45.
「東の国」と書かれている側の暗がりへ.私達は歩を進めてゆく.
「自分の過去に散々悪口を言っておきながら,まだあなた自身の記憶を辿る旅をするのね」
心の中のアンセーヌは言う.この暗がりの奥へ行くと,一体どんな世界が待っているのだろうか.
アンセーヌは私自身の記憶を辿る旅と言ったが,果たしてどうなのだろうか.初めて見たものが
沢山ある世界なのに.私が一歩,また一歩と歩を進める毎に,暗がりは深まってゆく.
そこで,アンセーヌは注意を促してくれた.
「待って.そのまま進んでしまってはいけないわ.光を発する魔導具で闇を晴らさなくては」
私はアンセーヌの言う通り,背中に担いでいたカモメから発光装置を取り出し,闇を晴らした.
すると,私の足元に極太の線が塗ってある地面が照らし出された.これは・・・所謂「国境」
というものなのだろうか.北の国と東の国の.
臆せず進もうとすると,暗がりからニュッと何者かの腕が出てきて,私の腕を掴んだのだ.
46.
私はすぐ様その何者かを照らした.そして,何者かが曰く,
「私は国境警備隊の長を務める者です.どうか,恐れを解いてください.
私はあなたを止めるために来たのではありません.あなたに北の国と東の国の地図を
渡しにきたのです」
と.その者は,私に地図というには幾分大きな紙を渡し,そして去って行った.
東の国は主に2つのエリアから成っているらしい.北部の大砂海と,南部の大沼地には
それぞれ幾許かの大都市・中都市があるらしい.私が現在いる北の国との国境は,
北の大砂海に属するようだ.
砂漠用の着物に装いを新たにした私は,手にした発光装置を前面に押し出し,
やや急いで暗がりを抜けようとした.さながら,好きな漫画の新刊を買いに行こうと
本屋へ急ぐ少年の様に.
かくして,私とアンセーヌの2人で,ユートピアを求め行く新たな旅が始まったのだ.
47.
暗がりから抜け出せた私達は,国境警備隊の長からもらった大地図を見ながら,カモメを
兎に角飛ばしに飛ばした.心の中のアンセーヌが,眼下に見える建物に注意を促してくれたので,
私は早速東の国のもの第一号に会うべく,カモメをゆっくりと降ろしてゆき,やがて私達は
足を地に降ろした.
その建物の第一印象は,「廃工場」だった.奥に見えるは赤錆びた最早原型を留めない鉄の
カタマリ,そして手前に見えるはボロボロのベルトコンベアー,何もつるしていないクレーン,
ドラム缶から這い出た重たそうな油,錆び過ぎたのか穴が開いた工場の壁.
私は万が一の事を考えて,魔心眼でこの工場を視た.・・・予想通り,物質泉が微塵にも
見当たらなかった・・・のだが,この建物の奥に,生体エネルギーの噴出口を1つだけ視たのだ.
注意深く工場の奥へ足を踏み入れる.踏み入れてゆく内に分かった事だが,この工場は何か
とても精密なものを造っていたと窺われた.
やっと辿り着いた工場の奥には,緑色に発光しながら佇む一人の少年がいた.
48.
その緑色に発光しながら佇む少年は,私が傍に来たのを確認するや否や,
「あなたが来るのを待っていました.やっぱりクキカル様のお告げは正しかったんだ・・・」
「僕が来るのを待っていただって?君は僕の事を知っているのかい?」
私が喋り終わると,すぐに心の中のアンセーヌが言う.
「この子・・・私と似た何かを持っている・・・」
その言葉を聞き,私は少年が喋り始めるのを待った.やがて少年は,
「僕は記憶士と呼ばれる士族に生まれた子です.あっ,僕も一応記憶士成り立てですけどね.
