――その光景を、覚えている。
見渡す限りに包む紅蓮の焔が、人も物も焼き尽くしている。
大きな火事が起きたのだろう。
長く親しんだ町は見渡す限りの焼け野原に変わっていて、映画で見る戦場跡のようだった。
――それも長くは続かない。
夜が明けた夜、火の勢いは弱くなった。
あれほど高かった炎の壁は低くなって、建物は殆どが崩れ落ちた。
……その中で、原型を留めているのが自分だけ、というのは不思議な気分だった。
この周辺で、生きているのは自分だけ。
余程運が良かったのか、それとも運の良い場所に家が建っていたのか。
どちらかは分からないけれど、とにかく自分だけが生きていた。
生き延びたからには生きなくちゃ、と思った。
いつまでもココにいたら危ないからと、あてもなく歩き出した。
まわりに転がっている人たちのように、黒こげになるのがイヤだったわけじゃない。
……きっと、ああはなりたくないという気持ちより、もっと強い気持ちで心がくくられていたからだろう。
それでも、希望なんて持たなかった。
ここまで生きていた事が不思議だったのだから、このまま助かるなんて思えなかった。
まず助からない。
何をしたって、この赤い世界から出られまい。
幼い子供がそう理解できるほど、それは絶対的な地獄だったのだ。
そうして倒れた。
酸素がなかったのか、酸素を取り入れるだけの機能が失われていたのか。
とにかく倒れて、曇り始めた空を見つめていた。
まわりには、黒こげになって動かなくなってしまった人たちの姿がある。
暗い雲は空を覆って、じき雨が降るのだと教えてくれた。
……それならいい。雨が降れば火事も終わる。
最後に深く息を吐いて、雨雲を見上げた。
息も出来ないくせに、ただ、苦しいなあ、と。
もうそんな言葉さえこぼせない人たちの代わりに、素直な気持ちを口にした。
◇ ◇
――覚醒。
悪夢のような光景から目を覚ました俺は、ベッドの上にいた。
懐かしい悪夢のこともだけど、出来ればあの惨劇も夢であってほしかった。
俺のそんな希望を笑い飛ばすように、見覚えのないこの病室と、自分の傍らに置いてあるディパックが、これが紛れもない現実と告げていた。
全部、ユメなんかじゃない。金髪の女の人が死んだのも、殺し合いのことも、そして優勝者に贈られる『賞品』のことも。
全部ホントウだと知った俺に出来ることは、握りしめた拳をただ力強くベッドの白いシーツに叩きつけることだった。
夜闇の静寂に包まれた病室に、ぎりりと何かを軋ませるような音が響く。
それが俺自身の歯軋りの音であると気付くまでには、時間にして重数秒を要した。
聖杯戦争は確かに終結した。
ただ一人の勝者も決めることなく、ただ一人の願いも叶えることなく。
思い出そうとして、頭蓋がひび割れるような鈍痛に襲われた。
記憶が、どうも曖昧だ。
衛宮士郎という”俺”の記憶に、ところどころ混沌としている箇所がある。
黒くなったセイバーを殺したかと思えば、場面が変わり、聖杯を破壊する前のセイバーが目の前にいる。
――ぐちゃぐちゃだ。
まあ、それでも。
いずれにしてもそれなりのハッピーエンドを迎えたらしいから、及第点としておくが。
俺は自身の記憶を嗤いながら、最後に残った綺麗な記憶を思い浮かべる。
黄金、赤、紫、黒、藤色、銀色、――様々な色が脳裏に去来し、同時、過酷だったときの記憶もまた蘇る。
焦土となった赤い世界。
灼熱の業火に身を焼かれ。
空には黒い太陽が浮かぶ。
幻想的でありながら、途方もない、掛け値無しの絶望が繰り広げられている。
俺はそんな中、一人の男に助けられた。
――場面が、
変わる。
赤い迅雷じみた一閃を弾く、青と銀色の少女。それがセイバーだった。
……ああ、思い返せばここから色々な記憶に分岐している。
そこからは何処を見ても戦いの連続だった。
