携帯電話の着信音で目を覚ます。
やはりと言うかなんというか気持ちのいい朝とはいかなかった。
寝ぼけ眼でディスプレイを確認する。どうやらメールが届いたらしい。
送り主は、これはやはりというべきだろう。
携帯の液晶画面にはちかちかと涼宮ハルヒという名前が浮かび上がっていた。
送り主:ハルヒ
タイトル:今日
本文:ちゃんと学校に連れてくるように。
連れてくるというのはもちろん俺のベッドの下でいびきを掻いている奴のことだろう。
断言しよう。
今日はロクな日にならないと。
act5—スタンドってなあに?〜オアシスの謎
オレの日記抜粋
○がつ○にち はれ
こんしゅうは がっこうに いった。
げつようびのあさ なんかWAWAWAとかいってる おとこにあった。
どうやらこいつは スタンドつかいでは ないらしい。
オレの オアシスがみえないことに キョンはとてもおどろいてた。
だからいっただろう。みえないやつもいるんだって。
いっしゅうかんかけて しらべてみたところ おっぱいには みえてない。
ニヤニヤヤローにも みえてない。
カチューシャには みえてる。
だんまりむすめは みえてるのかもしれないし みえてないのかもしれない。
どようびにあった しょんぼりおんなには みえていた。
こんびにの みかんのすじにも みえていた。
みかんのすじは のうりょくもだせた。
どろどろしてた。どうやらにんげんからなまハムをつくりだすのうりょくらしい。
つかいどころがきになる。
いつもの通学路。青々とした木々が朝のさわやかな風に吹かれている。
なんでもない日常の風景。こういう風景を何の感慨も無く見ることのできていた頃が懐かしい。
今となってはこんな風景すらも愛おしく感じる。
そこまで追い込まれるくらい俺の周りは非日常的過ぎるのだ。
「どうかしたのか、キョン?」
俺の前を地中から半分体を出した状態で進んでいたセッコが振り返りそう声を掛ける。
一般人ならここで目がおかしくないかと確かめるところだろう。
しかし俺はもうそんなことはしない。
信じられない現象ならあらかた経験してきた為の慣れかもしれない。
朱に交われば赤くなると言うように、俺の感覚はすでに麻痺してしまっているのかもしれない。
とりあえず言える事は、この状況を無理やり納得しているということだ。そうしないとすぐに精神的にまいってしまう。
「オラ、さっさと行くぞー、キョン!」
分かったから叫ぶな。昨日喋らないと約束したばっかりだろ。
「おう、そうだったな。気をつけるぜェ。」
気をつけるぜ、じゃ無くてだな。とそこまで声を掛けて俺はあることに気がついた。
足音が近づいてきている。音はすぐ先の曲がり角の先から聞こえている。このままじゃやばい。
俺は一気にセッコに近寄り地中から引っ張り出し、後ろに突き飛ばす。
「WAWAWA綿流しー、っと」
角から現れたのは俺の級友、谷口だった。俺は胸をなでおろす。こいつなら心配ないだろう。
常識のある人間が見ればセッコは茶色い全身スーツを着込んだ変な男でしかない。
しかしこいつなら、と俺は谷口のほうを見やる。
谷口も俺に気づいたらしく、足を止め、こちらに向き直す。
「よぉキョン、おはよう。」
ああ、おはよう谷口。
「疲れてるみたいだな、大丈夫か?」
大丈夫だ。倒れるほどのもんじゃない。
「そうか、無理すんなよ。それよりお前英語の宿題やった?」
いや、やってない。あることすら忘れていた。などと、その場で何気ない会話を繰り返す。
だんだん崩れていく日常の中で、自分も一般人だと思い出せる大切な時間だ。
しかし、そんな日常も瞬間で音をたてて崩れ去った。
「ところで、そいつ誰?知り合いか?」
ゆっくりと俺の斜め後ろを指差す谷口。この光景に俺は既視感を覚える。
そう、それは確か昨日妹と玄関で遭遇したときだ。
…嫌な予感がする。
振り向きたくない。オチが見えている。
「大丈夫なのか?」
谷口が不審そうな声を出す。もう腹をくくるしかないらしい。思い切って振り返ってみる。
やはりというべきか、セッコは後頭部を押さえてもんどりうっていた。
どうする、どうすればいい、どうするべきか?
俺は頭をフル回転させる。何とか言いくるめて逃げなければ。
「で、キョンの知り合いなのか?その長髪の兄ちゃん。」
言い訳を考えている俺の耳にその一言が届く。今、谷口はなんといった?
