大男からディスクを受け取り、それを弄びながら神父は続ける。
「考えたことはないかい?
『もしも人の記憶を、考えを、後世に残せたら』と。
断片でもいい。
フェルマーやダヴィンチの頭脳が残っていたら、
ガンジーやマザーテレサの思想が残っていたら、
イエスや釈迦の見たもの聞いたもの考えたことが残っていたら、
それを見ることが出来る人間がいれば、確実に世界は変わっていただろう。
しかしそれはただの夢。実現できない空想だ」
顔を上げ、ざっくりとあいた服の胸元からもう一枚ディスクを取り出す。
「私もそう思っていた。しかし、ある出来事が私を目覚めさせた。
妹の死だ。
あの時私は心の底から嘆いた、妹の不幸を。呪われるべきは私だったのだからな。
その嘆きが通じ、発現したのだ。私の『失いたくない』思いの結晶が」
彼は俺たちに見えるようにディスクを指で挟む。
そこには綺麗な女の人の横顔がうつっていた。
パッチリと開いた綺麗な瞳には強い意志を秘め、朱のさした頬や唇からは活力が伝わってくる。
ただ、何故かどこかさびしそうな表情をしているように俺には見える。
何かを諦めたような、絶望したような、そんな感じの表情をたたえた俺たちと同い年くらいであろう人。
神父はそのディスクを元のように胸にしまいこむ。
ゆっくりと、優しく。まるで彼女の記憶を自分の心と重ねるように。
「さて、話は変わるが」
もう一度顔を上げ俺たちを見据えなおす神父。
目が合った瞬間、また悪寒が走る。何かを狙う肉食獣のような瞳をこちらに向けているのだ。
悪寒だけではとどまらない。ひたりと首に冷たいものがあたるような感覚さえ覚える。
「君たちは引力を信じるかな?」
気のせいじゃない。神父のスタンドが俺の首元にその手を当てていた。
そのまま首から頬の上の方にかけて指を突っ込んでいる大男。
ふと思い出したが、俺先週もこんなことになってたよな。
まあ前回は泥化だったが。
ちなみに前回の加害者も今回は被害者になっている。
因果応報ここに極まる、って感じか。
しかしそんな状況下、意外にもセッコは表情を崩してなかった。
そしてこれまた意外なことに、
「おっぱァ~い、オレチーズタルト食いてー!!」と奥部屋の朝比奈さんに声を掛けた。
「今すぐですかぁ?」「おう、裏から出てちょっとのとこにケーキ屋あるはずだから、そこにいってきてくれ」
「わかりましたぁ~、人数分買ってきますね~」「おう!金はキョンが払うからよ!!」
奥のほうでドアの閉まる音がする。
チーズタルトって、まったく意にもかいさずってことか?
オレの思惑を他所にセッコは神父を睨みつけ、小さな声で俺に尋ねる。
「キョン、インリョクって何処の宗派の神様だ?」
…
「引力の存在なら、信じざるをえないだろ。
あれがあるからこうやって普通に生活できてるわけだし」「おい、人の話を聞けky」
「そういった意味じゃない、人と人との間に働く引力だ」
人と人との間に働く引力、そんなものが存在するのか。
俺の思考を呼んだように説明が付け足される。
「深く考えなくてもいい。運命のことだと思ってくれても構わない。
私たちの出会いも運命によって定められているといったら、君は信じるかな?」
運命を信じるか、だと?
出会いが決まったことなら、俺はハルヒに振り回されるために生まれてきたってか。
信じたくもないね。そんなこと。
そう毒づくと、神父は最初同様にこりと笑った。目はしっかりと、こちらを見据えたまま。
「君は」神父は続ける。
「真の幸福について考えたことはあるかい?」
また繰り出される唐突な質問。
これはあれか、新手の謎かけか何かなのか?