僕はクキカル様のお告げによって,ここであなたを待っていただけです」
「この工場について何か知っている事はあるかい?」
「南の国生まれの僕には何も分かりません」
「そうか・・・」
「あ,あの,僕を南の国まで連れて行ってくれませんか?」
「別に構わないが・・・長い旅になると思うよ」
「ありがとうございます!」
これで,旅の同伴者は2人になったのだ.
49.
記憶士,クキカル様,南の国と色々新たな単語が出て来て,
その意味するところを知りたかったが,私はまず,今いる工場は何を造っていたのか知りたかった.
早速大地図を広げ,調べてみたところ,此処は「電影大工場」という名前の工業都市だったらしい.
電影・・・電気の粒を使って,影を作り出すこと,と昔エコールで習った覚えがある.その技術は,
かつて私の住んでいた地で発達した魔導の,初等レベルの魔導に良く似た性質を持っていて,
あらゆるものを可視化することができる技術らしい.私の手伝いをしてくれている記憶士の少年は,
今では古い技術といわれるホログラムという装置を発見した.まだ壊れていないので,私はこの
装置を持って行くことにした.ホログラムという古代装置は,まだ物質泉が在していたからだ.
試しに使ってみると―最初はどうすれば作動するのか謎だったが―
頭の中に浮かんだものを即座に映像化することが出来た.
古代の人々は,これをどのように使ったのだろうか.それは,もはや憶測の世界である.
50.
廃工場の入り口にある壁に寄りかかりながら,私達3人はしばらくホログラムで遊んでいた.
やがて,心の中のアンセーヌが語りだした.
「記憶士のあなた,一体どうやって此処にやって来たの?南の国が生まれだと言うのに.
随分離れているでしょう?時が刻まれるのを拒む,記憶士・・・.記憶を自在に動かすこと
が出来る鍵士と違うのは,この工場の様に古錆びた太古の人々の記憶を受け継がせること
のみに生きている士族.そのホログラムだって,発見したのはあなただけど,実は最初から
持っていたのでは?」
記憶士の少年は,黙したままだった.私はアンセーヌの話を聞いて,やっと鍵士と記憶士の
違いが分かったような気がした.と,このままでは気まずい空気が漂うばかりなので,私は
魔導探査針を,東の国のもの第2号となるだろう,とある士族が住む大都市へ向けて,カモメ
のエンジンをふかした.今ではややこしいと思うことも,旅をすれば,段々分かってくる
だろうと信じて.
51.
魔導具を沢山に詰め込んだカモメに乗り,電影大工場をあとにする.
…その前に,私はふと考え込む.此処でホログラムの他に何を造っていたのだろうか,と.
私は記憶士の少年に訊いてみた.
「君の力で,この工場は何の為に造られた場所なのか分かるかい?」
彼は,やってみます,と言い,早速魔導記憶語を唱え始めた.私はかつてミュレーゴ零号から
ロゼッタシステムを注入されてから,あらゆる言語が分かるようになっていたのだ.だから,
この記憶士の少年が唱えている言葉も実のところ解せていたのだ.
少年は私の名を呼び,手を差し出した.彼によると,記憶継承の儀を始める,というのだ.
私が,この工場の記憶をか?と問うと,はい,と返した.少年の手に触れると,この電影
大工場が栄えていた頃の記憶―正確に言うと,映像と音―が脳の中に入り込んできたのだ.
少年が唱える魔導記憶語の響きに合わせて,記憶が視覚,聴覚を通して伝わってきた.
52.
電影大工場の記憶として「見」る限りでは,それは1つの工業都市の栄枯盛衰を物語っているに
過ぎなかった.しかしそれらを断片的に見ると,1つの技術が作られ栄えそして滅びてゆく様が
目を通して伝わってきて,とても興味深かった.
「この子・・・いえ,記憶士はフーリエ機関をその身体に内在させているというの・・・?」
不意にアンセーヌが意味深なことを言ったので,私は少年から手を離した.すると,今まで
見えていた工場の記憶の映像が消えてしまった.フーリエ機関・・・なんだか,懐かしい言葉
のように感じられる・・・.発言の意味を彼女に問うたが,アンセーヌは多くを語ろうとせず,
ただ次の街にいきましょう,と促すだけだった.記憶士の少年は,大分力を使ったようで,
息づかいが荒かった.
