15.


いつかどこかで見た風景が視界を左右していた.
いつかどこかで聞いた声,音が聴覚を支配していた.

生まれてから現在に至るまで,
もしかしたら私は幻を見続け感じ続けていたのかもしれない.或いは夢を,か.
例えばもしこの私の記録を読んでいる読者がいたとして,問う.

起きている時に見る世界―仮に「起眼の世界」とでも呼ぼう―と,寝ている時に見る
世界―こっちは「眠眼の世界」と呼ぼう―の区別をあなたはハッキリとつける事が
出来るだろうか.確固たる境界線を引くことが出来るだろうか.

というのも,だ.私がエコールを卒業する直前の時期―まだ大人になってない時期―
に,私は・・・起眼の世界と眠眼の世界の区別が出来なくなっていた.元々区別など
出来ないものだとその時の私は信じていたのだ.あまりの眠眼の世界の精緻さに.
あれ程美しい光景が起眼の世界で在り得ようか.いや,有り得ない.私はあの時・・・
現実と夢―陳腐な表現だが―の区別がつかないでいたのだ.


16.



カモメの静かな駆動音が,私を過去へと誘わせる.

あの時期は一体何だったのだろう.

そう疑問に想いを馳せながら私は次の目的地を探していた.マクンプに渡した埋め込み式の
魔導通信機,アームメモリーからは未だに連絡が来ない.カモメに搭載されている魔導
探査針は,北方を指している.次に向かうべくは北か.

どれくらいの時間が経ったであろうか,日中飛び続け,夜は地上に降りて眠る,を幾度
となく繰り返した果てに,北方の最果ての国へ辿り着いた.綺羅の国が北方地域の門だと
するならば,今現在足を踏みしめているかの国は本当の意味で「北方の最果て」である.
儀羅の国と呼ばれるかの国では,年中雪が降り積もり,魔導機械人,通称ミュレーゴ達が
住んでいる.

冷たい雪が降りしきる中,静かに時を刻み続けるミュレーゴ達にどこか温かい何かを私は
感じぜずにはいられなかった.私は早速カモメを地に臥せ,儀羅の国へ歩を進め,やがて
入国した.


17.



ミュレーゴ達は,私が傍を歩いていることを気にも留めずに,自らの義務に勤しんでいた.
ここ儀羅の国は七方を岩山で塞がれた盆地に栄えた国で,主な産業は,綺羅の国と同じく,
魔導産業だ.ただ然る国と違うのは,魔心眼然り魔導具の生成を産業とするのを前面に
押し出しているところだ.

私はかの国の事をもっと良く知る為に,ミュレーゴ達とコンタクトを試みた.・・・が,
機械人である彼らにどのような言語が通じるのか分からない.そこで,儀羅の国の
案内人なるミュレーゴ零号を訪ねることにした.

儀羅の国の門たる場所で来訪者をずっと待っているミュレーゴ零号に私はまず祖国の言葉で
話しかけてみる.しかし想いは叶わなかったのか,彼は整然としたまま私を見つめている.
やがて,彼の胸部にあるパネルに,私の詳細な個人情報が下から上へスクロールしている
ところを見た.私の事をスキャンしているのだろうか.スクロールが止まり,やがて
パネルにこう表示した.

ロゼッタシステムチュウニュウ

と.


18.



瞬間,脳に激しい痛みを感じ,それは悶絶する程の痛さだった.しばらくすると痛みは
薄まって来たが,それもじわじわとである.未だかの痛みに苦しさを感じたままの私に,
ミュレーゴ零号はこう言った.

理想郷を探求する来訪者よ,我らを統べる王に謁見せよ

私はミュレーゴ達の王へと通じる地図を渡された.零号のいる案内所から離れる時,
私は試しに魔心眼をかけ,零号を視た.するとどうだろうか,彼には生命泉と物質泉両方の
境界線が見えるではないか.生命と物質の融合・・・有機と無機を一つに兼ね備えた
"もの"が存在するとは.試しに他のミュレーゴも見てみたが,零号と同じ様に,生命泉と
物質泉の両方を見た.

