60.


今日もピアノ・フォルテ市は静寂を刻みつつある.

ピアノ・フォルテの心臓部で視た,物質泉と生命泉両方を兼ね揃えた何者かについて,
私達3人はその日も街の人々に訊いてみるなどして情報収集をしていた.今までに会った,
物質泉と生命泉を兼ね揃えた存在と言えば,北の国は儀羅の国で出会ったミュレーゴ達くらい
だが・・・.

私は情報収集の定番である酒場に来ていた.記憶士の少年には少し外で待ってもらうように
言ったので,私は難なく中へ通された.酒場の中は,大勢の人達でごった返していて,更に
沢山の種族が分け隔てなく楽しんでいた.ミュレーゴ達もいた.私は,彼らの傍へより,
バリナビーチを飲みながらじっと彼らの話を聞いていた.

彼らの話では,生体改造に成功したミュレーゴのこと,飛空挺は素晴らしいものだとか,
そんな話を聞けた.更に話を聞き込むと,天空の食卓国の眼下にある油田地帯にて,近々
魔導ヴィークルのレース大会があるそうなのだ.


61.


そういった話に興味を持った私は,彼らミュレーゴ達に混ざりたいと思った.酒場のマスター
に頼み,ミュレーゴ達にバリナビーチを贈るようにしたのだ.やがて私はマスター特製の
カクテル・バリナビーチと共に彼らの前に現れ,挨拶をし,彼らの輪に入れてもらった.

一人のミュレーゴが,この飲み物はあなたにとって特別なものなのか,と訊いてきたので,
私は答えた.これは私の古い友人のオリジナルのカクテルで,私が初めて飲んだカクテル
なんだ,と答えると,その古い友人の名前を教えてくれよとせがむので,私はその友人の
名を告げた.その古い友人とは,この旅の最初にカモメを作ってもらった友人とに等しい.
彼とは,エコール時代にパブでよく飲んだものだ.

彼の名を聞いたミュレーゴ達は,何故だか分からないが,慌てふためき,動揺し始め,終い
には私の肩に手を置き,あなたは悲しい運命の女神に抱かれてしまった,と私を憐れんだのだ.


62.


何故私を憐れむ?その理由が私には全く解せなかった.憐れむのに加えて,ミュレーゴ達は
多くを語らず,すぐに酒場から出て行ってしまった.なんだ,何が起きているというのだ?
心の中のアンセーヌは,カクテルによる酔いで,ぐっすり眠っていた.

酒場にはもう用が無いと思った私は,ミュレーゴ達の不可解な行動のわけを解こうと,
酒場を出,記憶士の少年を連れ,宿に戻り考え込んでいた.

まず,私が口にした友人の名前が何故ミュレーゴ達に知られている風なのか,だ.彼はミュレーゴ
達に何ら関りの無い人だと思っていたが・・・そうではないのか,或いは彼らが一方的に
知っているだけなのか・・・.

私が考えを巡らせていると,魔導ヴィークルのレース大会のチラシを見ていた記憶士の少年が,

「このレース大会で,"イーグル"というミュレーゴが乗る飛空挺に勝つと,多大な賞金が
もらえるそうですよ」

と言った.続けて少年が言う.

「出られてみてはどうですか?」

と.


63.


「そのイーグルとやらが乗る飛空挺がどれ程のものか分からないが」

私は返した.

「少なくとも『飛空挺』に分類される飛行体に,私のカモメが勝てるとは思えないよ」

私の反論に,少年は黙すかと思ったのだが―

「今あなたが持っている道具を全て使えば,きっと勝てます」

私が今持っている道具・・・だって?魔導ヴィークル"カモメ"と,それに入っている魔導具,
私の眼に同化した魔心眼,電影大工場で手に入れたホログラムという古代装置,そして共鳴士
達から貰ったハンマー・・・で何が出来るというのだ.そもそも,何故イーグルに勝負を
挑まねばならない?まさか私達が追っているミュレーゴがイーグルということはあるまいな…?