私は早速,次の街へ行く準備をした.
53.
電影大工場から飛び立ってから何日が過ぎたであろうか.
飛び立ってから何日,か・・・.もう時間が意味を成さない場所まで来たように思われる.
旅立ってから何日目~など,とうの昔にこの記録帳に書き込むのを止めていた.
目的地である大都市は,遥か彼方から確認できる程,巨大であった.共鳴士という士族が
住まう,ピアノ・フォルテ市は,外観は言ってみればアップライトのピアノをそのまま
巨大化させたもの,と言えるだろう.その中に例の士族が住んでいるのだということを,
大地図は教えてくれた.
私達は,力を使いもう何日も息を切らせている記憶士の少年を休ませようと,
ピアノ・フォルテの宿屋を探した.大都市に宿屋などいくらでも見つかろうと思っていたが,
そもそもこの都市が広いので探し回るだけでも時間がかかる.大都市ピアノ・フォルテは,
外観は先程述べた通りだが,内部は木造で構築されており,砂漠の暑さに比べれば,相当
涼しかった.これだけでも,記憶士の少年を休ませることが出来るのではないだろうか.
54.
私の予想通り,
記憶士の少年を風通しの良い建物の影に横たえると,彼は平静を取り戻していった.
「・・・随分と・・・大きな街ですね・・・」
彼は一呼吸して言った.私も一呼吸し,周りを一見してみた.
ピアノ・フォルテ市の内側にある木造の歯車がキチキチ音を立て正確に回転し,
役目を果たしている.周囲を歩く人は,我々と同じ様な格好・・・ではなく,様々な格好をした
人々がいた.此処は多民族が住む街なのだろう.此処にはしばらく滞在する事になる
だろうと判断した私は,早速宿屋を探し,見つけ,宿屋の主人と何度も交渉し,安い金で長期間
いられる場所を確保した.
部屋の中で,私と心の中のアンセーヌと記憶士の少年はくつろいでいた.特に私はここのところ
旅続きだったので,かなり長い間眠ってしまったようだ.ピアノ・フォルテ市にはしばらく
お世話になりそうだ.私は長い眠りから覚め,テーブルの上にあるメモを見た.それには次の
様に書かれていた.
お前の女は預かった
返して欲しければ下記の場所まで来い
メトロノームタワー屋上
55.
私としたことが,長い眠りに就いている間,アンセーヌを奪われることになってしまった.
私は急いでそのメトロノームタワーとやらに行かねばならないという焦燥感に襲われたと
同時に,次の様な疑問が沸いてきた.それは,「一体どうやって私の心の中のアンセーヌを
犯人は"私の中から取り出した"のか」というものだった.急いで宿屋を出て,近くの店で
ピアノ・フォルテの地図を買い,宿屋に戻って記憶士の少年を連れて,メトロノームタワー
屋上まで続くエレベーターまで急いだ.・・・記憶士の少年は宿に居させた方が良かった
のかもしれないが,彼は自分も連れて行って下さいと言って聞かなかった.
ピアノ・フォルテは何層にも渡って都市構造が出来上がっており,かの街の最上層にある
メトロノームタワーまで行くのに多大な時間がかかった.何回エレベーターを乗り継いだ
ことだろう.心の片方を失くし,平静でなくなってきた私は,後で聞いた話だが,
汗だらけの手で少年の手を握っていたらしい.
56.
ピアノ・フォルテ市の最上層へやっと辿り着いた私達は,これまたやっとメトロノームタワー
を目前に控えるに至った.一息つきたいたいのはやまやまだったが,これからが本番だった.
心の中のアンセーヌを奪った犯人は,何が目的だというのだろうか.アンセーヌを人質に
とっている時点で,彼女は目的ではなかろう.となるとこの少年・・・いや,
連れて来なかった場合も犯人の目論見に入っているはずだ.
