【熱情】 文責:イヴ・ハミルトン


 新聞部の活動拠点となっている古い建築物と、多くの生徒達によって賑わいを見せる校舎。
 その二つを断絶させるかのように鬱蒼と茂った森は、選ばれし者以外を寄せ付けぬ強い結界によって静謐な空間と化している。
 この一帯に立ち入れられるのは、とある地縛霊によって選ばれた者のみだ。彼女のお眼鏡にかなわなかった者は、件の結界によって森と部室に興味すら抱かない……否、抱けないためである。
 そんなある種の異常空間で、この森に入る許しを得た者達の中では最年少となる少女……イヴ・ハミルトンは、歩を進めていた。
 だがその足取りは重く、ペースは遅い。そして更に不可解な情報を付け加えるならば、彼女の進行方向は部室から少しばかり外れている。このまま歩き続けたところで、部室に辿り着かぬことは明らかだ。
 彼女を知る者から見れば、この行動は奇妙に映るだろう。何せイヴ・ハミルトンという少女は、新聞部として活動する傍ら……時に部員達の眼前に立ちふさがる壁を打ち壊すことに対し強い意欲を抱いているのだ。
 そんな彼女が新聞部に立ち寄るつもりもなく森の中を歩み続けているというのは、やはり些か不可思議と言わざるを得ないだろう。

「……」

 普段は通らぬ道を、イヴは幽鬼の類よろしくゆっくりと進む。
 だがそんな不審な行動は、唐突に終わりを迎える。不意に立ち止まった彼女は、自身が〝部室から少しばかり離れた場所〟に到達したことを知るやいなや、スカートに土が付着することも気にせずにその場へと座り込んだのだ。
 両脚を寄せ、膝を抱く。丸く縮こまったイヴの表情は、日光が差し込まぬこの森の如く暗い。
 一寸、間が訪れた。停止したことで遂に落ち葉を踏みしめる音すら消え去ったため、一層の静寂が辺りを包む。
 そしてしばしの時間が経過した頃、変化が起きた。
 イヴが膝を抱く力を更に強めると、

「……う、うぁ……っ」

 僅かに、口を開いたのだ。
 だが鈴を転がすような声は震え、単語らしきものは紡げずにいる。
 やがて震えは声のみならず肩へと伝染し、すぐに全身へと転移するに至った。
 更には翡翠色に輝く大きな双眸から、清流の基となる湧き水を思わせる大粒の雫が溢れ出した。それは頬を伝い、顎で一度動きを止めた後に地面を濡らす。土や落ち葉に丸い跡が刻まれるペースは、先程までのイヴの歩みとは比べ物にならぬ程に早かった。

「どうして……? なんで、わたし……っ」

 ようやく、イヴの口から言葉が生まれる。
 それは疑問の形をしていた。彼女独りではとても答えが浮かばぬ程に難解な問題に対する問いかけであった。

「こんなの……こんなの、迷惑に決まってるのに……どうしてぇっ!」

 声量が上がるにつれて、溢れ出る涙も量を増す。
 不意に風が吹き、枝が僅かに音を立てて揺れだしたのは、静寂を破られたことに森が驚いたためか。
 もしくは彼女を心配し、人語ならざる声をかけたためか。
 だがどちらにしろ、イヴの涙が引っ込むことはない。彼女の眼前に築かれた壁は、多少の風ごときで崩れ去るような代物ではなかったのだ。

「なんで、わたしは……マイお姉さんのことを……っ!」


 こんなにも好きになってしまったの?


 瑞々しい唇が綴った、その〝壁〟の正体は……恋心。
 彼女を夢中にさせた相手とは、謎の新聞が発行されてしばらくした頃に出会った、かの女性。
 そう。あの光園寺満衣に対し、イヴは燃え上がるような恋をしてしまったのだ。

