VI.


その日の夜.セリスは宿屋の一室にて,部屋着に着替えていた.彼女は何か独り言を呟きながら,窓から差す月の光を自身の体で遮り,それで出来た影をスクリーンに映していた.スクリーンに映る影は,セリスの美しいボディラインを如実に表している.

やがて普段着に着替え終えたセリスはスクリーンから出,今度はドレッサーの前に座り,口でゴム紐をくわえ両手で金髪を結うとそのゴム紐で髪をくくった.

「私は,もう泣かない」

そうセリスは口にすると,自分の部屋を出て,鍵を締めた.


彼女はまず,フィガロ兄弟にきちんとした礼の言葉を言おうと思った.パブのマスター・・・兼宿屋の主の話によると,彼らは先程カクテルを互いに飲み交わし,それぞれの自室に戻ったという.彼女は,自分の部屋から一番近いマッシュの部屋から訪ねようとした.

セリスは彼の部屋の前に立ち,ノックをする.扉の向こうから,いるぜ,と声が聞こえたので,彼女は部屋へ入って行った.

マッシュの部屋は,入ると同時に心地よい香りが感じられた.
「おぉ,セリスか.一体どうしたんだ?」
部屋の奥で腰掛け椅子に座っていた彼は何気なしに話しかけてきた.
「良い香りがするわね」
「だろ?兄貴が淹れてくれたんだ.やっぱり,茶は良いよなぁ」
彼はテーブルに乗っているティーカップを手に取り,一口飲んだ.そして訪れた僅かな沈黙.マッシュが不思議そうな顔をしてセリスを見つめる.
「あの・・・マッシュ.さっきは・・・ごめんなさい.私・・・最近感情的に成り易いわよね・・・」
セリスがこう切り出すと,マッシュは落ち着いた表情でもう一度ゆっくりと茶を一口飲み,こう言った.
「セリス.お前とツェンの町で再会できた時のことを良く覚えているよ.あの時のお前は・・・なんて言うか・・・キラキラしてた.モブリズの時だって,ティナと再会したらいっそうキラキラしてたじゃないか.この俺が妬むくらいだぜ?」
「そんなに私,キラキラしてた・・・?」
マッシュは腰掛け椅子から立ち上がり,壁にもたれかかりながら腕を組み言う.
「あぁ,そうさ.難しい言葉を使うと,それだけ純粋だってことさ.セリス・・・お前は感情を表に出せるまま生きていけば良いさ.感情は押し殺しちゃいけないものなんだよ」
一頻り語り終えたマッシュは,壁から離れ,両の腕を頭の後ろに組み,鼻歌を歌い始めた.
「どうしたの,マッシュ?なんだかいつものあなたとは違う気がする・・・」
セリスがこう言うと,マッシュは返す.
「へっ,バレたか.さすがはセリスだな.兄貴の真似事をしてみたんだが・・・」
セリスは,続ける.
「どうしたの?顔を赤くして.私と一緒にいるのがそんなに恥ずかしいというの?ツェン,モブリズからニケアまで行く時はなんとも無かったじゃない」
マッシュは,点穴を食らったかの如く,一回倒れそうになったが,姿勢を正すと,
「な,なんでもねぇよ!下手に兄貴の真似なんかするんじゃなかったぜ・・・.・・・それより,だ.俺が言いたかったのは,『無理をするな』ってことさ」
と答えた.セリスが
「抱え込むのはいけないってことね・・・?」
と返すと,マッシュは思い出すように語った.
「ああ.『抱え込む』で思い出したけど,結構キツかったんだぜ,お前の剣を受け止めるのは」
「ああ!あれは一体どうやって?」
「昔・・・師匠に教えてもらったことのある技でな.まだ俺がコルツに入りたての頃,よく言われてたものさ,『無理をするな』って.『全力を出すのは,ほんの一瞬だけでいい』とも・・・.まあ,セリスはいつも全力を出して頑張っているように見えるけどな!」
「マッシュ・・・」
「ま,人それぞれの生き方があるからな.誰からの言葉に縛られることもない.お前はお前の信じた道を歩んでいけば良いと思うよ」
…と,一連の会話に感じたものがあったのか,セリスは,
「・・・ありがとう,マッシュ」
と一礼をしたのだった.それに対して,彼は,
「なんか照れるな?!兄貴っぽく喋り過ぎたせいか?!」
と言ったが,セリスは遠い目をして,
「エドガー・・・にも感謝したいことがいっぱいあるわ」
と口にしたのだった.
「兄貴なら向こうの部屋だ,きっと待ちくたびれているんじゃないか?」
「ふふ・・・そうかも」

こうしたやりとりがあった後,セリスは次にエドガーの部屋を訪ねた.彼女は同じく彼の部屋の前に立ち,ノックをした.すると,いるよ,レディ,と部屋の中から声が聞こえたので,セリスはエドガーの部屋へ入って行った.

