ほとんどのメンバーが息を荒げている中、無機質なコール音が鳴り響いた。
「…失礼します」
どうやら古泉の携帯のようだ。
このタイミングでかかってくるという事は『あれ』だろう。
「…はい、了解しました」
「どうしたの、古泉君」
「いえ、バイトが忙しいので手伝えないか、とのことでした。
もちろん断りましたよ」
古泉の言ったバイトとは、言うなればハルヒの我侭の尻拭いだ。
「それでこそ副団長ね」
しかし当のハルヒはそんなこと知る由もないのでどこ吹く風。
「それよりも、セッコが抜かれるなんて想定外だったわ」
これは休憩時間に入ってわかったことだが、どうやら前衛にはセッコが見えていたらしい。
それは本人たちが目の前のことに一生懸命だったのか、それとも。
俺の視線の意味を理解したらしく、神父が少し微笑んだ。
そして、俺に近寄ってきて呟く。
「飲み込みが早くて助かるよ。私の能力の応用だ」
神父の能力は元をたどれば人間の感覚に影響を及ぼすものだ。
もしかしたら、と思ったがまさか本当に使えるとはな。
「しかし、今考えるべきは試合のこと。違うかい?」
どうやらあんたも飲み込みは早いらしいな。
俺が皮肉混じりにそう言うと神父は苦笑した。
「いや、負けるのは好きじゃなくてね。やるからには勝ちたいんだ」
act10―二つの戦い~後半戦~
男は走っていた。
後ろから迫ってくる得体の知れないものから逃げるために。
相方はもう助からないだろう。
助ける気などない。もともとお互いに都合がいいから付き合っていただけの仲だ。
それに今の状況は不利すぎる。
弾もない。距離もない。戦闘経験もない。
ないない尽くしじゃ勝てるわけない、と四つもないがそろっている。
「全く、ざけんじゃねぇぞ…!」
男は小さな声でそう愚痴ると、さらに駆ける速度を上げた。
向かうは商店街。
木を隠すには森の中だ。
とりあえずセッコ不在のこの急場を凌ぐためにはメンバーチェンジが必須だろう。
「メンバーチェンジぃ!?」もちろんハルヒは反対した。
「一回抜かれたから変えるなんて、何様のつもりよ」
…別に何様のつもりでもないんだがな。
「じゃあ、セッコで続投よ。それとも何、セッコ以上にいいキーパーがあたしや神父以外に居るとでも言いたいの?」
いつの間にか神父はハルヒの中で鶴屋さん以上になっているようだ。
「セッコ君を前に出すのはいいとして、キーパーはやはり問題だな」
神父も顔をしかめている。
当たり前だ。神父が見せているセッコなら威嚇くらいできるが、中途半端な奴を置けば間違いなく失点の嵐だ。
でも。
この二人には分からないだろうが、秘策はちゃんとある。
俺は斜め前に座ってじっとこっちを見ている小柄な宇宙人に視線を移す。
「キョン君、わたしキーパーやりたい!!」
お前は黙ってなさい。…長門、頼めるか?
「…問題ない」
これで守備のほうは完璧だ。
メンバーチェンジの結果。
長門 ゴールキーパー
セッコ サイドバック
谷口 スイーパー
俺 ボランチ
古泉 フォワード
となった。
なかなかバランスの取れた変更のように見えるが、実はそうじゃない。
この陣形後衛がガラガラで、一度カウンターを喰らえば取り返せない陣形となっている。
正気の沙汰ならこんな賭けはしない。
長門の絶対防御があればこそのこの陣形だ。
後半は相手ボールから始まった。
センターサークル内には敵3番が居る。
彼女の周りに一人も居ない点を見ると、どうやら彼女は初っ端からロングシュートを狙うつもりなんだろう。
そりゃそうだろうな。
GKが男から少女に代われば誰だってそうする。たぶん俺もそうする。
試合開始のホイッスルが高らかに鳴り響く。
と同時にゴール右上を狙って放たれるボール。
選んだコースといい、速度といい、敵ながら天晴れというべきだろう。
これが普通のキーパーなら確実に失点していた。
あくまで普通のキーパーなら、だがな。
「有希、何が何でも止めるのよ!!」
長門の口がいつかのように呪文を紡ぎ出す。
と同時にどんどん勢いを失っていくボール。
高度は下がり、スピードは落ち、敵3番は目を見開き。
長門はもはや転がっているだけのボールを軽々と拾い上げ、目の前の朝比奈さんに投げ渡した。
予想だにしなかった事態に対しての反応もやはり優勝チームといったところか。
3番がショックを受けているのにたいし、ほかのメンバーは彼女を励ましながら攻撃に移行した。
もちろん目標はボール。
「ふぇぇーーん、来ないでくださーーい!!」
朝比奈さんは蹴るというよりは触ると形容したほうがいいような力でボールを逆サイドに出した。
その方向に敵が居るとも知らずに。
「なにやってんのよみくるちゃん!!」「へ、ふぁああ!」