「こんなの、こんなの、よくないよね……マイお姉さん、困っちゃうよね……そんなの、そんなの解ってるのにっ!」

 叫ぶさなかに思い浮かぶのは、強さと美しさを併せ持ったあの人の姿。
 初めて出会ったとき、こんな幼い自分の話を真剣に聞き入り、真摯に向き合ってくれた満衣。
 全てを明らかにしたとき、魔術師というおおよそ普通ではない自分のことを受け入れてくれた満衣。
 攻撃を庇いきれずに火傷を負ったとき、下手人である姥ヶ火に対して啖呵を切ってくれた満衣。
 最も危ない役目をかって出たのは彼女自身であるというのに、イヴの身を先に心配してくれた満衣。
 それだけではない。まだまだ、まだまだ浮かんでくる。数えていればきりがない。そもそも数えきれる程度ではないと言っても差し支えはないだろう。
 恋に落ちたのがいつ頃なのかは定かではないが、憧れや好意といったものを遙かに超えたこの感情が花開いたのは、間違いなくこうした数々の出来事が水や肥料となったからだ。
 これまで男子に少しばかり心を動かされかけたこともあるにはあったが、所詮はそれらも恋心未満の何かであったのだと改めて理解させられる。
 何せ満衣を目の前にしたときの心の揺さぶられように比べれば、それらは遥かに小さな感情の動きであったと言わざるを得なかったのだから。
 ああ、初恋とはここまで人を狂わせるものだったとは!
 断言出来る。この想いは、いつかのように消火器をいくら用意したとて構わず燃え盛り続けるであろう!

「わたし……わたし、やっぱり、迷惑かけてばっかりだ……!」

 全身の震えを抑えられぬまま、声を上げる。
 母国語を使ってしまえば、いくらでも言葉を紡げてしまうに違いない……そう考えた彼女は、防波堤代わりにならないものかと敢えて日本語で思いをぶちまけてみたが……結果は変わらなかった。
 言語の違いなどという些細なものは、言葉と感情の洪水を防ぐまでには至らなかったのだ。

「マイお姉さんのこと、困らせてばっかりだ……!」

 そして満衣との思い出が浮かび上がるのと同時に、この想いの許しがたさをますます実感する。
 迫り来るのは、絡新婦に関する事件を追っていたときに耳朶を叩いた言葉だ。

『その、俺が小さい頃に好きだった人なんかさ、『なんでそんな奴が好きなんだろう』って感じの奴を好きになってたし』

『……そ、そもそも、私は人に好かれちゃいけないんです。どうしても好きになっちゃうし、ものにしたくなっちゃうので……』

 なんでそんな奴が。
 どうしても好きになっちゃう。
 こうした言葉が、公転する衛星よろしく幾度となく顔をのぞかせる度に、思う。
 何故自分は、相手が同性であると理解していながら……ここまで満衣に恋い焦がれてしまったのだろうかと。
 これまで男子相手に心を動かされかけたことが――たとえそれが恋心未満の僅かな揺らぎであったとて――皆無というわけではない以上、自身は男性に対しても恋愛感情を抱く人間なのであることは自覚している。
 もしも満衣に出会うことなく、新聞部に関わることもなかったならば、例えばクラスメイトの男子……もしくは男の先輩や近所の男性などに心を奪われていたかもしれない。
 だがそう自覚していようとも、現実は変わらない。気付いた頃にはもう既に、茨の道を歩いてしまっていた。しかも自分だけが傷付くだけではとどまらず、下手をすれば〝相手や周囲の人々にも〟怪我を負わせる危険性が高い道をだ。

「ごめん、なさい……」

 イヴはただただ己を責めた。
 感情を制御出来ない己を呪った。

「マイお姉さん……好きになってごめんなさい……ずっとずっと、想ってしまってごめんなさい……!」

 そしてここまで自分が駄目な人間であると思いながらも、満衣のことを諦めるどころか更に一方的な想いを膨れ上がらせている自分を恥じた。

「パパも、ママも、ごめんなさい……わたし、おかしな子になっちゃった……ずっとずっと、大切に育ててくれてたのに! なのにわたし、変な子にっ、なっちゃったよぉ……っ!」

 再び、震えが強くなる。
 我が身を焦がすこの熱い感情が、いくら満衣を避けても治まらぬというのなら……これから自分はどうすればいいのだろうか。
 果たして自分は、どうなってしまうのだろうか。

「どうして、どうしてわたし……こ、こんな……う、あっ、あぁ……っ! あああぁぁぁっ!」

 こんなことになるならば、恋心など花開かないでほしかった。
 蕾のまま、実を付けることもなく枯れてしまってほしかった。
 遂にイヴは言葉を紡ぐ気力も失い、ただただ嘆きを響かせる。
 少女が泣きじゃくるその声は……長らく時間が経とうとも、治まる気配すら見せなかった。



◇ ◇ ◇

イヴ・ハミルトンの秘密】
バイセクシャル。
女の子にもドキドキしてしまう自分はおかしいのではと独り悩んでいる。

◇ ◇ ◇



※この文章は性的少数者を否定する目的で作成したものではなく、同時に筆者にもそれらを貶める意思は一切ございません。


 夜祭みゃーこ・野波流根子・棚元愛文の三名は、望むならば〝このシーンを目撃した〟ことにして構いません。
 なお、上記三名以外のPC・NPCにはこの権利は与えられません。勝手ではございますが、ご了承下さい。

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最終更新:2019年09月21日 17:07