――――
翌日、私は家の前で純ちゃんを待ち伏せた。
お姉ちゃんは早めに起こしておいたけれど、二度寝していないか心配だ。
どちらにしろ、話が済んだら一度家に戻るつもりではあるけれど。
「……」
7時48分。純ちゃんが家から出てきた。
眠い目を擦って、まったくいつも通りという風情だ。
私は塀の陰から現れて、純ちゃんの前に立ちはだかる。
「憂!?」
「おはよう、純ちゃん」
私は笑顔を浮かべた。
つられたように、純ちゃんも笑う。
「その顔を見るに、私のやりたい事が分かったみたいだね、憂」
「何が目的で、お姉ちゃんを攻撃するの?」
私はスカートの中に隠した包丁の柄を握る。
「そうだねぇ……もう話してもいいかな」
それには気付いていないのか、純ちゃんは余裕たっぷりだ。
悠然と私に一歩、二歩、歩み寄る。
「……憂のお姉さんをね、殺そうと思うんだ」
にたり。純ちゃんが唇をゆがめる音がした。
握りしめた包丁が動かない。
「どう、して……」
真に確証を得たら、すぐに刺してやろうと思っていたのに。
怒りでも憎しみでもない。かといって恐怖でもなかった。
「どうして、うーんどうしてかぁ……」
「まぁ何て言うか……」
純ちゃんは私の脇をすり抜けながら、道路に出た。
「憂を手に入れたいから、かなぁ」
ぽん、と肩に手が置かれる。
「……わ、私のせい?」
「ちーがうよ。私のエゴ」
「そんなことで、私のお姉ちゃんを……!」
腕は動かない。しかし、包丁を握りしめる手から力は抜けない。
殺意と殺人の境界線に、私は立っているらしかった。
「じゅ、純ちゃん……」
必死になって、腹の底から声を絞り出す。
「なら、私は……純ちゃんを殺そうと思うよ」
「そっかぁ」
純ちゃんは、まるでその言葉を待っていたとでも言いたげに、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ決まりだね。私は憂のお姉さん。憂は私の命をそれぞれ狙うってことで」
「……」
この状況を楽しんでいる口振り。純ちゃんへのいらだちが募っていくのを感じる。
そうだ。純ちゃんを殺さなければ、お姉ちゃんは守れない。
「……純ちゃん、これ何だか分かる?」
私はようやく、スカートの裾から包丁の刃先を覗かせることができた。
さすがに純ちゃんの顔色が変わる。
「む……既に用意してたと」
「私も本気だってこと。お姉ちゃんに手出しするならね」
殺意を瞳に込め、純ちゃんを睨みつける。
「面白くないなぁ」
だけど、純ちゃんはそれでも考え直してくれそうにない。
刃物と殺意を持った人間が、目の前にいるというのに。
「いい加減にしないと、本当に刺すよ?」
「いや、だってね……」
純ちゃんは襟足を掻いて、言い淀む。
「どっからどう見ても、憂にはまだ無理っぽいし」
「……」
刃先が再び服の中に隠れてしまう。
「……そうだね。ここじゃ捕まっちゃうもん」
「まぁ、そりゃそうなんだけど。それ以前に……」
「殺せるよ。甘く見ないで」
「純ちゃん、今は殺さない……けど、お姉ちゃんをこれ以上苦しめるなら、絶対に」
「そっかそっか。じゃあ頑張って」
片手を上げて、純ちゃんはすたすた歩いていってしまう。
無防備に背中を向けて、悠然と歩く姿はお姉ちゃんに通ずる物さえあった。
「私は……」
周囲に人がいないことを確認して、包丁をカバンに戻す。
「……でも」
純ちゃんの背中が離れていく。
私は細く息を吐くと、包丁を置きに、来た道を戻ることにした。
「……」
捕まるからなんだって言うんだろう。
お姉ちゃんを助けるためなら、罪を背負うくらいなんでもない。
それなのに。
……純ちゃんを殺すために、私に足りないものって何なんだろう。
――――
『……憂のお姉さんをね、殺そうと思うんだ』