訳が分からない。けれど、俺はそれも乗り越えた。
三つの平行世界を乗り越えて、俺は進み続ける。
そして、ここを訪れた。
否、強引に呼び出されてしまった。
それこそ、まるで令呪なる強制力に、無理矢理呼び出された英霊(サーヴァント)が如く。
「…………ふざけやがって」
開口一番に漏れたのは、悪態だった。
命を何とも思っていない、強制された殺し合い。
かつての聖杯戦争を否応なしに思い返させる吐き気を催す悪趣味な催しに、俺はあの白衣の男に殺意すら覚えた。
いいや、――聖杯戦争は、覚悟があるヤツが合意の上で行うモノだ。
こんな無理矢理呼び出した挙げ句殺し合え、などと――下手をしなくとも、聖杯戦争の何倍も性質が悪い。
だから、俺は決めた。
……――――こんなゲーム、根底から覆してやる。
それが俺の決意だった。
認めない。
肯定しない。
賛同しない。
合意しない。
否認否定反対――、様々な反論が口から出てきそうだったが、この際は黙っておくとしよう。
「ああ、分かった。
てめえがそうやってお高く留まったお遊びを始めるってんなら、何もかもぶっ壊してやる」
乗ったヤツや相容れない外道は、殺さなければならないこともきっとあるだろう。
けれど、それ以外は論外だ。
参加者の中に協力者を作り、この実験に反対する者達で集団を組んでしまえばいい。
そうすればやがてはこの島で、実験など行えなくなるだろうから。
気が遠くなる甘い話かもしれないけど、俺にはそれ以外の考えは浮かばなかった。
だから――、
「……闘う。俺は、闘う。――――勝つためなんかじゃなくて、闘いを止めるために、闘うんだ」
心の底から思った言葉を、口にした。
まるでかつて――天敵たる神父へ告げたのと同じくして。
闘いを否定するために、我が身を業火へ投じよう。
この体は既に……剣で出来ているのだから。
◇ ◇
「そんな、コトが……」
目を覚まして、あまりに現実を逸脱した現状に南野朱里は戦慄していた。
虐められて、ロッカーへ閉じ込められる。
――今までの南野は、”その程度”の危機しか経験してこなかったのだ。
本人にしてみればそれはとんだ大問題だったろうが、その問題は決して現実的に生命の危機が関わってくるようなものではなかった。
そしてこんな事態になれば、自分のような弱者は真っ先に殺されてしまうのではないか。
彼女は何よりも、そのことが怖かった。
運動神経に優れているわけでもないし、戦場を生き抜いた経験もない。
そんな大層な強さを持っていたら、まず彼女は虐められることはなかっただろう。
あまりにも弱くて貧相な10代半ばの少女である自分が――これほどまでに明確な死の危険に晒されているなどと、認めたくなかった。
――――それでも、生き延びるしかない。
誰かを踏み台にして狡くやればいい。
自分の命より可愛いものなんて、ないんだから。
自分と同じ声をした何かが頭の中で囁いた。
前半までは賛成だが、後半を認めるのには抵抗があった。
何故か? 当然だ。南野は確かに虐げられてきた弱い人間ではあるが、人間としての道徳まで屈辱の中で無くしたわけではない。
それに、自分なんかがどう頑張ったところで、殺し合いを生き抜くだけの人数を殺すことが出来るなんてどうしても思えない。
死にたくないなら、安全な方を選ぶのは当然ではないか?
そう、安全で正しいと思う方をまず選んでおけばいい。
「でも……でも……っ! 死にたくないよ……やだよぉ……」
と、まで言って。
南野はこうしてじっとしていることがまず危険だと気付いた。
一人で隠れていても、いずれ見つかるかもしれない、と。
繰り返すが、彼女一人では普通以下の力しか出せない。
生きるために――罪を犯さないで生きて帰るためには、誰かと行動を共にすることが重要だ。
でも、誰に? もしそいつが、悪鬼羅刹の殺人狂いだったら?
