那須線

那須線(なすせん)とは、茨城県猿島郡境町の下総境駅と栃木県那須郡那須町の芦野駅を結ぶ関東鉄道の鉄道路線である。

路線名 関東鉄道 那須線
所在地 茨城県、栃木県
起点 下総境駅
終点 芦野駅
駅数 31駅
路線記号 KN
開業 1914年9月20日
最終延伸 1921年5月9日
所有者 関東鉄道
運営者 関東鉄道
車両基地 岩井車両管区
(本区・真岡車両区・黒羽派出所)
路線距離 120.1km
軌間 1,067mm (3ft,6in)
線路数 複線(下総境 - 真岡間、那須谷田 - 寒井間)
単線(真岡 - 那須小川間、寒井 - 芦野間)
電化方式 直流1500V 架空電車線式
(仁連 - 飯貝間は直直デッドセクション方式)
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 関鉄型ATS
最高速度 75km/h-110km/h


概要

関東鉄道により運営されている路線。
岩井より下間街道沿いに北上し結城、真岡を経て烏山へ至り、そこから那珂川沿いに北上して芦野までを結ぶ。
岩井駅より分岐しているが、同駅からの距離は幹線の越名線より長く、関東鉄道にとっても東京から避暑地・観光地である那須方面を結ぶ重要幹線として位置付けられている。
仁連 - 真岡間は石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の30km圏内に位置しているが、真岡以北の区間を含め戦前に既に直流電化がなされていたことや、交直流電車の製造コストなどの都合から、変電所を短区間で区切りデッドセクションを設ける直直デッドセクション方式が採用された。

歴史

現在の那須線に繋がる路線は以下の主体により建設された。
1.野州鉄道 (岩井 - 那須小川間)
2.東野鉄道 (那須小川 - 黒羽間)
3.芦野石材軌道 (黒羽 - 芦野間)
このうち中核となったのは1の野州鉄道である。この野州鉄道は、1900年代頃に鉄道の有用性に目をつけた投機家らにより、我孫子 - 宝積寺を結び日本鉄道の海岸線・奥州線(現在のJR常磐線・東北本線)を連絡しつつ成田鉄道と接続することで、鬼怒川周辺の貨物を東北、東京、銚子各方面へ流通させ、鬼怒川水運を主に利根川水系の広域にわたる水運を代替することを企図して計画された鬼怒川鉄道を起源としており、当初計画されていた申請ルートは我孫子 - 守谷 - 水海道 - 下妻 - 下館 - 真岡 - 清原 - 宝積寺間と概ね鬼怒川の左岸に並行して90km以上に及ぶ壮大なものであり、別途真岡 - 烏山 - 大子間の支線も計画されていた。
しかし、同社が計画した路線網は下館以南の多くの部分で常総鉄道との競願となった上に長大路線かつ利根川への架橋を必要とするのに対して少ない資本金や着工見込みの甘さなど杜撰な計画を鉄道院から指摘され、免許が下りることすらも危うい状況となっていた。そこで、真岡以南のルートを現在の常総線に近い経由ルートから下総境駅を起点にを経由するルートに変更し以南は総野鉄道に乗り入れる形態に変更したが、一方このルートとなったことで大局的に東北本線との競合を見込んだ鉄道院より修正を求められたため、東京での建築需要の増加を見込んで那珂川の砂利や沿線で産出される芦野石などの石材輸送を想定して真岡以北は従来の本線ルートを放棄し、烏山、黒羽を経由して大子へ至る支線のルートへ計画を変更して改めて免許を申請し、各界の有力者の協力を経て、当初鬼怒川鉄道として計画されたこの鉄道は鬼怒川沿いというより下野国を縦貫する鉄道路線となることから、1912年野州鉄道に社名を変更して発起をみた。
1912年(明治45年)7月に免許が下付されて会社が創立された後、まず真岡までの区間より順次着工し、1914年(大正3年)に岩井 - 結城間で1日7往復の蒸気機関車運転で開業した。開業当初は二重運賃による運賃の高さなどを理由にあまり業績が振るわなかったが、翌年に真岡に到達するとともに総野鉄道との協定に基づき割引を設けた連絡運賃を設定すると、東京へ直結する至便性から利用が増え、3年前に既に開業していた国鉄の真岡軽便線へ大打撃を与える結果となった。
この際の収入を原資に烏山方面への延伸を進めることとなったが、途中の本市塙 - 烏山間に20‰近い急勾配ののちトンネル、長大橋梁が連続する野上付近の山越え区間を挟むことから建設費用が嵩んだ上に難工事となったため、僅か1年近くで真岡への延伸を遂げたのとは対照的に烏山へ延伸したのは真岡延伸から3年半近い歳月を経る1918年(大正7年)11月のことであった。烏山へは省線より先の到達となったが、これ以北は谷田を経て大内川沿いに大子を目指す計画であったが、このルートが1913年(大正2年)に別途免許を受けていた東野鉄道の免許線(黒羽 - 大子)と競合したため協議を行い、その結果谷田 - 大子間は野州鉄道が建設し東野鉄道と路線を共用するとともに野州鉄道が東野鉄道へ出資して増資を行う合意を得るとともにこれ以後野州鉄道と東野鉄道は人的、資本的な結びつきが深くなったようである。
かくして野州鉄道は1921年(大正10年)10月に烏山 - 馬頭間を開業させた後、翌年12月に那須小川へ延伸した東野鉄道と那須小川 - 馬頭間に連絡線を設けて連絡運輸を開始し、さらに1923年(大正11年)2月に合理化の一環として事実上の子会社となっていた東野鉄道を合併している。
なお、野州鉄道は総野鉄道と起点で接続していたため、設立時点から運行上の関係こそ深かったが、経営上は同社株式の一部を保有する株主の一角に過ぎず、ある時期までは開業にあたり支援し同社の筆頭株主であった安田財閥や東武をはじめとした根津系資本との関係が深かったようである。
そのような中、総野鉄道が野州鉄道の経営権掌握への最初の足掛かりを得たのは、1919年に第一次世界大戦後の不況に伴う資本再編の影響を受け、野州鉄道の大株主で役員を勤めていた根津嘉一郎が持つ株を譲り受けたことであった。東武と関鉄は後に熾烈な競争を繰り広げることとなるが、この時点では佐野鉄道の合併を巡る禍根が関鉄側にやや残るのみであり、根津としても東上鉄道との合併を進める上で野州鉄道は総野へ譲って手を引いた方が良いと考えていたらしく佐野鉄道の補償の意味合いも含まれていたようである。その後安田保善社が所持していた株を買収して筆頭株主となった後、関東大震災からの復旧に当たって同系資本となった両社が合併するのが合理的であるとして、1923年11月1日付で野州鉄道と総野鉄道は後者を存続会社として対等合併し、関東鉄道へ社名を変更。所有していた路線は野州線、東野線として関東鉄道の路線となった。

