴力でも否定できないでいる。
なぜなら竜宮レナは『楽しもう』と言っているのだから。
『人間は醜くない』と主張すれば、いや醜いと反論もできるだろう。
お前は間違っていると言われたら、いや正しいと反抗もしただろう。
けれど、『楽しい方がいいはずだ』と言われて『楽しくない方がいい』と答えるほどに……その少年は、好きなことを嫌いになれない。

だから、信じられないと乾いた笑みを浮かべる。

「なんだよそれ……俺は今だって、やり直したくて仕方ないんだぜ。
そんな都合のいい話が、あってもいいのかよ」
「いいんじゃないかな。お手軽な方法で幸せになれるなら、それがいいに決まってるよ」

私を信じてと、手をのばす。
いつかの世界で、どこかの選択肢で、ずっとそうしてきたように。
負けたからといって、何もかも奪われることはないのだと、それを証明するために。

「私は、みぃちゃんや圭一くんの――ここにはいない仲間の分まで、みんなを盛り上げていかなきゃいけない。
だから、あなたとも一緒に楽しいことをしていきたいな」

手を取ることを逡巡する相手の背中を押すために、さらに一声。
恐れなくていいのだと示すように、相手に一歩を近づいて。

それが、過ちになった。




『圭一くん』と、悪魔は聞いた。



…………ケイイチくん?



それは、裏切り者のことだ。
思えば、あいつに逃げられたことからすべてが始まって。
悲しくて、虚しくて歩いていたら、あの醜い『人間』たちを見せられて。

思い出す。
今までに起こったことを、思い出す。

楽しかったという高揚が、冷却される。
よく分からないけれど、こいつは『前原圭一』の仲間で。
前原圭一は、自分のことを見捨てた人間で。
そいつは、私を信じればいいのだと、お手軽な救済策を垂らしていて。
だから。
こいつの言うことは。



「嘘つきめ」



考えるよりも先に、嫌悪とも警戒心ともつかない恐れが、銛を突き刺していた。

「あっ」と、目を丸くしたレナが、純粋に驚いたような声をあげて。
そして彼女は、己の腹部に視線を落とす。
脇腹に深く突き刺された銛が、引き抜かれ。
そこから決壊した水道管のように、鮮やかな赤い水が吹き出した。

驚きに固まったレナが、そのまま立ちあがる力をうしなって床に崩れ、
その結果を見て、悪魔が一瞬の間だけ、これで良かったのかと迷いをみせる。
その後悔を振り切るように、ふたたび銛を振りかざして。


「レナから……離れろっ!」

七原秋也を連れ去った猿人が、少女の声を出して飛びかかってきた。

ぶるん、と。
両手に握った鉄の棒で、ぎこちなくも力強く、殴りつける動きをする。

「おぉっと」

新たな敵が現れたことで、悪魔はいくぶんか好戦的な気持ちを取り戻す。
眼前で振るわれた鉄の棒を、余裕さえ感じさせる感嘆詞でもって受け止め、飛び退いてかわす。
解放された竜宮レナが、猿人の少女と悪魔の真ん中の位置で、よろよろと膝をついた。

「結衣、ちゃん……?」
「私がこいつの相手をするから。レナは束呪縄のところまでがんばって」

悪魔はその言葉に、苛立ちを覚えた。
こっちは一人でみんなの相手をしているのに、そいつらから『私たちにはこんなに仲間がいるんだ』と言われているようで。
一人になることを選んだ、ついさっきの選択が間違いだったと言われているようで。

こうなれば、すべての手を払い除け、すべての『信じて』を裏切ろう。
そう決めて、目視で新手との距離感を測り直そうとして。



新手が構えていた、『鉄の棒』へと、意識が向いた。



「………………………おい、待てよ」

その鉄の棒は、ただの棒ではなかった。
布切れが、房飾りのついた紐で括られて垂れ下がっていた。
つまりそれは、旗だった。

旗に書かれている絵が見えた。
悪趣味だ。
悪魔はそう思った。

よりによって、今この時に、そんなものを見せるなんて。
ひょっとしてこいつも、『亡霊』の同類かもしれない。
真田副部長や手塚国光や跡部景吾の姿をした『あいつら』が『あれ』をちらつかせてきたように。
『それ』を見せ付けられることは、苦痛でしかないのだから。