――そこまで考えて、首を振って想像を振り払った。
「こんなことばかり考えてたら、気が滅入っちゃうよ……」
涙目で、南野は小柄な身体をふるふると震わせながら立ち上がった。
ここは病院のようだ。地図でいうと、D-4となる。
自分が元いた筈の夜の学校と比べても、孤独感が掻き立てられる静寂に支配された病院の不気味さは圧倒的なものがあった。
闇夜に紛れて蠢く魑魅魍魎への恐怖もあるが、何処かで息を潜めている殺人鬼の想像をしてしまうことが何よりも恐ろしい。
とりあえずここからは早く出たい。
協力者を見つけることも必要だから必要な範囲で探索はするが、なるべく早々に切り上げて外へ出ることにしよう。
南野は足音を殺して、静かに病室から出た。
◇ ◇
「……さ、てと」
あれから一度深呼吸をして、俺は平常心をどうにか取り戻した。
記憶が滅茶苦茶になっていることは、とりあえず保留としておいた。
こういうサバイバルもどきで一番大変なのは食料の調達だ。
衣食住のうち、優先して獲得すべきは食であるといえる。
住については、今後どこかを拠点に据えれば問題ない。
だからまずは、食料を調達すべきである。
ディパックを持って俺は病室を出ると、患者が適当に腹を膨れさせるための売店へと足を運ぶ。シャッターはぶち破った。
最悪生でも食べられそうな野菜や意外にも置いてあった即席のインスタント食品なんかをありったけディパックへと放り込んでいく。
まったく重さが変わらないことは気にしない。そんなことでいちいち驚けるほど、俺も普通な価値観を持っているわけじゃない。
本当は良心に従ってせめて幾ばくかの代金を置いていきたかったが、店員は誰一人いなかったし、おまけにこの非常時だ。
食材のひとつやふたつ、失敬しても文句は言われまい。
「いや、流石に良心の呵責はあるけどな」
誰に言い訳をするでもなく、ひょいひょいとディパックに食品を放り込んでいく。
……せっかく集めたわけだが、これが戦闘中の衝撃で粉微塵になったりしたら洒落にならないなあ、などと思いながら。
なるべく早く他の参加者と対話をする必要もある。
ひとしきりこれを取り終えたら、今度は参加者の捜索に移ろう。
「……」
取る。
入れる。
取る。
入れる。
そんな作業工程を一人繰り返した後に、俺は一人呟いた。
「よし。そろそろ行くか……――」
準備は整った。
――これより、俺は再び殺し殺される人間になる。
いつか天敵の神父が言っていたことを思い出す。
……”喜べ、少年。君の願いは、ようやく叶う”――――と。
ああ、確かに。
あの時は嫌悪したくなるような言葉だったが、今思えば、それも的を射ていたのだと理解した。
けれど、違う。
俺は――飽くまでも、殺さないのだ。
自信の胸に固く誓い、強盗に入られたような有様に成り果てている売店に堪忍しろとばかりに軽く手を合わせて、売店を後にした。
「……」
さすがに病院の構造までを地図は教えてくれなかったので、当て所もなく俺は歩き続けた。
夜の病院とはこんなにも昼間と違った雰囲気を醸すものなのか、と。
簡単な感想だけを抱き、更に歩みを進め続ける。
暫く歩き続けると、『この先関係者以外の立ち入りを禁ず』という看板に行く手を塞がれてしまった。
その先を見るに、どうやらこの先は手術道具や患者の情報を纏める、いわば病院の『内部』とでもいうべき場所であるらしい。
一患者に知られてはならない疚しいことも、ひょっとしたらあるのだろうか。
しかしこの状況だ。
――さっきも随分と食料を盗んできてしまったし、今更立ち入り禁止のひとつやふたつに縛られる方が滑稽というものであろう。
「お邪魔します、と……、――――、!?」
簡素な警告の看板の横から、奥部へと立ち入っていこうとした途端のことだ。
全身の毛穴という毛穴が、冷や汗を垂らさんばかりの勢いだ。
体中から水分が抜き取られているのではないかと錯覚するほどの汗が、やがて流れ出してしまう。
それほどまでに、イヤなものが充満しているのだ。
――――この先は、マズい。
俺の世界に対する異物を察知する力は、以前からオヤジにも遠坂にも異常と言われた記憶がある。
どうやら、この先の空間は自分が今まで探索してきたエリアとは一線を画した隔離された空間さながらの有様になっているらしい。
あのライダーの時のように邪念に満ちた途方もない術式が仕掛けられていると見るべきだが、あの時と力の強さはどうあれ、僅かに状況は異なっている。感じるのはあまりにも大きな、怨念と邪悪だ。そのケタでいえば、ライダーのそれとは比べものにならない。
……いっさい情報がない今、”破戒すべき全ての符”を投影したとしても、解除するために行く必要のある場所が分からない。
一旦、ここから早急に離れるべきか。
「……いや、駄目だ。間違えて誰か入ったりしたら、これは洒落にならないぞ……!」
俺は一瞬解決を先回りにすることを考えたが、この異常に気付けない誰かが此処にうっかり踏み込んでは、どうなるか想像に難くない。