「長髪?」
そう問い直す俺に、谷口は怪訝な顔をする。
「ああ。そこの変な模様の緑色のスーツ着た長髪の兄ちゃんだよ。」
どういうことだ。セッコのスーツは茶色だし、髪など一本も見えてない。
じゃあ谷口には何が見えているんだ?
先ほどよりも嫌な予感が頭をよぎる。
もしかして、俺とは別の格好で見えているのではないか。
あくまで可能性の話だが、本当にそうならば危ない。俺は思わず緊急脱出を試みる。
「あ、あれ朝倉・・・か?」「何ィィイイ!!?」
バッと俺の目線の先のほうに顔を向ける谷口。その間に俺は急いでセッコを無理やり地面の下に押し込む。
しかしそこまで急がなくても良かったらしい。
谷口は「ちょっと見てくる」といってそのままいるはずの無い人物を探しに走っていってしまった。
どうやら助かったようだ。
両手をゆっくり道路から引き抜く。
不思議な感触だ。沼に手を突っ込んだらきっとこんな感じだろう。
違和感を覚えたのは少し経ってからだ。
上がってこない。いくら待ってもセッコが顔を出さない。
「おいセッコ、どうした?」
へんじがない、ただのしかばねのようだ…と、そんなことを言っている場合じゃない。地面で溺死なんて死因としてどうなんだ。
「おい、嘘だろ?セッコ!」
一気に手を突っ込み、セッコの体を探す。
生コンのようになった道路が腕にまとわりつく。だが気持ち悪いなどといっている場合じゃあない。
制服が汚れるのも気にせず、両手を突っ込み沈んでいるだろう体を捜す。しかしどれだけ腕を振り回しても指先に触れるのは泥のような道路だけ。
「もしかして、本当に…」
瞬間、後ろから強い力で押し倒される。手をつき体を支えようとするが、手は虚しく沈んでいく。
そのまま手が、肘が、二の腕が、と沈んでゆき、ついには顔が、という寸でのところで救いの手は伸ばされた。
「オイオイ、そのまま沈むなよ。普通の奴なら息できなくて死んじまうからなァ。」
肩から上をひねり後ろを確認すると、そこにはいつものように茶色いスーツを着込んだセッコが立っていた。
「キョンよォ、俺になんか恨みでもあんのか?いきなり突き飛ばすわ、いきなり地面に押し込むわ。普通の奴なら死んでンぞ。」
そう言いつつ俺を引き起こすセッコ。
「普通の奴なら地面に潜れないし心配ないさ。」
悪態をつく俺、だがセッコはさほど気にせずにまた歩き出そうとする。が、そうは問屋が卸さない。卸すはずがない。
少しいいか?セッコ。
「アァ?」と顔だけをこちらに向けるセッコ。やはりスーツは茶色だし髪は見えてない。俺は一応セッコに聞いてみる。
「お前のスーツは茶色だよな。」
当たり前の質問。そう、国語の教師に日本語が読めるかと尋ねるくらい当たり前すぎて逆にふざけるなと言われるような質問だ。
「ん?オアシスは茶色だな、下は緑だけど。」
答えなんて最初から決まっている。当たり前なのだ。俺は色盲じゃない、それなら真実はいつもどおりひとつだけ。そうスーツは茶色…
「ちょっと待て、下?」
再びの俺の問いにセッコは不思議そうに首を傾げるが意味が分からないのはこちらの方だ。重ね着なのか?
しかしそれでは腑に落ちない点がある。どうして谷口には茶色いスーツは見えず、緑色の下スーツだけが見えているのか。
その質問にセッコはさも当たり前と言うようにこう返した。
「そりゃそうだろ。重ね着してなきゃオアシス見えない奴には俺は全裸に見えるんだぜ?いくら俺でもそんな恥知らずな事しねェーっての。」
ほら、と頭の部分、フェイスマスクのようになっているスーツの一部を持ち上げ、そのまま一気に脱ぎすて、立ち上がる。
そこには確かに谷口の言っていた長髪で緑のスーツの男がいた。
…
ちょっとまて。
理解不能!理解不能!理解不能!理解不能!理解不能!
どういうことだ?オアシス、あの茶色スーツが見えない奴がいるのか?じゃあなんで俺には見えているんだ?
