夜も更けてきた。
私の割り当ての仕事はないが、私を家まで送ってくれるという長田さんは仕事があるらしく午前一時まで待ってて欲しいのだという。
仕方なしに私は、気分転換になればと旅館内を歩き回っていた。
色々なことがあって混乱した頭を少しでも整理しようとしている。
でも、全然考えがまとまらない。
大久野屋旅館は表向きはただの温泉旅館。
でも実は、神や妖怪などが湯治に訪れる。そんな場所。
例えて言うなら、有名なアニメ映画に出てくる湯屋みたいなものだ(一応付け加えると、18禁要素は皆無)。実際に神様をお湯でおもてなしする祭りもあるくらいだ。需要は確実にある。
この旅館は二つの世界の交わる場所。交差点。
霊感の有無に関わらず、この世界には神や妖怪などの存在が実在する。
八ヶ岳なんかも意外と神や妖怪が好んで訪れたり、住み着いているらしい。
そして昼間のお客さんは、……おそらく猫の化身。
「ぅぅぅぅぅ……………………」
ずっと知らないわけじゃなかった。正樹おじさんは当然として、お母さんやお父さんだってこの事を知っている。
出来る事なら、この旅館に関わりたくなったのに………。
「あれ? 君は…………」
振り向くと、そこには…………龍巳君が立っていた。
「そういえば、あなたは昼間はいなかったよね?」
「僕は峡北高校の写真部なんだ。今日は甲府工業との合同撮影会があってね」
「写真部なんですか?」
さっきまでぐだぐだ考えていたことを感じさせないように装おうとする。
「うん。君は?」
「私も峡北高校なんですけど、特に部活は入ってないんです」
「そうなの? まっ、いいか。北杜高校に行ってるって言ってたけど、実家はどこなの?」
「五町田よ」
「五町田かぁ……。じゃあ高根町内ってことだね」
「でも小学校は違うわよ?」
「ははは、きついなぁ……。でも、中学校と高校は同じでしょ?」
つい嫌味じみたことを言ってしまったかと思ったが、あっさり返されてちょっと驚いた。
それにしても夕食の時の無口ぶりとは正反対によくしゃべる。
「あの、龍巳君は……」
「あぁ、僕のことは『龍巳』って呼んでくれていいよ。『君』とか『さん』づけで呼ばれるのって好きじゃないからね」
母親の愛さんと同じく、上下関係を厳しくするのが好きじゃないらしい。歳も近い事もあり、奈積さんの時より抵抗感は無かった。
「あなたがそう呼びたいなら、私のことも呼び捨てで良いわよ。えっと……じゃあ、龍巳は今何年生?」
「三年だよ。七月で十八歳になる」
私が一年で龍巳が三年なら、私が中学一のときに同じ中学の三学年に龍巳がいたことになる。どうでもいいことか。
「大久野さんの姪ってことは、この旅館の事情ってわかってる?」
「…………だいたいは、ね」
「ん? どうしたの」
「私、……このことはあまり快くは思ってないの」
「……悪いことを聞いちゃったかな?」
申し訳なさそうに龍巳が話してくれる。
でも神や妖怪やこの旅館の事実なんて受け入れようと思えばいつでも受け入れられたはず。でも二の足を踏ませる理由が私自身の中にある。
「いいの。私の一方的なトラウマみたいなものだから」
「トラウマ……?」
「……そう。赤ちゃんとかの小さいころのね。それ以来、私ってどこか懐疑的なの。だから……その場はよくても、後になって色々悪く考えちゃうことだってあるわ。そのせいで周りにかえって気を遣わせてちゃうかも…………」
「今日の夕食の時のとか……?」
「……昼間の挨拶回りとか、私の見たお客さんの事とかもね。晩ご飯のときはたしかにみんな明るくしてくれたし、あの雰囲気がこの旅館って感じたの。……でも、今日来たばかりの私がはしゃぐというか、あそこまでやっちゃてよかったんだろうかって…………」
本当は初対面だから優しい、とか失礼な事を色々考えてしまう。少なくともこの旅館の人は私を利用して一方的に特を使用なんて考えているはずは無いのに…………でも疑ってしまう。
あと長田さんや塩見さんに便乗して奈積さんのおかずを奪ったのが気になる。食べ物の怨みは恐ろしいと言うし。それに奈積さんは…………。
「難しく考える必要はないよ。みんな夕食の時の君を見て、もう打ち解けてくれたんだって安心してたんだよ」
「そう……なの?」
「うん。昼間とか緊張してたって聞いていたからね。人の心なんて読めないかさ、みんな気にしていたんだ」
人の心なんて読めないか…………。
でも…………………………。
「うん。龍巳が私のことを本気で心配してくれるのはわかる。でも、私は色々と感じてきてしまったの。綺麗事なんかもたくさんね……」
今の言い方に龍巳は、私が何かを抱えているのに気が付いたみたいだった。
証拠に、龍巳はそれを追求しようとはしなかった。
「うん。君が何か悩みを抱えてるのはわかった。……でも、誰にだって話したくないことはある。僕は無理強いはしないよ。……でもね」
「でも……?」
龍巳が私の瞳を見詰める。
「どうしてもな時は僕でよければ相談してくれてもいいんだよ? 僕だってこっちの世界に関わってるからね。…………図々しいかもしれなかったかな?」
その気持ちに裏などなかった……。
「……ありがとう。トラウマのことはまだ話せそうにないけど、この旅館で私が感じていること……聞いてくれないかな?」
とても自然にその言葉が出てきた。普段なら、誰にも話したくない話題なのに。
「うん。いいよ」
龍巳はにっこりしながら頷いた。
「私は正樹おじさんの姪だから……昔から知ってたわ。ここは普通じゃない、ってね…………」
思わず拳を強く握り締める。