それは中学テニス部全国大会の、団体戦優勝旗。

過去に立海大附属中テニス部が二度も勝ち取り、
そして、今年の夏に三度目の持ち帰りを果たす予定で、
しかし、青春学園テニス部に譲ることになってしまった、目標だったもの。

振り回された余韻で、ひらひらと揺れていた。



「テメェなんかが……それに触ってんじゃねぇよ!!」



そいつを潰さなければと、決めた。
新手より先に、竜宮レナに止めをさすべきだという考えすら回らない。

ただ、それをチラつかせていることが、どうしても許せずに。
怒れる悪魔に、変化した少女はくるりと背を向けた。

怒気にまみれた声から、時間を稼ぐ最良の方法は、逃げ延びることだと悟ったらしい。
そして時間稼ぎだと気づいていながら、旗を奪い返すためだけに、悪魔は追いかけて走り出す。

悪魔の殺戮は、追いかけっこへともつれこんだ。




七原さんを救けたい。
決意は本物だったけれど、どうすれば救けられるのか。
分からないまま七原さんに言葉をぶつけて、今だって分からないまま動いている。

だって、『救い』なんて考える必要がないくらい、平和なところで暮らしてきたのだから。
最初から救われている世界……なんて言い方は大げさだけれど、不満なんて見当たらなかった。
お腹がすいたらお菓子を食べて、続きが気になったらゲームをして。
一人がさびしかったら皆を招待する。
曖昧、見えない未来の世界。
みんなそれぞれ、でもくっついちゃう。
なんかちょうどいい、そんな毎日。

でも。
誰かを喪ってしまうことが不安で、自分が消えてしまうことが怖い。
そんな世界に連れてこられて、わたしにも思うことはできた。
昔からの友達と、今の友達のこと。



――ねえ結衣。ごめんね、泊めてもらって。迷惑じゃない?
――え……ううん。
――そか。……結衣は強そうだけど、ほんとは寂しがり屋さんだから。
――えっ……そんなこと、ないよ。
――あはは、ほんとかよー。ねえ、またちょくちょく来てもいい?
――……しょうがないな、京子は。



あの時の私は、もしかしたら京子の存在に救われていて。



――そうだよね、ごらく部だもんね! 四人そろってこそのごらく部だもんね!
――……? うん……
――誓約書でもつくるか。他の部に浮気した人にはラムレーズン一年分ね。
――それはお前が食べたいだけだろ。……大体誓約書なんかなくても、みんなどこへも行かないよ。
――へへっ。



あの時の私は、きっとごらく部の存在に救われていて。



――大丈夫だよ、なんかごめん。
――それは嘘だよ。
――隠さなくたっていいんだよ、結衣ちゃん。
――怖いのは仕方ないんだよ。レナだって怖い。何時死ぬかわかんないんだもん。怖いに決まってる。
――だけど、ううん。こういう時だからこそ、『仲間』――『友達』に話さないで、一人で耐えるのは、強さじゃないんだよ。



あの時の私は、間違いなくレナの存在に救われていて。



だから、もしかしたら。
『救われる』っていうのは『どんな時でも一人じゃない』ってことかなぁと、思ったりもする。




鬼ごっこは、長く続かなかった。

長くない時間だったけれど、船見結衣にとってはとても怖い時間だった。
後ろから化物みたいな哄笑をあげて追いかけてくる悪魔は怖かったし。
強化された脚力で走っているのに、相手が足元に石ころをぶつけてくるものだから、転ばされるのが怖かったし。
だんだんと変身がとけてきた時に、生身の体であの攻撃が当たったらと想像するのは、さらに怖かったし。