「そうだな、平凡な生活を送れるってことじゃないか?」
「俺は甘いモンがいっぱいあったら幸せだぜ!!」
幸福という言葉には聞き覚えがあるらしく、セッコも嬉々としてそう答える。
しかし、そんな俺たちの回答にはやはり耳を傾けない。
「私はな、覚悟を決められる世界こそが至高だと思う。
これからおとずれるだろう悲劇、苦痛、そういった運命を受け入れられる世界こそが真の幸福だ。
私にはそういった世界を創る義務がある。」
義務、と虚空を見上げながら呟く。
その目はお世辞にも正常な人間のそれとはいえない光を灯していた。
そして視線は外れているが、こちらに対する警戒は怠っていない。
「私には親友がいてね。
彼の能力と私の能力があればその全人類の幸福を実現できる。
はずだった!!」
そういって神父は思い切り手近にあった机に拳を振り下ろす。
境界には不釣合いな音はすぐに余韻も残すことなく消えてしまう。
しかし、神父はその余韻さえも気に食わないように歯を食い縛る。
目に宿すのは憤怒、憎悪。目がいっそう爛々と輝いた。
「あの男の所為で、途絶えてしまった!私と友の夢は!!
しかし私は諦めない、必ず行ってみせる、真の幸福の世界に、天国に!!
そのために、協力して欲しい」
急に、虚空を見つめていた彼の視線が俺たちを捉える。
「力が必要なんだ、奴を倒すため。そのために、君たちの能力が欲しい」
今なんと言った?
確かに今、こういったのだ。能力が欲しい、と。
能力、俺はそれが何なのかは知らない。
しかし足元に転がる一ツ橋さんを見れば、頷けるはずもない。
「大丈夫さ。痛みもないしすぐに終わる」
ずぶずぶと頭の奥のほうへと入り込んでいく彼のスタンドの手。
大事な何かを奪われる恐怖に知らずの内に身体が震える。
その様子を見て、神父は俺をあやすように手を伸ばし頭を撫でようとする。
「心配しなくてもいい、君たちの死は決して犬死ではない。これは名誉の…」
「オレはよ」
その伸ばされた手の後方をセッコは力強く握り締め、拒絶の意を表す。
「自分より弱い奴から命令されるッつうのが、大嫌いなんだよ」
ミシリと音を立てる神父の腕。
「しかも何だ、いきなり首筋に手を当て脅しをかける?
質問するだけしといて答えは聞かない?
挙句の果てにここで能力を置いていけ?」
セッコが腕を引き寄せ、吐息も感じられるくらいに近づく二人の顔。
「ざけんじゃねェーぞ!」
そのままセッコは足で神父の水月を確実に打ち抜く。
もろに急所への蹴りを受け、神父は壁にぶつかり大きくえづく。
返す足でスタンドを蹴り上げ、自由になった腕で俺を自分の下に引き寄せる。
「ったく、一昨日きやがれってんだ」
倒れた神父を指差し、俺と神父の間を遮るように手を伸ばす。
敵に回すとあれほど怖かったこいつの腕も、こうされていると予想以上に安心できる。
っていうか、今神父がやってたことの三分の二はお前もやってんだぞ。
「オレはいいの、それにキョンだったしよ。
ンなことより、後は俺に任せてキョンはさっさと外のおっぱい拾って逃げろ」
もしかして、こいつこれを見越して朝比奈さんを逃がしていたのか?