しかし気づいたときにはもう遅い。後の祭りとはこのことだ。
ボールを受け取った敵7番はゴールめがけてボールを蹴る。
しかし、その方向には見計らったかのように長門が居た。
まぁ、あいつの場合実際に見計らってるのかも知れないんだがな。
ボールを手にした長門は、少し迷ったあと俺のほうに向かってボールを放り投げた。
余談ではあるが俺が今居るのは左ラインよりの奥。
ノーモーションで100m近く放った事になる。
俺はボールを受け取り、少し考えてみた。
敵は今俺たちの陣に3番を含む三人、神父に常時二人、ハルヒ、鶴屋さんに一人ずつ、GKが一人。
そして攻めていった三人の穴をふさぐため逆サイドに二人。
つまり、俺と古泉には敵一人という計算になるわけだ。
それなら焦る必要もない。
俺は走ってくる残りの一人をのんびりと見ながら古泉にパスを出す。
「死ぬ気で走んなさいよ、フリーでしょうが、この大馬鹿キョン!!」
ハルヒの罵声も何のその。
こっちだって考えがあってしてるんだ。無理に聞く必要もないさ。
今俺がやるべきことは、時間稼ぎだ。
古泉も俺の意思が伝わったらしく、ボールを受け取るといつも以上ににっこりと笑い、声を上げた。
「了解です。行きますよ。つ、ば、さ、くーーーん!!」
どうやら欠片も通じていないようだ。
しかし唖然としても居られない。このまま古泉が単身突っ込めばカウンターは確実だろう。
俺も腹を括るべきなのかもしれない。
み、みさーきくーん…
「声がちいさーーい!!キョン、あんた翼君と岬君に謝れーーー!!!」
先ほどとは違った内容でハルヒから怒声が飛ぶ。
仕方ないだろ、こんなことになるなんて思ってなかったんだから。
古泉は俺にパスを出すととっとと別の場所に行ってしまった。
これは後の判断を俺に任せる、ととってもいいのだろうか。
このまま俺がシュートを狙ってもいいが、まだ距離が遠い。
かといってもう一度パスを出そうにも余っていた一人が俺と古泉の間にいる。
俺は少し考えた後、古泉のほうとは別方向から走ってくる敵を見て、もうひとつの可能性を見出した。
俺はきっと走りたくてうずうずしているだろう日向小次郎にパスを出す。
なぜ日向か?今は俺が翼君で古泉が岬君だからだよ。
「よし来い!!行くわよぉぉ、ひっさぁぁぁつ…タイガァァァアアアショォォォッット!!!」
何かよく分からないオーラを纏ったようにも見えたが気のせいだろう。
ちなみに名称と軌道以外は先ほどのシュートとなんら変わりない。
これにも敵ゴールキーパーはうまく反応してボールを止める。
「ああ、もう!」
ハルヒは相当悔しいのか、地面を思い切り蹴り上げた。
キーパーの腕がよければ試合は動かないものだ。
近年の試合で言えばリカルドVS末次か?
まぁとにかく、ウチの試合も同様に均衡を保ったまま、最終局面を迎える。
長門が鉄壁なら敵守備陣は要塞だった。
どれほどの攻撃を畳み掛けようとも絶対に防ぎきる。
そんな訓練された要塞の前には俺たちの付け焼刃な攻めはほとんど無意味だった。
長門がどんな玉でも止められるといっても、点差がついてしまってはそれも意味を成さない。
焦りに反比例して時間はどんどん減っていく。
ボールがまた3番にまわった。
今までは谷口がなんとかボールを奪おうとしに行ったが、もうあいつは動かなかった。
どうやら負け戦と見て、これ以上疲れないようにしているんだろう。
やる気を出せといっても今のあいつには無意味だろう。
その谷口の様子を見ながら3番はドリブルをしながら進んでいく。
谷口の行動は当たり前といえば当たり前かもしれない。
勝てる見込みのない試合にこれ以上躍起になってもどうしようもない。
この試合、ウチのチームのほとんどはもう投げ出していた。
それが目に見えるのが谷口なだけであって、口には出さないが俺も、朝比奈さんも、きっとハルヒもそうだろう。
ハルヒはそんな谷口の様子に最初こそ檄を飛ばしたが、今はもう何も言わずに腕を組んでそっちを睨み付けているだけだ。
3番がドリブルからシュートの動作に移る。
ちょうどその時だった。
「えーい!」
聞こえてくるのは場違いな甲高い声。と同時に3番の素っ頓狂な声。
なにが起こったのかと彼女のほうを向くと、彼女の足元にあったはずのボールがなくなっていた。
そこにあったボールが物理的に消滅するなんて普通はありえない。
俺は静かにハルヒのほうを見てみた。
ハルヒも驚いた顔をしているところを見ると、どうやらハルヒの所為じゃないんだろう。
「神父さん、パース」
もう一度聞こえる甲高い声。
声の主は3番の隣から、神父にボールをパスする。
きっと全員の表情が固まっていた。
最初に動いたのは神父だった。