部屋にあるベッドのシーツは綺麗に整えられ,そしてマッシュの部屋と同じく・・・.
「エドガーもお茶を?あなたたちって,本当に仲が良い兄弟なのね」
セリスがそう気付くと,やはり部屋の奥の腰掛け椅子に座っていた彼は,話した.
「はは.これは,あいつが淹れてくれたんだよ.なんでも,『兄貴にはいつも世話になっているからな!』だそうだ」
セリスが,そう・・・,と言いかけた後に,また訪れた僅かな沈黙.エドガーは,椅子に座ったまま,上品に茶を飲み続けていた.やがて,セリスが
「エドガー.さっきはありがとう」
と切り出すと,エドガーは茶飲むのを止め,
「ん?なんのことかな?」
と答えた.セリスが少し感情的になって言う.
「もうっ.とぼけないでよ.私とあの人たちとを仲直りさせてくれたことよ」
エドガーは,今思い出したかの如く,答える.
「ああ,あれか.俺はただいつもの君に戻ってくれるように,『君の一番』について質問しただけさ.和解とじいさんたちについては,その次の話かな」
この言葉にセリスは驚き,言った.
「ええっ?!それじゃあ,あの質問には特に意味とか,そういうのはないってことなの・・・?」
「いいや,そういうわけでもない.使わせてもらったよ.『夢や希望を失いかけた人たちをもう一度立ち上がらせる魔法のロジック』ってやつを」
セリスは不思議そうに呟いた.
「魔法の・・・ロジック?」
エドガーはそんな彼女を見て,嬉しそうに微笑み,椅子から立ち上がると語りだした.
「そうさ.俺は君に,何度も問いかけただろう?あれは,ちゃんとした意味があって,セリス,君に『気付かせる』のが目的だったんだ.問いかけが功を奏したのか,君は自身に語りかけるようにこう言ったね.

『もう失敗するとか,何も失うこともない,不思議と何も恐れない【勇気】みたいなものが出来上がった』

と」
「確かに・・・そう言ったわね」
「あの質問の本質はそこなんだ.要するに・・・『失敗するのを不思議と恐れないのは何故だろうか?』」
「『何度も何度も,これ以上に無いってくらい挫けたから』ね」
エドガーは人差し指を立て,喜びながら言った.
「当たりだよ,さすがはセリスだ.世界を守ろうとして,自分のせいではないにせよ,破滅への道を歩ませてしまった俺たちだ.それだけ大きな失敗をしてしまった.勿論,後悔の念は沢山あるだろう.しかしそれだけ大きな失敗をしたということは,それだけ次の夢を追うための原動力にもなるんだってことを言いたかったのさ.あの質問は,このことを暗に含んだメッセージだったんだ.まぁ,あのじいさんたちは気付かなかったようだけど・・・」
セリスは言った.
「それはないと思うわ,エドガー.結果として,あの人たちを立ち上がらせることができたのは,あなたのおかげよ」
この言葉を聞いたエドガーは,深々と礼をし,
「ありがたいレディの言葉,光栄だよ」
と言い,続ける.
「ところでさっき,セッツァーがこの宿屋に入って来るのを窓から見た.じきにこの階の奥の部屋にやって来るだろう.セリス,後で行って来るといい」
「そうね.私もセッツァーのことが心配だわ」
エドガーはわざと肩を落とし,
「君のようなレディからそう思われるセッツァーが羨ましくてたまらないね」
と言った.しかし,セリスは,
「そうかしら.あなたのことも,マッシュのことも,ちゃんと思っているわよ,私」
と言うと,エドガーは元の姿勢に戻ると,
「そうかい.是非どう思われているか聴かせてもらいたいが・・・ここはセッツァーに場と時を譲ろう・・・」
と言って,奥にある椅子に座り,茶を飲み始めた.その光景を背に,セリスは,セッツァーの部屋へ向かった.

