「なんですか? 愛さん」
旅館内を探し回り、見つけ出した奈積さんはどこと無く不機嫌そうだった。
「美雪ちゃんにまず、基本的な作法と……仕事の様子を見させてほしいの。まだ正式に仲居になるかは決めないけど、忙しいときの手伝いは出来なきゃ困るからね」
「それもそうですね。……で、なんで私なんです? 自分で言うのも変だけど、良い手本なんかできないと思うんですけど? 愛さんや千春なら良い手本だって言っても間違いないと思うんですけど……」
「奈積さんと美雪ちゃんは相部屋でしょ? だから、できるだけ一瞬にいた方が良いと思ってね」
まぁ、一理あるだろう。
「……それ、本当ですか?」
「知りたい?」
「ん……? は、はい……」
「……奈積さん。あなた反面教師というを言葉知って……」
「いっ、いいです! いいです! それ以上は……けっ、結構です!」
「あら、そうなの? じゃあ、よろしくね」
くすくすと笑いながら愛さんはその場を去っていった。
「あ~あ、なんで私なんだよ」
どことなく面倒臭さそうな表情を浮かべる奈積さん。……大丈夫だろうか。
私と奈積さんはさっき静香さんたちがいた休憩室に入った。
「ん~と、まずは立ち振る舞いだったか」
さすがに放棄はしないか。
それにしても切り替えがすごく上手い人だな。面倒臭がる気配など全然感じない。
「あの……名前さ、呼び捨てで良いか? あたいが千春を呼ぶみたいにさ」
奈積さんは、はにかむように言った。
いきなり呼び捨てなんて、ほぼ初対面だから少し抵抗がある。もちろんそれは奈積さんにもあるはず。
でも、考えようによっては親しくなる近道。奈積さんはそれを狙っているんだと思う。別に悪意があるわけではない……。
「……。はい、いいですよ」
「んじゃ、美雪。見た感じ和服には慣れているみたいだけど、正しくなくちゃいけないから、一応しっかりと教えるぞ」
旅館の一員に早くなろうとして、何度も名前を頭の中で反芻していた私にとって、しっかりと名前を覚えてもらってたことが素直に嬉しかった。
それに加えて、私の仕種で和服に慣れていることを見抜いた奈積さんはすごいと思った。観察力が高いというか、人をよく見ているというか。私も見習わなければならないと思う。
「んじゃ、まずは座ってる状態からの立ち上がりだな」
そういうと奈積さんはすっと座る。
短い時間の中で感じていた、がさつそうな印象とは裏腹な動作に一緒見惚れてしまっていた。我に返ると慌てて、奈積さんの正面に座る。
「いいか、一、二で膝を上げる。んで、三で立ち上がる」
「はい」
奈積さんを真似て立ち上がってみる。
……意識してすると意外に難しい。
「う~ん、まぁ、いいか。慣れの問題もあるしな。
何度か立ったり座ったりして奈積さんは言った。
「後は客室に入る時の戸の開け方くらいで充分かな……。おっと、おじきを忘れるとこだったな……」
お客さんを迎える立ち振る舞いはあまりやったことはない。そもそも迎える側は初めてだ。立ち上がり方以外はほぼ知らないと言ってもいいかのもしれない。
「んと、もうそろそろかな。仕事の様子を見せないとな」
戸の明け方やおじきの仕方を一通り叩き込まれたあと、奈積さんは言った。
「奈積さん、これからどんな仕事があるんですか?」
「この後に親子連れが来館する予定だよ」
普通、親子連れで日曜日に泊まる人っているのだろうか。……まぁ、人それぞれの予定があるってことだろう。それに子供が小学校へ行く前なら何ら問題はないはずだ。
「んじゃ、待機するためにフロントへ行くぞ」
「はい」
フロントには丸山さんがいた。
「丸山ぁ! 荷物持ちは美雪にやらせるから、あんたは倉庫の整理でもやってな」
どうやら私の今回の役目は荷物持ちらしい。
「ずっと思ってたんですけど、なんで俺そんな扱いなんですか? 倉庫の整理とか。リストラ前の中年サラリーマンかよ!」
「なら、よりリアルな体験をするために倉庫の片隅に机置いて新聞の切り抜きでもするか?」
