越名線

越名線(こえなせん)は、東京都墨田区の錦糸町駅と栃木県佐野市の佐野駅を結ぶ関東鉄道の鉄道路線である。ラインカラーは赤色、路線記号のナンバリングはKL(“K”antetsu"L"ine及び"K"oena"L"ineより)」。

路線名 関東鉄道越名線
起点 錦糸町駅
終点 佐野駅
駅数 47駅
所在地 東京都、千葉県、茨城県、栃木県
路線記号 KL
開業 1894年3月20日(越名 - 佐野間、佐野鉄道として)
1899年12月21日(総野鉄道として)
最終延伸 1929年7月10日
所有者 関東鉄道
運営者 関東鉄道
車両基地 岩井車両管区
路線長 97.2km
軌間 1067mm (3ft,6in)
線路数 複々線 (本田 - 松戸間、南流山 - 江戸川台間)
複線(錦糸町 - 本田間、松戸 - 南流山間、
江戸川台 - 古河間)
単線(古河 - 佐野間)
電化方式 直流1500V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
保安装置 D-ATS-P(錦糸町-岩井間)
関鉄型ATS(岩井-佐野間)
最高速度 90km/h - 110km/h

概要

錦糸町より本田、松戸、流山、野田市、岩井、境、古河を通り佐野に至る全長97.2kmの鉄道路線で、関東鉄道の創業路線であるとともに、関鉄の各路線の中でも中心的役割を果たす大幹線であり同社の看板路線ともなっている。

起点駅は錦糸町駅であるが、当初松戸 - 野田市間で開業したのち東京への短絡線として吾嬬 - 松戸間が開業しさらに錦糸町へ延伸したという歴史的経緯により、0キロポストは吾嬬駅の錦糸町寄りに存在しており、吾嬬 - 錦糸町間はマイナス表記となっている。

下町を連続立体交差化された複々線で走る本田 - 松戸間から渡良瀬遊水地を横目に北関東の平原を単線で進む末端区間まで沿線は多様な顔を見せ、沿線の機能においても核となる東京大都市圏通勤・通学輸送や都心部と佐野を結ぶ都市間輸送をはじめ、分岐する各支線を通して筑波学園都市へのアクセス、水戸への都市間輸送、那須高原や筑波山への観光輸送までその機能は数多い。

かつては、ほぼ全線にわたり貨物列車や荷物電車が運転されており、さらに貨物列車に限って東武佐野線との直通運転も実施していたが、2001年に吾嬬 - 佐野 - 葛生を走行する最後の貨物列車が廃止されて以降、貨物列車の定期運行は終了し、東武佐野線との直通運転もなくなっている。

運用

概況

関鉄の中核路線であることもあり、錦糸町を出て遠く佐野・真岡・つくばの各方面へ向かう通勤列車をはじめ、筑波山、那須などの観光地や佐野、棚倉、水戸の各地へ向かう特急列車、流山より八潮を経て東京メトロ千代田線へ直通する地下鉄直通など多方面へ向かう列車が多々設定されており、一部南流山より市川線へ直通する列車も存在するなど、これらすべてが入り混じる南流山 - 江戸川台の複々線区間は特に多彩な顔を見せる区間となっている。
東京通勤圏の区間では基本的にダイヤはおおよそ本線発着:地下鉄直通を6:4で采配し全体で5分ヘッドとなるよう構成されており、複々線区間の終端に当たる松戸で一部列車が折り返した後は岩井までは比較的本数が確保される形態である。
基本的に普通列車はほぼ全て下総境で系統分離されているものも、1 - 2時間当たり1本境以遠直通の無料優等種別が佐野行と真岡行(休日は朝の1本のみ那須湯本行)を交互に運転する形で設定され、1時間当たり3本(20分間隔)は筑波線に直通する優等列車となる。現在、錦糸町発の列車の最長は平日は那須線直通の区間快速 真岡行、休日は朝方に1本設定されている那須線・湯本線直通の快速 那須湯本行となっている。
原則として、快速、急行(それぞれ区間も含む)などの速達種別はターミナルである錦糸町から運転され、普通、準急など比較的遅い種別は千代田線直通で運転される傾向が強いが、時間帯によっては千代田線と直通する急行も存在するなど必ずしも画一的な設定とはなっていない。
下総境以北においては、特急列車は1 - 2時間に1本程度の間隔で運転がなされ、普通列車は古河までおおよそ1時間辺り2 - 3本(20 - 30分間隔)、古河以北は日中1時間辺り1本、朝夕に限り2本が確保されている。