一方、この時点で野州鉄道免許線の馬頭 - 大子間は未だに建設中であったが、関鉄の主眼は飽くまで那須方面にあったために自社で建設する必要性が薄く、別に大子鉄道を設立して建設を行っている。

野州鉄道の合併後、関東鉄道はまず那須方面への電車直通運転を目的に電化の推進に取り組んた。関東大震災からの復興が進むにつれ観光需要が回復すれば、野州線を通して那須地方の観光開発が進むことを狙ったが当時の野州線は未だ全線非電化で蒸気機関車による運転であった。電車が浸透した都市部の住民を相手に蒸気機関車の煤煙を浴びせるのは集客上悪影響であるとして、那須線は順次電化が進められた。
1924年(大正13年)に本線から受電して岩井 - 仁連間を電化したが、仁連以北では柿岡の中央気象台(当時)地磁気観測所の30km圏内で地磁気観測への影響を抑える必要があったことから電化延長の際、仁連 - 真岡間はやむなく直流600Vでの電化許可となったものも1929年(昭和4年)には全線電化を達成し東京方面への直通運転を開始している。
また、合併直後には黒羽から芦野へ伸びていた芦野石材軌道を買い取り、蒸気鉄道に改造して自社線に組み入れており、これが那須線の黒羽以北へ繋がっている。

戦前の電化時仁連 - 真岡間は直流600Vでの電化となったが、モーターの出力が他の1,500V区間に比べて劣り輸送上のボトルネックとなっていたことから、戦後改めてこの区間の電化方式改良が検討されることとなった。当初は交流化案も存在したが、真岡以北も直流1,500V電化となっている中この区間のみ交流電化では交直流電車の製造費用に対して割に合わないため、結局のところ仁連 - 飯貝間を直直デッドセクション方式に改造することで1,500Vへ昇圧することとなった。