…ここ儀羅の国は何かあるに違いない.

ともあれ私は零号の言う通りに,彼らを統べる王に謁見すべく,儀羅城に来ていた.
地図によると,ロイヤルナイツと格されるミュレーゴ達にまず会わねばならないらしい.
摩訶不思議な事が沢山起こっている現在,私は起眼,眠眼の世界のどちらにいるのだろうか.

19.



ミュレーゴ零号から渡された地図によれば,この儀羅の国の奥にある儀羅城にいる王は
ロイヤルナイツと呼ばれるミュレーゴ達に守られているそうだ.ロイヤルナイツとは,
近衛騎士団のようなものだろうか.

儀羅の国は,街道が碁盤の目のようになっていて,従って城へ着くには全く困難ではなかった.
ただ一つ困難だったものを挙げるとするならば,この国では年がら年中降っているといわれる
雪くらいだろう.静かに降りしきる雪の中,雪道を踏みしめる音が心地よかった.・・・歩く
のは困難だったが.

儀羅城へ辿り着いた私は,早速城の門番達に話しかけた.先程の頭痛のおかげで身に付いた
彼らの言語は,私が過去に使っていたものと何ら変わりはしなかった.しかし,傍から見たら
可笑しな光景に見えるだろう.何せ人間である私と,魔導機械人とがそれぞれ違う言語で
話し合っているのだから.

私は門番達から許しを貰うと,城の中へ彼らと共に入ることとなった.


20.



城の奥へ通されていく間,かの城も細やかなところを視た.入り口では鬱蒼と生い茂った
雑木林が地面への積雪を拒んでいる.それがあってか,入り口は陽の光がさして来ない情景が
長く続いていた.行く先は城に着くまでの雪道に代わり林道になり,
今度は枝を踏みしめる音が,それだけが聞こえる.
更に雑木林の上方にある大量の雪のおかげで,他の城の者だろうか,
その者たちの声やら音やらが遠くから聞こえた.

城の門からこの林に入って1時間は経っただろうか.それなのに,一向に林の道が終わる気配は
無い.一体いつまでこの雑木林が続くのか,と後ろを歩いている門番2人に訊いてみたところ,
なんと既に玉座の間に辿り着いているという.彼らの話によると,儀羅城とは,この雪に
埋もれた林全体を指すらしい.

私は儀羅の国王はどこか辺りを見回した.すると,薄暗い林の中から金色の装飾品を身に付けた
ミュレーゴが突如として現われたのだ.曰く,

汝の名と,魔相を,私とかの国へ顕せ.

と.


21.



目の前にいるミュレーゴは,恐らく儀羅の国の王なのだろう.私が言われたとおり自分の名と
魔相を王の前へ顕すと,王はこう言った.

さて,南方からの訪問者は久しぶりだが,そなたに頼みたいことがあるのだ.私の城に来た
ばかりで申し訳ないがどうか聞いて欲しい.先程私が言った言葉の後半を実行して欲しいのだ.
かの国へそなたの特性を顕す為には,ここよりもっと北方の谷に棲む竜の討伐に行って欲しい
のだ.しかしそなただけでは辛いだろうから,数人の兵を倶に連れて行かせよう.

…王は私の戦う力を見越してかのような言葉を言ったのだろうか.だとしたら,この王の目は
節穴だということになる.第一私は生まれてから今まで武器というものを持ったことがない.
いや,一応魔導の力を持ち合わせているが,魔導士のように一流ではない.・・・が,王は
言い終わり私に数人の兵士をつけさせると,林道の暗がりに姿を消した.


22.


私と倶に竜討伐へ向かう数人の兵士達に話しかけた.
竜はどれくらい強いのか,私の魔導の力がどれほど及ぶものなのか,その北方の谷というのは
どれくらい遠いのか,そもそも王の意向は一体なんであるのか,等々.しかし,兵士達は私の
問いをはぐらかそうとした.何やら不穏な空気が漂う中,竜討伐への旅が始まった.