最初にこぶし大の石が膝裏を直撃してから、瀕死になるまでボコボコにされたのは、もう怖いなんてものじゃなかった。

……それでも、海洋研究所から脱出してだいぶ走れたのだから、がんばった方かなと結衣は自分を讃える。
それはすなわち、レナたちのいないところで、一人きりで死んでしまうことを意味しているのだけれど。

死ぬことを、理解した。
死にたくなんて、なかったけれど。
それでも、こんなに手のひらがベトベトになるほどの血が頭から流れているのに、無事でいられるほど船見結衣は人間離れしていない。
頭からぐわんぐわんと変な音がして、身を起こそうとすれば猛烈な吐き気もする。

それなのに。
とどめとなる一撃は、なかなか振ってこなかった。
不思議がって、そろそろと瞼を持ち上げる。

仰向けになった視界には、夕日を逆光にした悪魔がいた。
輪郭は陽の陰りですこしぼやけているけれど、それでもその顔ぐらいは判別できる。

表情には歯ぎしりがあり、眼光には充血があり。
眉には、苦悶があった。

ぼんやりした思考をどうにか回して、どうしてだろうと考える。
そして、もしかして自分の体の上に、覆いかぶさるように『旗』があるせいかもと閃いた。
これを取り返すために追ってきたなら取り上げればいいし、
これを見ることが気いらないなら奪って引き裂けばいいのに、
苦悶する相手がどちらも選んでいないからだ。
喉は枯れているけれど、声はまだ出る。
だから結衣は、自分を殺す相手に向かって質問していた。

「これ……取り返して、どうするの?」

逆ギレでとどめを刺されるかなと思ったけれど、相手は答えてくれた。
捨て台詞のように。

「――捨てるさ」

苦々しげな声。
不自然に吊り上がった口元。
デジャヴがあった。
誰かと重なる表情。どこかで触れた感情。
そもそもこいつはなんで怒ったんだろうとか、どうして殺そうとしてるんだろうとか。
とりとめない疑問が湧き上がって、そう言えば『やり直すために七原を殺そうとしている』とか正義日記に書かれていたっけと思い出す。

そして、理解した。

(なんだ…………同じか)

つまり、放送後の船見結衣が選ぼうとして選べなかったことを、こいつは選んだ。
竜宮レナがいなければ歩いていた道を、こいつは歩いてきたらしい。

今さらながら、酷いことをしようとしたんだと思い知る。
だって殺される側に回るというのは、こんなにも痛いのだから。

(レナを殺さなくて、良かった)

そして、だからこそ、こう思ったのだ。

「辛いよね」

もしかしたら、レナを撃とうとして撃てなかった時に、結衣はこいつのような表情をしていたかもしれない。
レナを傷つけた憎い仇であることには違いないんだけど。
運よくレナは無事……ではなかったけれど、まだ死なずに済んでいるわけだし。
だから、ちょっとぐらい言葉をかけても、レナだって怒らないだろう。

「辛くなんか、ねぇよ。俺は『悪魔』だからな」
「もしかして、……『ヒトゴロシの自分』なんて、仲間も喜んでくれない……とか、思ってる?」

自分で言ってて、これはさすがにキレられるかな、と思った。
でも相手は、何も言わなかった。
それだけ、恐ろしいのかもしれない。
こいつの場合は七原や黒子やレナを瀕死にして、自分も死にそうになっていて、つまり『一線を超えてしまった』のだから。

「死んだヤツは、何も言ってこねぇよ。
さっきからずっと亡霊みたいなのに文句言われてるけど、アイツらは偽物だ」
「そっか……いいなぁ」
「あ゛ぁ?」

羨ましがる声を出すと、見るからに不機嫌そうにされた。
こんな状況なのに、ちょっとだけおかしかった。

「私はさ……本当は、私に『嫌いだ』って言う京子でもいいから、会いたいと思ったよ」
「…………」
「でもさ……私のところには、亡霊、来なかったんだ。私が、殺し合いに、乗らなかったからかなぁ?」
「今からでも俺を殺しにくればいいじゃねーか。見たくもないものが見えるぜ?」
「んー……やっぱいい。だって、偽物なんだろ?」

