EF13形電気機関車

EF13形電気機関車(-がた でんき きかんしゃ)とは、常磐高速道交通網の電気機関車である。

国鉄形式機関車だが、他の形式と異なり、国鉄からの譲受車ではなく、全車が自社発注車である。


導入まで

常磐鉄道では電化の済んでいた上野~土浦間において電機牽引を実施していたが、D級(動軸数4)電機を重連で使用していた。

戦時下に入ると主に海軍霞ヶ浦航空基地への輸送増大と、徴兵による人員不足から、D級電機重連の運転は効率が悪く、国鉄並のF級(動軸数6)電機の導入が計画された。おりしも国鉄で戦時設計のEF13形が開発されたことから、これの自社発注の形で国の承認を得、日立製作所に6両が発注されたが、その直後に東京急行電鉄に合流(所謂大東急)したため、東急デキ100形として製造が続けられた。しかし結局、大東急解体までに2両が完成したにとどまった。

大東急解体後は、再びEF13形1・2に付番された

第一次増備

戦時設計と言うことで、安全性・信頼性の点で不満足な点の多かったEF13形だが、それまで最大でED15形しか持たなかった常磐では、投入されるやその輸送力の強さが買われた。そのため終戦・大東急解体後、日立製作所に未納となっていた4両の納品を依頼、1948年(昭和23)に全車が納品された。この6両は、最初から母線に高速度遮断機を装備した。

第一次体質改善工事

しかし、故障が多く貧弱な回路から出火の危険性もあったため、1948年から順次第一次状態改善工事が実施された。
  • 1・2号機については、パンタグラフ母線の代用ヒューズを撤去して高速度遮断機に交換
  • 弱メ界磁制御段の設置
  • 前照灯の位置変更(キャブ前面→ボンネット先端)
  • 運転台ヒーターの設置
  • 電路の絶縁強化
  • ワイパーの設置
  • パンタグラフをPS11形に交換

このうち、パンタグラフについては戦前製の6600系電車が装備していたものを、EF13形のPS13形パンタグラフと交換する形で実施された。

第二次体質改善工事

第一次体質改善工事の後も、満足の行かない点がいくつか上げられた。特に槍玉にあがったのは、ヨレヨレの車体の修繕が現場で大変なことだった。そこで常磐高速度交通網の発足した1952年(昭和27)、車体換装を伴う第二次体質改善工事が実施された。

車体については、運転席の動揺が少なく前面扉からの隙間風も直接運転台に入らないとして、凸形車体を評価する声が多かったため、基本的な構造はそのままに、鋼板厚さを2.1mmとして再設計した車体が発注された。また、主制御器を電動カム軸方式の社内呼称JC53形に換装し、発電ブレーキ段が設けられた。これに伴い、抵抗器も多段・熱容量増大形に換装された。動軸の軸受けのコロ軸受け化が実施された。これらの改造により自重が増大したため、コンクリート死重が一部撤去され、整備重量は101トンになった。

第二次増備

日光急行電鉄との再合併と、電化北進に伴い、電気機関車の所定が増大することから、1952年に再増備の計画が立てられた。

ところが、当初発注予定先だった日立製作所から、すでに国鉄が製造を打ち切った形式として受注を拒否されてしまった。この背景には、戦時設計で事故の多発した機関車というイメージが多分に働いていた面もある。やむを得ず、車体と台車を住友金属工業(現・新日鐵住金)、電装品を東洋電機製造に発注し、最終組立は自社水戸工場製として、7両が製造された。

この7両は、当初より、先行6両の第二次体質改善工事後の形で落成した。主台車は国鉄EF15形と同じHT61に変更され、デッキは従台車側となり、軸箱支持が外側のものが新規設計された。これにより、従台車もコロ軸受けとなった。

その後の改造

それ以前にも旅客運用がたびたび実施されていたことからサボ掛の取り付けが行われた機体もあったが、1960年(昭和35)、隅田貨物~仙台貨物の特急貨物の運転実施に伴いEF13形が所定とされたため、全車にヘッドマークステーの取り付けが行われた。

1971年(昭和46)にATS設置工事が実施された。

1973年(昭和48)から順次、ワイパーが上釣り式の空圧動作から、下付式の電動ワイパーに換装された。

現在

全13両が健在。特急貨物運用はEF62形に譲り、主に専用貨物の牽引、甲種輸送についている。また、1974年(昭和49)に発生した上野駅突入事故の反省から、客車列車の上野駅への空車回送には北千住駅もしくは隅田貨物駅から先導機関車がつくことになっているが、前任の戦前製機関車が全廃された1988年(昭和63)以降、本気が充当されている。
最終更新:2013年03月14日 13:35