そのような考えに辿り着いた時,私はハッとした.もしかしたらそうではないか,という可能性
が出て来た.その可能性は僅かなものであるが・・・私はいつの間にかこの可能性に賭けてみた
いという思いに駆られていた.

何故だ?

やがて,とある道具が,荷物の中から光を放ち始めた.


64.


「これは・・・ホログラムね」

心の中のいつの間にか起きていたアンセーヌが言う.私はホログラムを両の手で挟みこむように
して掴んだ.これで・・・何を思い浮かべれば良い?そうだな・・・まず,ピアノ・フォルテの
心臓部で視たミュレーゴを可視化してみよう.

想像し始めると,ホログラムはブォォーンという駆動音を立て,やがて私の手から離れ,三次元
の像を作った.そうすると,レース大会のチラシを見ていた記憶士の少年が,

「これ,イーグルにそっくりですよ!」

と言った.なるほど,確かにチラシに載っているイーグルの写真と同じ姿をしている.これで,
ピアノ・フォルテの調和を乱す者がイーグルだということが分かった.だが,レース大会に出る
必要はあるだろうか.賞金が出るとはいえ,旅に必要な金は揃っているし,勝てるとも限らない.

そこで,私は"レース大会でイーグルに勝てる魔導ヴィークル"を想像してみた.いくらなんでも
ふざけ過ぎか,と思った私だが,なんとこの古代装置ホログラムは私が想像したものをそのまま
可視化したのだ.


65.


可視化出来たことに驚いた私達だったが,次に何をしたら良いのか分からなかった.可視化
できたことだけでも驚くべき事であるのに,と思っていると,その像とカモメが光りだした.
そして,両者がヒィィンと音を立て始め,まるで音叉のように共鳴したのだ.次々と起こる
現象に驚くばかりの私達だったが,何故だか,一方でその現象を当たり前のように受け止めて
いたような気がする.

私は共鳴士達から貰ったハンマーでカモメを叩くと,カモメはピキィィンと音を立て,少し
ずつ,ホログラムが映し出す像の形に近付いてゆく.更にカモメを叩くと,同じ音を出し,
どんどん像の形に近付いていった.数十分も立たない内に,カモメは形を変え,レース向けに
特化したものになった.


何故あの時,私はハンマーを持ってカモメを叩いたのだろう.その行為の目的が分からぬまま
だったというのに.何故だか,近頃は成すがままに動かされているように感じる.しかし,
いつまでも考えてばかりでは前になど進めない.私は頭に浮かぶうつろいの雲をふり払い,
レース大会にエントリーをしに行ったのだ.


66.


魔導ヴィークルのレース大会エントリー会場には,沢山の人達がいた.このレース大会は
予選があり,決勝戦があるわけだが,決勝で勝ったもの,つまり優勝者のみがイーグルに挑戦
できるのだという.成程,勝ち抜き戦か・・・.

エントリー用紙には,氏名を書く欄と,自分が乗る魔導ヴィークルの名前を書くところがあった.
レース用に特化した新しい魔導ヴィークルの名前を決めていなかった私は,そこで困って
しまった.と,その時,心の中のアンセーヌが,「彼」の名前を使ったらどうかしら,と言った.
「彼」って?と聞き返すと,アンセーヌは,彼っていったら彼よ,あなたにカモメを作ってくれた
友人の名前,と答えた.

なるほど,それも味があって良いのかもしれない,と思って私はエントリー用紙の例の欄に彼の
名前を書いて受付の人に渡すと,どうしたことだろう,受付の人はかなり驚いた様子で私をまじ
まじと見,そして最終的には,イーグルに勝てるといいですね,と言った.


私の友人は今どこで何をしているのだろう.


67.


エントリー会場から宿屋に帰って来た私達は,それぞれ好きなことをしていた.記憶士の少年は,
未だにレース大会のチラシに載ってあるイーグルの写真を見ていたし,アンセーヌは私の心の中で
たゆたっていた.私自身はレース向きに特化された魔導ヴィークルを観察し,そして整備をしてい
た.レース大会まであと10日だったから,ある程度は余裕を持っていられると思った.整備と言っ
ても,私にとっては何のことはない,魔心眼で魔導ヴィークルの細部を視,少し崩れた物質泉を綺
麗に並べるだけだ.