年表

  • 1910年(明治43年)
    • 9月13日 芦野石材軌道が大田原 - 芦野間で人車による石材運搬を開始。那須人車軌道と連絡して省線西那須野駅まで連絡を行う。
    • 11月27日 鬼怒川鉄道が我孫子 - 水海道 - 下妻 - 下館 - 真岡 - 清原 - 宝積寺間の鉄道免許申請。次いで真岡 - 烏山 - 大子間の免許申請も追ってなされた。発起人には東京の投機家をはじめ1895年に仮免許を得た常野鉄道の関係者が参画。
  • 1911年(明治44年)10月9日 常総鉄道との競願のため、真岡以南の計画ルートを境 - 結城 - 真岡とし、総野鉄道線に接続する計画に変更。
  • 1912年(明治45年)7月2日 鬼怒川鉄道へ岩井 - 山川 - 結城 - 真岡 - 烏山 - 大子間の敷設免許下付
  • 1912年(大正元年)9月1日 創立。社名を鬼怒川鉄道から野州鉄道へ改め、野州鉄道株式会社とする。
  • 1914年(大正3年)9月20日 岩井 - 結城間(30.9km)開通。開通時は1日7往復蒸気機関車での運転であった。途中に沓掛、山川(現 下総山川)の2駅を設置。
  • 1915年(大正4年)7月11日 結城 - 真岡間(22.1km)開通。
  • 1918年(大正7年)
    • 4月17日 東野鉄道が黒羽駅を開業。当時は西那須野 - 黒羽間で終着駅。
    • 11月9日 真岡 - 烏山間(22.3km)延伸開業。
  • 1919年(大正8年)頃(時期不明) この時期に芦野石材軌道が黒羽へ発着点を変更し接続先を東野鉄道に変える。
  • 1921年(大正10年)10月22日 烏山 - 馬頭間延伸開業。
  • 1922年(大正11年)12月6日 東野鉄道が黒羽 - 那須小川間を開業。
  • 1923年(大正12年)
    • 3月1日 野州鉄道が東野鉄道を吸収合併。旧野州鉄道線を野州線、東野鉄道線を東野線と呼称。
    • 6月3日 七会 - 馬頭間に西那珂川連絡所(七会駅構内扱い)開業。野州線と東野線の連絡運輸開始。
    • 11月1日 野州鉄道が総野鉄道と対等合併し、関東鉄道発足。

運行形態


駅一覧

駅番号は2019年3月導入、一部停車駅含む特急停車駅のみ付番。
駅番号 駅名 駅間距離 総距離 普通 区間
快速
快速 接続路線 所在地
KL-34 下総境駅 0.0 0.0 関東鉄道:越名線 茨城県 猿島郡
境町
- 東長田駅 2.7 2.7
- 八俣駅 3.3 6.0 古河市
- 仁連駅 2.9 8.9
- 幸島駅 2.5 11.4
- 下総山川駅 5.4 16.8 結城市
- 上山川駅 3.3 20.1
- 南結城駅 2.5 22.6
KN-08 結城駅 2.0 24.6 東日本旅客鉄道:水戸線
KN-09 結城市駅 2.7 27.3
- 絹駅 2.6 29.9 栃木県 小山市
- 五所宮駅 3.6 33.5 茨城県 筑西市
- 野州二宮駅 4.7 38.2 栃木県 真岡市
- 野州寺内駅 4.5 42.7
KN-14 真岡駅 4.0 46.7 真岡鉄道:真岡線
- 飯貝駅 4.7 51.4
- 水橋駅 4.2 55.7 芳賀郡
芳賀町
- 野州赤羽駅 2.9 58.6 市貝町
- 本市塙駅 5.2 63.8
- 小貝駅 3.9 67.7
- 野州野上駅 9.5 77.2 那須烏山市
KN-21 烏山駅 1.8 79.0 東日本旅客鉄道:烏山線
- 七合駅 5.1 84.1
- 那須谷田駅 4.7 88.8 (関東鉄道:大子線 那須郡
那珂川町
KN-24 那須小川駅 3.7 92.5 関東鉄道:大子線
- 佐良土駅 3.1 95.6 大田原市
- 湯津上駅 5.1 100.7
KN-27 黒羽駅 3.2 103.9 関東鉄道:大田原線
KN-28 寒井駅 6.5 110.4 関東鉄道:湯本線
- 伊王野駅 5.9 116.3 那須郡
那須町
KN-62 芦野駅 3.8 120.1 関東鉄道:棚倉線

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最終更新:2025年09月15日 10:33