「ここに来る客の半分は人間のじゃない……。人間じゃないモノが本当にいる事が……嫌なの」
「美雪はファンタジーとか超常現象とか信じないほうなの?」
信じるも何も、そこに『いる』んだけどね。
「ううん。決してファンタジーが嫌いなわけじゃないの。でも、…………違うの。何でも科学で解明できてしまいそうな時代にその存在を認めないといけない」
それはただの言い訳。とっさに出できた出任せ。
本当のことを話したくて紡がれた言葉は虚構。それは事実に向き合いたくないが故の逃げ。
「………………」
「ううん、それも違う。そう思い込んでしまうのも、きっとそれも私のトラウマのせい。人間じゃないモノが関わることで発生する独特な雰囲気。奇怪なモノを見る目。奇怪なモノを…………」
取り乱しそうになるのを落ち着かせて、ひとつ深呼吸をした。
「でも、いつまでもこんなんじゃいけない。自分でも考え方とか変えなきゃとは思ってるの。少しづつ……努力しようと思う……」
「うん。少しでも進もうとしないと何も変わらないからね」
龍巳は少し間を置いて口を開いた。
「…………なんでかな? 美雪が相手だと自然と話せる。……今度は僕の話しを聞いてもらっていいかな? 今日初めて会ったばかりでなんだけど」
「それは……お互い様よ。私だってみんなに気を遣わせちゃって、龍巳に一方的に話しを聞いてもらって。だから今度は私の番」
心構えを変えようとしても、懐疑的な心情から抜け出せる自信がない……。
だから初めの一歩も踏み出せない。
でも、試さないと結果は何も判らない。試さないから何も変わらい。
そんな個人的な事情を抜きにしても、龍巳の気持ちに応える必要が今の私にはある。
「ありがとう」
そう言ってから琥珀は語り出した。
それにしても私なら方も気兼ねなく龍巳と話している。呼び捨てにも抵抗感が全くない。
…………一体何故だろう。
「東京の八王子に天水町という場所があるんだ」
「天水町……?」
「その町には一本の川が流れてる。天龍川っていうんだ」
「その川が龍巳とどういう関係が?」
「美雪は土地神って知ってる?」
「たしか……その土地を護り、統べる存在だったわよね? 主とも呼ぶんだっけ?」
「うん。その通り。……僕は天龍川の当代の主を担うはずだったんだ」
「はずだったって……」
もし、言葉通りに捉えるのなら……。
「そう。もう僕は天龍川の主にはなれない。……実は僕の母さんは先々代の主なんだ」
「愛さん……が?」
何か凄さは感じていたが、そんなに高い位にいたとは全く気がつかなかった。
……ん? 先々代? 龍巳が当代の予定だったなら、普通愛さんは先代ってことにならないか? でも今はそんな質問は無粋。あとでいくらでも考えられる事。
「天龍川の主は鶴田家の人が本家筋、分家筋問わずに一人選ばれて五十年の任期を全うする。それが千年以上も続いてきた。でも……」
「でも?」
「僕が主の使命を受けた時は既にはもう天龍川は」
「あの映画の川みたいに埋められたとか!?」
「いや、……ちょっと違うんだ。川自体は今でも存在しているはずだし、水だって流れてはいる。ただ、源流の一つの真上に建物がね……」
「建物?」
「うん。そうやって潰されてきた川が全国に沢山ある」
「………………………………」
「………………………………」
沈黙が続いてしまう。
龍巳が語ったのは神としての役割をひとつも行うことなく、…………それを失ったということ。
「それで仕方なく母さんが働いていたこの地に留まることになったんだ。母子共に崩れ神としてね」
「崩れ神……」
「美雪の本質が何かはまだ判らないけど、……僕は龍神なんだ」
龍神。確か、雨や川とか水に関する神だっけ……。
「うん。ちょっと、人間とは違うかなって思ってた」
「さすがに判るか……」
溜息交じりに龍巳は続ける。
「鶴田家の本家筋は純粋な龍神の血脈。僕の今の姿だって仮のものにすぎない。みんなに常に嘘をついて生きているも同じだ」
常に嘘をついて生きている。その言葉が私の心に突き刺さる。私も今現在、龍巳に対して語った真実よりも隠している事実のほうが多い。
「嘘をつき続けていても、それを相殺できる……誇りに思える何かがあれば。…………でも、僕は龍神としての本懐を果たせない。そして、惰性でこの場所で暮らしている………………」
「龍巳…………」
「でもね……」
龍巳は庭園の方を向いた。
そこには月と池、庭に生えてる木や周りの山の影が織り成す幻想的な景色が広がっていた。
昼間見た時にはなかった景色。まるで自然の壮大さ、本来の姿のよう。
「綺麗……。自然って感じ…………」
「でも、ここは旅館。正樹さんが創り上げた旅館。だからこの庭も、人工的に作られたものにすぎない。でも、人口的なものだからっていって放っておくとどうなると思う?」
「えっと…………?」
「いくら作られた庭だからって、ほったらかしにしておくと、すぐに荒れて、荒れちゃうだろうね。でも、そうはならない」
「この庭を毎日綺麗に手入れした人がいる」
「そう。今日は丸山さんやっていたけど、四ノ宮さんが毎日手入れしているんだ」
「そうなんだ……。なんかすごい」
「…………美雪は簡単には消えないトラウマと、この旅館への不信感を抱いている。けれど、内容は違えど誰だって不安な事を抱いている。それでも、みんな一生懸命に働いている」
与えられた役割を一生懸命こなす。
だから、美しく、とても自然な景色がそこにある。
それなら私もがんばってみよう。
そう決心した。
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