なんで、自分を死の淵においつめている男とペラペラお喋りしているんだろう。
むしろ、私が死にかけていて、相手だって連戦で疲れきっているからこそ成立した猶予なんだけれど。
それに、死んでしまうのはこんなに怖いんだ。
この上、誰もそばにいられないなんて耐えられない。
べつにこの際、自分を殺す男だっていいや……なんて、もしかしておかしいことなのかな。
頭が痛くてぐるぐるしているから、考えることに自信がない。

「レナには、ああ言ったけど……ごらく部のみんななら、最終的には、許してくれそうな、気がするんだよな。
そりゃ、すごく気まずくなるだろうけど、『結衣ちゃん嫌い』ってのは、無いと思う」
「おめでたい連中だな。うちの副部長なら、グラウンド一万周したって許してくれねぇよ」
「でも……責任感じて、『死んでごめん』ぐらいは、言ってくれるだろ? 『本物』の、仲間なら」
「……死んだヤツは、何も言わねぇ。どこにもいねぇよ」
「えー。夢ぐらい、みさせてほしいな……」

実は、七原が気を喪う前に、もうひとつ言い放ったことがある。
『お前にはまだクラスメイトも家族もいる』ってセリフが、そこそこムカついたから。

――ごらく部を、舐めんなよ。京子とあかりが欠けてるごらく部が、『元の日常』になるはずないだろ。

分かりきったことだ。
それでも彼女は、『元の日常に帰る』という黒子やレナの言葉に、頷いていた。

――それでも私は、『帰る』よ。アイツらに追いつく方法は、やり直すことだけじゃないって、信じたいから。

そう。
船見結衣は、自分が信じたいものを、信じる。

「別に、私は天国とかあの世とか……信じてないし、幽霊も……それっぽい心霊体験したことならあるけど、信じてないし。
でも……夢枕にたってくれたりとかさ、また、四人で遊んで、お泊り会して、大騒ぎする夢を見たりとか……それぐらいなら、あってもいいかなって」
「どれも夢じゃねーか。結局、目が覚めたら消えるだろ」
「でも、夢を見た記憶は残るよ……それで目が覚めたら、ちょっとだけ泣いて、今日も一日がんばるぞって……天国でも夢でも、なんでもいい……どっかにいるって……励ましてくれるって、思いたいじゃないか」
「励ましなんかくれるもんかよ! 俺は『悪魔』だつってんだろ!」

バカのひとつ覚えのように、また『悪魔』だと言う。
その言葉を聞いて、気がついた。
いつの間にか、この少年が怖くなくなっていることに。
死ぬのは怖いけれど、こいつは怖くないということに。

だったら。
痛いけど、苦しいけど、がんばるのは辛いけど。
霞みそうな意識をがんばって堪え、だらりと垂れていた指先に、力をこめる。

もうちょっとだけ、真剣さぐらい、見せてみよう。
起き上がりたかったけれど、それが叶わないから手が届く位置にある銛の先端をつかむ。
くい、と引っ張れば、そいつはあっさりと引っ張られてしゃがんだ。
だから結衣は、その少年の手を掴むことができた。



「悪魔じゃ、ないよ」



証明しよう。
お前は、悪魔なんかじゃない。



「だってお前は、もう一人の『人間(わたし)』なんだから」



『お前(わたし)』と『私達(わたし)』の違いなんて、たった一つだけ。
竜宮レナに、会えなかったこと。
白井黒子に、会えなかったこと。
七原秋也に、会えなかったこと。
1人、だったこと。



「『人間』のことを、信じてくれなくていい。
レナのことも、わたしのことも、信じてくれなくていい。
天国も、あの世も、『亡霊』なんか、信じなくったっていい。
……大切な人、が、『どっか』にいるって、それだけ、信じて、くれても、いいん、じゃ、ないかなっ」


