アルカは新生人工言語の一例ですが、完全型ではないと述べました。それは
アルカ・
アンティスが完全に人工ではないからです。具体的にどういう点でそういえるのでしょうか。
古アルカのころは自然言語から語彙の流入が多くありましたが、これが次第に避けられるようになりました。まず、語彙の面で自然言語由来の語が消され、アルカ独自の語による表現に変りました。
トルコ語でも
ケマル=アタチュルクの改革により、
ペルシャ語と
アラビア語からの外来語を排し、代わりにトルコ語で表現しましたが、それと類似しています。
また、語彙の掃除と同時に独自の文化を創っていきました。ただの混成によるちゃんぽん文化ではなく独自のものにしようと意識的に作り上げてきました。それが
アンティスです。このように、アルカやアンティスは無からできたわけではなく、その点で完全型ではありません。
たとえば挨拶は
soonoyunですが、これは「おはよう」も「こんにちは」も「こんばんは」もありません。どれも同じなのはなぜなのか。このことに気付いた方はいらっしゃるでしょうか。答えは時差です。
アシェットは私のように日本に住んでいる人もいれば外国に住んでいる人もいます。こちらではおはようでも向こうではおはようでないわけです。だから
soonoyunは時間に関係なく
soonoyunです。
でもこれはアンティスと呼ぶにはふさわしくないのです。アンティスは人工風土
アトラスの上にありますから、地球の時差なんて知りません。
soonoyunが時間に関係ないのはアンティスというより、単にアシェットのご都合主義です。このように、始めから無から作ろうという企画でなかったアルカはアンティスの点においても非完全型で、非人工的です。
最終更新:2007年11月12日 21:30