国語の時間、私は純ちゃんの言葉を思い出していた。
殺意を持って包丁を向けても、訂正されなかった言葉。
よほどの強い決意があって、お姉ちゃんの命を狙っているんだろう。
一体なにが純ちゃんをそうさせるのかは分からない。
間違いないのは、このままじゃ本当にお姉ちゃんが殺されてしまうこと。
お姉ちゃんを守るには、何とかして純ちゃんを止めなければいけない。
だけど、純ちゃんを止めるのは難しい。
純ちゃんは、超能力をもう少し進化させるだけで、いつでもどこでもお姉ちゃんを焼き殺すことができる。
「……時間もないね」
つまり、超能力が進化する前に、私は純ちゃんを止めなければいけない。
止める。いや。純ちゃんを殺さないといけない。
言葉で止められるような時期はとっくに過ぎている。
私が今朝すでに包丁を握っていたことからもハッキリ分かる。
殺したいという気持ちは、私にも純ちゃんにもたぎっている。
けれど。
「鈴木さん」
「鈴木さーん。……まったく」
先生が繰り返し純ちゃんを呼んでいる。
何事かと思って顔を上げてみると、純ちゃんは机に突っ伏して寝息を立てていた。
純ちゃんにとって、人を殺すって一体なんなのだろうかと思わされる。
「受験が終わったからって、鈴木さんのように気を抜いてばかりじゃ駄目ですよ」
「高校に入っても、勉強はまだまだ続くんですからね」
生徒から「よしてくれよ」と言いたげな苦笑が上がる。
「ほら、起きなさい鈴木さん」
「んが……」
揺さぶられても起きない純ちゃん。
トレーニングとやらで疲れが溜まっているんだろうか。
私はくすりと笑った。
「純ちゃん、起きなよ」
腕を伸ばして、肩をとんとん叩く。
「んーあー……」
純ちゃんは面倒くさそうに、頭のポンポンを整えて起き上がる。
後でゆわき直してあげた方がいいかな。
「はぁ……寝てたか。おはよ、憂」
「もう4時間目だよ?」
「……あと5分でお昼ご飯だね」
「純ちゃんてば……そういうことばかり時間に厳しいんだから」
「へへっ」
いたずらっぽく笑い、純ちゃんはお腹を撫でた。
私もなんとなくお昼ご飯が待ち遠しくなる。
お弁当には何を入れたっけ。
「……あっ」
そこで、はたと気付く。
「どしたの?」
「お弁当忘れた……」
「えぇー……何やってんの」
純ちゃんから呆れた眼差しを向けられる。
なんだろう、すごく胸に突き刺さる。
お姉ちゃんの高校には購買部があるらしいけど、中学校にはもちろんそんなものはない。
それゆえ、お弁当を忘れればお昼ごはんは抜きだ。
「純ちゃん……助けて下さい」
「どうしよっかな?」
「純さん」
「懐かしい韓国ドラマみたいな呼び方はやめようよ」
「純ちゃん」
「いいよ。私のパン分けてあげる」
にこっと純ちゃんが笑う。
私の親友は時として、女神のような慈悲を見せる。
「ほんとにありがとう、純ちゃん」
「気にしないでって」
――――
想定外のミスを乗り越え、私はあんパンをかじっていた。
「ほえにひてもは」
お弁当のご飯を口に押し込みながら、純ちゃんはもごもごと声を発する。
「え?」
「んっ……それにしてもさ。憂ってほんと優しいよね」
私が訊き返すと、咀嚼して飲み込んでから純ちゃんは言った。
なんだかちょっと流れの汲めない言葉だ。
「純ちゃんのほうが優しいよ?」
私はあんパンを持ち上げて微笑んだ。
「そうじゃなくってさぁ……」
純ちゃんは声を落として、私に接近した。
「なんで私を殺せないの?」
胸の深奥に、得体の知れないものがじわりと湧いた。
「……やめてよ」
「私を殺さないと、お姉さんを殺されちゃうよ?」
「お姉さんのこと好きじゃないの?」
純ちゃんを睨みつける。
私の顔が見えていないんじゃないかと思う程、余裕たっぷりの表情。
「やめてって言ってるの」