ここではない、どこかに。
歩いていけないけれど、繋がっているどこかに。

「そしたら……『明日』、にも……期待…………持てる、だろ」

握った手は、汗ばんでいた。
体温があることを、確かめる。
やっぱりこいつは、人間だ。

本当は、レナたちのことだって信じてほしいけれど。
それを教えてやる時間は、もらえそうにないから。
せめて、『帰る場所がない』なんてこと絶対にないって、伝えたい。
時間がないと言えば、七原秋也にだって結局、言えないことがたくさんあった。
せめて黒子やレナが、代わりに言ってくれるといい。
人より苦労している分だけ物を知っているんだと自己完結したひねくれ者の先輩に、言いたいことを言ってやれ。

言いたいこと。
ろれつだって回っているか怪しいし、声に伴う呼吸がヒィヒィと掠れて痛い。
でも、せめて、あと一言ぐらいはがんばろう。

「じぶんを、しんじて」

どうにか、噛まずに言えた。




「おい」

まだ体温が残る手を、『切原赤也』は握り返す。
ぬくもりを与えてくれた、名も知らぬ少女へと呼びかける。

「なぁ、起きろよ」

すがるように呼びかけて、呼び止めて。
しかし、その安らかな顔へと怒鳴りつけることはできない。
ほかならぬ自分自身が、その命を摘みとってしまったのだから。

「起きて、くれよぉ……」

研究所に仕留めそこねた獲物がいることさえ、すでに意識から抜け落ちていて。
ただ、もうひとりの『人間(じぶん)』を喪った痛みに、身を折った。
のばしたその手は、たしかに届いていて。
しかし触れ合った直後に、掴みそこねて引き離される。

遺体にかかっていた旗が風でそよめいた。
半ば引き剥がされるようにパタパタとなびく。
その動きを目で追った悪魔は、視線を向けた先に別の発見をした。

「え…………」

その土地には、クレーターのような凹みがいくつも穿たれていた。
巨大な大砲がいくつも打ち込まれたかのような地面の中心部に、一人の人間が横たわっていた。

その旗の、正統なる所有者が。





「………………手塚、さん」



そして、しばらくの時間が流れた後。
その現場には、死んだ者だけが残された。
置き去りにされてきた2つの死体は丁寧にならべられ、旗の形をした一枚布で覆われていた。
せめてもの義務感に、突き動かされたかのように。
あるいは亡き者に対して、敬意を払うように。

【D-4/市街地/一日目・夕方】

【切原赤也@テニスの王子様】
[状態]:悪魔化状態 、呆然、『黒の章』を見たため精神的に不安定
[装備]:越前リョーマのラケット@テニスの王子様、燐火円礫刀@幽☆遊☆白書、真田弦一郎の帽子、銛@現地調達
[道具]:基本支給品一式、バールのようなもの、弓矢@バトル・ロワイアル、矢×数本、瓦礫の礫(不定量)@現地調達
基本行動方針:人間を殺し、最後に笑うのは自分。
1:???

[備考]
D-4にある手塚国光と船見結衣の遺体に、全国大会優勝旗@テニスの王子様がかけられています。


束呪縄による治療を終えた七原と黒子たちが駆けつけた現場では、すべてが終わっていた。
七原秋也が殺されかけた場所からそう遠くないところに、竜宮レナの遺体は倒れている。
死因は、脇腹を深く刺されたことによる出血多量だった。

黒子はその場にへたりこんで、七原は立ったまま呆然とする。
その光景は、受け入れがたいものだった。
なぜなら、七原はとっくに、彼女たちが邪魔をするなら『殺す』つもりでいたからだ。
だから、おかしい。
どうして彼女たちが、七原を助けようとして死ななければならなかったのだろう。
彼女たちは自分に反発したまま、自分に裏切られて死んでいくものだと思っていたのに。

レナはその手に、ボイスレコーダーを握り締めるようにしていた。
白井黒子が、顔をくしゃくしゃにして録音を再生する。

『正義日記』は、ボイスレコーダーの録音によって未来を記録していくタイプの日記だった。
竜宮レナが契約したおかげで、その対象は彼女にとっての『守るべきもの』と『倒すべき悪』――すなわち、海洋研究所にいたすべての人間が予知範囲に含まれたので、七原たちは状況の推移についてかなり詳しく知ることができた。