外側から物理的手段で内部を吹き飛ばすことも考えた。……さすがに乱暴すぎるので、こうして入っていくことを選んだわけだが。
――油断は出来ない。
三つの世界の記憶を渡り歩いたらしいからといって、まさか自分の実力に慢心するようなことが出来るものか。
そういうことをすると、何処ぞの金ぴかなヤツみたいになるからな。
「……とりあえず、先に進んでみよう」
――――そのまま俺は、呪詛の渦巻く結界めいた深奥へと足を踏み入れておく。
◇ ◇
気が付けば、狐色の頭髪に赤い球のような髪飾りをつけた少女、南野朱里は、おぞましい空気の巣食う空間を歩いていた。
ここは先程までと同じ病院の中。
さっきまでも怖気を禁じ得ないほど不気味な様相を呈していたが、この場所はそれが極楽浄土に見えるまでに、濃密な邪気に満ちている。
「なに、これ…………」
呆然とした呟き。
別段霊感なんてものが強くない彼女でも、これが決して普通でないことは分かった。
確か自分は、立ち入り禁止の看板に言いしれぬ好奇心を覚えて、そのままこの場所へと踏み込んでしまったのだったか。
何これと、小さく吐いた問い掛けに応じる者は幸か不幸か誰一人おらず、代わりに圧殺するように重い空気があざ笑うように静寂する。
だめ、この場所。
早く逃げないと――、
逃げないと、どうなるというのか。
その先のことを考えるのはやめた。
考えてしまったら、足が動かなくなる。
恐怖が今にもこの両足を絡め取り、この腰を砕いてしまいそうな錯覚が襲う。
いやだ、死にたくない。
まだ誰かに襲われたわけでもないのに、南野は人生で未だ経験したこともないような死への原始的な恐怖に苛まれていた。
彼女は――南野朱里は。
南野朱里は、あくまで平穏な世界で生きてきた子どもだ。
殺し合いの実験というだけでも精神的にかなりいっぱいいっぱいなのに、未知なる脅威に曝され、早くも心が崩れ始めている。
座り込みたい衝動を必死に堪えて、精一杯頭を働かせ、ようやく自衛の為の武器を持とうという当然の発想に至った。
ディパックから引き出した、一本の棒状の物体。
それを見た時、南野は思わず絶句する。
「日本刀……?」
如何にも歴史がありそうな、荘厳な雰囲気を醸す一本の刀。
何かを封じるように布で刀身が巻き隠されていたが、時代劇なんかで見覚えのある柄の部分を見て、刀であると理解することは可能だった。
確かに、これはかなり強力な武器といえるだろう。
しかしながら、剣の使い方など精々子どものチャンバラ程度のものしか出来ない素人には、まさしく無用の長物である。
他のものはないかと漁っても、他に武器の類はないようだった。
状況は変わらない。未知への恐怖を和らげるにはバット一本でもあればそれで良かったが、皮肉にも強すぎたことがそれを妨げたのだ。
南野は不器用にそれでも布にくるまれたままの刀を引きずりながら、元来た道を引き返そうと振り返り――――、
ずる
「…………え?」
妙な、音がした。
まるで何かが床を這うような、不気味なことこの上ない奇音だった。
背筋に冷たいものが走る。
歯がかちかちと音を鳴らし、本能が逃げろ逃げろと喧しく警鐘を鳴らす。
ずる、ずる、ずる、ずる。
不気味な音は続く。
心なしかそれは、南野へ近付いてくるような――
「あ……」
――そして、”ソイツ”は姿を現した。
まるで学校の理科室にでもあるような、人体模型だった。
それは、独りでに動いていた。
「や、やだ」
にっと。
人体模型の口が、笑ったような気がした。
◇ ◇
「はっ、はっ、はっ、はぁっ…………!!」
南野は息を切らして、片手を壁に突くことでどうにか平衡感覚を保っていた。
もしも手による支えがなければ、すぐにでも南野は無機質なタイル貼りの床へと崩れ落ちて終わりを迎えるだろう。
ずる、ずる、ずる、ずる、ずる、ずる、ずる、ずる。
人体模型が追ってくる音がする。なんであんなものがここにあるのかなんて疑問を抱く余裕すらも、今の彼女からは奪われていた。
まるで縋るように刀を抱きしめて、どうか見つかりませんようにと祈りながらすっかり蒼白になった顔面を悲痛に歪める。
怖い。あの異形に捕まったが最期、待つのは回避不可能の”死”だ。
一目でわかった。アレは誰かを見逃すなんて優しいモノじゃない。
怨念に満ちた、憎悪の為だけに動く正真正銘の化け物だ。
力ずくで打破して進もうなんて気すら起こさせない程に濃密な殺意を向けられたことで、すっかり南野は恐怖に心を支配される。
まるで病魔のように、恐怖は身体の動きを奪っていく。
疲れが溜まる速度も心なしか普段よりずっと早いように感じる。
心臓ははちきれんばかりの勢いで脈動している。
冷や汗で背中は濡れて気持ち悪い。
瞳に溜まった涙は今にも流れ出しそうだ。
死への恐怖という初体験は、南野に生きることへの渇望を否応なしに植え付ける、ある意味では最大の薬となっていた。
だが、強すぎる効力の薬は身を滅ぼす。
副作用だ。ショック療法にしても、これはやり過ぎの範疇に入るだろう。
ずる、ずる、ずる、ずる
(いや……いや、死にたくない……こないで……!!)
