今日の天気予報では雨が降るそうだ。
どんよりとした空だが、旅館は高貴方な来客にちょっとした緊張感があった。
もうすぐ来るんじゃないか? もうすぐ来るじゃないか? と落ち着こうとしても緊張が高ぶってしまう。
仕方なく長田さんが(無理矢理)貸してくれた古事記を読んでみて分ったことは、二回も重要な場面に立ち会う……とにかくすごい人だということ。
天照さんの時は突然で初対面で何も予備知識もなかったから、普通に接することができた。
こうして日本神話に触れてみるて、天照さんってと私なんか逆立ちしたって比べ物にならない程に素晴らしい方なんだと思う。
奈積さんはあの後『日本の神話は道具的な一面もあるから、全部史実だと鵜呑みにするな』って言われたけど。そんな事は判っている。
ただの異能が使えるだけの私が関わりを持てたのは、何かの縁なのだろうか。
そう冷静に考えられるのは、最初は何も知らなかったから。
今回は違う。
この旅館で働くための最低限の知識として知った。
まるで校長室に呼び出しされた時のような緊張感。
このままじゃ、緊張でどうにかなってしまいそうだ。
「……美雪。緊張しすぎ」
「奈積さん……」
「もっとリラックスしていこ。そもそも美雪が担当する客じゃないだろ」
「……奈積さんは今まで有名な客を迎えたことってあるんですか?」
緊張を紛らわせようと奈積さんに尋ねてみた。
「あるぞ。美雪の知ってそうなあたりだと……」
奈積さんは前髪を掻き上げながら、思い出そうと記憶を廻る。ちなみに前髪を掻き上げるのは奈積さんの癖。
「武田信玄だな」
「えっ、……ええぇぇ!!」
武田信玄ってあの!?
甲斐県民なら知らぬ者ははいないと言われる、あの武田信玄!?
「あたいは甲斐の人間じゃないからあんまり知らなかったんだけどな。やっぱり甲斐の生まれの美雪なら知ってるんだな。勉強苦手そうなのに」
「一言余計です。私、歴女の気があるんで。だから、公民や地理はダメです。それ以前に甲斐に住んでいれば名前くらいは知ってますよ。まぁ、言うほど詳しいわけでもないですけど」
「歴女って……、しかもニワカ臭い。まぁ、あたいも妖狐だから霊とか神の気配はわかるんでけど、確かに神というより人間霊の気配がしてたんだ。美雪なら、もっと判るんじゃないかな」
「…………たぶん」
いわゆる天照さんなどの純粋な神、奈積さんな千春さんみたいな生き物の化身、妖怪や私みたいな異能者を分類上『神』と区するのだと以前愛さんが教えてくれた。
ちなみに人間の異能者の扱いは霊感や異能のない人間とほとんど変わらない。
性質の違いから大まかな分類のどこに属するかは、異聞持ちの私ならある程度判断できる。
人間の死後の魂が神となって、新たな神としての肉体を得た者が存在するが、それでも気配は幽霊に近いのだ。
「んで、そのお客様が帰られた後に大久野さんに聞いて、初めて知ったんだ。甲府駅前の像なんかとは全然違ったしね」
「ちなみにどう違うんです?」
「美雪が期待してるのとは違うと思うぞ」
「別に変な期待はしていませんよ」
サブカルチャー的に美化された戦国武将が好きなのではないの。
むしろ本当はブサイクなんじゃないかとすら思っている。その方がドラマがあるってものだ。
「もちろん、イケメンじゃないぞ」
「じゃあ、やっぱり……」
「可もなく不でもなくって感じ」
「…………なんか、複雑です」
一番微妙なパターンじゃないですか。
「ほらほら、ロビーに群がらない! 奈積さんも美雪ちゃんも! 部屋の掃除でもしてな!」
愛さんが珍しく大声で怒鳴る。
…………部屋の掃除でも、って何? 『でも』って?
「静香さんも塩見さんも持ち場に戻る! 長田さんは草むしりでもやってな!」
「草むしり……丸山にやらせろよ! 俺は工場に行ってくるわ。あいつの、S2000ターボ計画パート②をね……」
……長田さんは逃げたか。静香さんと塩見さんはおとなしく戻る。
しかし、なぜ『②』なのだ? 普通に『2』とか『Ⅱ』とかほかにもあったのでは?
「なんで俺が草むしり押しつけられるんです!?」
矛先を向けられ、丸山さんは文句言ってる。扱いがどんどん酷くなりそうなのは気のせいですか?
裏では長田さんが愛車で甲府へ向かった。音の感じから殆どアクセル全開な気がしますけど?
長田さんと鈿女さんは知り合いらしいのだが、相性が悪いのだろうか?
「私と千春さんでお出迎えすらから! さっさとロビーから出ってて」
「……はぁい」
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