襖をノックする音が聞こえた。
「美雪、いるかぁ?」
奈積さんだった。
「いますよ」
そう答えると奈積さんは襖を開けた。
「今日、あんたが案内した客、いただろ? その人が美雪に会いたいって言ってるぞ」
「えっ……?」
「……それにしても、初めて案内した客があの人とはね」
「何のことです?」
特別な何かは感じられなかったが。気配も人間らしかったし。
「そりゃ…………。あんな凄い人が美雪に直接会いたいなんて言うなんて大事件だぞ!」
興奮気味な奈積さんでは誰の事か伝わらない。
「だから、どういうことなのよ?」
「そんなに気になるんなら、本人に訊いてみな」
奈積さんの言った言葉を不思議に思いつつ、私はそのお客さんのいる部屋へと向かった。
「失礼します」
多分こうで間違いない……よね?
部屋の名前を確かめてからノックする。
中から声がしたがまだ安心でできず、不安ながら部屋の襖を開いた。
お客さんは洋服から浴衣に着替えていた。改めて見ても特別なものは感じない。
「あなたが薬袋美雪ちゃんね」
机を挟み向かい合わせに座った私にお客さんは明るく話し掛けた。
「私の名前を知っているんですか?」
「あの口が悪そうな仲居さんに聞いたのよ」
あぁ、奈積さんの事か。
奈積さん、接客するときはちゃんとした言葉遣いをしているはずなのにバレてるとは…………。
「あの時、お互い緊張していたから判らなかったけど、こうして見ると明るくて元気そうね」
お客さんの雰囲気からは奈積が言っていたような凄い人とは思えない。
「あのぅ……お名前を伺って宜しいでしょうか?」
正しい言葉遣いってこれで良いの? なんかヤケになりそうだ。いや、なっている……?
「私の名前?」
「はい」
「確かに私が美雪ちゃんの名前を知っていて、あなたが私の名前を知らないのは不公平だものね」
一体どんな名前が出てくるのか想像もつかなかった。私は社会的に偉い人とか、神社で祀られている神様とかに詳しくない。
「天野照子って言うの」
「照子さんですか……?」
「と言っても、私の真名……神名は天照大神」
…………天照大神。
どこかで聞いたような名前。『大神』と付くからには神なのだろう。でも、私は神様などは詳しくない……。
いや、そんな私でも名前は聞いたことがある。つまり、そのくらいすごい人…………。
解りやすく例えれば音楽に興味が無い人でも、大人気アイドルグループの名前を聞いたことがあるのと同じ。
「失礼ですけれど……」
どのくらいすごい人なのか尋ねようとすると照子さん、天照大神はその先の言葉が予想できたらしい。
「まぁ……現代の子じゃあ、しょうがないわよね。私はね、解りやすく言えば神の暮らす世界で総理大臣とか大統領みたいな事をしているの」
「えっ……えっと……。…………えぇ! そうなんですかぁあ!?」
思わずとんでもない声を出してしまった。
つまることろ照子さんは神の世界のトップ……。
「ははは。あなたの反応って見ていると面白いわね」
「えへへ……よく言われるんです」
私のリアクションはそんなに面白いのだろうか? 今度ゆきにでも聞いてみようかな。
照れ隠しに笑う私を見て天照さんはにっこり笑った。それにしても天照さんは笑顔がよく似合う人だなぁ……。
「あなたはここで働いて長いの?」
「実は昨日からなんです。この旅館の館長の大久野正樹さんが私の叔父でバイトとして働いているんです」
「そういう経験も大切だからねぇ。今、何歳なの?」
「この間、十六になりました」
「六月に十六歳ってことは高校一年生?」
「はい」
「今の時期に感じた事は大切にした方が良いわ。その意味においてもバイトとして働く事も決して無駄にはならない。沢山の経験を積んだ人が周りから立派な人として認めてくれる」
「そうですか。……はい。大切にしようと思います。沢山の経験を積んだほうが良いって言いましたけど? 天照さんはどうなんですか?」
この頃には互いに客だとか肩書き、立場などは忘れて話しをしていた。
「私? 私はね……。ははは、もう随分前の話だからねぇ……」
そして天照さんは話し始めた。
「昔……それこそ神話とかで語られる時代は色々大変だったわ。厄介な弟が暴れたり、私自身閉じこもってた時期もあったし。周りの助けとかもあったりして、この国を一つにするために試行錯誤したわ」
「そうなんですか」
いくらトップとはいえ独断ですべてが回せるほど楽なことではないらしい。
「日本の神様とか妖怪とか、私たちはそれぞれ得意分野を持っているわ。私だって乱暴な言い方をすれば生命を育む太陽の化身に過ぎない。万能ではないの。だから大きなことをするには助けがいる。いくら高貴な生まれとはいえ周りの賛同と協力を得るには私自身が動かなくてはならないわ。そのためには努力を怠ることはできない」
頂点の凄味が滲み出ていた。
……決して楽な生き方などない、ということ。
それにしても神話には疎いのが恥ずかしい。
「恥ずかしがらなくても良いのよ。私だって今に生きている。だから今がどういう時代なのかも解る」
「時代ですか?」
「そう。ここまで科学という分野が発達してきた中で、その枠から厳密な意味では外れる私たちは身内や一部を除いて実際に存在しなくてもそんなに影響はしないわ」
「…………」
「まぁ、実際は存在してないとかなり影響があるんだけどね。実際、肩身の狭い者たちが肩身を寄せ合って暮らしてる場所もこの近くにあるくらいだしね」
「つまりそれだけ影響力が弱まっている?」
「そう。影響力が弱まれば、関心も弱まる。簡単な話よ。だからあなたが恥じることはないわ」
「こんな時代を恨んでいるんですか……?」
「そんなことは考えてないわ。ただ、末永くこの国が在り続けて欲しいだけよ」
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