種別

  • 普通
各駅に停車する。
  • 区間準急
流山まで準急と同じ駅に停車し、以後各停となる。
  • 準急
  • 通勤急行
  • 区間急行
2005年3月以前は区間快速準急であった。
  • 急行
2005年3月以前は快速準急と名乗っていた。
  • 区間快速
結城駅までの快速として運転し以後各停となる種別。
  • 快速
料金不要の最速達種別。
棚倉線岩井以北へ進むものは本数はあまり多くないが、遠距離通勤者や観光の需要の関係で運行されている。
休日ダイヤでは2ドアクロス車か3ドアセミクロス車を使用するが、平日は長距離快速にも普通の通勤電車(4ドアオールロング)が充当されるため注意。
かつては那須小川まで快速運転を実施していたが、現在は区間が真岡市までに短縮されている。一方、2004年のダイヤ改正で筑波線、水戸線系統の運行系統が見直された際同線方向への快速が増発され、筑波山口行、石岡行の本数が増加している。
  • 特急
最速達種別の有料列車。
関鉄の各線へ直通するいくつかの特急が運転されている。(詳細は後述)
  • SMARTLINER
2019年より運行開始した座席指定型通勤ライナー。
全列車が千代田線に直通する。

過去の種別
  • 快速準急
現在の急行に相当。
快速の通過駅の少なさと準急の速達性低下による停車駅増加によりこの間の速達需要を補う目的で1976年に新設された。
快速準急の名称は通常の準急より速い準急の意である。通常準急より速い列車には急行の名称が充てられるが、当時関鉄には遠距離通勤客向けに有料の急行列車も多く設定されていたという事情から代替名称として付けられたものだが、1995年より特急の定期券での乗車を認めて以降急行の設定意義が喪失したため、2000年のダイヤ改正で全ての定期急行列車が特急列車に格上げされるのに伴い、急行に名称を変更した。

  • 通勤準急
現在の通勤急行に相当。

有料列車
現在、同線には以下の有料列車が運転されている。
特急
  • やましろ 錦糸町 - 佐野間
  • くじがわ 錦糸町 - 棚倉町
  • 那須路 錦糸町 - 那須湯本
  • つくばね 錦糸町 - 筑波山口
  • すいふ 錦糸町 - 水戸
ライナー
2019年より、地下鉄直通のライナーの設定が開始された。

相互直通運転

東京地下鉄(東京メトロ)の千代田線・半蔵門線と相互直通運転を行っている。
ただし、正式名称上直接越名線と接続しているのは半蔵門線のみで千代田線は直接的には関鉄第二の幹線である大宮線に乗り入れており、南流山 - 江戸川台間で千代田線直通と半蔵門線直通が並走したのち、江戸川台から先千代田線直通は越名線方面へ、半蔵門線直通は筑波線方面へ向かうというやや変則的な運転が行われているが、これは自社線発着の普通列車が越名線は錦糸町発着、筑波線は大宮線関鉄上野発着となっていることや、千代田線が他にJRの常磐線へ直通していることなどを踏まえて利用者動線を考慮した結果である。

東京メトロ千代田線・小田急小田原線

南流山駅より大宮線・東京メトロ千代田線を介して小田急小田原線伊勢原駅まで相互直通運転を行っている。
直通種別は普通・準急・通勤急行・急行の各種別が直通を行っており、全日を通して見るとこのうち普通・準急など比較的遅い種別が多い傾向がある。
関鉄側の直通区間は、都心近郊区間の終着点となっている下総境までで原則として八潮駅から南流山駅まで千代田線と案内される大宮線の複々線区間を通った後、同駅より越名線へ移る形をとっている。日中は原則千代田線完結の代々木上原行が設定の中心となっているが、ラッシュ時をはじめ小田急線内まで直通する列車も一定間隔で設定されている。