近くにあった机に手をつき、神父が身体を起こす。
「どうやら、理解してくれそうも、無いらしいな。」
何も無い空間に手を伸ばし、何かを掴み立ち上がる。
先日までのオレには見えなかっただろうが、今の俺にはそれがはっきりと見える。
そこにあるのは真っ黒な手。
手は徐々に空間にその存在を広げ、神父が姿勢よく立ち上がったときにはその全貌を現していた。
その様子を見て、俺は全てを理解する。
傍に立つもの。どんな時でも自分の味方をするもの。
『スタンド』
その揺るぎない姿勢は砕けない彼の信念。
その鋭い眼差しは遠い昔の約束を守り続ける意思。
塗りつぶされた黒の過去と発狂しそうなほど明るい黄色の中に刻まれた禍々しい夢。
頭に頂くは暗黒の王の証。その下から覗くはそれに相反する真っ白の顔。
神に仕えながら神を裏切った、罪深き生き物。
穢れを知らない汚れきった純白の蛇。
『ホワイトスネイク』
セッコが大声で何かを叫ぶが、その声ももう俺の耳には届かない。
白蛇と目が合ってしまった。
冷や汗が滝のように流れ落ちる。
足は震えてしまって動かない。無力なカエルにでもなった気分だ。
息が荒くなる。震えが肩まで到達する。
そのとき、ふっと暖かいものが俺を包み込んだ。
「大丈夫だ、オレがいる。守ってやる。気をしっかり持て」
顔を声の方に向けると、いつにも増して真剣な顔をしたセッコがいた。
そんな顔もできるんだな、と茶化すように俺が呟くとセッコは、
「そんだけ無駄口叩けりゃ十分だ」とニコリと笑う。
ふざけた奴だが、その笑みはとても頼もしかった。
俺の方に回していた手を下ろし、もう一度対峙するセッコと神父。
セッコの足元はいつものように弛んでいるし、ホワイトスネイクも構えを作っている。
睨み合いのまま、数分とも数時間とも思えるほどたっぷりと時間がたつ。
そしてじれたセッコが足に力を入れた、瞬間だった。
二人の間に寝ていた一ツ橋さんが、むくりと起き上がった。
「ンなァ!!?」予想外の出来事らしく、セッコは大きく足を踏み外す。
その様子を見て一気に距離を詰め、倒れないようにセッコを抱え上げる神父。
これは流石の俺もセッコも予想外、二人揃って何を言っても言いか分からずに口をぽかんと開ける。
一ツ橋さんはというと、寝ぼけたように目をこすりながら立ち上がり、
「ここは…?」「起きたようだね」
「あれ?どちら様で…」
「外で倒れていたのでね、勝手だったが介抱させてもらった。
その様子なら大丈夫そうだね」
ぱっと頬を朱に染めて、いつものように深々とお辞儀をする一ツ橋さん。
別に変わった様子は見られない。
それどころか出会ったときよりも、元気そうだ。
そして、俺たちにまるで赤の他人にするように会釈をして教会から出て行ってしまった。
教会の戸が完全に閉まったのを確認し、神父は抱えていたセッコを離す。
支えを失い床へと頭から沈んでいくセッコ。
分からない。
神父はなぜセッコを助けた?しかも能力をディスクにするには好都合だったろうに何でそのまま離した?
「腑に落ちないといった顔をしているね」
俺の思考を読んだようにその口に笑みを浮かべて尋ねる神父。
「彼女はいまやスタンドの存在すら知らない一般人。ばれては困る。
それに無理に抜く気なんて最初から無かったさ。後々譲ってくれれば私はそれで構わない」
一変される意見。俺はもう一度唖然とする。
「先程の少女のように本体に害を及ぼす場合は有無を言わさず抜かせてもらう。
だが、君たちには害がなさそうだからね。無理には抜かないさ」
それにしては、あててきた殺気は常軌を逸するものだった気もするが。
後々は抜くつもりなのか?そう俺が尋ねると、神父は先程のように笑った。
「できればそうさせてもらいたいね。
見ての通り、記憶と能力を持つものは、両方をすべて抜き取らない限り再起不能にはならない」
だからコンビニでの男は気を失ったのか。
「ああ、記憶しか持たないものの記憶を抜けば、そいつはもはや生きた屍になる。
二度と動くことはないさ。彼の場合は自業自得だしね」
彼の場合は、というのが少し気になるな。
もしかして、他にも再起不能にした人間がいるのか?
