VII.


真っ暗闇のなか.誰かの声が聞こえる.声の質からして,狂気と怒りに満ちた者によるのだと僕は思った.僕は,その声をよく聴いてみた.

「みんな壊れてしまえ.全てはいずれ壊れゆく」
なるほど.確かにそうだ.僕はもっと聴いてみた.

「なぜ滅ぶとわかりきっているのにまたつくる?
死ぬとわかっていて
なぜ生きようとする?
死ねば全て無になってしまうのに」
そう言われてみれば.確かに,そうだ.お金をいくら稼いだって,あの世まで持って行けない.そもそも「あの世」があるのかどうかもわかっていないのに.なぜひとは生きるのだろう?
狂気と怒りに満ちた声は,まるで僕を死へと,虚無の闇へと誘っているかのようだった.身体に漆黒で絶対零度に近い物体を巻かれたようだ.その物体は,ゴムみたいにかたちを変え,どんどん僕の身体をとりまいてはキツく縛った.そして一瞬,闇の視界にポッカリと顔を派手すぎるくらいにメイクした道化師のような者が現れ,僕の方をジッと見つめこう言うのだ.

「オマエハ ミツケタノデスカ? コノシニタエヨウトシテイルセカイデ…」

目を覚ました僕は,腕に全く血が通っていないことに気付く.「絶対零度に近い物体」とは,この腕のことだったのか?それとも,金縛りに遭ったのだろうか?
のっそりと起き上がり,コップ一杯の水を飲み干し,しばらく考えることにした.

それにしても,随分長い夢を見ていたものだ."ゲンソウチョウヤク"とやらで見ていた,不思議な世界がそこにはあった.4人の勇士の結集に,パブでのいさかい,和解,そして,そして….ダメだ.彼女の名前を言ってしまってはいけない.そんな彼女と,3人の男性とのやりとり.そして,誰かの狂気と怒りに満ちた者の声.僕は,一体なんのためにこういった情景をみたのだろう?思い出すに当たり,彼女の言葉を遡って考えてみた.

「世界がこんなになっても,確かに生きているということなのね…」
「お前たちだって,かつては夢を持っていたのだろう?」
「これが,"生きる強さ"なんだってことが…」
「素敵ね….私も世界で一番近く星空を見てみたい」

あれこれ思い出して考えている内に,外から陽光が差してきた.すずめの鳴き声も聞こえる.もう朝が来てしまったというのだろうか.僕は仕方がなく寝床から起き上がり,布団を押し入れにしまった.今日は,例の精神科へ行く日だ.なんでも予約が殺到し,初診の僕でも診察時間がちょっと遅めになっている.産業医の薦めた医院は,よほど人気らしい.今日が診察の日であることを会社の方へ予め伝えておいてあるので,今日1日は僕にとっては一応休業ということになっている.昼近くに医院に行って脳波をとり,午後に診察するというわけだ.

午前中は適当にSNSを見たり,「日本の隠れた名曲たち」について調べたりしていた.あっという間に時間が過ぎ,僕は外出の準備をして,精神科へ向かった.

僕は決して彼女の名前を口にしないようにした.また夢のなかで彼女に会いたいからだ.また会えるだろうか?会えるとして,何を話せば良いだろう."ゲンソウチョウヤク"で見せてくれた異世界でのこと?いや,違う.惑うことはなかった.僕が本当に話したかったのは….
そんなことを考えてばかりいる内に,既に精神科に着いていた.これが"チョウヤク"の意味なのか?

チョウヤク.
「跳躍」.