東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線

本田駅からは東京メトロ半蔵門線を経由して東急田園都市線中央林間駅まで相互直通運転を行っている。
関鉄の半蔵門線直通は原則江戸川台以北で筑波線へ乗り入れ、直流電化区間の終点である水海道まで直通する。

歴史

1899年(明治32年)12月21日に松戸 - 野田(現 野田市)間で開業した関鉄の創業路線であり、佐野鉄道に由来する関鉄線で最も開業が古い区間も含まれている歴史ある路線である。
当初野田(現 野田市)以北は下総台地上を北進し関宿から境へ向かう計画であったが、関宿附近に大規模な駅を設置する余裕がなくまた急カーブが多くなるという線形上の問題、奥州線(現東北本線)と海岸線(現常磐線)の連絡路線計画に組み込むことを画策した政府の要請や岩井町での積極的な誘致運動により関宿経由から岩井を経由するルートに変更された。
また、元々松戸 - 古河間を一括で開業する予定であったが、利根川への架橋を行う余裕がなく、ひとまず野田の醤油や流山の味醂の輸送による収益を見込める野田までの営業とされた。
ここまでは工事にさほど難はなかったものも、野田以北は利根川を渡る架橋費用が必要であったことに加え、渡った先も藤岡まで利根川中下流域に散在する海跡残存湖沼を極力避けながら路線を敷く必要があったため難工事の連続であった。このような困難の中、1905年に当初の予定であった古河まで延長したが、1906年には当時同線を運営していた総野鉄道が鉄道国有法の買収対象に指定されたのを機に葛生産の石灰石を深川の浅野セメント工場へ運搬し野田の醤油などを大市場である東京へ直接輸送する目的に加え国有化時の買収額を吊り上げる意図から深川 - 松戸間の免許を取得した。結局同社は国有化を免れたものも、自前のターミナル駅が存在せず市川から先は国鉄に依存する恰好となったため、1909年(明治42年)に現在の越名線・本所線である本所 - 松戸間が開業。そして、最後に残った藤岡 - 越名間も1911年(明治44年)までに全通したことで、免許取得時に予定していた全線が開通している。

しかしながら、佐野鉄道との合併交渉に失敗し開通から1年足らずで計画当初将来自社線になることを見込んでいた佐野鉄道の路線を東武へ逃す結果となったために、将来に向けた問題は山積みであった。そのため、大正初期には葛生産石灰石貨物の代替を目的に上州産生糸の集積地となっていた大間々へ延長する構想が建てられたものも諸事情により計画消滅している。また、郊外側の延長は地形や予算に難儀しながらも完成を見たのに対して、東京都心側のターミナル駅の確保においては、関鉄もまた同じく東京の東側にターミナル駅を持つ東武、京成と同様都心側ターミナルの確保に終始苦心する事となった。
総野鉄道の創立時点では、市川より先は総武鉄道を跨ぎ江戸時代より製塩業の一大拠点であった行徳を通って西へ向かい深川区東扇橋町を通って浅野セメントの深川工場に隣接する清澄町を起点とする目論見であったが、ターミナル駅まで大きく迂回することから、1906年に改めて短絡線として現在のルートの免許を得た。当初申請ルートは、平井を経て深川区東扇橋町を起点とするもので、東扇橋町から先は舟運及び軌道で連絡する計画であった。
その後「早期竣工ノ便宜」を理由に平井経由であったものを本所経由へ変更し1909年にこのルートで開業に至っているが、これは平井経由では深川へ達するまで結局都心まで総武線頼みとなりかねず、暫定的にでも自社のターミナル駅を確保する必要があったためだとされている。