船見結衣が、竜宮レナをかばったことで、あの殺人者に殺されたことも。
船見結衣は知らなかったことだが、束呪縄が使いきりのアイテムであり、治療は不可能となっていたことも。

予知は最後に、竜宮レナの声で『竜宮レナは銛による刺し傷がもとで死亡する。DEAD END。』と喋った。
そこまで聞いて、得られるだけの情報は得たからと、七原は停止ボタンを押そうとする。
しかし、そのボタンを押す動きが止まった。

予知機能を果たさなくなった未来日記から、また竜宮レナの声が流れだしたのだから。

『えっと……秋也くん。それに黒子ちゃんも、ごめんね。
レナは先に死んじゃいそうだけど……でも、せめて言葉を残していくことにしました』




結衣ちゃんが作ってくれた時間を、無駄にしてはいけない。

船見結衣が死んだという予知を聞いて泣きそうになって。
次にレナが思ったことはそれだった。

戦闘によって歩く力をも使い果たしていた竜宮レナが、それでもできること。
それは、言葉を発して伝えることだ。

幸いにして、船見結衣が駆けつけた時に残していった『正義日記』がある。
契約者はあくまで竜宮レナだから、殺人者に壊されてレナを殺してはたまらないという判断だったのだろう。

ボイスレコーダーは契約によって『正義日記』となったけれど、しかしボイスレコーダーとしての機能を喪ってしまったわけではない。
だから竜宮レナは、七原たちに言葉を残すことができる。

『えっとね……本当なら、秋也くんが黒子ちゃんと一緒に戻ってきた時に、言おうと思ってたことがあるの。だから』

そして。
竜宮レナは、七原秋也と悪魔との口論を聞いてしまったのだから。
最初は、『正義日記』によっておおよその内容を。
途中からは、七原秋也を助けに入るタイミングを見計らっている最中に、立ち聞きして。

『秋也くんは、すごいね』

だから、伝えたい。
『許されない』なんて、絶対にないと。




「は……?」

七原の口から、乾いた疑問符が漏れる。
その言葉は、否定ではなく。
その言葉は、同情ではなく。
その言葉は、慰めでさえなく。

その言葉は、賞賛と尊敬だった。

「いや、待てよ。全員助けようとしないのはおかしいって言ったのはアンタだろうが。
ちょっとぐらい人の過去を知ったからって、態度を変えてんじゃねぇよ」

いつもの軽い口調で、せせら笑おうとする。
しかし、いつもほど軽口にキレがない。

なぜなら七原にも、分かってしまったから。
その『すごいね』が、上っ面をとりつくろう演技ではありえないほど熱っぽいことを。

『本当に、七原くんは、すごいよ。
だって私は、何回も何回も失敗してきたから。
大切なたった一人を守ることさえ、諦めてきたから』




結衣ちゃんには、卑怯なことをしてしまったとレナは思う。
それは、彼女にむかって『やり直すのはよくない』と諭したことだ。

竜宮レナは、本当なら人にそんな説教ができる立場ではなかった。

――レナ。仮に俺たちのどちらかが死のうと、俺たちは絶対にまた会えるから。……だから、また会えたなら。
――今度は普通に遊んで、普通に笑い合って、……普通に恋をしよう。絶対に互いを疑わない。絶対に互いを信じあう。

なぜなら竜宮レナとその仲間たちは、何回も何回も『ズル』をしてきたのだから。
やり直しを否定した七原秋也は、そんな『ズル』にがっかりするかもしれない。
でも『やり直し』を行っていたのはレナではないし、そこは勘弁してほしい。
ずっと前から、『別の世界の記憶』はあった。
たとえば、古手羽入と名乗る転校生がみんなの輪に入ってきたとき。
たとえば、古手梨花が交通事故で入院した後に、『別の世界に行く夢を見た』と言い出したとき。
船見結衣に向かって『オヤシロさま』の話をした時だって、『ありえない記憶』のことを思い出していた。
それが、『惨劇』を見たことがとっかかりになって、次々と思い出してきただけのこと。

