1.


もはや恐れる事はない.今はただ前に進むのみ.

人生の大半を怠惰で過ごしたその男は,残りの人生を自らの理想郷,ユートピアを
探すことに費やした.やっと見つけた,自分のやりたいこと.何のきっかけで
その男は旅に出たのか,また何が彼をそうさせたのかは,今はもう誰も知る由も無い.
ただあるのは,その男の強い意志だけだ.


これからの旅路を,この何処とも知れぬ場所に記録する.


旅の最初は,私の唯一の友人である彼に作ってもらった,異国語で"カモメ"を意味する
魔導ヴィークルを空に飛ばす実験から始まった.私の愛聴曲である"白き鳥よ"を聴きながら,
私はカモメに乗り,幾度か試運転をした後,彼に永遠の別れを告げた.

カモメに乗った私は,自由そのものだった.もう二度とあの暗くて狭い場所へと
戻ってやるものか.高速で飛行する私とカモメに逆行する緑の平原と空に浮かぶ雲.
青空なんて,もう痛くない.それはもう既に,私の晴れ晴れとした心を映すものなのだから.


2.


カモメに乗り空を駆け始めてしばらく経った頃,私は不運な事に,
タイムアタッカーと呼ばれる蛮族に襲撃されたのだった.彼らタイムアタッカーとは,
我々が刻む全ての時間を破壊する者共だ.「蛮族」,「彼ら」,「者共」といっても,
タイムアタッカーは人ではない.光の粒が人の形を得,我々人間の脳を光速で突き抜ける
というものだ.

突き抜けられた人々は,思考が狂い,何度も同じ行動をしたり,烏合の衆の様にいつまでも
同じ場所を歩き回ったりしてしまう.この様なループから抜け出すには,思考の鍵を
常日頃から持っていなければならない.

私はループから抜け出すべく,思考の鍵を「思い出し」た.古の学術研究所,エコール・
ノルマル・シュペリュールで,タイムアタッカー対策用として生み出された「思考の鍵」を
思い出せた私は,カモメごと落下していた.幸い,大した怪我もなかった私は,すぐ様
理想郷への旅を続ける事にした.

…それにしても思考を狂わせるとは恐ろしいものだ.


3.


その夜.魔導ヴィークル"カモメ"に搭載されてある簡易魔導調理具が,グツグツ音を立てて
飯を炒めていた.私はその心地良い音を聴きながら,星空を見上げている.・・・まだ夜の闇の
方が心地良いというのだろうか.ふと,この旅を始める前の事を思い返してみる.

おっといけない,その前に魔導具に力を送らねば.


「ファイア」


思い返せば,それは私が母親と父親に捨てられたあの幼少の頃の強烈な思い出が全ての
発端かもしれない.暗くて狭い孤児院で育った私は,遠い親戚から援助金を受け取り,独りで
大人になり,今に至る.その間,特にこれといった青春の思い出を持ち合わせなかった私は,
人生の殆どを怠惰で過ごす事になる.

捨てられる前の幼き日々への憧憬と,日に日に強くなってゆく,世界への後ろめたさ.
私は,青空が嫌いだった.腐った青春時代はもとより,幼少の頃に負った心の傷―私の全て―が,
綺麗に暴かれているかのようだったからだ.


4.


飯を食しながら,過去の事はせめて夜の間に思い返そうと思った.
明日の青空は,私を受け入れてくれるだろうか.

いつか見た夢に出て来た,長い旅路の末に辿り着いた美しい景色と,澄んだ空気に包まれた私.
いつかそこに行きたいと思った.いや,それ以前にそこが実在する場所だと既に思い込んで
いたのだった.

転機は,このカモメを作ってくれた友人との出会いだ.共にエコールを卒業していた私たちは
元々仲が良く気も合っていた.彼とは,この星空の成り立ちについて語り合うのが一つの
楽しみだった.

エコール時代に大人になっていた私は,いつかあの青空を見返してやろうと,空の向こうへ
行く事に決めたのだった.それが,理想郷へ行く旅でもあると信じて.


星空は未だ光り輝いている.飯を食し終わった私は,床に就こうと,魔導具に魔導の言葉と共に
祈りを捧げた.明日の青空もまた私を受け入れてくれる・・・いや,受け入れてもらえる様に
私自身が「成る」ようにと.


5.


翌日の天気は晴れとも曇りともつかないものだった.それでも私は,旅を続けるのをやめない.
私自身のユートピアに着くまでは.

その日,カモメに乗った私が辿り着いたところは,魔心眼と呼ばれる眼鏡をつけている民が
住まう魔導国家だった.カモメの点検も兼ねて,地上に降りた.綺羅の国,の異名をとる
この美しい国は,主に魔導産業が盛んである.過去には後の世に多く使われる魔法を
生み出した記録が残っている.私が所持している魔導具も,此処綺羅の国の賜物だ.
現在も少しも衰えを感じさせないところは,やはり魔心眼のおかげであろうか.私は
カモメを点検してもらっている間,しばらくこの国をうろつくことにした.