神へ祈る。
どうか、どうか生きていさせて下さいと。
良いとはいえない人生だった。
虐められて、次第にエスカレートする行為に眠れぬ夜を過ごしたことも決して一度や二度ではない。
いっそ死んでしまいたいと思ったことも、きっとあった。
けれど今は切に願う。
どんなに最悪でも低俗でも、どうか生きていたい。
死にたくない――何度目か分からない懇願を口にした時だった。
「……?」
音がしなくなっていた。
あれほど不快で耳に貼り付くような音も、今は全く聞こえない。
相変わらず空気は重かったが、異形の這い回る音がなくなったことで重い荷物が肩から下りたように、開放感に包まれる。
南野はほっとため息をついて顔を見上げ
「あ」
――、そこで、異形を見た。
人体模型は消えたのではない、足音を忍ばせていたのだ。
また、今度こそ確実に、その口元が加虐に笑む。
プラスチックの筈の細腕が締め殺す勢いで、南野の首を握った。
ひゅう、と口から声にならない空気が漏れる。
殺される。悲鳴もあげられぬまま、ただじたばたと手足をばたつかせる南野だったが、そんなものは抵抗の意味すら為してはいなかった。
いよいよ意識が遠のき始める。
視界が霞む。
走馬燈なんてもの、見られそうにもなかった。
視界が霞んでも、生きたいという渇望だけははっきりあった。
死にたくない。生きていたい。帰りたい。
心の声は誰にも届くことはなかったが、彼女の腕が起こした無様なばたつきは、南野にとって功を表する結果となる。
刃を覆っていた布が、外れた途端。
立ちこめている邪念の宿った空気が、音もなく切り払われた。
肌で知ることが出来た。
あれほど身と心を圧迫してきた重いことこの上ない空気は、今や夜の病院の冷たく無機質な、されどさっきより随分マシなものに変容している。
人体模型の首への圧迫が、一瞬完全に零になった。
その隙を見逃さず、這うようにして南野は異形から逃れる。
しかし当然、それでは逃げ切ることなど出来やしない。
刀は取り落としてしまったし、仮に拾い上げることが出来たとしたって自分ではこの化け物を倒すことは出来ないだろう。
今度こそ、殺される。
もう奇跡は起こらない。
さっきの幸運に乗じて、刀でもって思い切り人体模型をぶった切ってやっていれば、この場を切り抜けることは出来たかもしれない。
けれど、そのタイミングを逃したことで今度こそ詰んだ。
死への恐怖をありありと表情に表しながら、ぎゅっと固く南野朱里は目を瞑った。
「――やめろ、てめえ…………ッ!!」
人体模型が倒れる音を聞いた。
おそるおそる目を開けると、人体模型の顔面には何やら剣のようなものが突き刺さり、無惨なまでにその半分ほどが砕かれている。
しかしそれでも異形は駆動をやめない。ギギギ、と奇妙な音を立てて衝撃で曲がった首を元の位置まで戻し、ゆらりと立ち上がる。
視線は、攻撃の主――赤銅のような色をした髪の毛の少年――へとすっかり移り変わり、先程まで南野に向けられていた濃密な、憎悪と怨嗟に満ちた殺意を少年へと容赦なく注いでいた。
「投影、開始(トレース・オン)――――」
対する少年は、迫り来る人体模型の化け物に臆することなく、小さな声で呪文のような言葉を呟く。
カチリ――脳内に写る二十数本の弾倉(まじゅつかいろ)に薬莢(たま)を込めて、その手中に緑色じみた輝きが生まれ始める。
――創造理念、基本骨子、構成材質、制作技術、蓄積年月。
ありとあらゆるものを再現し、錬鉄の名に恥じぬ贋作をここに創造/想像する。
――――I am the born of my sword
体は剣で出来ている。
自らに許されたただ一つの呪文を唱え、より一層魔術回路は活性化していく。
ぐるぐると流転し、魔力を叩き入れ、この状況でもっとも有効な宝具を、剣の丘から探索する。
――検索、完了。前述の工程をもってして、少年・衛宮士郎の一部を削り、”尊き幻想”宝具の投影を開始する。
