私は早足で愛さんの後ろに付いて歩いていき、厨房の前へと来た。
そこから漂う料理の匂いが仕事中なのを窺わせる。何かの仕込み中だろうか。
厨房の前で二人の仲居さんが何かのホワイトボードに書かれた表を見ながら話していた。
「ちゃんと頑張ってる?」
愛さんが二人に話し掛けた。
「あっ、愛さん。ちょっと良いですか?」
「どうしたの?」
仲居の一人がホワイトボードを指差しながら、
「今日のお客様のってこれで正しいんですよね」
愛さんはホワイトボードをじっと見詰めて
「うん。これで合ってるわよ」
「ところで愛さん、その子は誰なんですか?」
私の方を見て言った。
「この子は薬袋美雪ちゃん。大久野さんの姪っ子よ」
「薬袋美雪です。よろしくお願いします」
さっきまで愛さんと話していた仲居さんとは別の仲居が前に出てきた。
自分と同じ格好をしている少女に興味津々ってところだろう。
「こっちこそよろしくな」
声に張りがある。おそらく姐御肌なのだろう。
「あっ、名前を言うのがまだだったな。私の名前は稲垣奈積」
愛さんが「美雪ちゃんと同じ部屋の人だよ」と付け加えた。
「なっちゃんって妹分が欲しかったんだよね! 『とっても可愛がってやるんるだー!』って」
さっき愛さんと話していた仲居さんが奈積さんをからかう。……ニヤニヤしながら。
「そっ、そ、そんなこと言ってたかぁ! いつだよ? 一年前とかって話しじゃないよな!」
色々とまくし立てながら誤魔化す奈積さん。誰がどう見たって図星には変わりない。
それに確実に言ったのなら、一年前だとしても事実には変わらないのでは?
そんな奈積さんを尻目にその仲居さんは奈積さんの前に出て、私と向かい合い
「私は稲垣千春。格好を見れば分かったと思うけど、私もなっちゃんも仲居をしているの。よろしいね、美雪ちゃん」
「よろしくお願いします」
「そうだ。もう判っちゃってるかもしれないけど」
千春さんは奈積さんを指差し、
「この子、女なのにけっこう口が悪いから。生まれてくる性別、間違えたんじゃないかって思うくらいにね」
「ちょっと、千春ー!」
「だって本当のことでしょ? 言われたくなければ、言葉遣いを直したら?」
「へいへい、わかりやしたよ~だ」
……奈積さんに言葉遣いを直す気はないらしい。
「そうそう。千春はあたいの連れだからさ」
「なっちゃん、それ嫌味のつもりなの?」
「どういうことなんです?」
私は恐る恐る訊いてみた。
「私となっちゃんは双子なの」
「そうなんですか? でも、奈積さんと千春さんはそっくりじゃないですよね?」
「確かに一卵性の双子は瓜二つって言うわよね。でも私たちは二卵性双生児なの」
二卵性双生児。どこかで聞いたような気がするな……。
「つまり普通の姉妹が似る程度にしかならないってこと」
千春さんは奈積さんを見て、
「それでね、血の繋がりはあるというのにこいつは……」
「何よ? いつもはあんたが……!」
そのまま二人は口論を始めてしまった。
まぁ、喧嘩するほど仲が良いということにしておこう。
「どうした? 喧嘩ならロビーでも行ってやれ。……あんたらの喧嘩は見ていて面白いからな。充分見物料、取れると思うぞ」
二人の騒ぎに気が付いたのか、厨房の方から職人の雰囲気漂う男の人が出てきた。その後に続いて若い男が二人出てくる。
「あぁ、幸一さん。この子です。大久野さんの姪っ子は」
愛さんは職人的な男性、相沢幸一さんに私を紹介する。
背の高い相沢さんは私と目線を合わせて、優しく話し掛けてくれた。
「君が正樹君の姪だね」
「薬袋美雪といいます。よろしくお願いします」
相沢さんは姿勢を元に戻すと、若い二人の男を前に出させ
「じゃあウチの若いのを紹介する。眼鏡をしているのが塩見晃司。もう一人が佐藤優太」
「三人でここのお料理を作っているんですね。なんだかすごいです」
私は素直な感想を口にした。
「褒めてくれてありがとな。でもウチの若いのはまだまだ半人前。大したことないさ」
「はい?」
塩見さんと佐藤さんの声がきれいにハモる。
「三十路前のくせしやがって、一人前気取りとはいい度胸だな」
……一人前の前提条件は三十路越えなのか?
「悪いな、愛さん。……今からこいつらを叩きなおす」
相沢さんは愛さんに小声で言った。
相沢さんの『叩きなおし』方は相当なものらしい。
その小声を聞いてしまった優太さんが口を少し開けたまま青ざめていき、それを見た晃司さんも同じように青ざめていくのだから。
愛さんはそんな二人を哀れな目で数秒間見た後、千春さんの方を向いた。
「そもそもなっちゃんみたいなへタレに大事な役目が勤まるとでも思ってるの?」
双子の喧嘩はまだ続いていた。
「だったらあんたがやればいいでしょうが!? それにへタレって何だよ!? へタレって!?」
「私はやりたくても出来ないの! それにへタレってのは神鳴……」
「あなたたち! いつまで喧嘩しているの!?」
「…………はい」
愛さんが凄みのある声で二人を注意する。そして、ため息をついて元の調子で尋ねた。
「それで久美子さんと静香ちゃんはどこにいるか知ってる?」
「たしか、休憩室だったかとです……」
「あの二人が一緒の部屋で何をやっているのかしら?」
そこで一旦区切り、愛さんは再び口調を変えて言った。
「それはそうともうすぐ予定時刻だから、お客様を迎える準備をしなさい」
「はぁい」
「はい」
奈積さんと千春さんは準備へと向かっていった。
「私たちも行くわよ」
「はい」
愛さんはロビーに近い部屋の襖を開けた。ここが休憩室なのだろう。
「久美子さん、静香ちゃん、大久野さんの姪っ子が着いたから挨拶回りさせてるの。さっ、入って」
私を部屋の中に入るよう促す。
部屋の中には正樹おじさんと同世代のような女の人と二十代らしいの女の人が仲良く休憩を取っていた。
服装からこの人たちも仲居さんのようだ。
「ほら、静香さん。またそんなにお菓子ばっか食べてると太っちゃうわよ~」
若い女の人はむせ返った。
「あっ、愛先輩~。いきなり何言うんですか?」
「毎週、体重が増えたって泣き言を聞かされるのはもうたくさんだからよ。それで今、図星で黙ちゃったのが片倉静香さん。去年入ってきてやっと新人脱出かな」
…………なぜだろう?
静香さんは黙ったまま私のほうを見詰めてくる。
……体重増加の泣き言を聞かされる相手が私にならないことを祈ろう。
「えっと、奥のほうにいるのが大橋久美子さん。仲居さんの一番長く働いているわ」
愛さんの紹介に合わせて大橋さんは私に向かって会釈した。私も会釈を返す。
「っていうか、新人脱出なんてひどい言い方じゃないですか~、愛先輩~」
一方、静香さんは文句を言っている。
「文句言ってる暇があったら、あなたも何かお客さんを迎える準備をしなさい。だいぶここで休憩している感じだしね」
愛さんはゴミ箱捨ててあるお菓子の包みを山を見て言った。
ってかこんなに食べたの? そりゃ、太って当然かと……。
「は~い」
と、しぶしぶ立ち上がる静香さん。大橋さんはそれを見て軽く笑った。愛さんはやれやれといった表情だ。
愛さんが廊下に出たので、私は愛さんの後を追った。
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