また、隅田川を渡り当時日本一の歓楽街であった浅草へ旅客専用線を伸ばしてターミナル駅を置く計画も出されたが、隅田川への架橋費用や線形上の問題から断念された。
その後、東京第二の歓楽街に当たる上野への延伸とする案もあったが、常磐線との競合の懸念した鉄道省により免許が下りず、また既成市街地を横断することから用地確保の問題もあったため、やむなく本所が選ばれた。これにより、関鉄の都心側ターミナル駅については、貨物は向島貨物駅で隅田川汽船が運行する河川舟運への積み替えを行い、旅客は向島で市電と連絡して浅草、上野方面や都心への乗客の利便を図ることで都心側のターミナルを確保することとなったようである。

その後、東武、京成とともに浅草乗り入れを巡り免許を争ったものも、頭部に免許が降り、関東大震災後の都市計画で関鉄の錦糸町への延伸が決定すると、関鉄は浅草から身を引き錦糸町方面への延伸に変更。1928年7月の錦糸町-隅田間の開通によって全通を迎えた。なお、これによりそれ以前の棚倉線である本所 - 北十間間は本所線に分離され、旅客輸送上は地域輸送を主とするローカル線に変貌したが、貨物輸送ではこの区間での貨物輸送が廃止されるまで一貫して貨物ターミナルであった本所へ関鉄の各線区から都心へ貨物を輸送、集積する幹線としての役割を担い続けることとなり、向島線は長年の間、地下鉄直通前の京成押上線や東武亀戸線のような都会のローカル線感を漂わせる取り残された旧本線でありながら貨物列車が何便も往復する異色の路線となっていた。

年表

明治期
  • 1890年(明治23年)1月25日 安蘇馬車鉄道の駅名不詳(若松町城西地内) - (旧)佐野町 - 越名間が開業
  • 1893年(明治26年)4月13日 安蘇馬車鉄道が佐野鉄道に社名変更
  • 1894年(明治27年)3月20日 葛生 - (旧)佐野町 - 越名間の鉄道開業。葛生 - 越名間の馬車鉄道廃止
  • 1899年(明治32年)12月21日 北千住 - 野田(現:野田市)間開業。開業時の途中駅は流山、山崎(現 江戸川台)の2駅。
  • 1901年(明治34年)3月25日 花畑駅
  • 1903年(明治36年)
    • 2月19日 野田 - 古河間延伸開業。途中に七郷、岩井、境(現:下総境駅)の3駅を設置し、利根川両岸に連絡船取扱仮乗降場を設置。
    • 7月3日 隅田川 - 北千住間開業。隅田川貨物駅を経由し、日本鉄道秋葉原駅までの貨物連絡運輸開始。
    • 9月5日 大相模駅開業。
  • 1904年(明治37年)4月15日 旭駅(現:下総旭駅)、森戸駅、静駅開業。
  • 1905年(明治38年)11月10日 北千住 - 千住橋下(現:千住大橋)の貨物支線開業。
  • 1906年(明治39年)2月1日 利根川橋梁完成
  • 1908年(明治41年)6月21日 古河 - 越名間開業。本線全通。佐野鉄道(現:東武佐野線)葛生駅まで直通運転開始。

大正期
  • 1912年(大正元年)
    • 9月22日 旅客専用線として、北浅草 - 隅田川間を複線延伸開業。これに合わせて北浅草 - 北千住間の電化と隅田川 - 北千住間の複線化が行われる。
  • 1913年(大正2年)


昭和以降



駅一覧

駅番号 駅名 距離程(km) 駅間距離(km)















