135.
私は,アンセーヌからの手紙を何回も読み直しながら,東の国は南部の大沼地の高台に上った.オルテガ特製のカモメのエンジンをふかす.相も変わらず,雷の魔導を原動力にしているせいか,私の体まで痺れてしまいそうになるではないか.
カモメに乗り,離陸した.次の目的地は,クスフスが教えてくれた.天空の食卓国だ.「天空」というからには,きっとかなり空高い場所にあると思うが・・・.
「その通りです」
私の心の片方を埋めるバナナリアンの一人がそう言った.
「あなたは,ただエンジンをふかしているだけでは目的地へは辿り着けません.かの国へ行くには,『サーマル』と呼ばれる上昇気流に乗ることが大事です」
なるほど・・・.私はカモメの翼を浮かせるサーマルを体感し,空高く舞い上がった.
それにしても・・・アンセーヌの手紙にあった,「ランキザッシュの丘の上」について,一つ思うことがある.エコール時代に書庫で書物を研鑽していた時のことだ.私と彼女とで,一緒によく読んでいたな.
136.
サーマルを転々とし,私とカモメは今までにないくらいの高度にいる.あの大都市ピアノ・フォルテ市が豆粒のように見えてしまう程だ.
「ランキザッシュの丘の上」という,一つの書物があった.その書物には,優しい恋の物語が書かれてあったのだ.数人の書き手が著し,最後にタイトル通り「ランキザッシュの丘の上」という題の書き下ろし小説が書かれているのだ.
「それよりも,気になりませんか.結局,天使と悪魔は一体なんだったのかと・・・」
ああ,その話は確かに気になるな.私は西の国で刺されて,ヤントラフィールドで目覚めて今に至る.天使はヤントラ,悪魔はペタグラの魔法発動に精を注いでいるのだっけ.
「そうです.しかし,あなたは随分と考えを変えることが出来た.・・・天使や悪魔も,皆ある場所へ帰っていきました」
「どこへ?」
私は尋ねる.すると今度は別のバナナリアンの一人の声で,
「あなたのこのハウスにおける最果てにいます.真実を,どうかご自分の眼で確かめて下さい」
と.
137.
私とカモメは,多くのサーマルに乗り,遂に雲のなかへ入った.雲のなかは,環境が非常に変わり易かったし,悪くもあった.カモメの動力源が,いつ周りの雷光に轟きを受けないか心配だった.
「次にお話したいのは」
また別のバナナリアンの一人が話し始める.
「サピエンタ様と天頂国についてです.・・・まず,あなたのハウスには,元から綺羅の国がありました.女王は,あなたの母上,キラ様でした.それがある時点からサピエンタ様に変わったのです」
私は応える.
「それは妹が,僕に君たちバナナリアンを差し出した時からかい?」
「ご明察です.元々綺羅の国・・・いえ,キランドは天候・土壌にも恵まれていて農業が発達していた国でした.ですが,妹様が女王になってから一変しました.いずれやって来る兄上のために建てられた塔がヤントラタワーであり・・・.天頂国は,我々の住む場所として与えられたのですよ」
そこで私は,一つの疑問を持ち始めた.
138.
「ちょっと待ってくれ.今更こんな疑問を持つ僕も僕だけど」
辺りは,いつの間にか雷光が止んでおり,向かってくるのは白き雲だけだった.私は続ける.
「『神の護り子』とは,ひと組の夫婦から生まれる,子どもにつけられるものだと言ったね?サピエンタの『神の護り子』は,君たちバナナリアンだけど,僕自身の『神の護り子』はどうなっているんだ?」
心のなかでの会話が弾む.独りじゃないと分かっていても,やはり寂しいものだ.僕はアンセーヌ,君を求めている.
「あなたのこのハウスのなかに・・・あなた自身の『神の護り子』は確かにいらっしゃいます.それは真実です.真実を知ろうとするお気持ちは素晴らしいものですが,焦ってはいけません.あなたは彼に会って大切なものを失い,また大切なものを取り戻すでしょう」
バナナリアンの一人がそう言った時,私とカモメは雲海の真っ直中にいるということを,魔導レーダーが教えてくれた.これから私の身に,一体何が起こるのだろうか.
139.