不意に,記憶士の少年が,指をチラシのイーグルの写真に当て,魔導記憶語を発し始めたので,
私達は少し驚いた.
発し終わった後,私は,どうした,と尋ねると,
記憶士の少年はこう言ったのだ.

「このイーグルというミュレーゴ・・・少し前までは人間だったらしいですね.つい最近,人間の
体を弟子に捧げ,ミュレーゴ・・・魔導機械人に生体改造したらしいです」

と.


68.


なん・・・だって?生体改造・・・.そうだ,以前酒場で会ったミュレーゴ達が密かに口にして
いたことだ.私は記憶士の少年に頼んでみた.

「じゃあ・・・イーグルが人間だった頃の像をこのホログラムで映せないかい?」
「それはアンセーヌさんの分野ですよ」

私は心の中のアンセーヌに,そうなのかい?と訊いてみたところ,ええ,私にしか出来ないこと
ね,と返した.つまり,魔導記憶語で過去を引き出し,過去の箱庭で,引き出された記憶を操作
するわけか.記憶士の少年がホログラムを掴みイーグルの像を映し出し,アンセーヌがそれを見
て,イーグルの過去を持ってくるという寸法だ.

そういった一連のやり取りが終わると,心の中のアンセーヌは息を詰まらせた.どうしたんだい,
と問いかけると,アンセーヌは,

「彼・・・私達が知っている人だわ・・・
それよりも何よりも,彼は・・・あなたの唯一の友人よ」
「なに・・・?!」

私は,激しい動揺を隠せずにいた.


69.


「そう,彼はあなたの友人よ」
「あいつが・・・オルテガがどうしてミュレーゴまでになって今頃・・・」

私のその唯一の友人の名は,オルテガといった.この旅の一番最初に,私にカモメを作って
くれた人物だ.ハハ・・・彼とは永遠の別れを告げた積もりだったが,また会うことになろう
とは・・・.しかも生体改造までして私の記憶に出て来ようとは・・・.私はアンセーヌと
記憶士の少年両方に,彼,オルテガの住み処は分かるか,と尋ねてみたところ,レース大会が
行われる油田地帯にいると言う.

私は,魔導ヴィークル「オルテガ」で,彼に会いに行こうと思った.永遠の別れを告げた者に
会いたいと何故思うのか.それは勿論,ピアノ・フォルテ市の調和を乱している理由や,生体
改造をしてまで私の記憶に出てこようとしているのか,など訊きたいことが沢山あったからだ.

オルテガ・・・君は一体,何をしようとしているんだ?


70.


天空の食卓国を仰ぎ見ることが出来る,東の国大砂海にある油田地帯に於いて,私はイーグル
ことオルテガに会いにやって来た.

砂漠の白い砂の上に,天然の油滴が吹き上がり,そして真っ黒い雨となって降り注いでいた.
まるでモノトーンの世界に居るかの如く,油田地帯は「色」がなかった.私は魔心眼でかの油
田地帯の様子を視た.するとどうだろうか,儀羅の国で見た魔導機械人,ミュレーゴたちが沢
山いるではないか.

生命泉と物質泉を両方持ち合わせているミュレーゴたち.彼らの中からオルテガを見つけるの
はさほど困難なことではなかった.生体改造をしたミュレーゴは,まだ生命泉と物質泉の並び
方があやふやだという事実を,心の中のアンセーヌによって過去の記憶から持って来る事が出
来たからだ.私は油田地帯に踏み入り,かの泉らが完全に揃っていないミュレーゴを遠くから
認めると,静かに「彼」の方へ歩き出していった.


71.


「彼」,オルテガは何の為にピアノ・フォルテ市の調和を乱したり,私の記憶に出て来るのか,
知らなければならない.私はオルテガと思われるミュレーゴに彼の名を告げると,ゆっくりと
私が控える後ろ側へ振り返り,やがて私を私だと認めた.