何にも分からない。
RPGの混乱というコマンドはこういう場合に発生するものなのだろう。
考えても考えても頭の中の歯車はカラカラと高速で空回りを続けている。
あーでもない、こーでもない。そーでもない、もうどーでもない。
そんな俺を見かねたのか、セッコがオアシススーツを着ながら俺に声を掛ける。
「知らねェのか?スタンドのこと。」
スタ…ンド…?
小一時間後。
セッコの分かりにくい説明を聞き、ようやく理解可能状態になった。
大学入試のように百字要約するとこういうことらしい。
つまり今まで俺が服だと思っていたのはスタンドという精神の像。
スタンドはスタンド使いにしか黙認できないため、一般人にはその下のスーツと髪が見えている。俺には素質があるから上のが見えている。
以上、丁度百字。
そうなるとここにこいつがいる理由も分かる。
ハルヒが望んだ超能力者、その一端にいるのがスタンド使い。つまりその代表としてセッコがハルヒに引き寄せられたのだ。
しかし、とここで俺は頭を抱える。モグラとして扱うという計画が総崩れになった。
家族にはきっと昨日のアレは食卓で暴れる三十路前の男にしか見えていない。
胃が痛い。ここまで胃が痛くなるのはSOS団創立当時以来だ。
腹を擦ると同時に腕につけた時計に目をやる。
時計の単身と長針は仲良く授業開始十分前を指し示していた。
どうやら神様は俺を休ませないつもりらしい。
「遅い!何でこんな日に限って遅刻するのよ!!」
教室に入り最初に掛けられたのは、教師のお咎めではなく団長の怒声だった。
あれから、俺とセッコは学校に直で向かった。
学校に着いた時には一時間目も終盤に迫っているだろう、と言うような頃。
俺は雨にも風にも怒号にも胃の痛みにも負けず積み上げてきた皆勤を諦め、そのまま部室を目指す。
何故かって?教室に不審者は入れないからさ。
旧校舎の廊下を二人で歩き部室の前まで足を進め、ドアノブを回す。無用心ではあるが鍵はかかっていない。
ゆっくりと扉を開けるとそこには、
「長門…?」
いつものように窓辺で本を読みながら宇宙人がたたずんでいた。
これが放課後なら大して驚きもしなかっただろう。しかし今は朝。しかもそろそろ二時間目も始まる頃ときているのだ。
座り込んだ長門はというとそんな事も気にしていないのか気づいていないのか、膝上の本に目を落としている。
授業に出なくてもいいのかという俺の質問にも答えず、その白い指は一枚一枚確かめるようにページを捲り続ける。
次の瞬間、その機械的な動きがぴたりと止まった。
「オイ、どーしたァー?」間の抜けた声が俺の背後から聞こえる。もちろんセッコだ。
喋るなといっておいたのにこれだ。もうどうしようもないかもしれない。
長門は気にせずゆっくり本を閉じ、これまたゆっくりとした動作で立ち上がり、そのまま、セッコのほうへと足を進める。
「…何モンだ、テメェ。」咄嗟にセッコが身構えるが、何事もないように俺の質問も無視したまま長門は近づいていく。
「待っていた。」と聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟き、手を伸ばす長門。
しかしセッコはその手を振り払い長門の首を掴んだ。
「質問ッつーのはちゃんとした答えで返すもんだぜ、学校で教わんなかったのかァ?」
音が聞こえそうなくらい思い切りその首を絞める。
長門はというと顔色一つ変えずにじっとセッコのほうを見つめている。
こいつはまたやばいことになりそうだ。俺はとりあえずセッコをなだめる。
「やめろ、そいつは敵じゃあない。」「アァ!?どーしてそんなことが言えんだよ!!」
「どーしてって、そいつは俺の知り合いだ。」
ところで、と典型的な日本人の切り出し方で俺はもう一度長門に声を掛ける。
「…何?」
「待っていた、っていってたよな。どういう意味だ、授業にも出ないで?」
その問いかけに対し、長門はいつもの無表情で淡々と答える。
「彼とあなたが来るのを待っていた。
先日未明に小規模な情報の変改がイタリアと日本の間で起こった。情報変改の原因はやはり前回と同じく涼宮ハルヒ。
内容は三年前の情報爆発のような世界規模のものではなく、もっと単純なもの。
イタリアと日本を空間的境界に亀裂を生じさせ、そこから珍しいものを取り寄せる。