「いいですよ……。ったく、いったい何を整理するんだか……」
「最低でも埃は落としとけよ~。 少しでもホコリがあれば丸山の自慢のRX-8貰うから♪ THEロータリーサウンドを堪能してやるから」
「俺のRX-8は絶対やらないからな!」
丸山さんはぶつぶついいながら、裏手にある大倉庫へと向かった。
「丸山さん……大丈夫でしょうかね……?」
「平気、平気。拓弥の野郎なんか、理不尽な内容を今の丸山より安い賃金でやってんだから」
「理不尽って、例えば……?」
「旅館の社用車に従業員の車のオイル交換に、タイヤ交換。クーラント……冷却水交換もやらされてたよな……あいつ本業は自動車整備士だし。とりあえず、そんな作業をほぼただ働き」
「……確かに割りに合わないですね」
「いいんじゃねぇの? 従業員じゃねぇのに旅館で暮らしてんだから。それに便乗して、あたいのCB750…古いホンダのバイクだけどな、修理してもらったんだが、部品代しか払ってねぇんだよな」
「それ、自慢げに話す事ではないんじゃ……」
奈積さん個人のバイク整備など、もはや旅館は関係ない。しかも作業代抜きとか……。
「丸山にやらせた倉庫の整理は結構大切だけどな。使わないものをいつまで置いとく訳にはいかないし、客商売のものだから埃を積もらせる訳にもいかないし」
言いたい事は分かるが、なんか腑に落ちない。 丸山さんもきっと納得など出来ていないだろう。
その時、玄関の前に車が停まった。
おそらく例の親子連れだろう。私と奈積さんはお客さんを出迎える準備をする。
玄関付近で待機していたのか長田さんが玄関の引き戸をあげる。
「いらっしゃいませ、ようこそ大久野屋旅館へ」
奈積さんと私は先程練習したおじきで出迎えた。
「それではお車の鍵とお荷物を。お車の鍵はこちらで預かっておりますので、お車が必要な際はフロントお申し付けください。すぐに玄関先までお車をお出しします」
そう言って長田さんは荷物を受け取ると、小声で言った。
「……丸山は?」
「……代わりに美雪」
そんな短いやり取りで事情を察したのか、長田さんは当然のように私に荷物を渡す。
その間にお客さんはスリッパに履きかえてようとしていて、既に長田さんはお客さんの車を動かしていた。
この旅館の駐車場は少し奥の方あるため、お客さんの車は駐車場に移動させるのが習慣らしい。
ちらっと見た奈積さんはすっかり真剣な眼差しになっている。
「……美雪は、お客さんの後ろについてきな」
奈積さんは女の子がスリッパを履いたのをみて、小声で言った。そして振り返り、お客さんを部屋へと案内する。私は長田さんに持たせられた重い荷物を持ち、後へと続く。
私の立てた仮説通り、まだ小学校に上がるにはまだ早い女の子を連れた若い夫婦だった。
「………………?」
………………。
………………。
………………ちょっとした違和感。
何かは、はっきりと言葉にはできない。
相手はこの旅館のお客さん。余計な詮索をしてはいけない。たとえ、私が………………。
………………。
私は半ば無理やり気持ちを抑えながら、気づくと下を見ていた視線を前の方へと移した。
「…………?」
………………。
………………。
私の目の前を歩いていた女の子のスカートから……………………猫のようなしっぽが覗いていた。
………………。
………………。
いや、大きさこそ違えど猫のしっぽそのものだ。
母親がそれに気づいたのか、女の子に何か声をかけた。そして私が目を逸らした瞬間、女の子はしっぽを隠し……た?
私にはその一瞬しか見えなかたっが、確実にあった。
………………。
「………………………」
………………。
………………。
………………。
………………そうか。
…………………………。
私の感じた違和感、そしてこの家族の正体はそれだったのか…………。
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