接続路線
KL-01 錦糸町駅 0.0 - 東日本旅客鉄道:総武線(快速)(JO 22)
総武線(各駅停車)(JB 22)
東京地下鉄:半蔵門線(Z-13)
KL-02 天神前駅 0.9 0.9
KL-03 吾嬬駅 2.0 1.1
KL-04 寺嶋駅 3.2 1.2 関東鉄道:本所線
〈江戸川台・水海道方面へ直通運転〉
KL-05 四ツ木橋駅 4.1 0.9
KL-06 本田駅 5.5 1.4
KL-07 御花茶屋駅 6.5 1.0
KL-08 青戸駅 7.7 1.2
KL-09 新宿町駅 9.7 1.3
KL-10 帝釈天前駅 11.1 1.4
KL-11 上矢切駅 12.3 1.2
KL-12 松戸駅 13.4 1.1 関東鉄道:市川線(KI-01)
東日本旅客鉄道:常磐線(快速)
(上野東京ライン) (JJ 06)・
常磐線(各駅停車)(JL 22)
京成電鉄:松戸線(KS88)
KL-13 古ヶ崎駅 14.5 1.1
KL-14 松戸栄駅 15.9 1.4
KL-15 西馬橋駅 18.0 2.1
KL-16 小金台駅 19.9 1.9
KL-17 南流山駅 21.7 1.8 東日本旅客鉄道:武蔵野線(JM 16)
KL-18 流山駅 23.1 1.4 関東鉄道:新都心線大宮線(KM-16)
KL-19 三輪野台駅 24.3 1.2
KL-20 初石駅 26.0 1.7
KL-21 江戸川台駅 29.3 3.3 関東鉄道:筑波線
KL-22 梅郷駅 30.8 1.5
KL-23 花井駅 33.1 2.3
KL-24 野田市駅 35.6 1.3 関東鉄道:大宮線(KM-24)
KL-25 柳沢駅 36.5 0.9
KL-26 目吹駅 39.3 2.8
KL-27 矢作台駅 41.3 2.0
KL-28 七郷駅 44.3 3.0
KL-29 辺田駅 46.4 2.1
KL-30 岩井駅 48.1 3.2
KL-31 北岩井駅 49.8 2.8
KL-32 七重駅 52.1 2.3
KL-33 森戸駅 55.4 3.3
KL-34 下総境駅 58.8 3.4 関東鉄道:那須線
- 長谷戸駅 62.3 3.5
- 釈迦駅 66.6 4.3
- 勝鹿駅 69.2 2.7
KL-38 古河駅 72.6 3.4 東日本旅客鉄道:東北本線(宇都宮線)
(上野東京ライン・湘南新宿ライン)
- 本野木駅 75.1 2.5
- 生井駅 78.8 3.7
- 部屋駅 81.2 2.4
- 赤麻駅 85.0 3.8
- 藤岡駅 87.3 2.1
- 三鴨駅 89.4 3.0 関東鉄道:小野寺線
- 越名駅 92.4 3.0
- 野州高萩駅 95.3 2.9
KL-47 佐野駅 97.2 1.9 東日本旅客鉄道:両毛線、
東武鉄道:佐野線

廃駅

保安装置

1967年のATS導入以降、長年にわたり多変周(点制御・連続照査型)パターン式ATSである関鉄型ATSが使用されていたが、2017年から直通先に当たる小田急電鉄と共同開発したD-ATS-Pへの切り替えが下総境以南で行われた。これに伴い、従来メトロ車のみによる相互乗り入れとしていた千代田線直通運用であったのが小田急・メトロ・関鉄3社共通の相互直通運転が可能となった。但し、関鉄車はJRの保安装置は搭載しておらず、ATO化改造を行ったのみでワンマン化改造も行う予定がないため、綾瀬駅から常磐緩行線への直通運転はできない。運用上はJR車も関鉄線には乗り入れないが、関鉄の保安装置が小田急と同じであるため理論上は乗り入れが可能であり、乗り入れ不可なのは関鉄が唯一となっている。
関東鉄道では、順次車両へのD-ATS-P対応装置を搭載し、将来的には主要路線全線のD-ATS-P化を予定している。

その他

越名線には他社線との連絡線が2箇所存在している。
古河駅では4・5番線の間にある構内側線でJR東日本が管轄する東北本線と線路が繋がっており、関東鉄道における新型車両の搬入は基本的にここから行われている。また、先述の貨物輸送の名残により、佐野駅では葛生方の佐43号踏切手前の渡り線で東武佐野線と線路が接続されているが基本的に使用されることはない。

関連項目

最終更新:2025年10月12日 15:55