士郎が投影したのは、英雄ベーオウルフが用いていた魔性の剣。
主が健在である限り狙った獲物を仕留めるまで執拗に追い続けるまさに忠実なる猟犬である。
彼が遠距離での戦闘を行う際に二番目に信用する剣。
これを番えて、魔力を込める。
ある程度の魔力は既に込められている。仮にもあんな激しい闘いを経験してきたのだ、ただ無策に結界に踏み込んだわけではなかった。
剣がみるみる内に形状を変え、矢として番えやすく柄の形が変化していく。
――ビシ、ビシと皹が入るように紅色の魔力がスパークを起こし、放たれるのを今か今かと待ち焦がれていた。
狙うは取るに足らない、怨念の塊。
サーヴァントやあの神父に比べたら、こんなもの屁でもない。
「――――赤原猟犬(フルンティング)ッ!!」
瞬間、世界が赤く染まった。
飛行速度はマッハ3を優に超え、投影を発動している士郎自身ですら自分で視認することが難しい。
本来は赤い光弾なのだが、あまりの速度に残像を残し、光線にすら見えるほど。
飛翔する猟犬は勝利を謳い、自らの功績を確信したが如く凄まじき速度で相手めがけて疾走する。
――――走れ、走れ、走れ――――
主の命を受けた猟犬は、嬉々として怨敵めがけて疾駆する。
そして、着弾。
少女を恐怖のどん底まで追い立てた人体模型の化け物は、ただの一撃の前に呆気なく木っ端微塵に砕けて散った。
すっかり、元の空気が戻っていた。
いや、正確には少しずつ、まだあの邪気が世界を蝕みつつある。
士郎は南野が解き放った刀をおもむろに拾い上げ、感嘆したように呟く。
「成程、あの重苦しい空気が一気に消えたのはこういうワケか――これ、かなりの名刀だと思う。それこそ解き放てば、大抵の結界なんてあっさり切り裂いちゃうくらいには」
南野は呆然とした様子で口を開けていた。
その様子を見て士郎はようやく、彼女は魔術のことを知らない普通の世界で生きてきた人間なのだと気付く。
彼からは初くさえ見えるその反応は、あの月夜の晩に英霊同士の戦闘を目撃したときの自分にもよく似ているような気がする。
すっかり座り込んでしまった南野をしっかりと抱えて、士郎はデリカシー云々以前の前にこの空間から出ることを決めた。
これは結界ではない。恐らく、どこかの参加者が異形を召還して疑似的に作り上げた結界未満のお粗末なものだ。
さっきの人体模型はどちらかといえば幽霊の類のようだったが、何にせよここで自分に出来る最大のことは、早くここから離れることである。
「細かいことはあとだ。今は逃げるぞ、いいな」
「……、う、うん」
士郎は廊下の陰で蠢く、オニヒトデのような異形を目にする。
あれはさっきの幽霊と違って、魔力で構成されている魔物のような存在らしい。
再び南野が小さく悲鳴をあげた。しかし士郎は顔面に恐怖ではなく苦笑を浮かべ、確かな自信をその両目に宿して一歩を踏み出す。
「安心しろ、俺がおまえを責任もってここから出す」
――衛宮士郎及び南野朱里が、立ち入り禁止の看板の前まで戻るのはこれから僅か数分後のことであった。
◆ ◆
――二人の鼠を仕留め損ねた。
大した戦果を挙げられなかった現実に溜め息をついて、茶髪の少年が片手に持っていた魔導書を閉じる。
人間の皮で作られている表紙は気持ち悪いことこの上なかったが、武器としてはかなりの当たりだ。
これ自体が魔力炉なるものの役割を果たす為、誰でも簡単に怪物を召喚することができるなんて。
もう一体配備していた人体模型もあった筈だが、あれはどうやら壊されてしまったらしい。
信じられない不運だが、獲物とした二人の内の一人は、『魔術師』――つまり、この程度の小細工では殺せないヤツだった。
少年――棗恭介は、自らの不運さを自嘲するように苦笑する。
「こんなんじゃ、あいつらを優勝させるなんて夢だぜ、ホント」
彼はとある野球チームのリーダー役を務めている。
しかし、あまりにも大きすぎる過酷な運命が彼らの平穏を引き裂いた。