それは涼宮ハルヒ自身が望んだことかもしれないし、偶然が重なっただけかもしれない。
しかしその結果として一人の人物が呼び出された。それが、彼。」
そういってセッコを指差し、また続ける。
「しかし呼び出されたものと涼宮ハルヒの接触、それによる情報遊爆の可能性。それを私の上は恐れている。
彼の能力と行動、それによる涼宮ハルヒへの影響、どんな些細な変化も見逃してはならない。
それが今回の変改に対する私の上の見解。それに従い私は行動する、そのために待っていた。」
つまりはこいつを監視するため、ということか。
「そう。」とこれも分かるか分からないかという程度に頷く長門。
なるほどな。どうやら俺の昨日の予想は的中していたようだ。
またあいつが迷惑なことを起こしている。しかも今度は現在の状況だけ言えば俺だけに対して超個人的に迷惑を掛けるというもの。
回りに迷惑を掛けているなんて毛ほども思ってないからもっと面倒だ。
肩をすくめ溜息をつく。同時に腹も押さえる。今朝と同じようにきりきりと胃が痛みはじめたのだ。
胃の痛みの原因1は今教室で授業を受けているだろう。
原因2は例によって例のごとく説明の意味を理解できず、備え付けの窓から外を飛ぶ蝶々を眺めている。
「それで、今から俺とこいつはどうすればいい?」
しばらく沈黙が続き、時間的にも精神的にも耐えかねそう尋ねる。
すると長門はさも当然と言うように
「彼については問題ない。彼を一人でおいていても問題がないことに確証が得られるまでここで私が面倒を見る。
あなたはいつもどおり授業を受けてくれていてかまわない。」
と答えた。
面倒を見る、って授業にも出ずにか?
「それについても問題ない。授業には出なくてもついていけるように造られている。」
でも…
「大丈夫。」
そういう問題じゃないとも思うが、本人がそれでいいのならいいのかもしれない。
俺は身を転じ、ドアのほうへと向かう。
「オイ、どこ行くんだよーキョン!」
悪いセッコ。今から授業を受けに行かなければならないんでな、放課後までここで長門と大人しくしてろ。
「こいつと?」
そうだ、まさか嫌だなんていわないよな。
「だが断る!!このセッコが最も好きな…って、オイ聞いてんのか?」
ギャーギャーほざくセッコをおき、そのまま部室を後にする。
次に目指すのは、原因1が待つ教室。
結局俺は二時間目途中から授業を受けることになり、
ハルヒからは「遅い」と絡まれ、谷口からは「どこ探してもいなかった」と泣きつかれ、
散々な気分で迎えたくもない放課後を迎えた。
終礼の終了を告げる残酷なチャイムが鳴り響く。
「ほら、早く!急ぎなさいよ!!」
そう声を教室中に響かせ、乱暴に俺の手をとって進もうとする女。
この女の事はたとえ健忘症になったって忘れることはできないだろう。
暴虐無人、唯我独尊、自己中心の象徴ことSOS団団長涼宮ハルヒである。
急げ、と言うのは今日もあの奇妙な活動があるからだ。
しかし俺はというとまだ荷物の整理も心の準備もできていない。できることならこのままとんずらしたいくらいだ。
しかし、今まで同様それを目の前の女が許すはずがない。
「さっさとしないと、もぐらすが逃げちゃうかもしれないでしょうが!」
もぐらす・・・ああ、セッコのことか。
そういえばこいつはまだセッコのことを地底怪獣だかなんだかと思ってるんだったな。
そこでふと、今朝のセッコとのやり取りを思い出す。
手を引かれ、部室に向かいながら自然な流れで俺はハルヒに問いかける。
あいつは本当に地底怪獣なのか?
するとハルヒは勢いよくこちらに向き直り喋りだした。
「当たり前じゃない。あんた何、もしかして脳ミソがクソでできてるの?
地面に潜れる上に、保護色の茶色。どっからどう見てもそうだったでしょ。」
しかしだな。
「じゃあ何、あんたあんな大きさのモグラがそこら辺にウジャウジャいると思ってんの?」
そう言ってまた先ほどのように俺の手を引き歩き出すハルヒ。
やはりハルヒにはあいつが茶色に、そう、オアシススーツが見えている。
つまりこいつもセッコの言うところのスタンド使いという奴なんだろう。
能力は、やはり世界を思い通りにするといったところだろうか。
それとももっとタチの悪い能力が今から生まれるのか。
それはまだ誰にも分からない。
最終更新:2008年12月25日 20:18