「クスフス,それにアンセーヌも.おれに会いに来てくれたのか.嬉しい限りだ.おれは今,
おまえの記憶の中に唯一存在する飛空挺の整備をしているところだ.再会できたばかりで申し
訳ないが,後ろの椅子に座って少し待っててはくれないか」

私はオルテガに言われるまま椅子に座った.

…彼の所有する飛空挺は,想像していたものより割と小さく,搭乗可能人数はざっと四,五人
程度だろう.しばらくすると,オルテガは飛空挺昇降口から出て来て,私のとなりに座った.

「おれはな,クスフス」

彼は喋りだした.

「おまえとずっと友達でありたかった.それなのにおまえときたら一人で大人になってエコー
ルを卒業して・・・」


72.


彼は続けて言った.

「おれは悔しかったんだ.皆の憧れであるアンセーヌと一緒に大人になって,そして主席で卒
業して.エコールに入学した時,おれたちは二人揃って落ちこぼれだったな.とにかくおれは,
そんなおまえについて行きたかった.でも・・・あの日のことを覚えているか?おれがおまえ
の為にカモメを作ってやった日のことを.おれたちゃ友だち同士だろ?なのに永遠の別れを告
げに来られた時はガッカリしたよ.・・・それでおれは決めたんだ.おまえの記憶にずうっと
残る存在である為に,ミュレーゴの体を借りて,おまえの記憶の中へトリップしたのさ」
「ピアノ・フォルテ市の調和を乱しているのは何故だ?」
「おまえの記憶の中では,おれは義賊というイメージが強かったようだ.おれはここいらのミ
ュレーゴたちの為に,あの都市の原動力である『生命と物質の調和』を盗んでは彼らに提供し
てやっているのさ」



73.


「『生命と物質の調和』・・・具体的にはどんなものなんだ?」
「話すと長くなるが,簡単に言ってしまえば,生命泉と物質泉を持つおれたちミュレーゴの活
動エネルギーみたいなものだ」
「そうか・・・」

ミュレーゴたちに必須なものを,オルテガは身の危険を顧みずに盗んでは提供しているわけか.
彼,オルテガにそういうことを止めさせ,且つ,ここいらのミュレーゴたちに活動源を分け与
えるには一体どうしたらいいだろう.そう言えば,何故油田地帯にこんなに沢山のミュレーゴ
たちがいるのだろう?それは・・・多分,物質―彼らの場合は鉄と木材―と関係があるに違い
ない.私の勝手な推察だが,生物とミュレーゴたちを隔てるのは,単純に体が鉄と木材で出来
ていることくらいだろう.

私は,試しに,ある一人のミュレーゴの生命泉と物質泉の並びを視,共鳴士たちから貰ったハ
ンマーで彼を叩いてやった.


74.


すると,どうしたことだろう.生命泉と物質泉がキュピィィィンと音を立て,複雑に絡み合い,
一つの鎖を成したのだった.

「クスフス・・・そのハンマーは一体・・・」

オルテガが興味深そうにハンマーを見つめるものだから,私はこのハンマーにまつわる様々な
ことをを話してやった.すると,オルテガは,

「クスフス,そのハンマーでここにいるミュレーゴたち全員を叩いてやってくれ」

と言った.彼が言うには,ハンマーを叩くことで生成される「鎖」は,ここいらの魔導機械人
たちを「昇華」することが出来るらしい.そして,その魔導機械人たちは実は全員,生体改造
を行った者たちであることも話してくれた.


全員分の「鎖」を成した私は,自分の行動にあまり意味を見出せなかった.そんな私を,

"おれが後で詳しく教えてやるから・・・
どうかおれを,おまえの理想郷までの旅に同行させて欲しい"

と言われているような眼でオルテガが見つめるものだから,私は仕方無く,彼と彼の飛空挺を
旅の仲間にした.






最終更新:2011年12月15日 20:37