重たい空気が,まとわりつく.それも,高速でだ.久しぶりに気分が悪くなった私は,吐き気を催した.風邪の問診を医者から受けている・・・,口内,特に舌をいじられた後の時みたいな,あの感触だ.
「我々バナナリアンは,元々あなた自身の『神の護り子』に仕えていました.サピエンタ様があなたの精神の中に我々を送り込み,あなたが眠眼の世界に入って来るまで」
眠眼の世界に入ってくるまで?
「そうです.思い出せませんか,あなたも子どもの頃,サピエンタ様と同じく大事にされていたぬいぐるみの名前を・・・」
ふ・・・,昔の私は,もうどこにもいないんだ.勿論過去の大切な思い出は胸にしまっておきたいが,全部が全部良いものとは限らない.だから私は,過去の思い出を全ていっしょくたにしてクスフスに引き渡そうとしているんだ.昔の私に.
「悲しい決意です.何があなたをそこまでさせるのですか?ノスタルジアはどうしたというのですか?」
それは簡単なことだ.ひとは,夢を持つと,今と未来しか見えなくなるからさ.
140.
「あなたはやはり変わられた.これからは,あなた自身で進むべき道を歩んで下さい.我々からあなたにできる最後のことは,魔心眼の復活です」
一瞬,視界が歪んだかと思うと,以前手に入れ,多くの場面で用いた魔心眼の能力を取り戻していた.何故そう言えるのかというと―――.
私は,雲海の真っ直中を通り過ぎ,そして雲間を抜けていた.雲は延々と広がっていて,まるで雲を地面にしたかのように,沢山の建物が連なっている.私はカモメで,その建物の近くを飛び,過ぎてみた.すると,これまた沢山の生命泉で溢れ返っている様子を見てとれた.要するに,雲の上に多くの生命が在るということが,魔心眼によって分かったということだ.
建物は碁盤の目のようにきれいに整備されており,一つの都市を作っていた.多分,ここが天空の食卓国なのだろう.私は,バナナリアンの声が聞こえなくなったのを不思議に思いながらも,かの国の少し開けた空き地にカモメを着地させた.
141.
カモメから降りた私は,今まで自分の主たる移動手段だったそれをしまいこみ,一先ずかの国を歩き回ってみることにした.
空き地を出た私を待っていたのは,活発に右往左往する沢山の旅人と,白く壁を塗られ雲の上だと言うことを忘れそうになるくらい沢山の建物が連なっていたところだった.足は雲に着き・・・という表現も変だが・・・,私は試しにステップを踏んでみた.しかし,足音はまるでしない.それよりも,周囲の人々から注目を浴びかけられる方がよほど,自分の成した行為に意味があった.
ステップを踏む私を観に集まってくる食卓国の国民のなかに,明らかに異質な者がいるのが分かった.彼は・・・老人の身なりをしていたが,生命泉も物質泉も持っていない.それに気づいた私が彼に注目すると,向こうも察したのか,群衆から去ろうとした.私はステップを踏むのを中断し,人ごみのなかをかきわけ,その者の行く先を追った.
142.
天空の食卓国は,カモメから見下ろした通り,雲の上に大都市を作っていた.実際,現在も「その者」を追うべく私は,沢山の街路を曲がっては突き進み走っている.いくら追いかけても,追いつかない.まるで,人生のようだ.
追うのを諦めて,カモメを着地させた空き地へ戻った.カモメを組み立て,簡易魔導調理具を取り出す.食卓国を走りに走って消耗した体力を回復させるために,水を作って飲もうとしたのだ.素材は揃ってあるので,後は作るだけ,だったのだが・・・.
「美味そうじゃのう.儂にも一杯くれぬか」
作っている最中に,いきなり後ろからそんな声がした.驚いて振り返ると,その声の主が・・・いた.私が先程まで追っていた「その者」が・・・いた.
一緒に水を飲みながら,彼は話した.
「人生というものは,夢というものは,追っても追っても追いつかぬもの・・・か.お前さん,結局儂という追うべきものがありながら,追うのを諦めてスタート地点に戻って来たな?あの時の決意はどこへ行ったんじゃ?・・・此処,天空の食卓国は,まだ『本当の姿』を現してはおらんよ.もう一度群衆のもとへ行き,『ケーノー』と叫ぶが良い」
そう言って,「その者」は去って行った.
143.