最近,なにかと妄想深いのは自分でもわかっている.でも…だからといって,それを失くしたいとまでは思わない.僕は彼女に会いたいのだから.
受付から貰った質問用紙に応えている最中に,看護師から処置室へ来るように名前を呼ばれた.色々と,自分自身のことや,1人暮らしだが家族構成を訊かれた.最後に,最近の自身が感じたことや身の周りのことを応えると―もちろん,彼女のことは言わなかった―,脳波をとりますので向こうの部屋へと,案内された.
頭に沢山の電極のようなものをつけられてゆく.髪にネバネバしたものをつけ,更にその上に電極のようなものをつけられるのだから,頭に違和感をすごく感じるだろう.傍から見たら今の僕は,およそ9割の人はギョッとしもするだろう.なにせ,頭に沢山の"回線"がついているのだから(「マトリックス」なんてものじゃない.僕自身は見えないが).

「目を瞑って下さい.今から光を照射します」
ここまで来たらもう成されるがままにするしかないのだ.

一定の間隔で光が照射されるのがまぶたの向こうからわかった.それも,回数を重ねる度にその感覚は短かくなってゆく.まぶたを通しても光が来ているのを感じるのだから,実際は非常に眩しい光なのだろう.

「4回,息を吸ってゆっくり吐いて下さい.後は楽にしてて下さい」
部屋の向こうからそう言われた.指示通り呼吸を繰り返した後,僕はいつの間にかまどろみという海獣に飲まれていった….

「海獣?蛇の道に潜ったんじゃなくって?…なんてね.これで3回目ね.こんにちは」
頭のなかで,自然と「仲間を求めて」が流れ出した.
「君は…」
それ以降,言葉が出なかった.彼女の名前を言いそうになったからだ.
「あなたに夢を持って欲しくて,私はここに,あなたの夢のなかにいるのよ.もう忘れたの?」
ああ,そうだった.そう言えば,そうだった.僕は,夢を失くした男だったんだ….
「そんなことを思わないで.あなたは私をみて,何かを学んだはずよ.生きるために必要なこと」
「生きる強さ,ってやつかい?」
「そうよ.落ち込んだ分だけ,深みのある優しいあなたに,
死のうと思った分だけ,生きる素晴らしさが分かるあなたに.
精神的に暗い時期が長かった分だけ,あなたには明るい未来が待っているわ.だから,大丈夫.立ち上がれるはずよ.今までこういうことを思うことはあった?」
「何度もあったさ.好きなひとに振られて,すごく落ち込んだ.いじめを受けて,死のうと思った.今だって….」
「今だって…?」
「僕の住んでいる国で,大きなカタストロフィがあった」
あと数日で,東日本大震災から数年目になる.多くの命が,犠牲になった.あの日から,日本人はどれだけ絶望を感じて生きてきたことだろう.僕も無論,そうだった.僕は話した.日本は自然からのカタストロフィに侵されやすい風土にあること.そして実際,侵されていて,なにも具体的な歯止めはなされていないこと.そして更に….

「僕は大学で物理を学んでいた.でも,具体的にそれを何に活かそうなんて思いもしないで,馬鹿みたいに遊んでいた.勉強のためだけの勉強をしていたんだ」
「具体的には,どんなことを?そして,どうやって今みたいに客観的にみれるようになったの?」
「飛行機の翼はどうしてあんなかたちをしているのかとか,水の波はどうやって伝わるのかとか,そういうことを学んでいた.客観的にみれるようになったのは…昔より真面目に,自分をとりまくひとの数が増大したからだと思う」
「えっ,すごい!じゃあ飛空艇のことも詳しそうね.いまでは,勉強のための勉強はしていていないの?」
「ああ….専攻科目だから,まだうっすらと.ちょこっと,たまに専門書を読んでいたりするけれど」
「素敵ね.あなたのように,国のことを考えて,ひとのために生きてきたひとはそうそういないものよ.ほとんどのひとは,自分が幸せになるために生きてる.あなたは今までに身に付けた全てのことを,ひとのために捧げたい.そう思っているのね?」
「そうだ.そうなんだ.僕は,ひとの役に立つのが,災害に苦しむひとたちの役に少しでも立つのが夢なんだ!」

「お前は見つけたのですか? この死にたえようとしている世界で…」

―「見つけた!」






最終更新:2015年03月10日 17:13