私は旅の土産にと,魔心眼を一つ購入し,かけてみた.だが,魔導の才能がない私には
意味が無いようで,かけても特に変わったものは見られない.
使い方を間違えているのだろうか.私はこの魔導具を売っている店の主に,使い方を教えて
もらおうと話しかけた.


6.


店の主によると,この魔心眼は,何かを見るためのものではなく,「造る」ものらしい.
…眼鏡でものを造るとは一体どういうことなのだろうか.私は実際に,魔心眼をかけて
作業をしている人に直接使い方を訊くことにした.

訊くところによると,使用者の心眼がある程度長けていないとうまく扱えないらしい.
私はそこで軽くショックを受けた.エコール時代に,心眼を嫌という程鍛えた筈なのに.
私の心眼は衰えたというのだろうか?いや,衰えてはいやしない.

「視る」のだ.

「視る」のだ.

「視る」のだ・・・.

その時,私はものの「境界線」を視た.あらゆる物質の,「境界線」を視ることができた.
これで・・・魔心眼を使えるようになったのだろうか.

そろそろカモメの点検が終わった頃だろう.私はかの眼鏡をかけ,カモメを預けてある
工場へ向かった.この綺羅の国にはまだ何かあると思った私は,もう少しかの国に
滞在することを決めたのだ.


7.


此処綺羅の国は魔導産業を主とした国家だが,他にも際立ったものがある.それは,かの国に
「祝福のゲート」―またの名を「ヘヴンズゲート」―があることだ.「祝福のゲート」とは,
清らかな心を持った者のみが通ることを許される,「天頂国」への転移ゲートだ.「天頂国」
とは,まだあまり知られていない遥か天空に在するという天国の様な場所らしい.

そもそも此処綺羅の国は,天候が穏やかで暖かく,良い土にも恵まれ,国民は各々で自給自足
している.そんな国が何故魔導産業で財政を維持しているのか私は疑問に思っていた.

ヘヴンズゲートの傍で,かの転移ゲートを守る,どう見てもクマのぬいぐるみにしか見えない
番人に私は話しかける.彼はマクンプ.綺羅の国の女王に従える5人のぬいぐるみの一人(?)だ.
魔心眼をかけたままの私が眼鏡越しに見たマクンプは,境界線が一切無い,生命と物質の理を
越えた異界の者であった.噂には聞いていたが・・・まさかここまでとは.驚いたものだ.


8.


そもそもの話,魔心眼で見られる「境界線」とは一体何なのか.それは,対象の生命の源たる
「生命泉」―対象が生物ならば―に等しい.「生命泉」とは,生体エネルギーが生物のコア
から湧き出るところだ.俗語で「生命泉」とは「ツボ」と呼ばれているらしい.一方,物質の
場合は,その物質が持つ固有の波動が噴出する・・・「物質泉」と呼べば良いのだろうか.
物質泉から噴出する固有の波動,すわわち「物質波」は,ある均衡を保っていて,その均衡が
崩れると,その物質は壊れてしまう.

エコールで習った事が現在に活かされているのは少々皮肉なことだ.・・・兎に角この私の
目の前にいるマクンプは,生命泉も物質泉も見えない非常に特殊な存在のようだ.私が
天頂国とはどんなところか,と尋ねると,マクンプは神様と天使が住んでいる場所,としか
答えなかった.清らかな心を持った者のみが通れる転移ゲート・・・か.
私の心は,果たして清らかなのだろうか.


9.


清らかな心を持つ者のみが通ることを許される,ヘヴンズゲート.自分の心は清らかなのか
確かめたくなってきた私は,マクンプに転移ゲートの通過許可を申し出た.すると意外にも
あっさりと,いってらっしゃい,と承諾してくれたのだ.

これは一体どういうことなのだろうか.

兎も角転移ゲートに入った私は,魔心眼を外すことを促され,それに従った.
転移ゲートの先は,ヤントラタワーと呼ばれる長い円柱状の光の束の中を自動で昇っていく
ことになる.円柱の最低部には,六方星が描かれており,その紋章からは・・・重力に
逆らう粒子タキオンが湧現していた.

なるほど,タキオンか.
エコール時代に伝説の粒子と習った,正にそれで,私はヤントラタワーを昇っていくことに
なるのか.腐った青春時代と共にあったエコールでの学生時代も馬鹿にならないというわけ
か.綺羅の国から天頂国へ.タキオンによって浮き始めた私の体は,今正に「天国」と
呼ばれる地へ向かいつつある.


10.


ヤントラタワーにてタキオンに運ばれながら,天頂国へ.かの国は一体どのような場所
なのだろうか.「天国の様な場所」とは想像しているが,今の私にとっては全く知る由も無い
場所である.

巨大な六方星の紋章が地上遥か下に見えなくなった.そこまで私は天高く昇っていた.
天頂国へ昇る旅―昇天,と言えば良いのだろうか―は,綺羅の国が3度夜の闇に染まった後に
やがて辿り着くこととなった.昇天の間中,私はこれまで自分の身に起こった事を振り返って
いた.