その問いに神父は影を落とし、
「…必要だと思ったら、いつか話すさ」
どうやら聞いちゃいけない問いだったようだ。
俺はすぐに頭を下げる。
「いや、いいさ。あれも乗り越えなければいけない過去なんだ。」
すぐに毅然とした表情を取り戻し、神父は続ける。
「私は前に進むしかないのさ。もう失うものは失った、私にはもう何もないのでね。
目標は人類の幸福。そのためなら一年でも二年でも待つさ」
だから、と俺の手をとり見つめなおし
「力を貸して欲しい」
神父の懇願は、文字通りの意味だろう。
その必死の表情に俺は曖昧に言葉を濁す事しかできなかった。
「だーーー!!ムカツク!!!」
腕をぶんぶんと振るいながら、忌々しげにそう叫ぶセッコ。
欲求不満のハルヒを見ているような感じだ。
セッコ曰く、『殺し合いがしたかった』らしい。
ただの危険人物じゃねーか、とつっこむとセッコは頭をかきむしり、腕をだらんとたれて、
「だってよ、せっかくスタンド使い同士でバチバチやりあえると思ったのによぉ…」
真につまらなさそうに石を蹴り上げる。
殺し合いが好きだというのか。馬鹿みたいなことをしてもやはり根はギャングだということか。
それにしても、と今日の出来事を振り返りひとつの違和感を思い出す。
「あの時、何でお前俺を助けようとしたんだ?」
そう、確かにあの時セッコは思いがけない行動をした。
あのセッコが俺を守ろうとしたのだ。
そう聞くとセッコは少しも詰まることなく、「恩返しだぜ」と答える。
恩返し?
「ああ。飯もそうだが、キョンがいなかったら俺たぶん青天だったからな。
襲っちまった件もあるし、お礼をしたかったんだが如何せんできることが無くてよォ」
アオテン、野宿生活のことだろうか。
にしても、だからって恩返し、か。まったく大雑把なんだか律儀なんだか。
俺がそういってやれやれと呟くとセッコはいつものように笑いながら、
「心配すンな、またこんな状況になったらキョンだろうとおっぱいだろうと守ってやっからよ!」
頼もしい言葉だな、とその言葉も流そうとしてあることに気付く。
朝比奈さんが買い物に行ったままだったのだ。
それを忘れて、今はもう電車を降り、うちの近くまで帰ってきてしまっているのだ。
ここまで来たのならもう仕方ない。
俺はなんと言い訳するべきか考えながら、そのままセッコと家路を急いだ。
一方その頃――
「ふぇぇえー、なんでですかー?キョンくーん、セッコさーーん!!」
「チーズタルトは預かっておくから、今日はもう帰ったらどうだい?」
「あ、はい…」
失礼します、と頭を下げて買い物から帰ってきた少女もいなくなる。
教会の中には私と、傍に立つ者だけになった。
私は遠くにあった椅子を彼にとらせ、それに座る。
「しかし、こんな辺境の地でも会えるものなんだな」
ゆっくりと机に置いてあった本に手を伸ばし、ぱらぱらと無造作に捲る。
「出会いは引力か、はたまたただの偶然か」
そして捲られてゆくページはある場所で止まる。
そこに挟まれているのは二枚の写真。
一人は金髪を逆立てその下に星を抱き、なんとも艶かしい姿をした男。
一人は金髪を流し、綺麗な瞳で遠くを見つめる愛らしい少女。
「私にはもう何もない、か」
伸ばした指にはもう届かない。眩しかったそれぞれの命。
私はその指でその残滓を撫でる。
「覚悟がもたらす幸福」
写真を取り出し本を閉じ、そのまま懺悔室へと向かう。
誰のためでもない、自分のために。
「共に向かおう、天国の時に」
神父の呟きに答えるようにホワイトスネイクも歩き出した。
act7―天国に一番近い男
最終更新:2008年12月25日 20:24