「セッツァー.いる?」
セリスはその階の奥の部屋の前にて,そう言った.彼女は,部屋の奥から声がしばらく帰って来ないので,自分の部屋に戻ろうとした.しかし,その瞬間,部屋の中から,
「苦しがりで弱弱しいセッツァーなんてどこにもいやしねぇさ」
という声が聞こえたので,セリスは急いで彼の部屋の扉を開けた.
「何を言っているのよ・・・.ちゃんとここにいるじゃない,セッツァー・・・」
部屋のなかでセッツァーは,椅子の背もたれを両の手で正面から抱えるように座り,体を前後させながら,時折机の上に置いてある酒瓶を口にやりながら,何かをボヤいていた.
「情けねぇよなぁ,俺はよ・・・.お前に励ましてもらった途端,すぐまた夢を見失っちまうんだからよ」
セリスは,仕方なさそうに微笑むと,
「それは,あの時のあなたがたまたま情緒不安定だったからじゃないの?」
と言った.しかしセッツァーはぼんやりと天井を見上げ,表情には明るみが無い感じでこう言ったのだ.
「いやぁ・・・違うさ・・・.元々俺はそういう気質なんだよ」
そこでセリスは,
「ねぇ!セッツァー.ティナから話を聞いたんだけれど,あなたには昔,飛空艇仲間がいたんだって?」
と急に話題を変えてセッツァーに話しかけた.だが,セッツァーはそれに驚く風もなく,
「あぁ,確かにな・・・.あの頃は,お互い,輝いていたな・・・」
セリスはその言葉に便乗し,
「もっとその話聞かせて!」
とセッツァーに「勢い」のようなものを吹き込んだのだった.セッツァーは,それに乗ったのか,
「ふっ,しょうがねぇ・・・お前にだけ話してやるよ」
と,続けて語り出した.
「その飛空艇仲間・・・ダリルって言うんだけどよ.お前に似て,小気味良い女だった・・・.結構大胆なことを言ったり,したりする女なんだぜ.あいつの飛空艇のスピードは,それはそれは速かった・・・」
セリスは,セッツァーから差し出された椅子に座り,相づちを打った.
「良いお友達を持っていたのね・・・」
セッツァーは,少し曇った顔をして,
「だがあいつ・・・夢を俺に語った日を最後に・・・多分だぜ?・・・帰らぬ人となっちまった・・・」
と言ったのだった.セリスはその言葉に驚き,驚いたが,話を別の方向へと向かわせた.
「ええ?!どんな夢?」
と.セッツァーはそれに答える.
「今でも忘れない.『雲を抜け,世界で一番近く星空を見る女になるのよ』と・・・」
「素敵ね・・・.私も世界で一番近く星空を見てみたい・・・」
セリスのこの呟きに,セッツァーは椅子から立ち上がり,酒瓶に入った僅かな残りを飲み干すと,セリスの方を振り向き様に見て,言った.
「・・・ふっ.そう言われたら,夢を叶えてやりたくなるじゃねぇか」
「・・・飛空艇はどうするの?」
「なぁに,心配しなさんな.そこら辺の手立ては,すぐに済ませられる.お前らがいてくれればな!」
セリスはこう言ったセッツァーに対して,
「元気になったじゃない」
と一言言った.セッツァーは,今度は完全にセリスの方を振り向いて,答える.
「お前のおかげだよ.しかしお前・・・」
と.セッツァーが言いかけたので,セリスは,
「なに?」
と訊いたが,彼は
「いや,なんでもねぇ」
と,返したのだった.

自分の部屋を去るセリスを見ながら,セッツァーは,心の中で思っていたことが一つあった.それは,この崩壊した世界や生きているのかも分からない仲間のこと,先程のじいさんたちとのトラブルのことでもなく・・・.

「ロックのことばかり追いかけて・・・.少しは周りの男のことも見たらどうなんだ?」・・・と.


コーリンゲンの村は,本格的な夜を迎え,やがて全てが闇に包まれるかの如く,暗転した.






最終更新:2015年03月09日 23:48