何度も何度も、大切な仲間たちと殺し合ってきた。
何回も救いの手を差し伸べられて、その手を信じられずに振り払ってきた。
何気ない毎日の一秒一秒が、宝石よりも価値がある宝物だったはずなのに。

「七原くんは、一度手をのばした女の子の手を、ずっと振り払わずにそばにいたんだよね。
誰も彼も信じられないような場所で会った人と、友達になれたんだよね。
どれも、レナにはできなかったことだよ。
圭一くんがいなかったら気付けなかったことを、秋也くんは最初から実践してたんだよ」

私を信じてと、訴えて。
泣かないで、どうか私の言葉を聞いてと呼びかけて。
泣いている人のそばで、一緒に泣いてあげたいだけなのに。
差し伸べた手は、金属バットで叩き砕かれて。

そして、ひぐらしの声が言う。

――もう、手遅れだと。

記憶の中にいた竜宮レナは、苦しくて辛くて寂しかった。
でも、だからこそ、七原秋也を認められる。
かつての世界で、過ちに気づいた竜宮レナが謝罪するのを見て、前原圭一が『前の世界の俺は気づくことさえできなかった』と讃えたように。

「こんなこと言っても、何言ってるんだか分からないよね、ごめんね。
でも、私の罪は、別の世界の自分がやったことだけじゃないから。
私がいなければ幸せになれたかもしれない人たちがいたの。
私が簡単に人を信じたから、大切な人を守れなかったの。
それでも、そんな『竜宮礼奈』でも、許しをもらうことができたんだよ」

そして、思い出す。
竜宮“レイナ”を殺して、竜宮“レナ”へと、変わってしまおうとした時のことを。
こんな自分は『イ』ヤなのだと、『イ』らないと、そう強く“願った”ときのことを。

自分が甘かったから、母親が出て行って、父親が苦しんだ。
だから自分が『敵』を排除しなければならないのだと、思っていた。
今度こそ失敗しないように、守る義務があるのだと背負い込んでいた。

そんな自分でも、受け入れてくれた新しい仲間がいた。

「結衣ちゃんも、言ってたよ。
一人で耐えるのは、『強くはないかもしれないけど、立派なんだ』って。
だから、秋也くんも、その仲間たちも、『これをしなきゃ許されない』なんてこと、ないんだよ」




「でも、川田は死んだよ! 典子も、三村も、杉村も、みんな死んだよ!」

七原は、叫んでいた。
竜宮レナの優しさに、耐えることができなかったから。
もう、止めてくれと。
『あの時の七原は立派だった』なんて言葉で、クラスメイトの死を片付けられたくないのだから。

「俺が甘くなかったら! もっとちゃんと動けてたら!
川田の足を引っ張らずに、川田を疲れさせなかったら!
もっとはやくから、ちゃんと殺せてたら!
でも、死んだんだよ! 友達を死なせたんだ!
お前は、友達を殺したやつのことを『許せ』って言うのかよ!!
そんな残酷なことを、言わないでくれよ!」

その言葉は、竜宮レナに届かないもので。
しかしボイスレコーダーからは、答えるように言葉が返った。

『許せるよ。だって秋也くんは、みんなのことを許してるから。』




「秋也くんは、桐山くんとドライな関係だったみたいだけど、
それでも、『クラスメイトを殺した桐山くん』に、普通に接してたよね。
それは、もしかしたら違う世界の桐山くんだったとか、別の事情があったのかもしれない。
でも、あんなに普通に桐山くんの話ができたのは、みんなのことを許してた証拠だよ。
だから、さ……その『仲間』の輪の中に、『七原秋也』くんもいれてあげてくれないかな?」

