大久野屋旅館に天照さんが訪れてたは二週間ほど前のこと。
天照さんはすっかりこの旅館を気に入ってくれたらしく、周囲に『すごくいい雰囲気だったわ、また訪れてみたい』と語っていたらしい。
また『まぁ、庶民的な空気が嫌いな人は向いていないと思うけどね』ともいったそうで……。
やはりこの旅館は特別なところはあまり無いのだろうか。
私の偉い神様のイメージとは違い、どこか若者ぽい言動だったとはいえ、そこはやはり天照大神。高天原の長である。
やるべき仕事は山のようにあるようで、なかなか自由な時間をまとめてとることはできないらしい。
私にできる事は、また訪れてくれた時には前回以上に満足してもらえるように努力することだな、と思った。
あと、天照さんの宣伝効果なのか売り上げも上がってっているらしい。本当だろうか? 甚だ疑問である。
まぁ、バイトの私にとってそれほど大事な事じゃないから、それはいいのだけれど……。
「正樹おじさん。何をそわそわしてるんです?」
正樹おじさんはあれからというもの、どこか落ち着きが無い。
心が読める私はその浮かれ具合や理由なんて手に取るように判る。
「そりゃあ、この前天照大神様が来てくださったんだ。ここいらでもう一度来てくださったら、さらに客だ増えるだろう?」
「そうは言いますけど、暇じゃないですよ。天照さんは」
「そりゃ、そうだが……」
「五十超えたおっさんが何を浮かれているんだかと思ってたんだが、そういうこんか」
長田さんが私たちを見つけるとニヤリと笑いながら言った。
「年甲斐もなく結局は金儲けの話かよ」
「……ほっといてくれないか」
長田さん基本的に口が悪く、どこか斜に構えている節がある。その癖本質は優しかったりするのだから、結構ひねくれ者だ。
………………。
………………果たして人の事、言えるのか? 私。
「正樹さん、そろそろ出発しますよ?」
「そうだな。もうそんな時間か」
そう言うと長田さんと一緒に出かけて行った。
旅館の裏手から改造車のエンジン音が聞こえる。長田さんの車の音だ。
長田さんはかなりの車好きでそれを仕事にしてしまった程。
古いカローラに乗っていて、二十年以上前の車でハチロクって世間では言われている(らしい)。
未だに私には、あれのどこが良いのか解らない。ちなみに奈積さんや千春さん、丸山さんには良さが解るようで……。
「美雪ちゃん」
仲居頭である愛さんが呼ぶ。
何だろう? と思い、駆け足で向かった。
「美雪ちゃん。そろそろこの旅館の雰囲気にも慣れてきた?」
その答えに関しては考えるまでもなかった。
「はい」
即答だった。
異聞を活かすかどうかは未だに保留中だが、仲居の手伝いと雑用をこなしながら旅館で暮らしていくうちに溶け込んできている。
私の返事を聞いて愛さんは嬉しそうに頷くと、
「美雪ちゃんが将来、どんな仕事に就くかは分からないけど、高校卒業まではここにいるって話だったわよね?」
「はい、そうですね」
「単刀直入に訊くけど、仲居さんに興味ない?」
「それって……どういうことです?」
心の読める異聞を持っているとはいえ、思わず聞き返してしまうあたり、私も人間ということだろうか。
「美雪ちゃんがこの仕事の魅力に気が付き始めているのはこの前、奈積さんから聞いたわ」
そんなこと言ったっけ? 言ったかも知れないし、言っていない気もする。
……でも、将来のことはまだ判らないけど、バイトながらサービス業の魅力に取り付かれて始めているかもしれない。
それだけ短い期間でこの大久野屋旅館が与えてくれたものは大きかった。
愛さんが言いたいことは、時間もあるし、少なくともやる気もある。せっかくだから『仲居の仕事をしてみないか?』ってとこだろう。
口に出したつもりは無かったのだが、表情が語ってしまっていたらしい。愛さんは真剣な顔で
「どうかしら? 仲居の仕事。やる気ある?」
と。
「もし、嫌なら拓弥さんとかと同じような仕事をさせるけど……」
「やって……みたいです」
本音から言って雑用専門は嫌だ。(遣り甲斐を感じている彼らにとって著しく失礼ですw)
私は、大きく深呼吸して言った。
「仲居の仕事、ぜひやってみたいです!」
そして私を待っていたのは室内の掃除だった。
「ほら! しっかり磨く!」
「……はい」
今ままで私の掃除担当は外だったので、客室の掃除の様子は知らなかったが……。
まさか、掃除機を使わないとか………………。
そういえば従業員部屋以外で掃除機を見たことが無かったと、いまさらながら思い出す。
奈積さんはお客様が近くの部屋にいるからだと言っていたが、静かな掃除機だって今はあるだろうに。
「仲居やるんだろ? 美雪」
「まぁ……」
「……だからこそだぞ」
「え……?」
「お客様のために心を込めて磨く。寝転がってくつろげるように綺麗にする。快適に過ごしてもらうよいにしてもらう」
はたきで上の方の埃を払い、、綺麗な雑巾で汚れを拭き、ほうきで掃く。
そして、心を込めて畳を拭くように言われた。
「美雪ぃ、面倒臭がらない。仲居の仕事をしたいって言ったんだろ?」
自分ではしっかりやっているつもりだが、面倒くさいオーラみたいなのを発していたのだろうか?
異聞持ちの私がなぜ心を読まれる?
「……はい」
疑問は尽きないが、小さくそう答えるのが精一杯だった。
「つまり、お客様に気持ち良く過ごしてもらうためにする仕事をしたいってことだろ?」
「…………」
「ちょっとしたことを含めて全部がお客様に繋がっちまう。働くことが全て繋がるんだ。だから一つ一つ、手を抜いたらいけない」
「はい」
それはおもてなしをする上で大事な心構えなんだろう。
全てはここで過ごしてくれるお客さんのため。
私はどうもそこを忘れがちだった。
例えば私が小さな埃を見落としたとする。
小さいことは気にしない人がお客さんなら良い(もちろん本当は手を抜いて良いはずがない)。
しかし、綺麗好きな人だったらどうだろうか。
目立つ汚れをちょっとした不注意で見落としていたならどうだろうか。
例え綺麗二掃除したとしてもでも、気配りをし心を込めて掃除したのと、そうでないのでは微かな印象が違ってくる。
より心を込めるためにこの旅館では掃除機は使わないで、手作業で掃除を行うのだろう。
普通の人間でもきっと感じるこれは、本来異聞の使える私が一番敏感でなければいけないはずで…………。
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