彼らの想いは一つの奇跡となり、永遠に一学期を繰り返す挑戦が始まる事となったのだ。
色々な世界があった。
兄を喪った少女の心を埋める世界。
家柄に囚われる少女を助ける世界。
その他にも様々あって、そのすべてを泣く泣く引き裂いてきた。
すべてはリトルバスターズの、二人の弱い少年少女の為に。
彼らの心を強くするために世界を繰り返していたのに、こんなイレギュラーが発生するなんて思いもしなかった。
だがやるしかない。
こうする以外に、道はないのだ。
守るべき少年と、救われるべき少女を生き残らせる為に、殺し合いに乗る。
人として赦されぬ罪を犯しでもしない限り、自分たちの悲願は永久に叶わない。
「ここにいるのがバレちまってたら面倒だ……、そろそろ移動する頃合いか」
恭介は自分が一般人よりは強い事を自負している。
それでも海魔の山を切り抜けてくるレベルの相手を前にしては、万一の危険が伴う。
接触するのはなるべく避けていくべきだ。
魔術師なんて存在俄かには信じがたいが、自分だってその一端を行使している。
もはや常識なんてものは、この世界では意味を為さないものになってしまった。
本をディパックにしまい、代わりに最後の支給品――恐竜が踏んでも曲がらないという、一振りの刀を取り出した。
常のバトルで扱いには多少慣れている。
これでなら、余程の無茶をしない限りは大丈夫だろう。
恭介は瞳に冷徹な光を湛えたまま歩き出す。
ただ、親友と妹の未来だけをその双眸で見据えて――――
【一日目/深夜/D-4・病院】
【棗恭介@リトルバスターズ!】
[状態]健康
[装備]黒刀”秋水”@ONE PIECE
[所持品]基本支給品一式、螺湮城教本@Fate/Zero
[思考・行動]
0:理樹と鈴を優勝させる。その為に他の参加者を殺してまわる。
1:無茶はしない。力の差が大きいなら頭を使う。
2:理樹たちには会いたくないな……
[備考]
※Refrain前のどこかからの参加です
◇ ◇
命からがら逃げてきた。
南野の体重は軽かったけど、人一人抱えながらあんな数を相手にするのは正直しんどいものがある。
それでも切り抜けて、互いに大した傷もなく休憩できているところを見ると、俺も捨てたモノじゃないみたいだ。
俺と南野は、あの後適当な病室に入って体力を休めながら、軽い情報交換をしていた。
あと、俺のくすねてきた食料を半分わけてやった。
生きることにがめつくなるつもりはないから、こういうところで自分の利益を優先する意味はないだろう。
それにいくら非常時でも、非力な女の子に優しくしないなんてオヤジのヤツに怒られちまうだろうし。
「岸沼先生……」
そして俺達は今、名簿を前にして互いの知り合いの情報を交換し合っていた。
折角会ったのだしこれも何かの縁だ、行動を共にするのも悪くない。
でもそれにしたって目的が必要だ――たとえば、捜すべき知り合いの存在とか、危険なヤツの情報とか。
そういうのは明らかにしておいた方が、何かとこれから楽な筈だ。
南野が指差したのは『岸沼良樹』という名前と、やや根暗そうな表情をした男の顔写真。
どうやら彼女の学校で教師をやっている人物らしい。
暗い先生だと評判だが、南野自身はいつも辛そうにしている彼の事が少しだけ気になっている、とのコト。
まあ殺し合いに乗るような性格ではないらしいから、どうせだそ合流してみても問題はなさそうだ。
そう思った俺が名簿に視線を落とし――――、思わず、素っ頓狂な声をあげた。
「なっ!? 衛宮切嗣、だって…………!?」
セイバー、アーチャーなど最早見慣れた名前があるのは予想外だった。
アーチャーが何故二人いるのかだとか、イリヤがいるなら捜してやらないとだとか、様々な感想はあったけれど。
純粋に驚きを覚えたのは、切嗣――あの日、月下の縁側で静かに眠った男の事だけだ。
「衛宮くん……?」
「あ、いや……すまん。取り乱しちまった」