体の中を渦巻くこれは、殺意だろうか。
それとも私の知らない何かだろうか。
「私はけっこう真剣にやってるんだけどな。憂も真面目にやってくれないと困るよ」
「困るって、憂自身が困るって事だよ? 死ぬのは憂のお姉さんなんだから」
「……なんでこんなことするの?」
「だから、憂を手に入れたいんだよ。というより、ひとり占めしたいって感じ?」
純ちゃんの言葉の意味がわからない。
私の心がいっそう激しく暴れ出す。
なにか恐ろしい。自分で自分を抑えられる気がしない。
「あれ……憂、まさか?」
強い脈動を感じる。新しい生命体の誕生を想起させる感覚だ。
純ちゃんが私の目を見ている。ブラウンの瞳に、私の顔が映っている。
私の瞳が、きらりと光った気がした。
「……」
「く、ぷくくっ」
次第に心が静まっていく。
純ちゃんが笑っているのがわかった。
「純ちゃん、いま、なんか……」
「ふふ、ほんと憂って……あははっ」
純ちゃんの笑いは、いつもと違っていた。
楽しんでる笑いじゃない。なにかを心から追い出すような、やけくその笑い。
「うんうん、なるほどね。こりゃ本当に私も頑張らないと」
「ねぇ……」
純ちゃんが何を思っているのか分からない。
それに、さっきのは一体何だったんだろう。
不思議なほど心が落ち着いているのも不気味だ。
「……バカにしてごめん。憂にも私は殺せるよ」
「……」
私は純ちゃんを攻撃したんだろうか。
純ちゃんの持っているような不思議な力を使って。
きっと、そうだった。
「無理……無理だよ」
私には純ちゃんを殺せない。
殺したくない。
「もうやめてよ……無理なの」
私はあんパンを掴んで、教室を飛び出した。
純ちゃんが後を追ってくる気配はなかった。
階段を駆けあがって、人のいない4階までやってくる。
「はぁ、はぁ……」
廊下の隅で膝を抱えた。
息が上がっている。走ったせいだけではない。
「私、純ちゃんを殺そうとした……」
足元から震えが這いあがってくる。
「下手したら、ほんとに殺してた……」
今朝包丁を持って行った時は、どこかで純ちゃんが改心してくれると信じていた。
殺そうなんて考えていただけで、実際に殺せるわけがなかった。刺せるはずがなかった。
純ちゃんだって私の大事な親友なんだ。
でも、さっきの私は違った。
訳も分からないままに、純ちゃんを超能力で攻撃していた。
感情の高ぶりで殺そうとしてしまった。
私の超能力が、もっと直接的に危害を加えるものなら、純ちゃんは死んでいた。
包丁を持っていたなら殺していた。
「……」
潰れたあんパンをかじる。
つぶあんの甘味が口に広がる。
純ちゃんに恵んでもらったあんパン。
純ちゃんに助けられた記憶。
「……」
体が震える。
私はさっきの行動を忘れようと、必死に頭を叩く。
それでも頭が揺れるだけで、忌まわしい記憶はべったり張り付いて剥がれない。
――――
学校は早退してしまった。
風呂桶に水を張り、水面をぼんやりと眺めていた。
時間の経つのが遅い。
先に晩ご飯を作っておこうと思う。
食材を切って、鰹ダシの中に放り込む。
安定したコンロの火を見つめていると、奇妙な感覚が湧きあがってきた。
「……ふっ」
青い炎が大きくなる。
「……」
右の掌に炎を引き寄せる。
炎はゆらめきながら、手の中で球体に整っていく。
「……なるほどね」
少し前の映画で見た記憶がある。
種火さえあれば、好きなように炎を操れる能力を持った男の人。
多分、だいたいそれと似たようなものだ。
私はコンロの火を消して、鍋の周りに火を置いた。
「うん、お得だね」
自分をたしなめるように頷く。
そんな小さなことのための力じゃないことぐらい分かっている。
これは、人を殺すための力だ。
最終更新:2011年04月29日 20:06