水を飲み干し,ゆっくりと立ち上がる.「その者」は,群衆に紛れるかのような,多くの旅人が着ているような服を着ていた.どこにでもいるような老人だった.しかしながら,「その者」が,只ならぬ者だということをみやぶることができたのは,おそらく魔心眼を持つ私だけだろう.
私は彼が言った通り,街路に出て「ケーノー」と叫んでみた.すると不思議なことに,群衆から生命泉から一切感じられなくなった・・・が,人々の様子は旅人風ではなくなり,しかし活発さは変わらなかった.老若男女が街路を歩いていたし,その風景はとても賑やかだった.食卓国民は色々な意味で安定しているように見えた.
私はこの国のことをもっと知ろうとした.目についた案内板によると,天空の食卓国は,大きく三つの区画に分かれているらしい.私が最初に着いたのが玄関街・アンテパエ区画で,今ここにいるのが,商業&工業街・パエ区画で,もっと奥まったところに居住街・ウルティマ区画があるという.各区画は,「シラブル」という転移ゲートでつながっている.
私はとりあえず,このパエ区画にあるという一番大きな酒場へ行き情報収集をしようと思った.それと・・・,もしかしたら「あいつ」がいるのかもしれないし.
144.
私は,その酒場のカウンターの一席に座ると,メニューブックを広げた.多種多様な飲みものが,多種多様な言語で書かれ,値がつけられている.まるで,この国に沢山の旅人が来ても良いように.沢山の国からの来訪者を迎える準備が出来上がっているように.
私は,バリナビーチの名を見つけ,頼み,意外とはやく差し出されたそのカクテルをストローで弄んだ.バリナビーチは,緑色でトロピカルな風味を醸し出す.氷がシャリシャリと音を立てグラスの中で小銀河を作っていた.
「やっと来たか.待ちくたびれたぜ」
酒場に来てしばらくすると,一人の男が,その声の主が,私の隣に空いた席に座った.生体改造されても尚,その声の大きさ,低さは昔から変わらない.私は応える.
「僕はね,もう一度で良いから君が作ってくれる本物のバリナビーチを飲んでみたい,と心の奥底から思えるようになった」
彼は,言う.
「そう言ってくれると嬉しいぜ.果たしておれは,どれだけ『おまえ』という世界に関われていられるのか,ずっと不安だったのさ.だが,今のおまえの言葉で解消できた,カイクスフス」
彼・・・オルテガはそう言い,バリナビーチを頼んだ.
145.
「それで,西の国から一体どうやってここに?クスフスはどこにいるんだ?」
酒場を出た私たちは,パエ区画の大通りを歩いていた.他にもオルテガに聞きたいことは沢山あったが,今は,元の仲間を探し求めることに脳が支配されていた.彼は言う.
「クスフスは,ウルティマ区画にある公園,『スカイハイ・ガーデン』にいる」
「・・・アンセーヌは?」
「・・・クスフスが,おまえにだけ伝えたいことがあるそうだ.アンセーヌさん関連でな」
「そうか・・・.じゃあ,行ってくる,スカイハイ・ガーデンへ」
私は,再会したばかりのオルテガと別れ,ウルティマ区画へ行くシラブルを通り,かの区画へ着いた.シラブルを通っている数分間,ウルティマ区画とは一体どのようなところなのか,と考えていた.パエ区画にいた人々の数を見る限りでは,きっとものすごい数の家々が・・・,居住区ができているに違いない.
しかし,シラブルを通り抜けた私が見た風景は,ただっ広い平野に,数え切れない程の石が並べられているだけだった.なにか,荘厳な雰囲気が感じられた.これらは・・・,一体なんだって言うのだろう.
146.
私が見る限り,それら「石」には,何か文字が彫ってあったのが分かった.屈み,ある一つの石に刻まれた文字を読んでみた.
「かのハウスの主の血肉になるべく 私は散らんとす」
となりの石も,そのとなりの石にも,同じ言葉が刻まれてあった.この石たちは,まさか・・・.私は,汗ばんだ手を,ぎゅっと握りしめた.
「少し,落ち着こう」
そう思った.しかし,見渡す限りの石らは,私の心臓の鼓動を速める.何故,こんなにもドキドキするのだろう.今,私は何を見ているのだろう.立ち上がり,胸に手をやってみる.こんな時,アンセーヌがいてくれたら―――.