儀羅の国の入り口まで戻って来た私は,預かって貰っていたカモメを受け取り,背負い,旅の
準備を始めた.その間,兵士達は各々が帯びる武具の整備をしていた.聞けば彼らは
ロイヤルナイツの一員だそうだ.そして,実際に私と竜が戦うまでの間は,私の身を
守ってくれるという.それはそれで感謝したいところだが・・・,そうなると最後は私と竜の
一騎打ちになる.私は,始めの内は恐れていた.竜との戦いで命を落とすのではないかと.
しかし何故だろうか,この記録をつけていたら,不思議と安心感さえ覚えるようになったのだ.

23.



装備を整え終わると私達はすぐさま,此処より北方の竜が棲むとされる谷へ急いだ.
ロイヤルナイツ達は馬に乗り,私はカモメに乗り,谷へ向かう事となった.

エコール時代,進級試験があった.その試験の内容とは,エコールから離れた場所にある
石碑を持ち帰り,それを解読する事であった.持ち帰るまでが体力に関する試験,
解読するところが知恵に関する試験だった.落第は数回したものの,進級していった私は,
何故かエコールの教師達に気に入られ,書庫の管理人を任された.何故気に入られたか・・・
それは多分,私が面倒見がいがある学生だったからだろう.エコールの書庫を管理していた
時代・・・それは,エコールで唯一華やかな時代であった.

駆けるファンタズマゴリア.何故あの時代を思い出すまでに至ったのか?
それはもしかしたら,私の死期が近い―竜との戦いで命を落とすかも―と悟っていたから
なのかもしれない.


24.



谷周辺は深い霧に覆われ,薄気味悪さを存分に醸し出していた.ロイヤルナイツの内の一人が,
此処は儀羅の国と竜族が棲む村との境界に位置し,非常に危険な場所であることを教えてくれた.
更には,異界へと続く道の途中である事も.私が竜族が棲む村は異界なのかと尋ねると,
彼は一言,諾,と答えた.

かくして本格的な竜討伐への道が開かれた.

竜のいる場所までの道は,沢山の魔物が襲ってきたが,ロイヤルナイツのおかげで何とか
やり過ごせた.そして,いよいよ竜が在する渓谷まで辿り着いた.そこで一人のロイヤルナイツ
が,私に対してこう言った.

今あなたがやり遂げようとしている事に充分に集中して下さい.これは導きの1つ,我らが主君が
あなたに与えた,1つのユートピアの印.すなわち,「自分の命をも懸けてまでやりがいの
あることをする」ということです.

そう言って,彼らは私の目の前から姿を消した.


25.



竜との戦いが,やりがいあることだとは到底思えなかった私は,しばらく唖然としていた.
大体やりがいというものはその人自身が見つけるものであって,他人から押し付けられる
ことではないだろう.

そう思っている間にも,目の前の霧は段々と晴れてゆき,竜が姿を現した.

私は出来るだけ魔導の力を高めようと,魔相を揃え始めた.そして,竜が私の目の前に
着地すると,爪をこちらに向けて威嚇してきた.どうやら竜も魔相を揃え始めたらしい.
僅差で竜の魔相の方が速く揃うと,大きな口を開けて大火球を私の方へ飛ばしてきた.
しかし,大火球の着弾地点が私の足元であった為,直撃は免れるも,私は大きく宙に
浮いてしまい無防備になった.そこへ竜はすかさず2撃目を仕掛けてきた.爪によって
私を引き裂こうとしているようだ.私には成す術はないのか.私の初等魔導ではどうする
ことも出来ない・・・・・・と思われたが,1つの道具があった.


26.



それは魔心眼だった.私はそれをかけ,竜を視た.すると,生命泉が数え切れない程見える
ではないか.更には,そこから噴出する生体エネルギーの大きさといったら・・・計り知れない
程だった.それだけこの竜が生命力に溢れているということであろう.