すると何か,私,ということになるのだろうか?
…などと,砂漠に聳え太陽による熱をいっぱいに受けた漆黒の塔のエレベーターの中で,
様々な思いを巡らせていた.本当に,一体どうやって私からアンセーヌを奪った?それに,
動機が全く解せなかった.
あれやこれやと考えている内に,屋上行き専用の中で案内の声が聞こえる.普段なら観光用に
使われるエレベーターも,私の無理を聞いてもらって使わせてもらっている.
やがて,エレベーターの中の慣性でフワッと浮く感覚を覚えると,扉が開いた.
57.
よくぞ此処まで辿り着いた.我々は万物と調和することによって旋律を奏で紡ぎだす共鳴士.
そなたの女をさらったのはこちらから詫びよう.荒いやり口を行って本当に申し訳なかった.
本質は,そなたに早く会いたくての事だ.
じゃあ今すぐアンセーヌを返してくれ.こんな手荒な真似をするのがあんたらの手口なら,
私達は此処を去る.
私がそう言うと連中はすぐにアンセーヌを返してくれた.心の片方が埋まってゆくのを
感じながら,私は回れ右をしてそのまま帰るところだった.しかし,アンセーヌは言う.
待って.共鳴士たちはあなたに伝えたい事があるみたいよ.誰も憎んではいけないわ.
だからお願い,彼らの話を聞いてあげて.
私はやむなくもう一度回れ右をして共鳴士たちの方へ向いた.
誰も憎んではいけない,か・・・.でもアンセーヌ,君を奪われた時の心情が分かるかい?
心の片方しかない私はもう少しで・・・壊れそうになったんだよ.
58.
どうか私達の話を聞いて欲しい.近頃,我々が統べるピアノ・フォルテ市の調和が乱れつつ
あるのだ.このままではいつ市民の心が乱れるか分からない.そして我々共鳴士は
ピアノ・フォルテから離れられないのだよ.だから諸国を旅してきたそなたに,この調和が
乱れし理由を探って欲しい.
他にも旅をする者がいるというのに,何故私に頼むのか?
その理由は明白で,とても簡単なものだ.この世界はそなたの記憶から作り出されたもの.
かの世界の物語の主人公たるそなたに頼むのも,不自然ではあるまい?
確かにこの世界はハウスという閉じた世界だ.そして,それは私は過去の記憶から
作り出されたものだ.不自然ではあるまい?・・・か.アンセーヌが戻って来たとはいえ
心が疲弊している私に,よく言ってくれるものだ.
私は共鳴士達から「調律」に使うハンマーと・・・共鳴士独特の儀式である「ハーモナイズ」
を受け,そしてメトロノームタワーを降り,宿屋へと帰り向かった.
59.
宿屋に着いた私達は,しばしの間安息を得ようと,ベッドに横たわった.記憶士の少年は,
アンセーヌさんを取り戻せて良かったですね,と言ってくれた.アンセーヌは,私の心の中で
ゆっくりとたゆたっている.
共鳴の儀「ハーモナイズ」は,受けた者にどういった効果をもたらすのであろうか.未だに
それが分かっていない私は,僅かな心のざわつきがあった.ピアノ・フォルテ市の調和を乱す
もの・・・か.私は椅子から勢い良く立ち上がると同時に,かの市の,とある場所へ行って
みたくなった.
無数の透明な弦が一方向に揃って張られている,正にかの市の心臓部とも言える場所に着いた
私達は,ここに「調和を乱すもの」があるに違いないと踏んでいた.私は早速魔心眼で上方へ
と勢い良く伸びている弦らを視た.・・・すると,生命泉と物質泉を持った何者かが見えた.
その者は,私達に気付くと,素速く逃げ去ってしまった.
…私達はまだまだかの市で行うべき事があるようだ.
最終更新:2011年09月02日 11:16