「大分困っておるようじゃな.この石が何を意味するのか分からぬ程,お前さんは阿呆者ではあるまい.因みに,この『ただっ広い平野』というのは,幾重にも層を成しておるからの.せいぜい,自分の為に犠牲になった命の『数』というのを,思い知るが良い.『天空の食卓国』の意味も,理解しなされ.己が命は,沢山の犠牲の内に成り立っていることをな」
いつの間にか,「その者」がそう言い現れ,やがて去って行った・・・.
147.
天空の食卓国,最奥部の居住区である,ウルティマ区画.そこには,「かのハウスの主」である私の為に犠牲になった命の・・・墓石が,数え切れないくらい並んでいた.ウルティマ区画は,とても静かで荘厳な雰囲気がする.なるほど,私の「食卓」に並んだ命が住まう国,か・・・.
そして,この国が「天空」にある意味も,漠然とだが分かってきたような気がする.「その者」・・・あの老人から教わった,「ケーノー」という言葉は,古代語で「私は食事をする」という意味だ.私は,次第に胸の高鳴りが治まり,落ち着きを取り戻していることに気付いた.広大なウルティマ居住区の地図のなかに,小さくぽつん,と「スカイハイ・ガーデン」の文字を見つけたからだろう.
私は無限とも言える墓石のなかを,暗く灰色に染まった石を照らす星々を見上げながら,かのガーデンへ向かい歩いた.それは,今までの「私」を嫌という程見つめ直さなければならない旅の始まりだった.と同時に,確かに今までに「私」はいた,という確証がもたらされた旅の始まりでもあった.
148.
もう,幾万歩も歩いただろうか.歩数を正確に数えているわけではないが,感覚として,かなり歩いたような気がする.だが,ウルティマ区画のメインストリート側には,同じような暗く灰色に染まった石が並んでいるだけで,何の変化もなかった.私は,ひょっとしたらあの地図は間違いじゃないかと思い始めた.確かめに戻るには,進み過ぎていて骨が折れる.私は,あの地図を信じるしかなかった.
段々と疲労感を覚えるようになり,私は一回だけ立ち止まった.そして何気に左の方へ目をやると,黒みを帯びた紫色の石が不気味に光を放っているのに気付いた.近づき,他の石と同じようになんと彫られているのか,刻み込まれているのか,私は興味を持った.文字をみつけた私は,早速読んでみた.
「夢に生まれ 夢で育ち 夢に散りしクスフス ここに眠る」
膝の感覚が抜け,思わず目眩がした.私はしばらく,自分の意識を取り戻すのに精いっぱいだった.
149.
クスフス,だって・・・?これは,過去の私の墓なのか,それともこのハウスにいるクスフスの墓なのか,一体どっちなんだ・・・?
そう疑問に思っていると,後ろからいきなり声がした.
「僕は確かにここにいますから」
振り返ると,クスフスがいた.彼を目にして,私はかなり安心した.私は尋ねる.
「アンセーヌのことで,僕に言いたいことがあるんだろう?」
「はい.アンセーヌさんの心は,あまりにも広くて重くて深くて・・・とても僕の心の片方に入れるには容量がオーバーしていたんです」
「なるほど.昔の僕を如実に表しているね.自分に向かってくる,とても大きな心を,どう受け入れて良いのか分からない.戸惑いを覚えている.そうだね?」
「はい・・・.あ・・・,アンセーヌさんから手紙を預かっています・・・」
私はクスフスから手紙を受け取ると,早速開封し,読んでみた.
Letter.
私の片方を埋めてくれたあなたへ
覚えているかしら 私と一緒にいた日々を
魂としてではなく 実際にふれ合っていた頃
あなたの強い眼差しが 強く心に残っている
ねえ あなたは今どこにいるの?
私は あなたと交わした 約束の場所で
ずっとあなたのことを待っている
あなたの心のなかの私は
どうやって生きているのかしら
私の心のなかにいるあなたは
私たちが出会ってから 永遠に生き続ける
それが 私のあなたへ捧ぐ愛
心の扉を開いたのなら
今すぐにでも会いたいくらい
私はずっと待っている
ランキザッシュの丘の上で
最終更新:2013年12月17日 17:17