だが,それを見たから,なんだというのだ?体を捻り,辛うじて地面に安全に着地した私は,
体に変化が起きているのに気付いた.竜は,宙に浮いた私を引き裂こうとしたはずだ.
だが,竜による直撃を受けた記憶が一切ないのだ.代わりに,先程から痛み始めていた目と
その周り.・・・.魔心眼はどこへいったのか辺りを捜してみた・・・が,その時,私は周辺の
岩場の岩の境界線・・・物質泉を見たのだ.魔心眼無しに.

竜の方を見ると,同様に生命泉を多数見る事が出来た.竜はまたもや私に猛攻をしかけようと
急接近してくる.私は烈風から身を守る為,手で大きく薙ぎ払う仕草をした.


27.



そうすると,どうしたことか,竜は悲鳴をあげながら飛行のバランスを失い,地に落ち,悶絶
していたのだ.一体何があったというのだろうか?・・・と思い,ふと自分の手を見てみると,
不思議な事に薄い緑色の蛍光を発しているではないか.そしてその手には,先程私が見た竜の
生命泉が多数付着している.

この私が・・・竜の生命泉を手で薙ぎ払ったというのか?とすれば竜は生体エネルギーの噴出口
を失い,生命としてのバランスが崩れるに違いない.だからあんなに悲鳴をあげ悶絶している
のか・・・.目の付近に手を当てると,多数の赤い液体が付着した.これは血,か.しかし
不思議と痛みは感じなかった.眼球の部分は何か硬いものでもので覆われているように思えた.
まさか・・・魔心眼が眼球にめり込んだ・・・とでもいうのだろうか・・・.

私は竜にとどめをさそうと,薄緑色の手で全ての生命泉を取り払おうとした.


28.



しかし,そこで躊躇いが出来始めた.目の前の竜をここで倒してよいものか.勿論,私を殺そうと
しているのならばやるしかないが,例えばそれは自分の巣を守る為だったとしたら?

私は手に付着した生命泉を竜の体の中へ戻してやった.

魔心眼とは恐ろしい道具だ.それによって見える視界の中に入っているものの秩序を乱すことが
できるのだから.使い方を間違えるととんでもないことができそうだが,私はそんな積りはない.

竜はおとなしく自分の巣へ帰って行った.もはや何もする事が無くなった私は竜の渓谷から
立ち去ろうとした,その時だった.私としたことが,足を踏み外し,谷底へ落ちてしまった.
肢体が痛む.落ち転がった果て,私は竜の渓谷の最低部へ着いてしまったのだ.目前には洞窟が
あり,辺りは緑色の霧で覆われていた.そこで突如異臭を感じた私は,恐らく人間にとっては悪い
空気なのだろう,それを吸ってしまい,その場に倒れ込んでしまった.


29.



…これはなんだろうか.誰かが私を背負っている.肩越しから感じる,良い匂い.私を
背負いながら,息を切らしているその呼吸音.その時に漏れた,声.その声を聞いて,
私の記憶は遥か昔に飛ばされた.

エコールでの,唯一華やかだった学生時代.

その時代に感じたものは全て鮮やかで,美しく,そして普遍だった.年を経る度にその想い出
達は美化されてゆき,私の心のオアシスとなっていったのを感じ取れたのだった.私を
背負っている女性は・・・「彼女」なのだろうか?また,そもそも,何故私は背負われて
いるのか?谷底で異臭に気付き倒れてからの記憶はない.それから私は何かをされたのだろうか.
そうとしか考えようがない.私はこの女性に話しかけようとしたが,口を開いて話そうにも,
私の声が聞こえない.どうしたというのだ.私は終始目を瞑ったままだったが,女性を「彼女」
だと確認すべく目を開いた積りでも,視界は真っ暗であった.






最終更新:2011年07月03日 18:00