「あ、ああ!!」
神父は自分に届く前に止まったボールを掬い上げ、そのままライン際を駆け出す。
あまりに衝撃的なことだったからか、マーク二人はしばらくその場に根が張ったように凍り付いていた。
彼女らが動き出したときには、神父はもう遥か先。
「神父さん、ファイトー」
パスの送り主は土で汚れた顔をぬぐいながら、満面の笑みで神父にエールを送った。
「…っ、すッごいわ、妹ちゃん!!!!!」
ハルヒが今日一番の大声でエールを送り返す。
そう、パスを出したのは俺の妹。
3番が谷口に目を取られている隙に近づき、シュートの動作へと映ろうとした瞬間にスライディングでボールを奪取したのだ。
俺は手首の時計を確認する。
後半終了三十秒前、ロスタイムを含めてもこれがラストプレーだろう。
神父にマークはもういない。
ディフェンダーが神父に近づこうとするが。
「させませんよ」
古泉がうまいこと神父とディフェンダーの間に入り込み、神父を逃がす。
他のフォワードのほうを見ると、彼女たちも同じように一生懸命ディフェンダーと競り合っていた。
ならば俺の役割も決まってくる。
俺は後ろを確認して、3番と神父との最短コースを確認し、そこに向かって走りこむ。
これで三番が神父の邪魔をすることはない。
残り十五秒、神父の目がゴールを捉える。
「いっけええええええ!!!!」
ハルヒの声に合わせて、神父がその長い脚を振りぬく。
ボールはぐんぐんとゴールへの距離を詰め、ゴールキーパーの伸ばした手をすり抜け、そして。
鈍い音を立ててポールにぶつかった。
ボールは高く高く舞い上がり、ちょうど無人の左端へと向かう。
あれを落とせばもうチャンスはない。
俺は駆け出そうとするが今度は3番が俺の邪魔をしてきた。
他のフォワードメンバーも同じ。
ディフェンスメンバーが動いても、あれには追いつけない。
もう駄目なのか?
そのとき、俺の足元が不意に緩んだ。
緩んだというよりもぬかるんだという感じか。
そのぬかるみはすごいスピードで左端まで走っていく。
気がつけば俺は声を張り上げていた。
「セッコ、真上だ!!!」
声に答えるように地中から見慣れた男が飛び出す。
茶色いスーツは見間違うはずがない。途中でいなくなったセッコだ。
飛び出したはいいがセッコは空中で体制を整えられずに頭を下にして自由落下を開始する。
「そのまま決めろ!!」
「うおおおおおぉぉぉぉおおおおおうううう!!!」
俺の声に反応し、セッコはその場で綺麗に状態を立て直す。
もちろんその脚でボールを捉えてそのまま振りぬく。
ボールは逆サイドめがけて飛んでいき。
ゴールキーパーの手をすりぬけ。
ようやく、敵ゴールの中に突き刺さった。
グランドに響き渡るホイッスル。主審はゆっくりと敵のゴールをさした。
これは得点を示すホイッスルだ。
そしてもう一度響くホイッスル。主審は両手を広げている。
これは試合終了を告げるもの。
「ぃぃぃいいいいいよぉーーーーし!!!」
そして最後に、ハルヒの歓喜の声が響き渡った。
「よぉーーーしよしよしよしよしよしよし!!よくやったわセッコ!!!」
聞こえてくるのは誉める声と
「がじがじ」
物を咀嚼する音。
目に映るのは飛び交う白い物体。
現在、グランドの外では引き分けを祝って角砂糖合戦の真っ最中。
というわけではない。
ただ得点を決めたからセッコが好待遇を受けているだけだ。
セッコはというとまんざらでもないらしく、久しぶりの角砂糖に舌鼓を打っている。
一見すると少し早い祝賀会といったところか。
なぜ試合が終わったのにグランドの外で馬鹿騒ぎをしているかというと、試合の結果が関係している。
何でも『引き分けは想定外だから判断を仰がなければならない』とか。
よってうちのメンバーは思い思いに過ごしているというわけだ。
「わーい、せっちゃんだー」「おうおうー」
今日のMVPセッコはハルヒの投げる角砂糖を食べながら妹とじゃれあっている。
古泉は『バイト』に出なくてよくなったと安堵し、長門はもくもくと本を読み。
谷口と国木田は朝比奈サンタ鶴屋さんと何気ない話をしている。
誰を見ても楽しそうだ。
そんな中、
「キョウ君、ちょっといいかい?」
神父は一人顔をしかめ、俺の方によってくる。
どうかしたのか?
「実は伝えなければいけないことがあってね…」
神父はぽつぽつと語りだす。
『審議の結果、PKで勝敗を決めることになりました。
両チーム、グランド内に集まってください』
to be continued…
「そういえば、せっちゃん。どこ行ってたの?」
「何、セッコどこか行ってたの?」
「う?おうおう!!」
最終更新:2009年01月28日 20:39