だんだんと、お腹の痛みがひどくなってきた。
痛いというより、麻痺してしびれるような感触に変わる。
それでも、もう少しだけ伝えたいことがある。

「『お前に俺の何が分かるんだ』って、思われたかもしれないよね?
ごめんね……でも、私だって、秋也くんのことは知りたくて、観察してきたつもりだから」

今はもう、すべての仲間を喪ったと認識している彼に。

「私は、『七原秋也』くんのことを覚えてるよ。
本当にごくたまに、片鱗が見えただけだったけど。
さっき資料を読んで、始めて事実として知ることができたけど。
その人はきっとプラスのエネルギーを持ってて、
自分の力で、世界を変えられると思いたくて、だからこそ、自分に厳しい男の子……だったのかなって」

『七原秋也』から別の何かへと変わろうとしている、彼に。

「私は、秋也くんにも、黒子ちゃんにも、重荷になりたくない。
私の命を背負うんじゃなくて、一緒に走らせてほしい」

七原に覚悟を教えた川田章吾だって、七原秋也の甘さに救われていたかもしれない。
助けの手が間に合わなかった中川典子は、それでも七原秋也を支えにしていたかもしれない。

「秋也くんがやり方を変えられないなら、きっとそれでもいいんだよ。
本当に間違えそうになったら、黒子ちゃんがきっと止めてくれるから。邪魔しあうんじゃなくて、喧嘩して。
黒子ちゃんが間違えたら、その時は秋也くんが止めてあげて……」

それに、今はもうレナだけじゃない。
結衣は七原と一緒に肉じゃがを食べたことを覚えていたし。
この言葉を聴くことで、黒子にだって伝わるはずだから。

「それでも、どうしても行き詰まったら。その時は……」

かつての大切な人が、教えてくれたこと。
殺人は罪だった。
誰かを犠牲にして終わらせるのは、してはいけないことだった。
でも、かつての竜宮レナが、本当に間違えたのはそこじゃない。

最初の分岐点とは、本当の罪とは、そこではなく。



「”仲間”に、相談するんだよ――」



自分が酷い顔をして死んでいたら、黒子や七原はもっと傷つくだろうから。

――だから竜宮レナは、笑って死ぬことにした。


【D-4/海洋研究所前/一日目・夕方】

【七原秋也@バトルロワイアル】
[状態]:健康 、頬に傷 、全身打撲(治療済み)、『ワイルドセブン』であり――
[装備]:スモークグレネード×1、レミントンM31RS@バトルロワイアル、グロック29(残弾7)
[道具]:基本支給品一式 、二人引き鋸@現実、園崎詩音の首輪、首輪に関する考察メモ 、タバコ@現地調達、正義日記(録音あり)@未来日記
基本行動方針:このプログラムを終わらせる。
1:???

【白井黒子@とある科学の超電磁砲】
[状態]:精神疲労(大)、肉体疲労(大)、全身打撲および内蔵損傷(治療済み)
[装備]:メイド服
[道具]:基本支給品一式 、テンコ@うえきの法則、月島狩人の犬@未来日記、第六十八プログラム報告書(表紙)@バトルロワイアル
基本行動方針:自分で考え、正義を貫き、殺し合いを止める
1:???
[備考]
天界および植木たちの情報を、『テンコの参戦時期(15巻時点)の範囲で』聞きました。
第二回放送の内容を聞き逃しました。

[備考]
船見結衣および竜宮レナのディパックは海洋研究所の一室に置かれています。(まだ回収されていません)

【束呪縄@幽遊白書】
会場に隠されていた10個の”宝物”のうちのひとつ。
暗黒武術会にて、治療班の妖怪・瑠架が用いていた結界を兼ねた治療道具。
飛影の妖力が(本人の回復力もありとはいえ)凄まじい速度で回復していたことから、かなりの高性能。
本ロワでは使いきりの支給品。

【全国大会優勝旗@テニスの王子様】
作中の全国大会での優勝旗。
過去に立海大附属は二連覇を成し遂げたが、三連覇を青学に阻まれた。


最終更新:2021年09月09日 20:02