タイムアタッカーの襲撃から,綺羅の国への到着まで.文章で表すには容易いが,旅を続けて
いる私にとっては,全てが新鮮で,色々な意味で心躍る様な冒険であったことには違い無い.
しかし,自身のユートピアを探す旅は始まったばかりである.

これから訪れることになる天頂国では何が待っているのだろうか.綺羅の国を出発してから
4日目の朝,私は天頂国へ辿り着いた.


11.


私の心の中で思い描いている「天国」があった.それは先入観からだったり,大人に
なるまで得て来た知識から生み出されたものだったりするのであろう.それらは,
この天頂国側のヘヴンズゲートを通れば,通じるか一切通じないか―思い通りか
そうでないか―が一瞬で分かるだろう.私は,ゆっくりと転移ゲートをくぐり,
そして見た.「天国」とされる・・・いや,「天頂国」の有様を.

見渡す限りの砂漠の海.気候は,どちらかというと涼しい方だ.だが,それにした
としても・・・砂漠とは・・・.自分が想像していたものとあまりにかけ離れている
為か,私は膝を着き,開いた口が塞がらなかった.

そう言えば昔の事だ,エコール時代に砂漠の国へ修学旅行で訪れたことがあった.
飛空挺が燃料不足で一時的に不時着した場所が砂漠の国だったのだ.そこには村が
あった.電車が走っていた.私達は,しばらくの不時着の間,電車に乗って辺りを
見聞して来いと教授から言われたのだっけ.


12.


此処天頂国にも,電車・・・いや,路面電車が走っていた.広大な砂漠と,ちっぽけな村と,
ベル音が昔懐かしい路面電車.私は取り敢えず村人はいないのか,
確かめるべく歩を進めた.
一歩一歩,歩む度に,履き慣れたブーツが砂の海に沈んでしまいそうになる感覚.これも
過去の記憶と一致している.

何だ,何が起こっているのだ.

一頻りの胸騒ぎを余所に,私は砂丘をいくつか越えやがて村に着いた.

ゴーストタウン.一回見た限りでは,この村を形容するのに丁度良い言葉である.余りにも
ひっそりとしている.私は村人捜しの為に,魔心眼をかけた.するとどうだろうか.
村の建物の中に生命泉が沢山見えるではないか.魔心眼を外し,すぐ建物の中に入る.
そこで私が見たものは,紫色の鬼火がいくつも漂っている光景であった.更に,頭の中に
流れ込んで来る美しき旋律.はるか西方の国にある教会で流れていそうな,優しい調べ.

建物に入ってからの出来事は,過去の記憶に無い.私は自分を落ち着かせる意味も含めて,
少しばかり休憩することにした.

13.


私は鬼火に生命泉を見たのだろう.ならばかの鬼火は少なくとも生命体,ということになる.
それに話しかけようと試みたが,此処は天頂国,一体どんな言語が通じるのか知ったものではない.
それでも私は,自分の知っているあらゆる言語全てで鬼火に話しかけた.するとかの鬼火は,
「ありがとう・・・」と言って―かろうじて私の知っている言語だった―消えてしまった.

私は一体何をしたと言うのだ.

皆目見当がつかぬ状態で,一度,建物を出ると,外は鬼火で一杯だった.そして,私が四苦八苦
して各々の鬼火に話しかけると,各々は感謝の言葉を言って消えてしまった.

砂を踏みしめ,一つ思うことがあった.私は一種の「浄化」行為をしているのではないかと.
それで正しいのだということを,私の後を着いてきたマクンプに教えてもらった.此処天頂国の
ゴーストタウンは,寂しがり屋の魂が集う村だと言う.しかし,私が求めるユートピアとは,
何か違っていた.


14.


あなたも寂しがり屋でしょう,ならば此処の魂たちと永久に暮らしませんか,
それで孤独からも解放される・・・

マクンプは私にそのような誘いの言葉を述べた.彼の洞察は正しかったが,此処は私が求める
ユートピアではない.例え孤独から解放されようとも,だ.

此処天頂国には,他にもあなたの傷ついた心を癒す場所がありますよ.

マクンプは更に誘いの言葉をかけた.私はその言葉に応じた.

ならば定期的に連絡をくれないか.旅の途中でいつでも理想郷と成ら使める場所を知って
おけるように,と.私は通信するための魔導具を彼に渡し,広大な砂漠に背を向けて
ヘヴンズゲートを通り,天頂国を後にした.

ヤントラタワーを降りる過程で,私はかつてのあの修学旅行の思い出を振り返っていた.
電車に乗って砂漠の国を放浪した時の記憶は色褪せても,忘れることは無い.腐った
青春時代でも,少しではあるが煌きはあるものだ.

綺羅の国に戻った私は,カモメを受け取り,新たな旅を始めた.






最終更新:2011年07月03日 17:58