南野が心配そうな視線で此方を見てくる。
それに苦笑で応じながら、俺は再びその名前と顔写真に目を向ける。
切嗣が生きていた。そんな戯言が、今さらまかり通るわけがない。
衛宮切嗣は確かに死んだ。俺と交わした誓いに満足して、安心しながら眠った筈だ。
なら――死者が生き返った、ということか。
よくよく考えると異なる平行世界とはいえ、聖杯戦争の中で死んだ葛木のことだって辻褄が合わない。
ただそれだけのことだけど、それでも彼に始まりを貰った身としては無視することなんて出来やしなかった。
「よく分からないけど……切嗣さんって人は、危ない人なの?」
「いや、それはないよ」
今度はちゃんと笑えた。
だって、それは有り得ない。
切嗣はかつて正義の味方に憧れた、昔はどうあれ俺と出会った以降のあいつが殺し合いに乗るなんて。
それこそ天地がひっくり返りでもしない限り、考えられない。
「あいつは乗らない……、たぶん、絶対に」
――その顔を覚えている。
業火の中で、助けられて良かったと自分を抱きしめる男の顔を。
まるで救われたのは自分だとばかりに涙を零す男の顔を、今でもはっきりと覚えている。
またあれと会えるなら――、言いたいことは決まっている。
いろいろな世界でいろいろな結末を辿ってきた。
彼との約束を反故にしたことだってあった。
けれど胸を張って言おう。
――正義の味方は、続けていると。
「でもな、南野。この言峰ってやつには気をつけろ」
一転険しい表情になって、俺は忌まわしい名前を指で示す。
言峰綺礼。黒い神父。悪徳と罪悪の化身――衛宮士郎の、最大の宿敵にして天敵。
サーヴァント連中よりも、俺はこいつが怖い。
こいつはまた、何かをしでかすだろう。
本当は主催の位置についているのがお似合いなヤツだけど、場合はどうあれその脅威は変わらない。
彼だけは、気を許すことは出来ない。
「話し掛けられても耳を貸すな。おまえみたいなやつには、悪影響しか及ぼさないよ」
一方の俺は、少しだけ違う。
あの神父と出会い、戦ったことで学んだことが確かにあった。
だから言峰と出会ったことは、必ずしもマイナスではなかった。
あれを乗り越えたからこそ、俺はそれぞれの世界で然るべき結末に辿り着けたのかもしれない。
ならば、今回も乗り越えよう。
アイツの悪徳になんて屈するもんか。
俺が――、このふざけた実験を打ち壊す。
病室の窓越しに空を見上げると、見渡す限りの曇天だった。
あの夜と同じ眩しい月が見られないことが、ほんの少しだけ残念だった。
【衛宮士郎@Fate/stay night】
[状態]疲労(小)、魔力消費(中)
[装備]九字兼定@空の境界
[所持品]基本支給品一式、ランダム支給品1~3、売店で入手した食品
[思考・行動]
0:実験を終わらせて、聖杯を破壊する
1:南野と行動する。彼女を守る。
2:切嗣、岸沼良樹、セイバー、イリヤを優先して捜したい
3:言峰には警戒。万一があれば、今度こそ決着をつける
[備考]
※全てのルートの記憶を持っている状態での参戦です
※言峰の顔写真が第四次時点のものであると気付いていません
【南野朱里@コープスパーティーif】
[状態]疲労(中)、精神疲労(中)
[装備]なし
[所持品]基本支給品一式、ランダム支給品2(武器は無し)
[思考・行動]
0:殺し合いはしたくない。生きて帰りたい。
1:衛宮くんと行動する。
2:岸沼先生を探す
[備考]
※本編開始前からの参加です
※衛宮士郎から大まかにですが魔術の話を聞きました
※九字兼定は士郎にあげました
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| 実験開始 |
棗恭介 |
[[]] |
| 実験開始 |
衛宮士郎 |
[[]] |
| 実験開始 |
南野朱里 |
[[]] |
最終更新:2013年03月22日 22:48